私の一番古い想い出は、
その日はたしか、幼稚園で人魚姫の読み聞かせがあって。ただいまして手洗いした時に、石鹸でモコモコになった手を見て、私も泡になって消えてしまうんじゃないかと大泣きした記憶がある。
水道を流しっぱなしにしながら大泣きする私に、母が石鹸をハンカチに擦り付けて泡立て、石鹸について教えてくれた。「手は消えないよ。汚れをキレイにしてくれるの」って。
そうしたら今度は現金なもので、
手の油分がなくなるほど手洗いしてこってり怒られたり。
白い雲を見てあれも石鹸の泡でできてるのかなって妄想したり。
小学生になってからも最初のお手伝いは食器洗いだった。
自由研究のテーマは当然のように手作り石鹸。
だから、化学の道に進み、製薬会社の研究所に就職するのも、私にとっては自然な進路だった。
労働の日々も、私にとっては歓喜の日々だった。
ライフワークを仕事にして、日々石鹸のためにがんばって、私の作った石鹸が店頭に並び、手に取られ、良い評判がネットに書かれるのだから。
特に、乾燥肌で悩んでいる人のため、低刺激で肌にはなるべくダメージを与えることなく、しかし肌をしっとりつるつるにするボディーソープ*1を開発し、ニュースにも取り上げられ、社長賞をいただいた時は私の人生すべてが報われた気分だった。
今にして思えば、これが人生のピークだった。
時代は流れ、AIというものが発明された時代になった。
私は、良い時代になったと思った。
昔、いろんな本を読みあさって、知っている知識や関係のない話から石鹸についてのさまざまな知識を
知りたい人が知りたいことに
同時に、AIは知識をまとめてくれるけど、知恵を絞ってくれるものではないとも感じた。
だからこそ、AIに仕事を奪われるような人は、知識の引用だけで食ってきて、知恵を絞ってはこなかったんだと。
AI失業なんて、所詮は本当の努力をしてこなかった人の話で、自分には関係ないと。
私は、
破滅が私のそばに忍び寄る2歩目は、売り上げの低下だった。
ただ身体を洗うだけで、まるで香水をつけたようにいい匂いが一晩中続く「ごほうびシリーズ」の売れ行きが悪くなっていたのだ。
私は「もっと、誰もが良い物と感じる新商品を開発します!」と意気込んで、実際に新商品を出させてもらった。
自信はあった。空振りだった。
こんなにも良い物がなぜ売れないのだろう、と、とても落ち込んだけれど。こんなことでヘコたれていられない。もっと良い物を作らねば。みんなが欲しいと思ってくれる物を。
再起を図る私に下された業務命令は、「より低コストで作成できる商品を作れ」
より良い物、ではなく。より安く、より大量に作れる物。味気のない、生活を灰色にする物。それを作れと言われたのだ。
私は当然の権利のように、開発部長に抗議した。
「必ず、必ず誰もが欲しいと思える石鹸を開発して見せます!」
ダメだった。
部長はどこか疲れた顔で、
「とにかく、質は低くとも安価に大量生産できる商品に
私は
わかっていない。石鹸は、肌に触れる、生活に根差すもの。そこにはやさしさや、ちょっとした喜びがあるべきなんだ。
そう、
わかっていなのは、私だった。
理想と現実が分かたれ始め、仕事が楽しくなくなり始めた。
今までと違い、安かろう悪かろうには開発人数など不要ということなのだろう。
一緒に研究開発をしていた仲間たちも、薬の開発や、酷い人は営業部に異動させられて。いつしか石鹸の開発チームは私一人になっていた。
それでも、原価を削られても最低限の質を保つために私は
破滅はどんどん近づいて。
そして、あの日。ついに私に追いついて。飲み込まれる日になった。
「
カイコ。解雇。音が漢字に、そして意味に変換されるまでに時間を要した。
「なんでですか!?」
部長は、相変わらずの疲れきった顔で、「AI失業、だよ」そう言った。
「AI失業? ごまかさないでください。私の仕事は、AIで代替できるものではないハズです!」
「……ハァー。最初はそういう意味だったよ。『AI失業』って言葉は。AIに取って代わられるような仕事しているやつの話だってな。
だが、その範囲が広すぎた。
プログラマーだのウェブライターだの、ウチもカスタマーサービスが削られた。多くの人が一気に職を失ったんだ。
そうしたら、代替できないハズの業界にも影響が出た。景気が冷え込んじまったんだ。
