ゼロバンゲート re:スタートライン 作:茶坊主(ぽんぽん)
ブルーバードは肩で息をしていた。
苦しそうに、ただ一点を見つめている。
誰も彼女の元へは近づかない。
女王の敗北は、この街では“触れてはならない瞬間”なのだ。
俺は――彼女を称えたかった。
いい勝負だった。
本気で戦って、勝てた。
嬉しい。
ただ、それだけを伝えたかった。
けれど、押し寄せる観客に飲まれ、
彼女へ近づくことさえできない。
誰かが俺の肩を掴み、
誰かが腕を引っ張り、
誰かが叫び、笑い、泣いている。
そして――
酔っ払った客が、俺の頭からシャンパンをぶちまけた。
冷たさと熱狂が同時に襲いかかる。
視界が揺れた。
歓声が遠のく。
世界が暗く沈んでいく。
俺は、そのまま意識を失った。
――
目を覚ますと、すでに昼間だった。
道には号外が破り捨てられ、
街には“祭りのあとの気怠さ”だけが残っている。
昨夜の熱狂が嘘のように静かだ。
気づけば、俺の足はブルーバードのいる酒場へ向かっていた。
店の奥から、歌声が聞こえる。
――まだいる。
胸の奥がふっと軽くなる。
安堵と期待が入り混じったまま、扉を押し開けた。
だが、そこにブルーバードの姿はなかった。
ステージには、赤いドレスの別の女性が立っていた。
昨夜の女王の影は、どこにもない。
俺は店の客と目が合う前に、そそくさと店を出た。
街をあてもなく彷徨う。
どこかでブルーバードに会えるかもしれない。
そんな淡い期待だけが、足を動かしていた。
すると、タイニィが駆け寄ってきた。
タイニィ
「ゼロさん!
探しましたよ。
私がいないところでトラブルに巻き込まれたらどうするんですか!」
ゼロ
「……ごめんな。
どうしてもブルーバードに会いたくて……」
タイニィは怪訝な顔をした。
タイニィ
「ブルーバードさんに?
なんで、どうして……」
言葉の続きを飲み込むように、
タイニィの眉がわずかに寄る。
ゼロが誰かを追いかけるなんて、
彼女にとっては想像もしていなかったのだろう。
街のざわめきが遠のく。
ブルーバードの影だけが、胸の奥に残っていた。
タイニィ
「ブルーバードさんなら……昨日のレースのあと、
もう街を出るって……。
もしかしたら、まだ船着場にいるかも……」
その声には、
“行ってほしくない”という気持ちが隠しきれず滲んでいた。
タイニィの小さな手が、俺の袖をつかみかけて――
けれど、触れる前に止まる。
俺が誰かを追いかける。
その事実が、彼女の胸をざわつかせているのが分かった。
俺は、言葉を返す余裕もなく、
ただ走り出していた。
ブルーバードがいるかもしれない。
まだ間に合うかもしれない。
その思いだけが、
俺の足を船着場へと急がせた。
彼女は船着場にいた。
青い髪を潮風になびかせ、
まっすぐに立っている。
背中越しでも分かる。
彼女はまだ“折れていない”。
俺が声をかけるより先に、
ブルーバードはこちらに気づいた。
ブルーバード
「……最悪。
見送りに来たのが、よりによって耳付きなんて……」
振り返ったその瞳は、
怒りでも嘲りでもなく、
どこか怯えたように揺れていた。
ブルーバード
「で、負けた私を笑いに来たってわけ?」
強がりだ。
分かる。
昨日のレースで見た“勝負師の目”とは違う。
今の彼女は、
傷ついた女王が必死に自分を保とうとしているだけだ。
俺は、彼女にかけるべき言葉を知らなかった。
タイニィに通訳させるわけにもいかない。
だから――
そっと、握手の手を差し出した。
ブルーバード
「……!」
彼女の目に、怒りが灯る。
次の瞬間、
右頬に鋭い衝撃が走った。
乾いた音が、潮風に消える。
ブルーバード
「ふざけないで!」
息を荒らげたまま、彼女は叫んだ。
ブルーバード
「あんたは私の夢を壊した!
この街で手に入れたもの、全部!
あんたが壊したのよ!!」
声が震えている。
怒りだけじゃない。
悔しさと、悲しさと、誇りの崩れる音が混ざっていた。
ブルーバード
「満足!?
負けて惨めな女に優しくして……満足なの!?」
涙は見せない。
でも、声の奥に滲んでいた。
潮風が吹き抜け、
青い髪が揺れる。
ブルーバード
「よく見ておきなさいよ。
負けたウマ娘がどうなるか。
この街に再スタートはない。
チャンスなんて来ない!」
潮風に声がかき消されそうになる。
それでも彼女は叫んだ。
ブルーバード
「もう、私は女王じゃない……!!」
俺は、静かに首を横に振った。
そんなはずがない。
彼女は――最後の瞬間まで気高い女王だった。
ブルーバード
「なっ……!?」
彼女は俺の腕を掴んだ。
長い爪が食い込み、血が滲む。
痛みはあった。
けれど、それ以上に――
彼女の心を傷つけてしまった痛みの方が、ずっと苦しかった。
ブルーバード
「忘れないで……。
私は、この街の女王ブルーバードだった……。 」
「…さよなら。」
乱暴に腕を突き放され、
彼女は踵を返し、船へと乗り込んでいった。
青い髪が最後に揺れ、
扉が閉まる音だけが、静かに響いた。
ビターな結末を迎えましたが、
ブルーバードは確かにゼロに女性の香りを残していきました。
追い抜いたその瞬間から、彼女はゼロにとって忘れられない人になりました。