役立たずの三輪 作:メカ丸ゥゥゥウウウ!
経験を積んだメカ丸は準天井くらいの強さになります。経験を積めばの話ですが。
鬱蒼と生い茂る木々が陽光を遮り、苔むした石段にはひんやりとした湿気がまとわりついていた。
人里離れた山奥にひっそりと佇む、薄暗く寂れた神社の境内。手入れされることなく放置された鳥居は朱色の塗装が剥げ落ち、境内を囲む玉垣は所々が崩落している。しかし、その物理的な荒廃以上に、この場を支配しているのは濃密に淀んだ呪いの気配であった。
七海建人は、愛用のネクタイの結び目を僅かに緩めながら、静かな足取りで石段を登っていた。
彼の一歩前を歩くのは、水色の髪を揺らすスーツ姿の少女。京都呪術高等専門学校の二年生、三輪霞である。
「……周囲の呪力濃度が上がってきました。三輪さん、油断なきよう」
「はい、七海さん。索敵範囲、少し広げます」
七海の短く的確な指示に対し、三輪は歩調を崩すことなく、刀の柄にそっと親指を添えたまま応じた。その背中には、一切の力みも、逆に気の緩みも見受けられない。
七海は、特徴的なゴーグルの奥の瞳で、歩く彼女の背中を静かに観察していた。
(……見事な歩法と呪力操作です。到底、三級呪術師の器ではない)
今日、七海がこの場にいる理由は、三輪霞の準一級呪術師への昇級査定の付き添い、および最終的な見極めのためであった。
今日に至るまで、七海は何度か彼女の任務に同行し、その実力を客観的に評価してきた。結論から言えば、彼女の実力はすでに準一級の基準を軽々とクリアしているどころか、身体能力や防御力といった純粋な物理パラメーターに至っては、一級術師である七海をも凌駕しているのではないかと思わせるほどの強さを叩き出していた。
これまでの昇級任務において、彼女が対峙した準一級相当の呪霊たちは、すべて例外なく一太刀で祓われている。
シン・陰流簡易領域を展開したのち、領域内に侵入した対象を自動で迎撃する抜刀術。
技術自体は、オーソドックスなシン・陰流のそれである。しかし、問題はその速度と重さであった。
彼女の筋繊維が生み出す爆発的な踏み込みの力と、刃に込められた高密度の呪力は、呪霊の防御などまるで存在しないかのように、強固な外殻ごと対象を一刀両断していた。
(才能の開花、あるいは彼女の肉体そのものが特異体質……。いずれにせよ、今日の任務を問題なくこなせば、彼女は晴れて準一級術師です。今の彼女の実力ならば、何事もなく終わるでしょう)
七海は生真面目な思考の端で、そんな予測を立てていた。
京都校の生徒とはいえ、次世代の若者が順調に、かつ力強く育っていることは、大人として純粋に喜ばしいことである。五条悟が常々口にしている強く聡い仲間という言葉が、七海の脳裏を微かに過った。
二人は、いくつか任務に関する事務的な雑談を交わしながら、境内の奥へと進んでいく。
やがて、本殿へと続く開けた広場に出た直後。
七海の肌を、ピリッとした微弱な電気が走るような悪寒が撫でた。
「……来ます」
「はい」
少し離れた場所、境内の最奥に位置する古びた社から、強烈な呪力の反応が膨れ上がった。
推定等級、一級。
二人は無言のまま駆け出し、社の正面へと到達する。
人の気配、あるいは生者の呪力を察知したためか。閉ざされていた社の古びた襖が、ギギギ……と独りでに左右へと開かれた。
中から這い出してきたのは、一見すると呪霊とは思えないような、奇妙な姿をした存在であった。
白い狩衣のような布を纏い、顔の部分には神楽面のような木製の仮面が張り付いている。背中からは後光のような不気味な呪力の輪が展開されており、その姿から放たれるのは、悍ましさよりもむしろ、微かな神聖さすら感じさせる畏敬の念であった。
(神社という、本来は神聖な場所への人々の畏怖や、信仰の残滓から生まれ落ちた呪霊ですか。……厄介な)
七海がナタを抜こうと柄に手をかけた、その瞬間だった。
風が爆ぜた。
三輪霞の姿が、七海の視界から文字通り消失した。
遅れて響いたのは、石畳を粉砕する凄まじい踏み込みの破砕音。
