病ンデレ女神と呪ワレ神機 作:油ゴブリン
食事も済ませて、お着換えを手伝ってもらうというか、侍女の皆さんに着せてもらうというか、それが終わった僕はアウギュストお兄さんの執務室に向かった。
本当ならお兄さんが僕の部屋に来るものらしいのだけど、部屋は今現在、キッチンを入れるために改装中だそうである。
正直申し訳ないなー、と思うし、急じゃない、と思ったけど、お兄さんは「貴方は仮初でもアウスレーベンの当主。この程度の事、我儘の内にも入りませんよ」とあっさりしたものだ。
『全く、主人を呼びつけるとは信じられませんね。とんだ直臣もいたものです』
まあまあ。
と、僕を先導していたイヴリンさんが、ゆっくりと歩幅を緩めて、扉の前で足を止めた。その拍子に、後ろでまとめてある彼女の綺麗な銀髪がさらり、と揺れて思わず僕は見入ってしまった。
きれいな髪だなあ。貴族の人ってカラフルなだけじゃなくて、色も綺麗だよね。
「閣下、こちらがアウギュスト様の執務室になりますわ」
「うん、ありがと」
「アウギュスト様? 閣下をお連れいたしましたわ」
とんとん、とイヴリンさんがドアをノックすると、その向こうから返事があった。
足音がどたどたとして、扉が開く。顔を出したアウギュストお兄さんは僕を見るとすぐに頭を下げた。
「申し訳ありません、閣下。このような呼びつける真似、お許しください」
『全くです。お飾りと言えどティフォンは当主ですよ?』
「いいから、僕は気にしていない。それより、お話ってなあに?」
こちらへどうぞ、と部屋の中にいざなわれる。イヴリンさんは外で留守番。
中に入ると、インクのにおいが鼻をついた。そしてちょっとかび臭い紙の匂い。
書斎の中は、壁一面が本棚になっていた。広い部屋なのにまるでそう感じない、ものすごい圧迫感だ。
部屋には小さな窓しかなくてちょっと薄暗い。見渡すと、お仕事机の上にたくさんの書類が広げられているのが見て取れた。傍らには、蝋燭が溶けて固まった物が山になっている燭台が一つ。
どことなく激務の名残を感じ取って、僕はちょっと眉を顰めた。
「……忙しいみたいだね」
「お気になさらず、それが私の仕事ですので。それに、朝、食堂にいくぐらいの余裕はありますよ」
ふ、と小さく笑みを口元に浮かべるお兄さん。それは人によってはこちらを笑っているように見えるのかもしれないけど、僕はなんとなく、深い意味はないんだろうな、と思った。
『まあ、感じが悪い。呪ってやろうかしら』
やめて、やめて。
それより、これからの話をしよう。
「それで、話っていうのは、やっぱり僕のこれからの立ち回り?」
「お話が早くて助かります。まず、大前提ですが、私はティフォン様には最低でも数年、アウスレーベンの当主としてお立ち回りしていただければならない、と考えております。しかし、当然の事ですが、貴方に当主として様々な債務を任せる事はできません。それはわかりますね?」
「教育を受けてないからね」
ネズミが空を飛べないように、鳥が地面に潜れないように、生き物はできる事しかできないし、学んだ事しかできない。
ただの村の子供として生きていた僕が、いきなり貴族、それも大貴族の当主としてのお仕事なんてできるはずがない。それは重々承知の上だ。
一応、ここに来るまでに最低限の教育は受けたけど、ほんとに最低限だ。あれで回していけるとは思わない。
人によってはそれでも自分でやりたいのだろうけど、少なくとも僕は自分でやろうとは思わなかった。
『これまたはっきりと言い切りましたね……つまりティフォンは傀儡であり、自分がアウスレーベンを動かすと』
「言いたい事はわかったよ。でも、それでも僕がやらないといけない事はあるよね」
「ご理解いただけて助かります。はい、そうです。ティフォン様にしかできない事は一つ……神機を動かす事です」
アウギュストさんは机の上から地図を一枚もってくると、それを僕に見せてくれた。色々印が書いてあって、まあなんかすごそうだけど僕にはちんぷんかんぷんだ。
とりあえず話を聞きながらうんうん頷いておく。
「最近、国境線の近くで蛮族の大規模な集結が確認されました。近く、進軍が行われると考えられており……国王陛下から、士気高揚の名目でアウスレーベン公爵家に前線への出陣が命じられました。まあ名目は儀礼的なもので、本質はアウスレーベン公爵家が機能しているかの踏み台でしょう。これにもし応じられなければ、難癖つけて公爵家の解体に取り掛かるはずです。そして今の弱体化したアウスレーベン公爵家はそれに抵抗できません。逆に言えば、他侯や王家はアウスレーベンを終わったものとみなしています。ここでアウスレーベンここにあり、を示す事が出来れば、今後の大きな一助になります。そのためにも閣下には神機を動かす訓練をすぐにでも始めて頂きたい」
ただし、とお兄さんは地図にペンで線を引き、何事かを書き込んだ。
「動かせるのは、戦えるのは機帝カリギュラのみ。しかしあの機は、すでに前線に運搬するべく解体が始まっています。そのため、練習機を今現在用意中です。昼過ぎには準備が完了するかと」
「え、分解して運搬するの? 歩いていくんじゃなくて?」
「閣下、アウスレーベン公爵家は貴族の頂点ではありますが、だからといって戦闘能力のある神機で他貴族の領地を横断する事は許されませんよ。それに、申し訳ありませんがまだ子供の閣下では長距離の行軍には耐えられません。神機の操作には、精神力と体力を消耗するのです」
