役立たずの三輪   作:メカ丸ゥゥゥウウウ!

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領域の中で

 大気を震わせ、空間そのものを黒く染め上げた漆黒の稲妻。

 死の淵に立たされた素人の少年が、土壇場で引き起こした奇跡の一撃、黒閃。

 極限まで圧縮された呪力の衝突は、真人の顔面を容赦なく打ち据え、その身体を数十メートル後方へと弾き飛ばした。

 

「……おっとぉ!」

 

 しかし、空中でクルリと身を翻し、コンクリートの地面に軽やかに着地した真人の顔に、致命的なダメージを負った様子はなかった。

 確かに驚きはした。黒閃は術師の潜在能力を爆発的に引き上げる。だが、それだけだ。

 真人の口角が、再び三日月のように吊り上がる。

 

「びっくりした! まさかこんな土壇場で黒閃をキメるなんてね。でもさ……」

 

 真人は、ひしゃげた自身の顔面を、ペチペチと叩いて瞬時に元の形へと戻した。

 

「どんなに威力が上がっても、どんなに派手な火花が散ってもさ。俺の魂に響かない物理攻撃は、俺にとって全くの無意味なんだよ。せいぜい体勢を崩す程度。君の呪力が尽きるのが先か、俺が君に触れるのが先か。この絶望的な鬼ごっこは、何も変わっちゃいない」

 

 嘲笑。いかに極限の打撃を放とうとも、真人の理不尽な回復力の前では徒労に終わるという、冷酷な現実の突きつけ。

 

 だが。

 打撃を振り抜いた姿勢のまま立ち尽くす与幸吉は、真人のその言葉を聞いても、絶望することも、焦ることもなかった。

 彼の世界は今、これまでの十七年間とは全く異なる、恐ろしく澄み切った静寂に包まれていた。

 コンクリートの微細な凹凸。吹き抜ける風の温度。そして、自身の体内を駆け巡る呪力の、血潮の一滴に至るまでの完璧な掌握。

 アスリートが極限の集中状態に入った時に訪れるゾーン。黒閃を経験した呪術師は、一時的に呪力の核心と繋がり、自己の能力を120パーセント引き出すことができる。

 

 与幸吉は、無言のまま地面を蹴った。

 素人のぎこちない足取りだった先ほどまでとは別人のような、無駄のない、研ぎ澄まされた踏み込み。傀儡操術でメカ丸を操作していた時のような感覚で自身の身体を動かせる。

 これまでより数段速いスピードに、真人は僅かに目を見開いた。

 

「だから、無駄だって言ってん――」

 

 真人が迎撃のために両腕を刃に変えようとした、その瞬間。

 与幸吉の左拳が、真人の鳩尾に深々と突き刺さった。

 繰り出された、第二撃。

 黒い火花は散っていない。一見すれば、ただの重い呪力を乗せただけの打撃。

 しかし、その拳が真人の肉体にめり込んだ刹那。

 

「ガッ…………ァァァァァァァァッ!?」

 

 真人の両目が見開き、眼球が血走った。継ぎ接ぎだらけの顔面が、これまで見せたことのない驚愕と激痛、そして明確な怒りに激しく歪む。

 

 ドゴォォォォォォォッ!!

 真人の体が、凄まじい勢いで吹き飛ばされ、廃ダムのコンクリートの壁に深々とめり込んだ。

 

「ゴハッ……!! な、なんだ……今の打撃は……!?」

 

 瓦礫の中から這い出た真人は、自身の鳩尾を抑え、信じられないものを見るように与幸吉を凝視した。

 ダメージが、回復しない。

 無為転変による肉体の再構築が追いつかないのではない。削られたのだ。真人の存在の根幹である魂の総量そのものが、たった今の一撃で確実に抉り取られた。

 それは、虎杖悠仁と同じ。自己の魂の形を知覚するがゆえに、他者の魂の輪郭をも正確に捉え、そこに直接打撃を叩き込むことができる天敵の攻撃。

 

 真人の本能が、警鐘を鳴らした。

 

(こいつ……視えている! 俺の魂が!)

