死にたくなった先生とアスナがイチャイチャする話。

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一ノ瀬アスナの掌で

 糸が切れた。

 張り詰めていた一本の紐があっけない音を弾かせて千切れた。まさにそんな感覚だった。

 肩から力が抜け、頭に溜まっていた血が一斉に下がり、書類に走らせていたペンが無為のミミズ線を引いて手元からこぼれる。

 

 今まで意識しないようにしていた恐怖心と、先生役(テクスチャ)の下に隠していた己の矮小な本心が裏返り、彼女達への、この都市(キヴォトス)への抗いようもない畏怖の感情がとめどなく溢れだしてきた。

 

 私は先生。

 数多の学園を束ねるキヴォトスの先生。

 それは定められた役割。

 

 僕は先生と言う役割と与えられ、この学園都市にやってきた。ニコニコ笑顔の顔を貼り付け、先生と言う役割を全うしてきた。

 理想の先生なら、皆が望む先生なら、最善を選ぶ先生なら。助けを求める生徒達の期待に応えられるよう、生徒達を守れるよう、大人と言う立場と役割を演じてきた。

 

 劇場の上の演者のような気分だった。生徒を演じる何かと、先生を演じる僕。誰に向けての演劇か、まるでわからない。だが僕は先生として、私を演じてきた。

 

 しかしいつしかそれが綻び始めた。

 いつからだったろう。

 大人と言う悪者に出会った時? 死の恐怖を知った時? 別世界の自分と対立した時? 謎の自販機に出会った時?

 

 わからない。そのどれかなのか、それともその全部なのか。

 貼り付けた笑顔の裏で、ひた隠しにしていた本心の恐怖はいつしか否応にも見えてしまう程大きくなっていたらしい。

 

 私にはとても生きづらい、簡単に死んでしまう環境。彼女らが当たり前に弾く弾丸で、彼女らにとっては飛んできた砂粒程度の痛みが、僕にとっては生死を彷徨う一撃となる。

 

 私は、いつまでここに居るのだろう? いつまでここで先生をしなければいけないのだろう? いつ、この役割から降りられるのだろう?

 

 逃げ出したい本心が、逃げられない現実が、僕にある選択をちらつかせる。

 

 震える手でデスクの引き出しを開け、そこにあった物を取り出す。

 白を基調とした色合いの自動拳銃。連邦生徒会より支給された、会員に持たされる武器の一つだった。

 埃を被っていたそれを無言で掴む。ひやりと冷たいグリップ。小柄だが確かに重たい金属の銃身。慣れない手つきでロックを外し、スライドを引く。ガチャリとチャンバーに弾が装填された事を確認し、用意のできたそれを震えながら持ち上げる。

 

 たった一発。

 それだけで、僕は事切れる。逃げられる。

 もうそれ以外の感情はわからない。真っ黒になるまで塗り潰された心のうちには焦燥した逃走心だけが鎮座していた。

 

 銃身を咥え、喉奥に当たるまで押し込む。

 咥内の奥、柔らかい部分に銃身が当たり、僅かに嗚咽感を覚えつつもそれを我慢し、震える手をもう片方の腕で握り締めながら、僕は私自身の安寧を願い引き金を引くのだった。

 

 

 

 

 

  ◆

 

 

 

 

 

 一ノ瀬アスナは悪寒がした。

 ミレニアムサイエンススクールに通う三年生、一ノ瀬アスナは授業中だと言うのに突然席を立ち、ライフルを背負って教室を後にする。

 騒然とするクラスメイトらには目もくれず、彼女は一目散に駆け出した。

 

「おい、アスナ! どこ行くんだよ!?」

 

 それを見ていた彼女の親友、美甘ネルは窓に身を乗り出して彼女に声をかけるが、その声も彼女の耳には届かず廊下に木霊するのみだった。

 