神聖な姿をした一級呪霊が、目前の敵を認識して防御姿勢をとるよりも早く。
三輪の身体は、すでに呪霊の背後へと回り込んでいた。
「シン・陰流」
冷徹な少女の声が、境内に響き渡る。
「抜刀」
青白い閃光が、空間を横一文字に切り裂いた。
呪霊の強固な呪力の防御壁ごと、その首と胴体が一切の抵抗を許されずに分断される。
ズレた呪霊の首が重力に従って地面へと落ちる、その到達点よりも遥かに早く。
カチャリ。
三輪は、見事な残心と共に、抜き身の刃を鞘へと納めていた。
一級呪霊の瞬殺。あまりにも一方的で、洗練された暴力の極致。
(……素晴らしい。見事な太刀筋です)
七海は心の中で静かに感嘆の息を吐いた。もはや自分が手を貸す余地など一ミリも存在しない。
首を落とされた呪霊の肉体が、紫色の塵となって空間に溶け出していく。
三輪は小さく息を吐き出すと、そのまま踵を返し、七海の方へと歩き始めた。
「七海さん、終わりました」
「お疲れ様です。見事な――」
七海が労いの言葉を口にしようとした、まさにその時である。
七海の呪力感知が、決定的な異変を捉えた。
(……おかしい)
七海の目が大きく見開かれる。
三輪が背にしている一級呪霊の肉体は、確かに消失反応を示し、塵となって崩壊しつつある。
しかし。
呪霊の気配と呪力そのものが、全く消えていないのだ。
それどころか、崩壊していく白い狩衣の呪霊の内側から、先ほどまでの神聖さなど微塵も感じさせない、吐き気を催すような泥黒い呪力が、爆発的な勢いで膨張し始めていた。
「三輪さんッ!! 後ろです!!」
七海が叫んだ。
消えゆく一級呪霊の残骸の中から、突如としておぞましい姿をした別の呪霊が、脱皮するかのようにその醜悪な巨体を現した。
全身に無数の赤い斑点を浮かび上がらせた、ドロドロの肉塊のような異形。
その異形の体側から、丸太のように太く、悍ましい呪力を纏った腕が射出され、三輪の無防備な背中目掛けて必殺の速度で襲いかかった。
平均的な術師であれば、完全に不意を突かれ、胴体を真っ二つにへし折られているタイミングであった。
だが、三輪の肉体は、七海の思考すら置き去りにする異常な反射速度を見せた。
彼女は振り返ることすらなく、歩行のモーションのまま、左手に持った鞘入りの刀を背後へと回した。
特級クラスの巨大な質量と呪力が、細い鞘に激突する。
七海は、三輪の身体が吹き飛ばされる最悪の光景を予期した。
しかし。
激突の瞬間、三輪の身体の筋肉と骨格の密度が局所的に異常なまでの数値を叩き出し、接触した莫大な運動エネルギーを、足の裏から石畳へと完璧に分散、透過させた。
三輪の身体は、一歩たりとも、一ミリたりとも、前へ押し出されることはなかった。
逆に、襲いかかった異形の呪霊の方が、まるで不動の鋼鉄の山を全力で殴りつけてしまったかのように、その腕の骨格を砕かれ、たまらず後方へと大きく距離をとった。
「……ッ!」
三輪は一切の動揺を見せず、即座に向き直って刀の柄に手をかける。
それと同時に、七海が三輪の横へと滑り込み、ネクタイを腕に巻きつけながら愛用のナタを構えた。
「三輪さん、下がっていなさい」
七海の顔には、これまでにないほどの厳しい緊張が走っていた。
神聖な呪霊を外殻として身に纏い、中に潜んでいたこの異形の怪物。
先ほどの打撃の重さ。そして、この空間を支配する、肌が粟立つような悪意の密度。
推定等級、特級。
しかも、ただの特級ではない。この呪霊の姿、そして全身に浮かび上がる赤い斑点。
七海が呪霊の正体を推測しようと脳細胞をフル回転させた、その直後。
――グラリ。
七海は、突如として襲いかかってきた強烈な目眩に、思わず片膝を突きそうになった。
前後不覚になるような、視界の揺らぎ。
関節という関節が悲鳴を上げ、体内から異常な熱が爆発的に生み出されていく。
この感覚には、覚えがあった。
発熱。それも、ただの風邪などではない、脳を茹でられるような高熱。
呼吸が荒くなり、ふと、自身のナタを構える手の甲に視線を落とした七海は、そこに赤い斑点が急速に広がっているのを見た。
(……なるほど。そういうことですか)