 

 背筋を駆け上がる、明確な死の予感。このまま肉弾戦を続ければ、魂を削り切られて祓われるのは自分だという、絶対的な力関係の逆転。

 真人は、迷うことなく最強の手札を切る決断を下した。あの時、虎杖悠仁と七海建人を相手にした時に選んだのと同じ、呪術の極致。

 真人の舌と両手が、特異な印を結ぶ。

 

「――領域展開」

 

 大気が悲鳴を上げた。真人の周囲から、悍ましい泥のような呪力が爆発的に膨れ上がり、空間そのものを異界へと塗り替えていく。

 無数の巨大な手が地獄の底から這い出るように現れ、互いに指を絡ませ合いながら、与と真人を包み込む閉鎖空間を形成していく。

 

自閉円頓裹(じへいえんどんか)」。

 

 真人の生得領域。それは、領域内に引きずり込んだ対象を、無為転変の必中効果の掌の上に強制的に立たせる、必殺の空間。

 本気を出せば、内に宿儺という地雷を抱える虎杖悠仁以外は、この領域に引き込まれた時点で即座に魂を弄られて死に至る。詰み(チェックメイト)である。

 

「はい終わり」

 

 真人は、自身の領域の完成を確信し、勝利の宣言を口にした。

 これで、この忌々しい呪術師の魂はドロドロの肉塊へと成り果てる。

 

 ――しかし。

 真人のその言葉が空気に溶け切るよりも早く。

 視界の端から猛然と飛び込んできた影があった。

 

「なッ――!?」

 

 与幸吉の飛び蹴りが、真人の顔面に完璧なタイミングで炸裂した。

 メキョッ! という骨の砕ける音と共に、真人の顔が陥没し、領域の中心で無様に仰け反る。

 

 本日、何度目か分からない驚きに、真人の思考が停止した。

 

(なんで……生きてる!? 必中効果はすでに発動しているはずだ。こいつの魂は、とうに俺の掌の中にあるのに!)

 

 真人は仰け反った体勢から必死に距離を取り、与の周囲を凝視した。

 そして、気づいた。

 与幸吉の身体の周囲数メートルの空間だけが、真人の領域の悍ましい呪力から完全に切り離されていることに。

 必中効果が、打ち消されている。

 

「……お前、まさか……」

 

 真人の戦慄の声に、与幸吉はゆっくりと体勢を立て直し、再び静かに構えをとった。

 

 与幸吉が、あの黒き火花――黒閃を経験して掴んだものは、実に三つあった。

 

 一つ目は、魂の輪郭の知覚。

 真人の無為転変によって魂を直接弄られ、健常な肉体へと改変されたあの感覚。その魂への干渉の記憶が、黒閃による極限の集中状態と結びつくことで、与自身の魂の輪郭を彼に明確に自覚させた。己の魂を知覚した者は、他者の魂をも知覚する。それが、第二撃が真人の魂を削り取った理由である。

 

 二つ目は、呪力の核心への到達。

 かつて、東堂葵が言っていた言葉がある。

 黒閃の未経験者とは、食材の味を知らずに調理するシェフである。

 与は、その言葉の真意を今、細胞の隅々で理解していた。これまでの自分は、ただ漠然と呪力というエネルギーを垂れ流していたに過ぎなかった。しかし今、彼は呪力の味を、その脈動を、息遣いを完全に把握している。これまで微妙にズレていた歯車が、キッチリと噛み合った音が彼の脳内で響いていた。

 

 そして、三つ目。

 簡易領域の自律展開。

 これまで、与は蘆屋貞綱が編み出したシン・陰流 簡易領域の技術を、筒状のカートリッジに封じ込めることでしか再現できなかった。

 しかし、呪力の核心を掴み、特級相当の出力と魂の輪郭を得た今の彼に、そのような小細工は必要なかった。

 自らの生身の身体を起点として、発動に必要な一切の縛りを省略し、弱者のための領域を展開する。それこそが、今、真人の領域の必中効果を中和している力の正体であった。

 

「……簡易領域、か」

 

 真人はその技術の名前こそ知らなかったが、それが領域の必中効果を中和する術であることはすぐに見抜いた。

 そして同時に、それが本来の生得領域同士の押し合いに比べて、ひどく脆い防壁であることにも気づいた。

 

(なるほど。中和して身を守っているだけだ。俺の領域の出力で外側から削り続ければ、いずれ剥がれる!)

 

 真人は笑みを消し、冷酷な作業に取り掛かった。

 領域内の必中効果を最大限に出力し、与幸吉を包む簡易領域の境界線を、たまねぎの薄皮を一枚一枚剥ぐように削り取っていく。

 ギチィィィ……! という不快な摩擦音が空間に響く。

 簡易領域の端から、見えない防壁が次々と剥がれ落ちていく。

 

 しかし、与幸吉は全く慌てなかった。

 領域が剥がされるまでのタイムリミットを冷静に計算しながら、真人の物理攻撃に応戦する。

 真人が腕を刃や鈍器に変えて襲いかかってくる。与は、魂を直接改変する手のひらの接触だけを絶対の警戒対象として躱し、それ以外の物理攻撃は、莫大な呪力によるガードで強引に防ぎ、即座に重いカウンターの打撃を真人の魂へと叩き込む。

 

 ドゴォッ! ガシィィッ!

