芸術家がするという風刺を、私もしてみんとしてするなり。

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第1話

 

私の一番古い想い出は、石鹸(せっけん)だった。

 

その日はたしか、幼稚園で人魚姫の読み聞かせがあって。ただいまして手洗いした時に、石鹸でモコモコになった手を見て、私も泡になって消えてしまうんじゃないかと大泣きした記憶がある。

 

水道を流しっぱなしにしながら大泣きする私に、母が石鹸をハンカチに擦り付けて泡立て、石鹸について教えてくれた。「手は消えないよ。汚れをキレイにしてくれるの」って。

 

そうしたら今度は現金なもので、魔法(まほう)みたいにキレイにしてくれる泡を出す石鹸が大好きになった。

 

手の油分がなくなるほど手洗いしてこってり怒られたり。

 

白い雲を見てあれも石鹸の泡でできてるのかなって妄想したり。

 

小学生になってからも最初のお手伝いは食器洗いだった。

 

自由研究のテーマは当然のように手作り石鹸。

 

だから、化学の道に進み、製薬会社の研究所に就職するのも、私にとっては自然な進路だった。

 

 

 

労働の日々も、私にとっては歓喜の日々だった。

 

ライフワークを仕事にして、日々石鹸のためにがんばって、私の作った石鹸が店頭に並び、手に取られ、良い評判がネットに書かれるのだから。

 

特に、乾燥肌で悩んでいる人のため、低刺激で肌にはなるべくダメージを与えることなく、しかし肌をしっとりつるつるにするボディーソープ*1を開発し、ニュースにも取り上げられ、社長賞をいただいた時は私の人生すべてが報われた気分だった。

 

今にして思えば、これが人生のピークだった。

 

 

 

時代は流れ、AIというものが発明された時代になった。

 

私は、良い時代になったと思った。

 

昔、いろんな本を読みあさって、知っている知識や関係のない話から石鹸についてのさまざまな知識を抽出(ちゅうしゅつ)して脳内で体系化してまとめる、といった作業を、今はAIが代わりにやってくれるのだから。

 

知りたい人が知りたいことに辿(たど)()く手段がより簡単になる。それはとっても良いことだと思った。

 

同時に、AIは知識をまとめてくれるけど、知恵を絞ってくれるものではないとも感じた。

 

だからこそ、AIに仕事を奪われるような人は、知識の引用だけで食ってきて、知恵を絞ってはこなかったんだと。

 

(おご)りが、あった。

 

AI失業なんて、所詮は本当の努力をしてこなかった人の話で、自分には関係ないと。

 

私は、破滅(はめつ)の1歩目の足音を聞き逃した。

 

 

 

破滅が私のそばに忍び寄る2歩目は、売り上げの低下だった。

 

ただ身体を洗うだけで、まるで香水をつけたようにいい匂いが一晩中続く「ごほうびシリーズ」の売れ行きが悪くなっていたのだ。

 

私は「もっと、誰もが良い物と感じる新商品を開発します!」と意気込んで、実際に新商品を出させてもらった。

 

自信はあった。空振りだった。

 

こんなにも良い物がなぜ売れないのだろう、と、とても落ち込んだけれど。こんなことでヘコたれていられない。もっと良い物を作らねば。みんなが欲しいと思ってくれる物を。

 

再起を図る私に下された業務命令は、「より低コストで作成できる商品を作れ」

 

より良い物、ではなく。より安く、より大量に作れる物。味気のない、生活を灰色にする物。それを作れと言われたのだ。

 

私は当然の権利のように、開発部長に抗議した。

 

「必ず、必ず誰もが欲しいと思える石鹸を開発して見せます!」

 

ダメだった。

 

部長はどこか疲れた顔で、

 

「とにかく、質は低くとも安価に大量生産できる商品に(かじ)を切る。上層部の決定だ!」と、話を打ち切られた。

 

私は(くや)しかった。

 

わかっていない。石鹸は、肌に触れる、生活に根差すもの。そこにはやさしさや、ちょっとした喜びがあるべきなんだ。

 

そう、(くちびる)を噛んでいた。

 

 

 

わかっていなのは、私だった。

 

 

 

理想と現実が分かたれ始め、仕事が楽しくなくなり始めた。

 

今までと違い、安かろう悪かろうには開発人数など不要ということなのだろう。

 

