病ンデレ女神と呪ワレ神機 作:油ゴブリン
「……と、そのように聞き及んでおります」
「な、なるほど……」
一通りナスターシャさんが語り終えた頃には、時計は既に一巡し、料理は完全に冷え切ってしまっていた。時間つぶしにはちょうどいいが、その話の内容もまた色々と頭が痛いもの。
まあでもとりあえず、腹ごなしが先だね。
「とりあえず、食べていい?」
「あ、はい。どうぞ」
僕は湯気の消えたスープを手に取ると、ひとさじ啜って顔をしかめた。
美味しいんだけど、冷めきって美味しくない……。
まあお腹空いたから食べるけど……。
「もぐもぐ。せっかく良い材料を使ってるのにもったいない……もぐもぐ」
「あ、えと。その……ナイフとフォークの扱い、お上手なのですね」
「? あ、うん。お母さんからしっかり仕込まれてね」
あんな田舎の村でそんなもの使う機会なんて無いと思ってたけど、まさか役に立つ日が来るとはね。
いや、案外、母さんはこうなる事を予想していたのだろうか。
『可能性は高いでしょうね。ティフォンと母君、父親のいない母子家庭が問題なく暮らしていけてたのは、恐らくアウギュストという男の支援あっての事でしょう。どうやら彼は、相当前から貴方達親子に目をつけていたのでしょうね。まさか、本家が壊滅して担ぎ出す事になるとは夢にも思っていなかったでしょうが』
やっぱりそう思う? 不思議とウチ、贅沢はしていなかったとはいえお金に困ってなかったしなあ。
冷えて硬くなった肉をナイフでちょこちょこ切り分けていると、じっとこちらを見つめているナスターシャさんと目があった。
僕は少し考えて、一切れ肉を差し出した。
「はい、あーん」
「……えっ!? あ、いえ、そういう訳では」
「でも考えてみれば君、毒見でちょっと食べてから何も口にしてないでしょ。お腹すいてるんじゃないの? いいから食べて、ほら」
ぐいぐいフォークを差し出すと、ナスターシャさんは目を白黒させながら困惑している。耳元で、呆れたような囁きが呟いた。
『……概ね、ティフォンが食器をうまく扱えなかったら食べさせてあげなさい、とでも言われていたんじゃないですか? お飾り当主ですし、甘やかして言う事聞かせようとか、奸臣の考えそうな事です。そしたら逆にあーんされるとか、それは困ってしまいますか』
「いいからいいから。それとも僕のお肉が食べれないかー、なんてね」
「わ、わかりました。いただきます……ぱくっ」
裏事情はどうでもいいけど、あの目線は絶対にお腹すいてた。そういうのを見分けるのは自信がある。
僕のごり押しに折れたのか、ナスターシャさんは恥ずかしそうに顔を赤くしてぱくり、と小さな口でフォークの先をついばむと、口元を隠してさっと身を引いた。
「もうちょっと食べる?」
「ど、どうかご、ご勘弁を……」
『ティフォン……。村の子供じゃないのですから、貴族の子女に手ずから受け渡しはハードルが高いですよ。全く妬まし……をほん、ん゛んっ』
そういうものなの? 僕は首を傾げて、彼女に差し出したフォークでそのまま、ステーキの肉を切り分けた。毒見とかいって同じ物食べたのに変なの。同じことじゃん。というか、声に言わせれば逆の事をするつもりだったんじゃないの?