 互いの肉体と魂が削り合う、極限の死闘。

 与との高度な体術の攻防をこなしながら、同時に簡易領域を引き剥がす作業は、特級呪霊である真人にとっても骨の折れる作業であった。

 だが、真人は着実に、確実に、与の防壁を削っていった。

 

(……あと五秒。……三秒。……一秒!)

 

 真人の目が、勝利の確信に爛々と輝いた。

 与の簡易領域が限界を迎え、完全に剥がし終える。その瞬間、必中効果で魂を砕く。

 

 ――残り、一秒。

 

 簡易領域が消失するその直前。

 気がつけば、与の右手に、一振りの刀が握られていた。

 それは、彼の周囲を飛んでいた数少ない残存兵力、ミニメカ丸たちが、瞬時に位置と形を変え、結合して生み出した鋭利な呪具であった。

 

「……これで、終わりだ」

 

 与は、低く、這いずるような声で呟き、重心を深く落とした。

 真人が簡易領域を剥がしきり、必中効果が発動するコンマ数秒の隙。

 そこに、江戸後期より伝わる弱者の剣の真髄が、特級相当の呪力と共に叩き込まれた。

 

「シン・陰流――」

 

 全て視てきた。

 

 青白い剣閃が、真人の領域の薄暗い空間を真っ二つに切り裂いた。

 

「抜刀!!」

 

 スンッ。

 空気を裂く音すら置き去りにする、神速の斬撃。

 真人の腹部から右鎖骨にかけて、極限まで練り上げられた呪力の刃が、その肉体と魂を斜めに大きく切り裂いた。

 

「ガ、アァァァァァァァァァァッ!!??」

 

 真人の口から、これまでで最大の絶叫が迸った。

 魂の致命的な切断。大量の血と呪力が傷口から爆発的に噴き出し、真人の肉体が上下にズレて崩れ落ちそうになる。

 

 簡易領域が剥がしきられる直前。

 術者である真人が、領域を維持できないほどの決定的なダメージを受けたことにより。

 パリンッ! というガラスが砕けるような音と共に、悍ましい自閉円頓裹の空間は完全に崩壊し、再び夜の廃ダムの景色が二人の前に姿を現した。

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 

 与幸吉は、刀を振り抜いた姿勢のまま、激しく肩で息をした。

 目の前で、真人が胸から腹にかけて致命的な裂傷を負い、大量の血を流しながら地面に倒れ伏している。もはや、戦闘を再開するだけの呪力も、魂の余力も残っていないだろう。

 

(……勝った)

 

 与の心に、静かな、しかし確かな勝利の確信が広がった。

 特級呪霊を、単独で祓った。これで夏油の計画は狂う。京都校のみんなを、守ることができた。

 張り詰めていた緊張の糸が解け、与の脳裏に、走馬灯のように京都校での思い出が駆け巡った。

 

 いちいち細かいが、誰よりも仲間想いな加茂。

 キモいし鬱陶しいが、真っ直ぐな東堂。

 何かと不器用な自分を心配してくれた歌姫先生。

 文句を言いながらも、頼み事をしてきてくれた真衣と西宮。

 そして。

 太陽のように明るく、花のように笑う、三輪霞。

 

(……みんなのところに、帰るんだ。これからは、俺自身の足で)

 

 与は、倒れ伏す真人に完全にトドメを刺すため、一歩、足を踏み出そうとした。

 

 ――その、瞬間。

 

 ゴチュッ。

 

 ひどく生々しく、水気の多い破砕音が、与の耳元で響いた。

 踏み出そうとした足が、ピタリと止まる。

 何が起きたのか、最初は理解できなかった。ただ、視界が唐突にグラリと揺れ、口から大量の血がごぼりと溢れ出した。

 

 ゆっくりと、自身の首元へと視線を落とす。

 

 そこには、与の首の皮膚を突き破り、気管と頸動脈を完全に貫通して飛び出している、鋭く巨大な棒のようなものが、幾本も突き刺さっていた。

 

「……あ、れ……?」

 

 血まみれの視界が反転し、意識が急速に薄れていくのを感じた。

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