一緒に研究開発をしていた仲間たちも、薬の開発や、酷い人は営業部に異動させられて。いつしか石鹸の開発チームは私一人になっていた。

 

それでも、原価を削られても最低限の質を保つために私は尽力(じんりょく)した。

 

破滅はどんどん近づいて。

 

そして、あの日。ついに私に追いついて。飲み込まれる日になった。

 

 

 

解雇(かいこ)……ですか?」

 

カイコ。解雇。音が漢字に、そして意味に変換されるまでに時間を要した。

 

「なんでですか!?」

 

部長は、相変わらずの疲れきった顔で、「AI失業、だよ」そう言った。

 

「AI失業? ごまかさないでください。私の仕事は、AIで代替できるものではないハズです!」

 

「……ハァー。最初はそういう意味だったよ。『AI失業』って言葉は。AIに取って代わられるような仕事しているやつの話だってな。

 だが、その範囲が広すぎた。

 プログラマーだのウェブライターだの、ウチもカスタマーサービスが削られた。多くの人が一気に職を失ったんだ。

 そうしたら、代替できないハズの業界にも影響が出た。景気が冷え込んじまったんだ。

 それで、おもちゃだのレジャーだのアクセサリーだのも売れなくなった。

 みんながみんな、生きるのに必死になって余暇(よか)を切り詰めて、それでさらに景気が冷えて失業者が増える。これが今の『AI失業』だ」

 

「で、ですが。石鹸は、清潔は生活に密接(みっせつ)に関わるもので……」

 

「いや。石鹸どころか、風呂すらもう、贅沢(ぜいたく)だ。

 もう、ダメなんだよ。

 世の中には路上生活者が(あふ)れてる。風呂なんて入れず、石鹸なんて使わない人たちが」

 

途中から独白(どくはく)するように張りのなくなっていった声が、机を叩く音とともに怒鳴り声に変わる。

 

「どんなに良い物でも、どんなに欲しくても! 買えない物は売れないんだ!」

 

その言葉の意味を理解してしまい、私は眩暈(めまい)を起こして崩れ落ちた。

 

もう、石鹼は贅沢なんだ。

 

まるで金の()(ぼう)のように。

 

まるで都会の一軒家(いっけんや)のように。

 

まるで最先端医療(さいせんたんいりょう)のように。

 

もう、どんなに欲しくても手に入らないものなんだ。

 

理解してしまった私に、部長は力なく声を降らせる。

 

「少ないが、退職金が出る。それでなんとか生き延びてくれ」

 

こうして、私は無職になった。

 

 

 

就職活動は、した。

 

まず製薬会社に行ったけれど、他社も石鹸という赤字商品はもう生産していなかった。

 

いや、1社だけ作ってはいた。

 

でも、営業も、ましてや開発なんてせず、「作って売る」だけで精一杯(せいいっぱい)だった。

 

私が天職だと思っていた石鹼の開発知識は、もはや何の役にも立たない()()だった。

 

もう何の取り柄もなく、肉体労働にも使い勝手の悪い中年は、冷え切った世界ではお呼びでなく。

 

こうして、私は住所不定無職になった。

 

 

 

路上生活の始まり。

 

家賃を払えず追い出されたとき、私はひどくつらかった。

 

職を失うことも、取り柄を失うことも、家を失うことも、自分の身に起こるとは思ってなかったから。

 

こんな私を、先達たちはあたたかく迎えてくれた。

 

もう、路上生活者こそが最大勢力(マジョリティー)で、新人も毎日のようにやってくるから、らしい。

 

先に来ていた石鹸開発の同僚が、そう教えてくれた。

 

彼にまず教わったのは、食べ物について。

 

(いぬ)(ねこ)(はと)(からす)はごちそうだから、()れればその日は英雄になれる。

 

虫やミミズは平均点。

 

食べられる草なら及第点(きゅうだいてん)

 

なにもなければ、生き延びることに賭けてキノコに挑戦するしかない。と。

 

まともな食べ物はないのかと、今思えば()(ほど)()らずなことを聞いたら、人間のプライドは捨てたほうが楽ですよ、と。

 

その時は納得できなかったけど、()えて学んだ。プライドは、食えない。

 

 

 

仲間もできた。もう話をするくらいしか娯楽(ごらく)はないから。

 