ほえー。なるほど、言われてみればそれもそうか。
まあでもやる事ははっきりしていていいね。
「でも、動かせる程度じゃ戦えないよ?」
「侍女から話を聞きだしたのでしょう? まさか殿下に戦えなどと口が裂けても言えませんよ。それに、機帝カリギュラは過去に何人もの公爵家ゆかりのものが不審死を遂げた呪われた機体です。記録によれば乱戦の最中、護衛の目が外れた間の出来事なのではっきりしていませんが、制御系の負担が大きいのかもしれません。動かすだけならともかく、戦闘行為は厳禁です。むしろ、戦わないでくださいとはっきり言っておきます」
『あっさり認めましたね。流石にこちらは、呪いの詳細を把握済みでしたか』
不機嫌そうに囁きがぼやいているけど、僕にとって大事なのは、戦わなくていい、という事だ。
「それは助かるけど……いつまでもそうはいかないんじゃない?」
「それをどうにかするのが私の責務です。私自身の進退もかかっている、これでは保証になりませんか?」
『む……奸臣のいう事など本気で受けるものではありませんが……状況的には一蓮托生なのもまた事実。全てを疑ってかかる訳にもいきませんか』
全てがお兄さんの管理下で進んでいるのが囁きには気に入らないようだ。僕はわかりやすくて助かるけどね。
大体、領地経営とか頼まれてもできないよ。
「わかった。僕はとにかく、神機を動かせるようになっていればいいんだね」
「ご理解が早くて助かります。それと、侍女を常につけておきますので、ありとあらゆる事は彼女達を通して行いください。今朝のような事は、できるだけ控えて頂ければ」
『……今朝の事、が何なのか知りませんが。侍女はこの者の手の物、ティフォンの行動を全て管理しておきたいという魂胆ですか。やはり信用なりませんね』
まあまあ。
でも常に侍女が一緒かあ……囁きさんと迂闊に話す訳にもいかないね。それだけはちょっと困ったかな。
「お話は以上です。準備が終わるまで、ごゆっくり、寝室でお寛ぎください。ああ、遊戯室も解放されていますので、ご興味があればぜひ」
「んー。そうだなあ、あ、そうだ。お昼はどうなるの? やっぱりまた、毒見やらなんやらで冷めたやつ食べないといけない?」
「……しばし我慢していただければと」
うへー。
僕からすると正直、それが一番堪えがたいよー。まあ、仕方ないか。
「イヴリンさん、お話は終わったよ。部屋に戻ろう」
「はい、お疲れ様でした、閣下。私のような端為にさん付けはまかりなりませんわ、イヴリン、と呼び捨てください」
「えー」
ここの人たち、皆そういうけど僕としてはやりづらいんだよー。
『まあ、誰も彼も貴方を利用する事しか考えていない者達です。遠慮も配慮も不要でしょう』
「……わかった、イヴリンさ……イヴリン。んー。なんか違和感あるなあ……」
「うふふ、貴族の間では孫ほどの年の差の相手に頭を下げる事も珍しくはないのですよ。お気になさらず」
そういって小さく笑うイヴリンさん。ナスターシャさんはちょっとおずおずしていて臆病な感じだったけど、イヴリンさんはお嬢さん、って感じがちょっと強い。
侍女服も、彼女が着こなすとドレスのようだ。あ、でもエプロンドレスっていうから、もともとドレスの一種なのかな。
「あら、閣下はこのような衣装、お好き?」
「?! あ、いや、その。綺麗だなって、思っただけ……」
くすりと笑うイヴリンさんに、思わず頬が赤くなる。なんだか、からかわれてるというか、でも不愉快ではないというか。
近所にお姉ちゃんがいたらこんな感じなのかな……。
『毒婦! 毒婦ですよティフォン! この女に気を許してはなりません!!』
うわ、ビックリした。耳元で叫ばないでよ。
顔をしかめると、囁きの聞こえないイヴリンさんは僕の反応を見て取ったのか、頬に手を当てて困ったような顔をした。
「あ、申し訳ありません。ご不快でしたか?」
「ああ、うん。べつにそうじゃないよ。そうだ、毒見は今日はイヴリンさんにお願いしようかな。待っている間、お話が聞きたい」
「まあ、光栄ですわ。それではお任せさせて頂きます」
そんな訳で、イヴリンさんとベッドに腰掛けてトークタイム。
今日のお昼はサンドイッチとポタージュ。サンドイッチは小さく切り分けて、湯気の立つポタージュはひとさじ掬って口へ含む。
もごもご、ごくん、と嚥下するイヴリンさんをぼんやりと眺めながら、ふと気になった事を尋ねてみた。
「そういえば、もし毒が入ってたらどうするの?」
「そこはご安心ください、一通りの解毒薬の類は持ち合わせております。ほら」
そういって白いエプロンの裏をちらっと見せてくるイヴリンさん。そこには確かに、銀色の薬ケースが収められている。ただ、僕はそれよりも一瞬、彼女の胸のふくらみに目を取られて、その事を恥じて気取られないようにそっと視線を逸らした。
『まあ。でもティフォンもそろそろお年頃ですものね。恥ずかしい事ではありませんよ』
「い、一応、備えはしてあるんだね」
「はい、万が一、閣下をお助けするのもそば仕えである私達の仕事ですから。もちろん、そのような事にならないよう、全霊を尽くさせていただきますわ」
めくったエプロンを戻しながら、ニコリ、と笑うイヴリンさん。だけどその笑みが、ちょっと含みがあるように見えたのは、僕に気まずい心があるからだろうか。それともほかの理由?
