役立たずの三輪   作:メカ丸ゥゥゥウウウ!

13 / 39
二人の慢心で

 剥き出しのコンクリートが砕け散り、土煙が舞う廃ダムの空間。

 無惨に剥がれ落ちた鋼鉄の残骸の中で、与は血を吐きながら、信じられないものを見るように双眸を見開いていた。

 

 土煙の向こう側に立つ、全く同じ姿、同じ狂気の笑みを浮かべた二人の真人。

 その光景が脳髄に焼き付いた瞬間、与の胸中を支配したのは、特級呪霊への恐怖ではなく、己の間抜けさに対する激しい怒りと自己嫌悪であった。

 

(……分身。くそッ、やつは魂を弄れるんだ。宿儺の指のように魂を分割しても活動できる可能性を考慮すべきだった!)

 

 与は奥歯を強く噛み締めた。口内に鉄の味が広がる。

 三輪の防衛機構を模倣した無敵の装甲を完成させたことへの驕り。特級相当の莫大な呪力を得たことによる全能感。そして何より、早く決着をつけて皆の元へ帰りたいという焦り。それらが与の思考を鈍らせ、この極限の死合いにおいて最も警戒すべき敵の手札を、思考の端へと追いやってしまっていたのだ。恐らく、分身を放ったのは水中で一瞬見失った時だろう。

 

「あははっ! そんな絶望した顔しないでよ。こっちまで悲しくなっちゃうじゃん」

 

 二人の真人が、無邪気な足取りでゆっくりと近づいてくる。

 そして、パチン、と互いの手のひらを合わせると、二つの肉体が泥のように溶け合い、再び一つの真人へと統合された。

 真人は首をコキリと鳴らし、息を荒げる与を見下ろした。

 

「君のその立派な鎧、すごく面白かったよ。映画みたいでさ。攻撃が当たる瞬間に、小さな部品を一点に集めて密度を跳ね上げてるんだよね? だから俺のパンチでも壊れなかった」

 

 真人は自身の顎を指で撫でながら、残酷な種明かしを始めた。

 

「でもさ、それって致命的な弱点があるよね。正面の防御をガチガチに固めれば固めるほど、その分の部品が移動して、背中側の装甲の密度はスカスカになっちゃう。だから、俺が分身して後ろから殴ったら、あっさり中身まで衝撃が通ったってわけ。……多数の部品による防御の限界、だね」

 

 嘲笑。完全に手の内を読まれ、手玉に取られていた。

 与は、重くのしかかる絶望を振り払うように、激痛の走る身体を無理やり動かした。自らの生身の足で、ダムの冷たいコンクリートの上に立ち上がった。

 周囲に残された、稼働可能な極小傀儡(ミニメカ丸)は、最早ほんの一握り。先ほどまでの威容は見る影もない。

 

「……まだだ。まだ、終わってない」

 

 与は血塗れの顔を上げ、真人を真っ直ぐに睨みつけた。

 残された数少ないミニメカ丸に呪力を流し込み、自身の周囲の空中に展開させる。さながら、意思を持った鋼の羽虫のように、それは与の周囲を不規則に旋回し始めた。

 莫大な呪力を全身に行き渡らせ、生身での戦闘の構えをとる。

 だが、その構えはどこかぎこちなく、隙だらけであった。

 

「へぇ、まだやる気なんだ? 生身で俺に勝てると思ってるの?」

 

 真人の目が、三日月のように細められた。

 

 絶体絶命。

 

 真人が床を蹴った。その両手が、鋭利な刃物と重い鈍器へと同時に変形し、与へと殺到する。

 凄まじい連撃。空気を切り裂く刃の風切り音と、コンクリートを砕く鈍器の轟音が交錯する。

 

「ッ……ぐぅぅぅッ!!」

 

 与は空中に展開したミニメカ丸を必死に操作し、致命傷となる刃物の軌道を弾き、受け流した。火花が散り、鋼の羽虫が次々と斬り落とされていく。

 防ぎきれない鈍器の打撃は、生身の腕や胴体で直接受けるしかなかった。

 

 骨が軋み、内臓が揺れる。

 それでも致命傷に至っていないのは、ひとえに与が現在纏っている、広大な術式範囲と引き換えに得た特級相当の莫大な呪力と出力のおかげであった。極限まで高められた呪力の膜が、真人の物理的な打撃の威力をギリギリのところで殺しているのだ。

 

 しかし、与は痛いほど理解していた。

 この均衡は、極めて薄い氷の上に成り立っているということを。

 真人の真の恐ろしさは、刃物でも鈍器でもない。あの掌で、生身の肉体に直接触れられること。無為転変による魂の改変。

 打撃を耐えられているのは、真人がまだ物理攻撃で遊んでいるからに過ぎない。奴が本気で掌を触れようと踏み込んできた瞬間、この防御は容易く崩壊し、ゲームセットとなる。

 

(……遊ばれている。完全に、嬲られているだけだ)

 

 焦燥感が与の思考を焼き焦がす。

 呪力の総量、出力の高さ。それだけを見れば、今の与幸吉は決して真人に引けを取っていない。いや、純粋なエネルギー量ならば勝っているかもしれない。

 だが、彼には決定的に欠けているものがあった。

 