 何かに取り憑かれたように、虚ろな顔つきで走っていった彼女の姿に一抹の不安を覚えたネルは、仕方ないとばかりに頭を掻き、自分もその背を追いかける。

 

 人と物が溢れる町中を、騒音響く雑踏の群れを当然のようにすり抜けていく長い長髪の親友。まるでそれが当然であるように、なんの弊害も感じさせない余裕さで一ノ瀬アスナは一心不乱に突き進む。

 その後ろで美甘ネルは小柄な体躯で彼女の背中を追い掛ける。だが人混みの壁に阻まれ、信号に足止めを食らい、次第に彼女との差は広がっていくばかりだった。

 

「クソ、待てよアスナ!!」

 

 そんな荒げた声も喧騒にかき消され、視界からアスナの背中は消えてしまった。

 内心毒づきながら美甘ネルは行方がわからなくなった親友を探すべく、頼りの『先生』に手伝いを頼もうとモモトークを送る。普段ならものの数秒で既読が付き、すぐに返信が帰ってくるのだが、この日は違った。

いくら待っても返信はおろか既読すら付かず、試しにかけた電話にも応答が無い。

 

 これが一大事と感じたネルは、突然飛び出したアスナの進行方向からこれが『先生』の一大事だと悟った。

 

「そういう事かよ……」

 

 ネルは行き先をシャーレに決定し、すぐに走り出した。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 部屋にパンッ、と乾いた破裂音が響く。銃身が揺れ、咥内に激しくぶつかる感覚が顎を揺らす。

 小指ほどの小さな鉛玉が僕の脳髄を撃ち抜き、鮮血が飛び散る……事は無かった。

 

 まさか不発? 支給されてから一度も使っていない代物ではあるが、まさかそんな事が起こり得るか? 

 沢山の疑問と同時に、寸前まで迫っていた死の感覚が一斉に押し寄せ、生の淵に引き戻された。

 

「っ……ハァッ……! ハァっ……!」

 

 全身から脂汗が噴き出し、手に持っていた拳銃が手の内から零れ落ちる。鈍い金属音を鳴らして滑り落ちた拳銃の銃身には、斜めに支えた弾丸がちょうど銃口の縁で止まっていた。

 ガタガタと震えながら狼狽する男を他所に、執務室の扉が静かに開かれる。

 

「……………」

 

 床に這いつくばる先生は開いた扉に目を向け、声もなく入ってきた人物をゆっくりと見上げる。

 

 長い足、短く巻いたスカート、引き締まった体躯、理想を描いたような白い肌、足まで伸びたアッシュグレーの長い髪、その隙間から覗くのは恐ろしく冷たい視線を向ける碧眼。

 

「君、は……」

 

 一ノ瀬アスナ。

 ミレニアムサイエンススクールに所属する生徒。

 幸運を引き寄せる神秘を持つ生徒であり、メイド部のエージェント。

 

 物言わぬ操り人形のようにふらふらと歩みよってくる彼女に、先生は情けない声をこぼしながら後ずさる。

 まるで亡霊のように、ゆらゆらと、長い髪の先が床を擦り、先生の足にかかる。それを跳ね除けようとするが、恐怖に塗れた体は思うように動かず、ただ逃げる事のみに頭を支配された先生は必死に体を後ろに動かすが、それもデスクの引き出しに止められる。

 

「く、来るな……来ないでくれっ……!」

 

 床に情けなく倒れる先生の腹の当たりまで歩みを進めたアスナは、見開いた目を、だらりと垂れる髪の隙間から真っ直ぐに見下ろしてくる。

 いつまでそうしていたか、やがて彼女は何も言わぬままゆっくりと体を落とし、膝を曲げて先生の腹に腰掛ける。

 

「ひっ……っ……」

 

 彼女の細い腕が先生の頬を包み、滑らかな肌触りとは別に冷たい感触に思わず短い悲鳴を上げる先生。

 