よくわかんないなあ。
もぐもぐ、とお肉を口いっぱいに頬張る。さっきは冷めて美味しくないと思ったが、噛みしめれば噛みしめるほど味がでてきてこれはこれで悪くない。熱々だったらもっと美味しいんだろうけど。
「そういえばさっきの話だけど、あそこまで言ってよかったの? アウギュストさんの思惑とか、カリギュラが厄ネタというとことか。ハッキリ言うと、僕をだまして利用した方がよかったんじゃないの?」
「……アウギュスト様からは、問われれば答えるように、と仰せつかっております。疑問に思われるほどの判断力があれば、隠しておく方が返って不和を招く、と」
「ふーん……」
サラダにも手を付けながら、首を傾げる。
アウギュストという人、嘘が得意なのか嫌いなのかよくわからないな。僕を利用しようとしている割に、情報は結構オープンだ。いやまあ勿論、話していない事は山ほどあるんだろうけど、それはそれとして、ね。
「よくわかんないんだけど、カリギュラが呪われてる、っていうのは、具体的にはどんな感じなの?」
「それについては……すいません、本当に何も私は知りません。カリギュラは不吉だと、呪われていると、皆さま口々に語りはしますが、具体的な話は何も……」
「ふむ。村の怪談みたいなもんか」
村でも、ここには行っちゃいけない、ここには入ってはいけない、なんて場所はいくつかあった。だけど誰も具体的にその理由を知らなくて、とにかく「昔からそう言われてきた」の一点張りだ。
あの禍々しい神機も、そういう感じなんだろう。
「い、一応、起動の儀式のときは、なんともありませんでした……」
「そっか。君達も乗り込むんだから、他人事じゃないものね」
そう考えると、彼女も大変である。
僕は料理を食べ終えて、ナイフとフォークを置いた。
「ご馳走様。ちょっと食べ足りなかったけど、美味しかったよ。明日はできれば暖かい物が食べたいのだけど……」
「それは、その……難しいかと……」
「そうだよね……」
まあ僕も無理強いをして彼女を困らせたい訳ではない、この話はここまでにしておこう。考えが無い訳ではないし。
「まあいいや。今日はもう、用事はないんだよね? お風呂入ってもう寝たいな。浴場があるんでしょ? 楽しみだなあ」
「わかりました。湯汲でしたら、準備を整えますのでしばしお待ちください」
「うん、お願いね」
食事の台車を押して退室していくナスターシャを見送り、僕は風呂にウキウキと思いをはせる。
だって風呂だよ、たっぷりのお湯をあんなに贅沢に使えるなんて。村では数日に一度、サウナに入ってただけだからなあ。一度、湯舟に体をつける事をしっちゃうと、あんなのにはもう戻れないよ。
『……気が付いては……いませんか。まあ、これも良い経験でしょうね』
「ほえ?」
だからその時の僕は、囁きの意味深な呟きの意味なんて、さっぱり考えもしなかったのだ。
そして、それを今現在、凄く後悔している。
「ティフォン様、どうぞこちらに。床は滑りますので、お気をつけて」
「う、うん……」
予想通り、お屋敷の湯舟はとてつもなく広かった。僕一人が使うにはあまりにも過剰な広さの浴室には、もわもわと大量の蒸気が立ち込め、ちょっと先も見通せない。床は濡れてつるつるしており、確かに慣れてないと危ないかもしれない。
けどそれは問題じゃない。
問題なのは、どうして侍女達が浴衣姿で僕と一緒にお風呂に入っているのか、という事である。
ちらり、と床に視線を向けると、僕を取り囲む半裸の少女の姿。
夕飯の相手をしてくれた黒髪赤目のナスターシャさんに、金髪碧眼のレオーリアさん、銀髪青目のイヴリンさんに、赤髪金目のヒルドさん。貴族の人らしい色とりどりの髪と瞳に、ほんのり上気した白い肌。身体の大半は白い浴衣に隠されているけど、体に張り付いたそれからはうっすら肌色が透けて見えていて、僕は恥ずかしさに思わず顔を逸らした。
なんでこうなってんの!?
「あ、あの、風呂ぐらい僕一人で入れるから……四人は、戻って貰っても……」
「それは困りますわ。ティフォン様のお世話をさせていただくのも、私達の仕事になります。ねえ、ナスターシャ」
「はい。それとも、ティフォン様は私達の見た目がお気になさらないのでしょうか? その、黒髪は、お好きではない……?」
そ、そんな事はないけれども! おかしくない!?
「ひ、一人で自分の事が出来るほうが偉いでしょ?! ほ、ほら、ここに来る道中でお風呂に入った時も、一人で入ったし、案内の人にも「お一人で風呂に入れるのですね、素晴らしい」って褒めてもらったし!」
「それは……恐らく、お迎えに上がった人達は人手が足りなかったのでしょう。それにしてもまさか、次期当主になられる御方を一人でほっぽり出していたとは……」
「後でアウギュスト様にご報告しなければ。それよりほら、ティフォン様、よろしければお手を取り下さい。湯舟の近くまで案内しますわ」
な、なんか藪蛇? ご、ごめん、案内の人……!
差し出されたレオーリアさんの指を見る。母さんや僕と違って、硬くなっている所なんて一つもないつるつるした指は、やっぱり御貴族様なんだなあ、って改めて思う。
いや現実逃避してる場合じゃない。
どうして。男女三歳にしてお風呂は別、っていうでしょ!?
『それを言うなら同衾せず、ですよ。いいですかティフォン、ここは彼女達に任せなさい。貴族というものは、身の回りの事は自分でせず、他人にやらせる事がステータスなのですよ。暫定とはいえ公爵家の当主となった貴方が自分の事を自分でするなど、傍付きの人を困らせるだけです』
やっぱりおかしいよ偉い人! 自分の事も自分で出来ないってただの無能じゃん! クズじゃん! そんな奴は村では生きていけないよ!