 経験である。

 

 これまでの十七年間、彼の人生は暗い地下室のベッドの上にあった。他者と触れ合うことも、自分の足で大地を踏みしめることもなく、ただ遠く離れた傀儡に呪力を流し込むだけの、冷たい配線のような人生。

 己の生身の肉体を動かして戦う経験も、打撃の瞬間に呪力を一点に集約させる感覚も、ステップの踏み方も、重心の移動も。

 生身での戦闘における何もかもが、素人の域を出ていなかったのだ。

 

 真人の回し蹴りが与のガードの上から炸裂し、彼の身体が十数メートル後方へと吹き飛ばされた。

 コンクリートを転がり、血を吐きながらも、与は執念で立ち上がる。

 

(……地獄のような人生だった)

 

 霞む視界の中で、与は自らの過去を呪った。

 全身の毛穴から針を刺されるような激痛に耐え、ただ天井の染みを数えるだけの日々。なぜ自分だけがこんな目に遭うのかと、世界を憎み、神を呪った。

 

 でも。

 少なくとも、呪術高専に入ってからは、あの京都校の連中と出会ってからは、その地獄もほんの少しだけマシに思えたのだ。

 口うるさいが仲間想いの加茂。鬱陶しいが頼りになる東堂。生意気な真衣に、小言の多い西宮。

 そして。

 モニター越しではなく、いつか自分のこの目で、真っ直ぐに見つめたいと願った、あの青い髪の少女の笑顔。

 

(みんなに、会うんだ……。日差しの中を、俺の足で、一緒に歩くんだ……!)

 

 例えそれが、どんなにか細く、絶望的な未来だったとしても。

 ここで死ぬわけにはいかない。あいつらが、あの夏油という男の陰謀に巻き込まれるのを見過ごすわけにはいかない。

 

「おおぉぉぉぉぉッ!!」

 

 与幸吉は、己の限界を超えるような雄叫びを上げ、真人の周囲を走り始めた。

 特級相当の呪力で強化された脚力は凄まじい速度を生み出していたが、その軌道は直線的で、歩法には何の洗練もなかった。素人の付け焼き刃。ただ、少しでも真人の死角に回り込み、反撃の糸口を掴もうとする、無様で必死な足掻き。

 

「あははははっ! なにそれ、鬼ごっこ? 動きがぎこちなくてウケるんだけど!」

 

 真人は腹を抱えて笑った。

 あまりにも幼稚な動き。呪力だけは一丁前だが、中身はただの喧嘩すらしたことのない子供だ。

 真人は、この退屈な遊びを最も残酷な形で終わらせるための、悪辣なシナリオを思いついた。

 

(ちょっとだけ隙を作って、希望を持たせてやろう。あいつが攻撃を当てようと飛び込んできた直後、俺の身体の前後を入れ替えるように変異させて、カウンターで手のひらで触れる。一瞬で絶望に突き落として、ゲームセットだ)

 

 真人は、わざとらしく体勢を崩し、与幸吉に向けて無防備な背中を晒した。

 それは、誰の目から見ても明らかな、素人を誘い込むための甘い罠であった。

 

(……罠だ。間違いなく、罠だ!)

 

 与の理性は、それが致命的な誘いであることを警鐘として鳴らしていた。

 だが、他に取れる手立ては無い。このわずかに生じた隙に全霊を叩き込まなければ、ジリ貧で殺されるだけだ。

 与は、慣れない両脚の筋肉を必死に回し、コンクリートを砕きながら真人の背中へと一直線に距離を詰めた。

 右拳に呪力を込める。

 

 真人の背中まで、あと一歩。

 その瞬間、真人の背中の皮膚が悍ましく波打ち、彼の顔が背中から生えて腕も前後入れ替わる。

 真人の両手が、飛び込んできた与幸吉の顔面へと無慈悲に伸びる。

 

「はい、おしま――」

 

 真人の歓喜の言葉が紡がれようとした、まさにその刹那であった。

 

 与の脳内で、何かが決定的に弾けた。

 極限の集中力と、死への恐怖、そして仲間への執念。それらが、彼の呪力の流れをこれまで経験したことのない異常な領域へと引きずり込んだ。

 打撃との誤差、0.000001秒以内に呪力が衝突した際に生じる、空間の歪み。

 それは、才ある術師であっても狙って出せるものではない。呪術の核心に触れた者にのみ気まぐれに訪れる、奇跡の現象。

 

 黒い火花は、微笑む相手を選ばない。

 

 与の苦し紛れに放たれた右拳が、真人の伸ばした掌の間をすり抜け、その顔面へと直撃した。

 

 空間を切り裂き、大気を黒く染め上げる、禍々しくも美しい漆黒の稲妻。

 真人の顔が、喜色と驚愕、そして理解不能な事象への混乱に激しく歪む。

 

――黒閃(こくせん)

 

 生身での戦闘経験すら皆無であった少年が、死の淵で放った一撃。

 黒い火花が炸裂した瞬間、特級呪霊の巨体が、まるで砲弾のように一直線に弾き飛ばされた。

 それは単なる物理的な破壊ではない。

 この一撃によって、与幸吉という呪術師のステージは、確実にもう一つ上の次元へと押し上げられたのであった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。