病ンデレ女神と呪ワレ神機 作:油ゴブリン
夢を見た。
迎えの人が来た時の夢だ。
おじさんは僕には選択権がない、どうしても来てもらう、と言った。
僕は適当な言い訳をしておじさん達に表で待ってもらい、一人、母さんの部屋のベッドの前で俯いていた。
正確には一人じゃないけど。僕の耳には、囁きかけてくる声があったから。
この声が、どこの誰なのかは、僕は知らない。顔も見た事ないし、そもそもそんなものがあるのかどうかも知らない。
だけど彼女は、母さんを失った僕にとって、頼れる最後の相手だった。
彼女のいう事は、いつだって正しくて、間違っていない。この時も、彼女は僕の心に染み入るような囁きを、ひそひそと耳元でつぶやいた。
『いいのですか? わかっているでしょう? あの人たちが何をしたか。貴方のお母君を……』
「…………うん。わかってる」
ギリ、と小さく拳を握りしめる。
そう、母さんの病気は、本当なら大したことはなかった。早く医者にかかって、適切な治療を受けて、ちゃんと薬を飲んでれば命に係わるほどのものではなかった。
それがこんな事になったのは、全部貴族達のせいだ。
貴族達が馬鹿な戦争を始めたせいで、母さんは殺されたようなもの。そしてよりにもよってその貴族が、のうのうと素知らぬ顔で僕を迎えに来た。
さすがに、思う処はある。
「だけど……ほかに、選べる道はないよ。立場が違いすぎる。どれだけ悔しくても、悲しくても、僕達は貴族には逆らえないんだ……」
『いいえ。それは違いますよ、私のティフォン』
「え?」
きょとんとする僕の耳に、甘く優しく、熱のこもった声が語り掛けてくる。存在しない吐息が、耳朶をそよそよとくすぐるようだ。
『いまの貴方は、その貴族達をいいようにできる立場なのです。ここで貴方を連れていけなければ、困るのは彼らの方。いいですか、今は貴方の方が“上”なのです』
「それ、は……」
『わかりますか? 憎い貴族は今や、貴方の意思一つなのです。特権を失った貴族など、ただの人。彼らはそうならないために、ほかならぬ貴方にすがるしかないのです。ああ、なんて哀れで、滑稽な者達なのでしょう。これまで自分達が踏みつけにして気にもしなかった相手に、今は必死になって頭を下げている。ねえ、ティフォン。貴方ならどうしますか? いいえ、どうしてやりたいのです?』
それは蜂の集めた蜜のような、甘くてとろりと絡みつく言葉。
毒のある蜂が集めた蜜は美味しいけれど、たくさん食べるとお腹を壊す。そんな、ちょっとしたリスクがあるからこそ、蜜は甘く蕩けて広がる。
「僕は……僕は……」
『恐れなくていいのですよ。ティフォン、素直に貴方の願いを口にしなさい。誰も、それを否定なんかしません。いえ、私がさせませんよ』
「……僕は……」
この時、僕が口にしたのは毒だったのか、蜜だったのか。
あいまいな意識では、思い出せそうにない。
そして、僕は目を覚ました。
「朝……」
広すぎるベッドから身を起こす。
ごろごろ横に転がって床に足を付けて、窓から外を覗くと、まだ空はうっすらと青白い。
村の基準だと寝坊気味ぐらいだ。
「ふわあ……どうしようっかな。朝ご飯もまた待たされるのだと思う? ねえ」
いつものように囁きの主に語り掛けるが、おかしいな。返事がない。
まだ寝てるのかな。
「まあ、いいか」
いつもと違う環境だし、そういう事もあるだろう。
「とにかく、毎回あんなにごはんをまたされちゃたまらないよ。それならそれで、僕にも考えがあるもんね」
とりあえずパジャマを着替えようと部屋を見渡すが、それらしき衣装棚は見つからない。しまった、昨日のうちに聞いておけばよかった。
「まあいいや、どこかで調達しよう」
今はとにかく行動あるのみだ。僕はこっそり扉から廊下に顔を出す。誰の姿も見当たらない事を確認したら、いそいそと館の中に繰り出した。
「食堂は一番下の階の、東側だったよね」
耳を澄ますと、遠くから食器を鳴らすにぎやかな音が聞こえてくる。お貴族様だって朝ごはんは僕らと同じはずなら、もう料理人は仕事を始めているはずだ。
わくわく。
僕は見つからないように、こっそり食堂を目指して移動した。
途中で、適当なロッカーに忍び込んで服を拝借するのも忘れない。
無事に誰にも見つからずにたどり着いて、扉から中を覗く。
「わあ……」
そこは今まさに、ご飯の準備をしている真っ最中だった。
何人もの料理人が食材の下ごしらえをしたり、鍋をかきまわしたり、オーブンを操作したりしている。蒸気が立ち込め、美味しいにおいがいっぱい漂う。
なんだ、たくさんご飯があるんじゃん!
