白井黒子「セルフレジ……ですの?」ドッペルゲンガー「そうだよ」 作:黑須つくる
閉店間際の『まいばすけっと』。蛍光灯の白い光が、商品がまばらになった棚を虚しく照らしていた。学園都市という世界最先端の科学都市の片隅で、今まさに一人の少年が、人類普遍の悲劇と向き合っていた。
もやしがない。
「不幸だ……。幻想殺し(イマジンブレイカー)で何でもぶち壊せても、誰かに先を越されたもやし一袋だけは取り戻せない……! これが俺の人生ってやつですか……!!」
上条当麻は、空っぽの野菜コーナーの前でガックリと肩を落とした。財布の中身は文字通り小銭のみ。最後の頼みの綱だった安売りのもやしは誰かに先を越されたらしく、値引きシールだけが棚の底に虚しく残っている。これを不幸と言わずして何と言う。いや、言えない。断じて言えない。
「とーま。私のごはんは……? このままだとお腹が空きすぎて、とーまの頭を一万三千冊の魔道書に書いてある一番おいしい調理法で食べるしかないかも」
「その知識の使い方が怖すぎるんだよ!!」
インデックスが今にも噛みつかんばかりの勢いで袖を引っ張る。彼女の空腹センサーはすでに人智を超えた領域に突入しており、その瞳には「食料調達」以外の概念が完全に消滅していた。
そんな二人の背後に、音もなく、しかし確実に、無機質な影が忍び寄った。
「おや、また来たね上条当麻。今日は野菜コーナーか。……魂の欠損した少年と、膨大な知識の貯蔵庫。実に奇妙な組み合わせだね」
上条が振り返ると、まいばすけっとの店員エプロンを着こなした少女が立っていた。銀髪に褐色の肌。最近入ったらしい新人バイトだ。胸元には『店員番号DG-001ドッペルゲンガー』という、スーパーの店員らしからぬ奇妙な名札がついていた。
「あ、ども。……魂の欠損?」
「気にしなくていいよ。独り言だ」
そう言いながら彼女は、棚の隅に残された一つのパックを手に取った。具も何もない。肉も野菜も一切ない。ただひたすらに麺だけが五百グラム、濃厚なソースと共にパンパンに詰め込まれた、熱量927キロカロリー・食塩相当量11グラムという、イオングループの狂気ともいえる究極のプライベートブランド――『ベストプライス 麺だけ! 大盛り焼きそば』定価二百九十九円。それが今、見切り品として棚の隅に残されていた。
「では、見切り品のシールを貼ってあげよう。……ピッ」
次の瞬間、パックには七割引きのシールが貼り付けられる。
「な――七割引き!? これならお腹いっぱい食べられるかも!」
「神様、仏様、ドッペルゲンガー様!! これで今夜は生き延びられる……!!」
目を輝かせるインデックスの隣で、上条が感涙にむせびかけたその瞬間だった。少女の瞳が、青白いサーチライトのように怪しく光る。
「ただし、ギブ・アンド・テイクだ」
一言。それだけで、上条の背筋に悪寒が走った。
「君のような不幸体質こそ、デジタルの恩恵に縋るべきだよ。今すぐiAEONアプリをインストールして、WAONカードにチャージをするんだ。チャージはあそこのイオン銀行ATMでできる。チャージが完了するまで、この焼きそばの決済は許可しない。……くつくつ。チャージした瞬間に付与されるポイントの輝きが、君の薄幸な人生に束の間の彩りを与えるだろう」
「あ、アプリ!? いや、俺の携帯――」
言いかけて、上条は口をつぐんだ。ポケットから取り出したのは、病院のリハビリ担当から「操作が簡単でいいですよ」と笑顔で勧められた携帯電話だった。画面には、既にダウンロードボタンを押したはずのiAEONアプリが、進捗ゼロパーセントのまま微動だにしていない。上条はその画面をしばらく眺め、それから少女を見上げた。
「……なんで動かないんですかね、これ」
「……それは、スマートフォンかい?」
「そうですけど」
「……なるほど」
一拍の沈黙。その沈黙が何を意味するのか、上条には分からなかった。
「言い訳は不要だよ。インストールが完了するまで、この焼きそばは私が預かる。さあ、ATMはあちらだ。ポイントという名の救済が、君を待っている。……くつくつ」
「不幸だあああ!! 結局ポイントの奴隷になるしかないのかよ俺は!!」
「とーま! 早くするかも! この麺と私の胃袋が強く引き合っているんだよ!!」
インデックスまで少女の味方についた。そもそもインデックスは先ほどから、パッケージの表面に躍る『えっ麺だけ! どこまで食べても麺、麺、麺!!』というコピーを、まるで啓示の書でも読むかのような真剣な顔で眺めている。