だ、だけど郷に入れば郷に従え、ともいうし……こ、ここではそれがルールなら、し、仕方ない……。
「わ、わかった。よろしく、お願いします」
「はい、よろしく任されました」
「それではこちらに。まず、お体を流しますねー……」
その後はあれよあれよと、四人の侍女に体を洗われてしまった。正直に言うと、なんだか芋になった気分である。意外と皆の手つきがぎこちなくて、考えてみれば彼女達は普段、洗われる側の人間の筈である。
それが、今は唯の農民の子供の僕を必死こいて綺麗にしている。
世の中、おかしな話ばっかりである。
「それでは、頭を流しますね。目を御瞑りください」
「あ、うん、わっぷ……」
頭から、たっぷりお湯をかけられた後は、ぬくもるまで湯舟に浸かる。
体が芯から温まると、疲れが出たのか、目がしぱしぱしてきて、意識もうつらうつら。
タオルで頭からごしごし拭かれた後は、手を引かれるがままに部屋まで戻って……そこから先は、何も覚えていない。
『ふふ。お疲れ様でした。おやすみなさい、私のティフォン』
◆◆
「アウギュスト様、ただいま戻りました」
ティフォン様をベッドに寝かしつけた後、私達はアウギュスト様の執務室に向かいました。
その部屋は本館の一角にあります。ブリタニカの姓を持っていてもかつては有力者の一人に過ぎなかったアウギュスト様ですが、ティフォン様を擁立した功績により、この部屋を与えられました。
事実上、今のアウスレーベン公爵家はアウギュスト様が取り仕切っているといっても過言ではないでしょう。
「お勤め御苦労。それで、どうだった、ティフォン様は」
「……慣れない環境に、お疲れのようかと」
「それはまあ、当たり前だな。よくぞむしろ、最後までもったといえる」
アウギュスト様は私達には一瞥もくれず、机の上の書類の決裁を行っている。酷薄な印象を受ける冷徹な視線が書類の文字を追い……しかし、その口から紡がれる言葉は、意外にも柔らかいものでした。
「田舎の農村育ち、ロクでもないものを想像していたが、これも公爵家の血のなせる業か。存外に理性的で、話せると来たものだ。少なくとも、あの年頃の私はもう少し、低俗だったな。善い、優秀な看板であれば掲げ甲斐があるというものだ」
「……はい」
いえ。きっとそれは、私達がそう思いたいだけなのでしょう。アウギュスト様はあくまで冷静、冷徹に人を評価しておられる。彼にとって、ティフォン様はあくまで政争の駒にすぎません。そしてそれは私達も同じ。いくらでも替えの効く、多少高価な消耗品でしかないのです。
「それで、生殖能力の方はどうだ? “唯一”の嫡男として役目を果たせそうか」
「……その手の知識は、おありのように見えました。機能も、その、浴場で見る限りは問題ないように見えます。ただ、自制心が聊か強いように思われます」
「そうか。彼の母親は、息子の血の価値を理解していたと思える。生きていれば良い駒になったやも
……いや。それはないな。子を守る母親ほど、強情な生き物はいない」
書類の上を走るペン先が止まる。その横顔に浮いているのは……小さな笑み?
それがいかなる意味か図り損ねて、私は息を呑んだ。
彼がペンを止めたのはほんの一瞬の事。次の瞬間には再びインクの線が紙の上で踊り、まるでそれが動力のように、情の無い策略が朗々とその唇を滑る。
「まあよい。我々で彼を囲っている限りは、そう問題は無い。……わかっていると思うが、彼に余計な女を近づけるな。褥を共にするなどもってのほかだ。性処理の管理は厳密にだ、塵一つ外に出すな」
「存じ上げております。……その、夜のお相手は、すぐにでも?」
「……いや、しばし機を見ろ。性急に動いては後々こじれる。あまり“女”をちらつかせるな、逆にそういうやり方は警戒を招く」
アウギュスト様の恐ろしい所は、決して情を疎かにしない事だ。情を理解し、しかし情には流されない。人間が感情で動かされる獣である事を理解し、情を手綱とする。
そうして、気が付けば雁字搦めにされていて、彼の言うがままに振舞うしかなくなるのだ。
私達が、そうであるように。
「わかりました。アウギュスト様の仰せのままに」
仲間達と共に、頭を下げる。家族の命運を握られている以上、私達にはこの方に逆らうという選択肢はない。もし逆らうとまでいかなくとも、彼の機嫌を損ねる事があればどうなるか……身近でアウギュスト様の働きを見せられてきた私達は、それをよく知っている。
恐ろしい。この方ほど恐ろしい人間を、私達は知らない。
何も知らないティフォン様には、正直申し訳ないと思う。できれば彼には、少しでも良い思いをしてもらえれば……そう思う事が、私達のせめてもの贖罪だった。
だけど。
私達は知るのだ。
そんなアウギュスト様よりも、もっともっと、恐ろしくて逆らい難い……否、逆らうなどと考えてはいけない存在が、この世界には居るという事を。
『はじめまして。ナスターシャ・ストラチカ』
ああ、お許しを、アウギュスト様。
私は、あの恐ろしい笑みを、赤い瞳を、忘れる事が出来ないのです。
◆◆