役立たずの三輪   作:メカ丸ゥゥゥウウウ!

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作者は京都校の皆を幸せにしたいだけなんです


受肉
渋谷の跡で①


 現代最強の呪術師、五条悟が獄門疆に封印された。

 その絶対的な抑止力が消え去った瞬間から、渋谷の街を飾るのは、おびただしい血と悲鳴で彩られた色とりどりの地獄であった。

 闇に紛れて生きてきた呪詛師たちが我が物顔で往来を闊歩し、異形の呪霊たちが逃げ惑う一般人に本当の恐れとは何かを肉体と魂に刻み込む。さらには、顕現した呪いの王両面宿儺によって、街の広範が文字通り塵も残さず更地へと変えられるという、最悪の下ごしらえまでもが完了していた。

 

 だが、そんな阿鼻叫喚の地獄の宴も、今は一つの佳境を迎えつつあった。

 渋谷警察署の周辺、完全に破壊し尽くされた路上。

 袈裟を纏い、額に縫い目を持つ男――夏油傑の肉体を乗っ取った何者かが、その右手を掲げていた。男の掌の上には、青く淀んだ呪力の球体が浮かんでいる。それは、先ほどまで虎杖悠仁と死闘を繰り広げていた真人を、呪霊操術によって強制的に圧縮したものである。口を大きく開けて一口で吞み込む。吐瀉物を処理した雑巾のような味を気にした様子は微塵もない。

 

「……さて」

 

 夏油が、特級を取り込んだ余韻を楽しむように微笑んだ、その直後である。

 

 上空から、鋭い風切り音が響いた。空を飛ぶ箒に乗った京都校の西宮桃が、眼下の味方に向けて攻撃の合図を送ったのだ。

 同時に、崩落したビルの陰から、加茂憲紀が姿を現した。彼の指先から放たれた無数の血塗られた矢が、雨霰となって夏油へと殺到する。

 しかし、夏油は一歩も動かなかった。飛来する矢の軌道を完璧に見切り、わずかな首の傾げと、手のひらから放つ呪力の障壁だけで、その全てをいとも容易く受け止め、弾き落とした。

 特級呪詛師の肉体を操る黒幕。その圧倒的な実力差の前に、加茂の矢は傷一つ、衣服の埃一つ払うことすらできなかった。

 

 だが、攻撃は終わらない。

 加茂の矢が弾かれたその一瞬の死角。百メートル以上離れた狙撃地点から、乾いた銃声が轟いた。

 禪院真依による、スナイパーライフルを用いた遠距離からの狙撃。呪力が込められた必殺の弾丸が、音を置き去りにして夏油の側頭部へと迫る。

 

 しかし、その弾丸もまた、夏油の脳天を穿つことはなかった。

 夏油は一切の焦りを見せず、瞬時に手持ちの呪霊を自身の横に召喚し、それを盾として機能させたのだ。呪霊の外殻に弾丸がめり込み、無力化される。

 

 上空からの偵察、中距離からの飽和攻撃、そして遠距離からの死角を突いた狙撃。

 息の合った京都校の連携。しかし、夏油からすれば、どれも児戯に等しい時間稼ぎに過ぎないように見えただろう。

 だが――。

 これら全ての攻撃は、たった一人の少女を、夏油の懐へと送り込むための目くらましであった。

 

「シン・陰流」

 

 夏油の背後。土煙の中から、青い髪を揺らした三輪が、すでに抜刀の構えを完了させて肉薄していた。

 異常なまでに底上げされた脚力と、呪力の最適化。音もなく、殺気すらも極限まで抑え込まれた、強靭な刃の接近。

 

「簡易領域」

 

 半径二・二一メートルの領域。それは獲物を確実に刈り取るための下準備。

 その刹那の静寂の中で。極限に研ぎ澄まされた彼女の脳裏に、これまでの自身の人生が、走馬灯のように鮮明にフラッシュバックしていた。

 

 ――私は、どうして刀を振っているんだろう。

 

 貧しい家庭だった。中学生の頃、ミニバスケットボールのチームでキャプテンをしていた自分は、生来の青い髪を不良だとからかわれないように、母親がいつも家で黒く染めてくれていた。生活が苦しい中、母親の手を黒く汚してしまうのが、何よりも申し訳なかった。

 そんなある日、アルバイト先でシン・陰流の最高師範にスカウトされた。呪術師になれば、お金が稼げる。自立できる。もう、母親に苦労をかけなくて済む。弟達に贅沢をさせてあげられる。

 

 だから、刀を振り続けた。

 家族の負担になりたくなかったから。呪いと戦う恐ろしい世界で、自分が死にたくなかったから。

 生きるために、家族のために、ただ必死に強くなろうともがいてきた。

 

 ……でも。

 今、私がこの絶望的な化け物に向けて刀を振るう理由は、そんな立派なものじゃない。

 

 復讐。

 

 いや、それすらも通り越した、胸を掻き毟るような喪失の痛み。

 

 東京へと向かう新幹線の車内での光景が、三輪の視界に蘇る。

 

 

ーーー

 

 

 ガタン、ゴトン。

 一定の規則正しい揺れと、窓の外を高速で流れていく景色。

 三輪は、新幹線の座席に一人座り、自らの手のひらに収まる小さな機械の塊――通信型のメカ丸を、虚ろな瞳で見つめていた。

 先ほど、この小さな機械の口から伝えられた事実が、まるで現実のこととして頭に浸透してこなかったからだ。

 