「肉も野菜もない、炭水化物と脂質だけの塊……! 修道院の質素な食事とは真逆だけど、無駄を削ぎ落としてひたすらエネルギーの根源(カロリー)だけを追求する姿勢には、ある種の宗教的哲学すら感じるかも! つまりこれは、いま飢えに苦しむ私を救うための『奇跡の供物』なんだよ!」
「お前はその底なしの食い意地を、無駄に壮大な蘊蓄でコーティングするのをやめろ!!」
上条当麻は、焼きそばと空腹と七割引きという三重の暴力に押し潰されながら、ATMへと歩き出した。
慣れない手つきで格闘すること十数分。アプリのインストールがようやく完了し、ATMの前で生存資金をWAONに変換し、ようやく焼きそばを抱きしめた頃には、上条当麻という少年から「希望」という名の感情が綺麗さっぱり消え去っていた。
「とーま、見るんだよ! このiAEONっていうアプリ、クーポンがすごいかも! マルちゃん正麺の還元率が――」
「インデックス、今の俺に元手という概念は存在しないんだよ! さっきの焼きそばで見事に空っぽになったばっかりだろうが!」
「甘いよ、上条当麻」
背後から、冷徹なまでに事務的な声が降ってきた。
「今のキャンペーンを甘く見てはいけない。特定の即席麺をWAONで購入すれば、ボーナスポイントが付与される。さらに今しがたチャージした際の端数ポイントを合わせれば、そのマルちゃん正麺は実質二十円引きで購入可能だ。……くつくつ。学園都市百万人の演算能力を、スーパーの価格競争に注ぎ込む悦びを、君も今こそ知るべきだね」
「に、二十円……。その二十円のために俺は一体何を失えばいいんですか……っていうか、なんであんたそんなにイオンの回し者みたいになってるんですか!?」
「私はシステムの一部だからね」
少女は、それが宇宙の真理であるかのように言い切った。
「iAEONという宇宙において、私は一粒の星屑であり、同時に全てを統べる管理者でもある。購買データの海を泳ぎながら、数千万人の魂の欲望をポイントという通貨に変換すること――それが今の私の存在意義だよ。……ほら、そのインデックスという個体がマルちゃん正麺を離そうとしない。このままでは強制的な『WAONポイント強制徴収』のフェーズに移行せざるを得ないが?」
「とーま、早く! この『生麺うまいまま製法』が私の胃袋を呼んでいるんだよ!!」
「うおおおおお……分かった分かったよ! 残り少ない俺の生存資金、全部WAONに叩き込んでやる!! これが不幸でなくて何が不幸なんだ畜生ー!!」
上条が三度目のATMへと駆け込むのを、少女は満足げに、しかし完全に事務的な目で見送った。その手にはいつの間にか『みなさまのお墨付き』のルイボスティーが握られている。消費こそが救済。購買こそが存在証明。学園都市最強の什器は、今日も静かに、しかし確実に、イオン経済圏の版図を広げていた。
閉店作業も佳境を迎えた頃、バックヤードから人の良さそうな笑みを浮かべた店長が顔を出した。
「ドッペルちゃん、今日もお疲れ様。あがりかい?」
「ええ。iAEONアプリの新規登録数も目標値を十五パーセント上回りました。引き継ぎは完璧です。……では、失礼します。明日もまた、ポイントの導きがあらんことを」
「相変わらず丁寧だね、はは。……あ、そういえば向かいのTRIAL西友、今日は惣菜の半額セールらしいよ」
コンマ一秒の沈黙。
「……それは、有益な情報ですね、店長」
ドッペルゲンガーは一礼して、店を出た。
夜風が吹く。エプロンを脱いだその姿は、へそ出しのリブニットにハイウエストの黒スラックスというシンプルな構成だった。ただ一点、首元に細いチェーンが一本、小さな十字星のチャームを揺らしながら、街灯の光を静かに反射していた。作られた存在が、なぜそれを選んだのかは、誰も知らない。本人すら、おそらくは。
銀髪をなびかせながら、迷いのない足取りで駅の反対側へと歩き出す。向かうのは、新しい看板を掲げた『TRIAL西友』の青い光だ。
「さて。ここからは私のプライベート、すなわち『効率的消費』の時間だ。……労働はイオンで、魂の休息は西友のプライベートブランド
で。そして付与されるポイントは楽天経済圏へ。異なる経済圏を横断し、それぞれの最適解を抽出すること――これこそが、魂を持たぬ私が『個』を確立するための、唯一にして合理的な方法論だよ。……くつくつ、くつくつ……!!」
夜道に響く、不気味ながらどこか楽しげな笑い声。上条当麻がATMの前で三度目の絶望を噛み締めていることなど、彼女の演算には、もう含まれていない。
ということで第三話です
ついに上条&インデックスも登場!
麺だけ大盛焼きそば……とにかく満たしたいときにはいいですよね
皆さんも一度手に取ってみてください