これなら毒見とかそういうの気にする必要もないよね。ちょっと必要なだけ拝借しよう。
声をかけようと思った僕だけど、それよりも先に大きな怒鳴り声が僕の肩を跳ねさせた。
「こら、お前、そこで何やってる!?」
「わわ」
「……ん? なんだ、その恰好。お前、新しい手伝いか?」
声をかけてきたのは料理人のおじさんだった。彼は僕の恰好をみて首をかしげていたが、すぐに考えを切り上げて僕を片手で呼び寄せた。
「まあいい、今は猫の手でも借りたい忙しさなんだ! 新しい当主様を迎えたとかで、今、屋敷にはめちゃくちゃ人が多いんだ、手伝え! 何ができる?」
「や、野菜の皮むきとかなら」
「よし! じゃあ、そこの芋の皮をむいておけ!」
なんだか思ったのと違う流れだけど、まあいいか。
働かぬもの食うべからず。僕は言われた通り、山積みにされた芋の山に向かう。ふふん、こういうのは実は得意なんだよ。
ナイフを手の中で回転させて、しゃりしゃりしゃり、と皮むきを開始する。その傍らで、調理場の様子に目を通す。
お貴族様と言えど、食べているものはそうそう僕らと変わらないらしい。
このあたりで朝ごはんといえば、パゲナゥ、という料理が一般的だ。
中はスカスカ、外はカチカチのかたーいバゲットを焼き、そこにスープやシチューを流しいれて器にする。中の料理でカチカチのパンが適度にふやけて食べやすくなったのを、中身と一緒にいただくのだ。中に入れるスープやシチューは、温熱石の窯に鍋を閉じ込めて一晩じっくり熱を通しているから、肉も野菜もトロトロほろほろに仕上がっていて、食べるというより飲むように食べられる。朝ごはんを重視するここらの風習だと、手軽にたくさん食べられて、朝から気合を入れて仕事に臨めるので人気メニューだ。家によって、スープやシチューのレシピも違う。
この食堂では、お貴族様らしく、大きな肉がたっぷりはいっている。台車で奥から運び出されてくる銅の鍋には、たっぷりの骨付き肉が煮込まれている。それをコックがトングで摘まみ上げてバゲットに放り込み、骨をねじるようにすると簡単にぽろりと取れる。別の鍋からシチューを注ぐと、それを両手で何個も持った給仕が食堂を出ていく。
なるほど。人がたくさんいるから作る量も豪快だ。でも煮込み料理ってたくさん一度に煮た方が美味しいよねー。
今僕がむいている芋の山はお昼か、晩御飯か、明日の分かな。
そんな事を思いつつも、僕はてきぱき、と芋の皮をむき続けた。
「おお、坊主。なんだ、ずいぶん手馴れてるな! そっちはもういい、それより料理をテーブルに運んで行ってくれ」
「わかった!」
ほかの人をまねて、両手にパゲナゥをたくさん抱えて食堂に向かう。
朝の食堂は、すでにたくさんの人であふれかえっていた。押し寄せる熱気にむせ返りそうになりながら、テーブルにじゃんじゃん並べていく。
「はいおまちです! どうぞ!」
「お、ありがとう」
「まってたんだ」
背後から見慣れない顔だな、新人かな、という声。ひひひ、ばれてない。なんだか楽しくなりながら、僕は次の相手の盆に料理を置いた。
「はいどうぞ!」
「ああ、ありがと……閣下?」
「え?」
急にがっしと肩を掴まれる。
ほえ、と相手の顔を振り返ると、そこにあるのは頬がちょっとこけた気難しそうなお兄さん。黒い髪に、青い瞳。
……この屋敷に居る人は全然覚えてないけど、それでも数少ない記憶にある顔。
アウギュストとかいう、僕をここに連れてきた張本人。……そ、そりゃあ、僕の顔を覚えているよね。
じっとこちらを見つめてくるお兄さんに、僕は誤魔化すように愛想笑いを浮かべた。
「え、えへへ……」
「いやえへへじゃないですよ。ここで何を……まさか」
アウギュストお兄さんはちらり、と食堂に目を向けて、それで頭痛を覚えたかのように頭を抱えた。
「そこに座りなさい」
「で、でも、僕配膳が……」
「座りなさい。座る!」
はい。ごめんなさい。
「なるほど、大体事情は分かりました」
人でごったがえす食堂の片隅で、僕はアウギュストお兄さんの隣の席で縮こまっていた。
混雑と雑談に紛れて、他に僕の事に気が付いた人間はいないようだ。
「……本当は侍女を起こしに向かわせるつもりでしたが、昨日の今日でお疲れだと思いまして。もう少しあとでいいかと思っていたのが裏目にでましたか」
「む、村ではこれぐらいの時間は、遅い方だったから……」
「そうですね。こちらも少し、貴方の事について理解が足りませんでした」
お兄さんは前髪をくるくると弄ぶと、はあ、と小さくため息。そして、お盆の上に山積みになったパゲナゥの一つを僕に差し出してきた。
……いいの?