七海は、薄れゆく意識を強靭な精神力で繋ぎ止めながら、目の前の特級呪霊の正体を完全に理解した。
特級特定疾病呪霊。
それも、その症状から推測するに、人類が歴史上、天然痘に次いで特級クラスの脅威として恐れ続けてきた病魔――
神聖な神社に潜んでいたのも頷ける。古来より、人々は恐ろしい疫病を神の祟りや疫病神として恐れ、同時にそれを鎮めるために神社を建て、祈りを捧げてきたからだ。
(まずいですね……)
七海の冷静な頭脳が、即座に現状の生存確率を弾き出す。
病の概念そのものを呪力として振り撒くこの特級呪霊の前に長居すれば、術式を食らうまでもなく、いずれ高熱と合併症によって肉体が活動限界を迎える。
自分は大人だ。だが、隣にいる三輪はまだ子供である。彼女をこんな所で死なせるわけにはいかない。
ここは一度この場を離脱し、結界の外にいる補助監督と合流した上で、高専本部へ連絡を取り、五条悟などの特級戦力を要請すべきだ。それが、最も生存率の高い解である。
「三輪、さん……。ここは、一度退き――」
七海が苦しい息の下から撤退の指示を伝えようとした、その時だった。
彼の指示が完了するよりも早く。
三輪霞の身体が、再び前方へと弾かれたように駆け出した。
「なッ……待ちなさい!」
七海が制止の声を上げるが、遅い。
特級特定疾病呪霊が、迫り来る三輪に向かって、致死性の麻疹のウイルスを極限まで圧縮した病の呪力波を、津波のように放った。
その波に触れれば、いかに強靭な肉体を持っていようと、一瞬にして細胞を破壊され死に至る。
しかし。
三輪の肉体は、その病の呪力波の真っ只中へと、一切の躊躇なく突っ込んでいった。
彼女の身体は既に麻疹を克服している。正確には、あらゆる病に対する耐性を未知の術式によって獲得している。
ただ、目の前の敵を真っ直ぐに見据え、最適の歩法で距離を潰していた。
「シッ!」
鋭い呼気と共に、三輪の右腕が動く。
一閃。
それは、一切の無駄を削ぎ落とした、純粋で暴力的なまでに美しい剣の軌跡。
病の呪力波ごと、特級呪霊の巨体が、斜めに完全に両断された。
断末魔の叫びすら上げる暇もなく。
特級特定疾病呪霊の肉体は、刀によるたった一撃の切断によって、その核ごと完全に破壊され、ドロドロの肉塊となって崩れ落ちた。
呪霊が祓われた瞬間。
空間を満たしていた病の概念が霧散し、七海の身体を苛んでいた高熱と関節の痛み、そして手の甲の赤い斑点が、嘘のようにスーッと引いて消えていった。
「…………」
七海は、ナタを下ろし、目の前で残心をとる少女の背中を、言葉を失ったまま見つめていた。
特級特定疾病呪霊。
それを、領域も展開させず、ただの一太刀で祓った。
いかに相性や不意打ちの要素があったとはいえ、これは明らかに準一級の枠に収まる実力ではない。
カチャリと刀を納め、三輪がクルリと振り返った。
その顔には、先ほどの死闘の疲労感など微塵も感じさせない、生真面目な色が浮かんでいる。
「三輪さん。……怪我や、体調に異常はありませんか?」
七海が、どこか現実離れした感覚を抱きながら尋ねる。
三輪は、パッと顔を輝かせ、七海に向かって力強く親指を立てた。
「はい! 大丈夫です、七海さん!」
その、年相応の屈託のない笑顔と、先ほど見せた圧倒的な暴力とのギャップに、七海は小さく息を吐き、ネクタイの結び目を締め直した。
彼女の内に秘められた力の限界は分からない。しかし、確実に言えることは一つ。
彼女は強い。そして、その力は確実に、正しく呪いと向き合うために使われている。
(……ええ。次世代は、着実に育っているのですね)
七海の胸の内に、日々の激務に対する疲労とは違う、ほんの僅かな心地よい安堵感が広がった。
彼が守るべき子供たちは、いつの間にか、背中を預けられるほどの頼もしい術師へと成長している。
その事実を噛み締めながら、七海は「帰りましょうか」と短く告げ、三輪と共に、夕日に照らされた神社の石段をゆっくりと下りていくのであった。
主人公が出るまであと数話です。実は原作にも出てるキャラだったり…
次回、渋谷事変編