スエズ運河の地中海側の出入り口である港湾都市ポートサイド。
その時、その港に運河の通行準備のために、1隻の艦船が入港していた。
戦艦「三笠」
日本海軍が大英帝国に発注した最新の、そして当時としては最大最強の戦艦である。
”その”最大が問題だった。
実際のところ「三笠」が砲弾以下の戦闘準備を整え、石炭・食糧その他の消耗品を定量通りに搭載していては、とても「当時」のスエズ運河を通行する事は無理だった。
したがって、運河を通過出来る状態にするための作業が進行中だった。
運河を通過した紅海側の港で再び搭載出来る物は、同伴する艀(はしけ)に積み替えたりしていた。
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その艦尾、本来、この戦艦を旗艦とする提督が散策するための施設である「スタンウォーク」と呼ばれるテラスに1人の少女の姿が在った。
何故かヨーロッパ系の容姿と、帝国海軍の仕官の服装という姿の。
この「フネ」の命と心である「三笠」(艦魂)だった。
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艦魂。それは「フネ」を愛するものたちの語り継ぐ伝説。
彼らは彼らの愛する「フネ」に命と心が宿ると信じた。
故に「それ」ではなく「彼女」と呼んだ。
故に彼らは信じる。目に見えないだけ、耳に聞こえないだけ。
1パイの「フネ」には、必ず1人の「彼女」が居る。
若く美しい乙女の姿をした、心優しき精霊。
依代となる「ふね」が水上に誕生するとともに宿り、その依代が「ふね」としての生涯を終えるとその存在が消えるという。
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「三笠」(艦魂)は、砂漠の地平線へと延びる運河を見つめていた。
そして其の運河の続く先、これから自分の“故国”と成って行く、未だ見知らぬ国を想い浮かべていた。
そして、その国で自分を待っているだろう姉たちを。
「三笠」は敷島型戦艦「敷島」「初瀬」「朝日」に続く同型4番艦だった………。
……。
…1900年(明治33年)11月8日。
イングランドの内でのスコットランド寄り、アイルランドの対岸に所在するヴィッカース社の造船所で、戦艦「三笠」は進水した。
その時「三笠」(艦魂)の誕生を祝福してくれた艦魂たちは、当然の様に英国人ばかりだった。
そして「三笠」の姉たちも、英国国内とは言っても別々の造船所で建造され、そして”この”時点では日本へと回航されていた。
それでも「三笠」を受け取るべく日本から遣って来た男たちが、例え「彼女」が見えなくても「彼女」の存在を信じ「三笠」を愛そうとしていた………。
……。
…やがて「彼ら」と共に「三笠」が旅立つ時が来た。
1902年(明治35年)3月13日。「三笠」イギリスを出港。
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ようやっと、運河をすり抜けた「三笠」は紅海側のスエズ港で、地中海側で降ろした何やかんやの再登載中だった。
これだけの手間を掛けても「当時」のスエズ運河を通過出来るのは「三笠」でギリギリ、そこに「三笠」の「最大」の意味が在った。
やがて「三笠」が戦うバルチック艦隊は、すでに戦争中であるため戦闘準備状態だった事も手伝って、スエズ運河を通過出来ず遠くアフリカ大陸南端を迂回する羽目に成る。
そこまで計算の上で「最大」を帝国海軍は発注した。
すでにして「三笠」が英国を出発した時、日露開戦まで2年を切っていた………。
……。
…やがて、出港準備を終えた「三笠」は再び碇を抜き、紅海を巡航して行った。
紅海からインド洋、更に南シナ海を経て太平洋へ。
その行く先に目指すのは日本。
「三笠」(艦魂)にとっては、初めて目前にする「故国」
そして、これから戦友と成って行く仲間たち。
そして…初めて会う3人の姉。
それらの全てが、その時「三笠」を待っていた………。
……。
…1902年(明治35年)5月18日
「三笠」横須賀軍港に到着。
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その同じ港、横須賀。
記念艦「三笠」は、今も存在する。
そして…「彼女」
「三笠」(艦魂)も。