AIに直接仕事を奪われた人も、

 

私のように取り柄ががらくたになった人も、

 

もちろん元々の路上生活者もいた。

 

みんな、もう、仲間だった。

 

開発部長とも再会した。

 

私の世間知らずをまず()びて、そのあと彼のその後を聞いてみた。

 

石鹸から完全に撤退(てったい)した、そのあとも、会社は泥沼(どろぬま)の撤退戦を続けているらしい。

 

まず、絆創膏(ばんそうこう)や消毒液。次に、サプリメントや風邪(かぜ)薬。部長がリストラされることには、病院から発注を受ける、命にかかわる薬くらいしか売れなくなっていた、ということだ。

 

それでとうとう、新規開発自体がなくなって、部長もクビになった。そういうことらしい。

 

それに、会社自体も、(保険料だけが取られる上に)自己負担の三割が払えず、患者数が激減するご時世ではいつまで持つか、とも言われた。

 

たしかに、もう病気は寝て治すか、運が悪いと言われるだけだ。病院なんて夢のまた夢。

 

もう、健康も贅沢になった。

 

 

 

私も路上生活に慣れ切って、まわりの「昔はよかった」の話のタネが、職のあったころから、自販機やATMから物が盗めたころになって。パラダイムシフトが起こった。

 

後進である路上生活新人の前職が、銀行員、タバコ農家、そして不動産大家。

 

かつてまともな食べ物を恵んでくれた人たちが恵まれる側としてやってきた。

 

昔の私の部屋の大家も来たので、受け継いだ路上生活知識を話しつつ、彼女の話も聞いてみた。

 

あんのじょう、もう部屋を借りる人もおらず、固定資産税も払えなくなり、しかし土地も売れない不良債権(ふりょうさいけん)で、それで彼女自身も家がなくなった、ということだった。

 

それを(わき)で聞いていた誰かが、こう閃いた。「家を盗もう」

 

もう、一般人用のアパートマンション、一軒家ですら、国のもの、つまり空き家だ。だから俺たちが住んじまおう。って。

 

名案だった。

 

もちろん罪にはなるだろうけど、遵法精神(じゅんぽうせいしん)なんてみんな捨てちゃったものだし。

 

それどころか捕まって刑務所に行けば命も食べ物も保証される「上がり」だから、刑務所はもうパンクして、捕まるために警察に()びる必要すらあった。

 

どちらに転んでも住むところの手に入るその案は、誰にとっても魅力的だった。

 

みんな散り散りに歩き出して、私も、みんなも、なぜだかかつての家に戻っていた。

 

インフラは止まって、物も窓ガラスすら盗まれていても、まちがいなく、(つい)棲家(すみか)はここだった。

 

 

 

ひさびさの家に(なつ)かしく、ふらふらと歩き回っていると、戸棚の隙間(すきま)に半分刺さった小銭(こぜに)を見つけた。

 

お金ってこんなだっけ、と忘れていた記憶がよみがえる。

 

しげしげ(なが)め、コイントスなんかしちゃって、そのあと窓から投げ捨てた。

 

昔は当たり前に欲しくって、路上生活では(のど)から手が出るほど欲しかったお金は、もう欲しくなんてなかった。

 

もう、店なんてひとつもないんだから。

 

 

 

そして、運命の日。

 

 

 

おなかがすいた。

 

でも、もう食べる物はない。

 

動植物は絶滅した。

 

(つめ)()()()()も食べてしまった。

 

そとでは、もはや唯一の職業である政治家が、対策を講じるために会議していると騒いでいた。のんきなことだ。

 

私は、もう、間に合わない。

 

空腹のあまり、とっくに死んだ水道のもとにずりずりと()いずって、出る出ない以前に蛇口に手が届かず、這ったまま倒れこんだ。

 

最期のあがきで開けた物入(ものい)れには、ただひとつ、石鹸だけが残されていた。

 

何もかも、何もかも盗んでいった同朋たちも、石鹼だけはとっくに用がなかったらしい。

 

ふ。と、私は笑った。

 

心中、か。

 

そして私は、石鹸をかじり。

 

命も、誇りも、ミドリ色の泡になって。弾けて、消えた。

*1
実在します。今回はフィクションとして主人公が先駆者だということにしてください。


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