おずおずと僕が受け取ると、アウギュストお兄さんは小さく頷いて、自分の分を手に取った。
「しかし、いえ。考えてみれば、悪くない発想かもしれません。この大混雑の中で、閣下の食事にだけ毒を盛るのは難しい。いっそ、食材を手配してご自身で料理するというのはどうでしょう? 村で暮らしていたのなら、炊事の経験はあるでしょうし」
「え、いいの? でもお貴族様って、自分の事を人にさせるのが仕事なんじゃ……」
「誰から聞いたのです? いやまあ、間違ってはいませんが。貴族が雑事を自分でしないのは、その時間でより価値ある仕事をするためです。着替え、風呂、料理、そういったものは貴族でなくともできますが、領地の運営、組織の運用、外遊の計画、そういったものは権限ある貴族にしかできません。ならば、そこに時間を割くのが道理というもの。……とはいえ、それで自分ですれば済む事まで人にまかせていては本末転倒といえますか」
自分の分のパゲナゥを一口齧り、小さく口元に笑みを浮かべるお兄さん。
「自分で料理できるなら、ご自身で調理すれば毒殺の心配もありません。至急、お部屋にキッチンを用意させましょう。それでよろしいかな?」
「わあい! ありがとう、アウギュストお兄さん!」
「アウギュストで結構です、閣下。それより今後はこういう真似は控えてください、下々の心臓がびっくりして止まります。あと、飲み物もちゃんと飲んでください。苦手な物はありますか……ない? ではこちらで。ここのコーヒーもなかなかいけますよ、砂糖たっぷりでいきましょう」
お兄さんが手を挙げて配膳を呼び止める。その横で、僕は手渡されたパゲナゥを一口。
思った通り、ジューシーで、旨味たっぷりで、やさしい味だ。
だけどほかの何かが、このパゲナゥからは感じられる気がした。
僕はこっそり、追加の注文を頼んでいるアウギュストお兄さんの横顔を見上げる。
もしかするとこの人、思ったよりも話のわかる人なのかもしれない。なんだかそんな気がした。
「? どうしました、閣下」
「ううん、なんでもない。それより、お兄さんも結構偉い貴族なんだよね? 人がたくさんの食堂で食事するんだなって」
「残念ながら、ブリタニカの姓を掲げてこそいますが私など本来は末席も末席、閣下の前で口を開く事など本来は許されぬ立場です。毒見役を用意するなどとてもとても。それにこういう処だと、部下達の本音が聞こえてきますしね。不平とか不満とか、愚痴とか。ふふ……」
口元を吊り上げてニヤリと笑うお兄さんに、僕はびくっと肩を震わせた。
前言撤回。
結構怖い人だ、この人。
「アウギュスト様!! お部屋に、ティフォン様のお姿が……え、あれ? どうして、ティフォン様とご一緒に……? そ、それにそのお召し物は……?」
「気にするな、ちょっとした手違いがあったようだ。それよりも、閣下の部屋の誂えについて話がある」
「??? わ、わかりました……」
お兄さんに連れられて寝室に戻ると、そこでは顔を真っ青にしたナスターシャさんの姿があった。
そうか、僕を起こしにきたのか。そしたらベッドに姿がなくてびっくりしたと……悪い事したなあ。
「閣下。お着換えなさったら、私の書斎にお越しいただけないでしょうか。今後の事についてお話があります」
「わかりました。アウギュストさん、どうもありがとう」
「アウギュストでいいでしょう、と言ったでしょう」
不機嫌そうに眉を顰めるお兄さん。そこだけ見ると慇懃無礼な人のように見えるけど、僕はさっきまでの彼を知っている。
人にはいろんな側面があるものだなあ。
にこにことお兄さんを見上げていると、耳元で小さな囁きが聞こえてきたのだった。
『……なんだか、知らないうちに仲良くなってますね』
あ、お帰り。
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