 そのまま先生を見下ろすアスナは、ゆっくりと先生の頭に顔を近づけ、見開いた双眸で先生の顔をじろりと見つめる。

 視線を逸したいのに、顔を包まれたまま動けない先生は、瞬きすら許されないような感じがしてアスナの深海のような碧眼を子鹿のように震えながら見つめ返すことしか出来なかった。

 

 ともすればそのまま頭から丸呑みにされそうな、蛇に睨まれた蛙のような気持ちで動けない先生を他所に、アスナは突然事切れた人形のように全身から力が抜け、そのまま先生の胸元に倒れ込んだ。

 

 釣られて仰向けに倒れる先生と、そこに覆い被さるアスナの二人だけの執務室。

 

 払い除けようとするが、何故か力は入らず、拒絶の意思よりも服越しに感じる彼女の人としての体温がじわりと広がり、それが引き金となって先生を否が応でも生者の道に引き戻す。

 生を実感し、死の恐怖を再確認し、恐れ故に身体は震え、生への渇望にしがみつく。物言わぬ彼女に縋り付き、推し殺すように涙を流す。

 情けない、大人気ない。そんな他人事のような自嘲に気を滅入るが、それでも生きている事が何より恐ろしく、何よりも幸せだった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

「────あ、ご主人様。おはよう!」

 

 プラグが繋がった機械が再稼働するように、意識を取り戻したアスナは目に輝きを取り戻し、ハツラツな笑顔で声を張る。

 

 打って変わって別人のような無邪気さに、既に平静を取り戻していた先生は自分の腹の上で上機嫌に笑う彼女を抱き寄せながら、言葉を返す。

 

「おはよう、アスナ」

 

 先生としての笑顔を浮かべているが、その下の本心は隠しきれている自信が無い。それを見透かしてか、アスナは先生の顔を自らの胸に埋めさせ、優しく髪を解きほぐすように撫でる。

 突然の彼女の行動に呆気に取られる先生だが、その行動を辞めさせる事はせず、否できず。されるまま、子供が母親に甘えるように、安寧を求めて胸を借りた。

 

 

 

 さっきまでの緊張感など嘘のように消え去った静寂の中、それを破って現れたのは息を切らして飛び込んできた美甘ネルだった。

 

「先生、無事か! アスナは居る、か……」

 

 扉を蹴破る勢いで飛び込んてきたネルが目にしたのは、執務室のど真ん中で体を重ねる男女の姿。

 想像した危機的状況など微塵もなく、白昼堂々逢引を楽しむ姿がそこにあり、一瞬怒りで沸騰しそうになったが、先生から少し離れたところに転がっている連邦生徒会の白い拳銃を見つけ、何かしらの事件性を感じ取った。

 

「こりゃあ、連邦生徒会の支給銃か?」

 

 何やら焦っている先生を他所にその拳銃を拾い上げ、安全装置を掛けようとしてその異常性が目に付く。

 

 妙にテカテカとしている銃身。触れてみればべたつく粘液が付着しており、足元に転がるまだ熱が残っている空薬莢。部屋を見回して弾痕が無いかと調べるが、何処にもそれらしいものはなく、ふと目についた銃口の異物感を見れば、飛び出すはずだったであろう弾丸が奇妙に支えていた。

 

 アスナの異常行動と彼女の神秘。

 塗れた拳銃と弾づまりを起こした銃身。

 

「救われた、にしては嫌そうな顔してんな。先生」

「…………」

 

 ネルの言葉に先生は視線を逸らすしかなかった。

 何故その決断に至ったのか、何が足りなかったのか、何故相談などしてくれなかったのか。色んな疑問が浮かんでは消え、全てが無意味な質問なのだと通り過ぎていく。

 

 先生がこのキヴォトスの外からやってきた人間とは聞いている。弾丸一発で死に陥る存在とも知っている。だがそれほど脆弱な存在がこのキヴォトスでどれだけ肩身の狭く重苦しい死の恐怖の中で生活しているのか、わかっていなかったのかもしれない。