それで、おもちゃだのレジャーだのアクセサリーだのも売れなくなった。
みんながみんな、生きるのに必死になって
「で、ですが。石鹸は、清潔は生活に
「いや。石鹸どころか、風呂すらもう、
もう、ダメなんだよ。
世の中には路上生活者が
途中から
「どんなに良い物でも、どんなに欲しくても! 買えない物は売れないんだ!」
その言葉の意味を理解してしまい、私は
もう、石鹼は贅沢なんだ。
まるで金の
まるで都会の
まるで
もう、どんなに欲しくても手に入らないものなんだ。
理解してしまった私に、部長は力なく声を降らせる。
「少ないが、退職金が出る。それでなんとか生き延びてくれ」
こうして、私は無職になった。
就職活動は、した。
まず製薬会社に行ったけれど、他社も石鹸という赤字商品はもう生産していなかった。
いや、1社だけ作ってはいた。
でも、営業も、ましてや開発なんてせず、「作って売る」だけで
私が天職だと思っていた石鹼の開発知識は、もはや何の役にも立たない
もう何の取り柄もなく、肉体労働にも使い勝手の悪い中年は、冷え切った世界ではお呼びでなく。
こうして、私は住所不定無職になった。
路上生活の始まり。
家賃を払えず追い出されたとき、私はひどくつらかった。
職を失うことも、取り柄を失うことも、家を失うことも、自分の身に起こるとは思ってなかったから。
こんな私を、先達たちはあたたかく迎えてくれた。
もう、路上生活者こそが
先に来ていた石鹸開発の同僚が、そう教えてくれた。
彼にまず教わったのは、食べ物について。
虫やミミズは平均点。
食べられる草なら
なにもなければ、生き延びることに賭けてキノコに挑戦するしかない。と。
まともな食べ物はないのかと、今思えば
その時は納得できなかったけど、
仲間もできた。もう話をするくらいしか
AIに直接仕事を奪われた人も、
私のように取り柄ががらくたになった人も、
もちろん元々の路上生活者もいた。
みんな、もう、仲間だった。
開発部長とも再会した。
私の世間知らずをまず
石鹸から完全に
まず、
それでとうとう、新規開発自体がなくなって、部長もクビになった。そういうことらしい。
それに、会社自体も、(保険料だけが取られる上に)自己負担の三割が払えず、患者数が激減するご時世ではいつまで持つか、とも言われた。
たしかに、もう病気は寝て治すか、運が悪いと言われるだけだ。病院なんて夢のまた夢。
もう、健康も贅沢になった。
私も路上生活に慣れ切って、まわりの「昔はよかった」の話のタネが、職のあったころから、自販機やATMから物が盗めたころになって。パラダイムシフトが起こった。
後進である路上生活新人の前職が、銀行員、タバコ農家、そして不動産大家。
かつてまともな食べ物を恵んでくれた人たちが恵まれる側としてやってきた。
昔の私の部屋の大家も来たので、受け継いだ路上生活知識を話しつつ、彼女の話も聞いてみた。
あんのじょう、もう部屋を借りる人もおらず、固定資産税も払えなくなり、しかし土地も売れない
それを
もう、一般人用のアパートマンション、一軒家ですら、国のもの、つまり空き家だ。だから俺たちが住んじまおう。って。
名案だった。
もちろん罪にはなるだろうけど、
それどころか捕まって刑務所に行けば命も食べ物も保証される「上がり」だから、刑務所はもうパンクして、捕まるために警察に
どちらに転んでも住むところの手に入るその案は、誰にとっても魅力的だった。
みんな散り散りに歩き出して、私も、みんなも、なぜだかかつての家に戻っていた。
インフラは止まって、物も窓ガラスすら盗まれていても、まちがいなく、
ひさびさの家に
お金ってこんなだっけ、と忘れていた記憶がよみがえる。
しげしげ
昔は当たり前に欲しくって、路上生活では
もう、店なんてひとつもないんだから。
そして、運命の日。
おなかがすいた。
でも、もう食べる物はない。
動植物は絶滅した。
そとでは、もはや唯一の職業である政治家が、対策を講じるために会議していると騒いでいた。のんきなことだ。
私は、もう、間に合わない。
空腹のあまり、とっくに死んだ水道のもとにずりずりと
最期のあがきで開けた
何もかも、何もかも盗んでいった同朋たちも、石鹼だけはとっくに用がなかったらしい。
ふ。と、私は笑った。
心中、か。
そして私は、石鹸をかじり。
命も、誇りも、ミドリ色の泡になって。弾けて、消えた。