い、いや、それを踏まえてもなんか……余裕があるというか……。僕の事を、じっと観察されてるような視線も感じる。
な、なんだか、この人ちょっと苦手かも……。
『気を付けてください、ティフォン。この娘、如何わしい雰囲気を感じます。貴方を篭絡せんとするアウギュストの差し金かも』
相変わらず僕以外の人間に手厳しい囁きだけど、今回ばかりは、ちょっと通じるものを感じてしまった僕なのだった。
「え、えと……その、そうだ! イヴリンさんの事を聞かせてよ。君はどこの貴族出身なの?」
「はい。私の名前は、イヴリン・シュラーブリ。ソリュート侯爵派の、シュラーブリ伯爵家の娘になります」
「伯爵? 伯爵って……確か、そこそこ大きな貴族じゃなかったっけ? それがなんで僕の付き人に?」
前に囁きが教えてくれた貴族階級を思い返す。一番上が公爵、次に侯爵、伯爵はその次じゃなかったっけ。それだと結構立場が良いんじゃない? 僕の付き人にするにしても、侍女じゃなくて、部下とかになるのが自然な気がする。
「それは……私、正室ではなく側室の娘でして。伯爵の娘といっても、立場は低い物です」
「そうなの?」
「はい。それに、ソリュート侯爵派は前の内戦では聊か不利な立場でして、伯爵と言えどアウスレーベン公爵家内では不安定な立場なのです。結果として双方総崩れではありましたものの、戦況が互角だったという訳ではないのです」
なるほど。話に聞く限りでは、内戦は公爵家の二人の後継者をそれぞれ、ソリュート侯爵家とブリタニカ侯爵家が支援して真っ二つだった、という話だ。決戦の結果、ほぼ壊滅という結果に終わったもののそこに持ち込むまではブリタニカ派が有利だったという事かな。そうなると、アウギュストお兄さんがブリタニカ侯爵家の人間という事にも意味が出てくる。
となるとあとの侍女二人はブリタニカ派の貴族、という事になるのかな。
『なるほど。おそらく、これ以上内戦の傷を広げないように、パワーバランスにかなり気を配っているようですね、あの男。まあ同情するつもりはありませんが、事はティフォンにもかかわる事。内政面で優秀な補佐がつくのは助かるというものです』
「なるほど。アウギュストお兄さんも大変だね」
「アウギュスト……お兄様?」
あ、しまった。つい。
僕の言葉に目を丸くするイヴリンさん。続けて、彼女は口元に手をやって、くすくすと笑い始めた。
「うふふ……泣く子も黙るキツネのアウギュスト、と呼ばれた御方も、閣下の前では形無しですね。お兄様ですか、ふふ。うふふふふ……」
「だ、だって……」
少なくとも、僕からすると話の分かるお兄さんだし。厳しい感じはするけど、言動は配慮に溢れているし。なんていうか、根っから真面目なんだろうな、って感じがする。村では年上の人は皆僕から距離を置くか、興味なさそうな仕草だったから、こう、お兄さんがいたらこんな感じかなって……。
『ティフォン。私が貴方が心配です、いくらなんでもチョロすぎです』
「ふふふ。まあ、閣下が閣下でいらっしゃる間は、一番頼れる味方、というのは間違いないでしょうね。ふふ」
だけど、皆は違う意見らしい。囁きだけでなく、イヴリンさんまで遠巻きにアウギュストさんの事を警戒するように言ってくる。
どっちが正しい意見なんだろう。囁きの言う通り、僕が人を良く見ようとしているだけなのかな。
「ふふ、でも閣下とアウギュスト様の仲が悪くないのはよい事でしょう。その調子で、午後の訓練もお励みくださいね」
「う、うん。わかった、頑張る」
『ティフォンなら大丈夫ですよ。きっと上手くいきます』
囁きさんはなんだか気楽そうだけど……どうだろうなあ。
僕はちょっぴり、自信がないのだった。