 

 そんな無力感から、ネルはいつものように怒鳴ったりも怒る事もせず、ただ淡々と静かな怒りを先生に、もしくは自分に向けていた。

 

 メイド部の、C&Cのリーダーとして、身に付けたコールサイン00の称号を証明するべくその力を振るい、戦ってきた。尽くす限りの破壊と暴力は、約束された勝利の象徴として名実ともにこの学園都市に轟かせた証でもある。

 だがその力は、今の震える先生にとってはただの恐怖でしか無いのだと思うと、酷く無意味なものに思えてくる。

 

 あぁ腹立たしい。力を持ってなお彼を助けられない自分が。あの日助けに行けれなかった自分が。どれだけ強かろうと、必要な時にその場にいなければなんの意味も成さないのだと、あの日先生が撃たれたと聞いた時に悟った。

 

 長居したところでアスナに任しておけば大丈夫だと察したネルは、早々に立ち上がり執務室を後にする。 

 

「それじゃあアタシは先に帰るぞ。先生」

「あぁ、またね、ネル」

「今日は半欠で休むねリーダー!」

「今回はアスナに免じて許してやる。変な気ぃ起こすなよ」

「……あぁ、わかったよ」

 

 去っていく彼女の背中を見送り、大型犬のようにはしゃぎながら抱きついてくるアスナをあやしていると、いつの間にかさっきまで感じていたへばりつくような恐怖心が無くなり、僕はいつもの先生に戻っていた。

 

 

 ◇

 

 

 私は先生。

 この学園都市で生きる「シャーレの先生」。

 それがここでの私の役割。

 

 あれから暫く、私はいつもと変わらず『先生』を熟している。

 呼ばれれば駆け付け、事後処理や書類作業に追われ、多忙な日々を繰り返す。

 

「やっほーご主人様ーっ!!」

 

 執務室に響き渡る快活な声音。

 一ノ瀬アスナは扉を開けるや否や一目散に先生の胸に飛び込み、そのままどすんと床に押し倒す。

 先生はされるままアスナに押し倒され、大型犬のようにじゃれつく彼女をもみくちゃにして掻き撫でまわす。その乱雑な手つきにアスナは「きゃ〜!」と幼子の様に無邪気な声を鳴らしながら享受する。

 一頻りそんなふうに騒いだのち、満足したアスナは先生の腹の上でのそりと上体を起こす。

 

「えへへ、先生。今日もよろしくね!」

「うん、よろしく。アスナ」

 

 顔に垂れてくる彼女のアッシュグレーの髪に囲われ、先生の視界には彼女の天真爛漫な笑顔だけが映る。鮮やかな碧眼、流れるようなツリ目、いたずらっぽく笑う口元、小さな鼻先。呼吸をする度上下する胸。

 

 どれだけ彼女が、彼女たちが超常的な存在なのだろうと、今ここに居て私に触れる彼女はまさしく温もりを持って生きる人間だ。

 

 先生は彼女の髪を優しく掻き分けながら腕を持ち上げ、彼女の首に手を回す。それに気づいたアスナは再び先生の胸に体を預け、覆い被さるように抱き着く。

 

 あの日から、アスナが当番にやってくる時はこうして抱擁をするようになった。どちらからとも無く、距離を詰め、手を交わし、温もりを分け合うように、鼓動を確かめ合うように、優しく抱き締め合う。

 

「元気出た? 先生」

「うん」

 

 不規則な緊張感を持っていた心臓はゆっくりと安定した鼓動を打ち鳴らし、先生の呼吸は深く落ち着いたものに変わっていく。

 それを肌で感じ取ったアスナは寝かしつけた赤子から身を離す母親のように体を起こし、慈しみを持って先生の髪を撫でる。

 

「よし、今日も頑張ろう」

「うん! よろしくねご主人様!」

 

 


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