「なんで……東堂先輩と、新田くんだけ渋谷に送ったの……?」

 

 話を逸らすように、三輪は震える声で尋ねた。

 本日宛がわれた任務は東堂と新田のみが東京での任務であった為、渋谷で事が起きた時にすぐ駆けつけることができた。そして残りのメンバーは京都の任務に就いていた。しかしそれは、メカ丸の策略によって、三輪たちが渋谷から遠ざけられていたのだ。

 

『東堂は、九割九分死なない。新田の術式は役に立つし、東堂といれば死なない』

 

 メカ丸の機械音声が、淡々と、しかしどこか苦しげに答える。

 

「私はっ、私は、強くなったよ」

 

 三輪は、手に持ったメカ丸を強く握り締めた。

 自分の内に芽生えた、あの異常なまでの肉体強度と出力。最近の任務で、特級相当の病の呪霊すら一太刀で斬り伏せた。

 

「この強さなら、きっと……みんなの役に……。私はもう、役立たずじゃない」

 

 必死に抑えようとしても、声の震えは止まらなかった。強くなったはずなのに、なぜ自分は戦場から遠ざけられなければならないのか。

 

『もう、そういう次元の話じゃないんだ』

 

 どこか話を逸らすような、残酷なほどに冷静な言い方をするメカ丸。

 その言葉が、三輪の心に決定的な亀裂を入れた。

 

「なんで何も言ってくれなかったの。なんで、相談してくれなかったの」

 

 三輪の目から、大粒の涙が溢れ出した。

 

「私たちは、仲間じゃないの!? ……私が、頼りなかった?」

 

 三級だったから。いつもヘラヘラしていると思われていたから。

 私の強さが、信用できなかったから?

 三輪の悲痛な問いかけに対して、メカ丸の否定の言葉は、痛いほど即座に返ってきた。

 

『違う』

 

 機械を通しているはずなのに、その声には、与幸吉という少年の魂の震えがそのまま乗っていた。

 

『俺が、弱かったからだ。弱いから、やり方を間違えた。弱いから……間違いを、突き通せなかった』

 

 三輪の瞳から、さらに雫がこぼれ落ちる。ポタポタと、自分の膝を濡らしていく。

 

『……大好きな人が、いたんだ』

 

 メカ丸の言葉に、三輪の肩がビクリと跳ねた。

 

『どんな世界になろうとも、俺がそばで守ればいいと思っていた』

 

 胸の奥が、ギリギリと締め付けられる。

 三輪は、こらえきれなくなった嗚咽を噛み殺し、手のひらサイズのメカ丸を、自身の胸元へと強く押し付けた。これ以上、自分の涙が大切な仲間の形見にかからないように。

 

『その人が守られたいのは、俺じゃなかったかもしれないのに』

 

 三輪の嗚咽が、新幹線の車内に静かに響く。

 痛いほどに真っ直ぐな、一つの愛の告白。そして、それは同時に、永遠の別れを意味する言葉でもあった。

 

『……時間だ、三輪』

「嫌!!」

 

 三輪は、子供のように首を横に振った。胸に抱いた機械を、絶対に離すまいと抱きしめる。

 

『さよなら、今まで』

「さよならなんて、言わないで!」

『三輪』

「メカ丸!!」

「三輪」

 

 大きくはない。しかし、そのメカ丸の声は、他のどの言葉よりも鮮明に、三輪の鼓膜を震わせた。

 スピーカーから出る機械の合成音声ではない。

 まるで、すぐ横の座席に座って、自分の耳元で優しく囁きかけてくれているかのような、そんなありえない肉声。

 

「幸せになってくれ。どんな形であれ、お前が幸せなら、俺の願いは叶ったも同然だ」

 

 その言葉の温かさに、三輪は弾かれたように顔を上げた。

 すぐそこに、彼がいる気がした。包帯を解き、健常な身体を手に入れた彼が、隣で優しく微笑んでくれている気がした。

 三輪は、すがるような思いで新幹線の窓へと顔を向けた。

 

 しかし。

 月明かりに照らされたガラス窓に反射して映っていたのは、涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らした、三輪霞ただ一人の孤独な姿だけだった。

 隣の席には、誰もいない。

 

「……メカ丸……」

 

 最初に伝えられた事実。

 メカ丸が、もうこの世にいないという事実が、ここに来て急激に、目の前の現実として三輪の五感を支配した。

 強くなった身体も、溢れ出る呪力も、何の意味もない。

 自分が強さを手に入れた時には、大好きな仲間は、自分達を守るために一人で戦い、すでに手の届かない場所へと逝ってしまっていた。

 

「あ、あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」

 

 三輪の絶望の叫び声が、誰にも届かない新幹線の車内で、ただ悲しく木霊し続けていた。

 

 

ーーー

 

 

 夏油の背後、数メートルの距離。

 舞い上がる土煙と火の粉の向こう側に、ただ一人、決して折れない殺意を抱いた少女が立っていた。

 青い髪を乱し、両足を肩幅に開き、重心を深く落としたシン・陰流 簡易領域の構えを静かに、そして完璧にとっている。

 抜刀術の初動姿勢。

 しかし、そこから放たれるプレッシャーは、これまでの彼女のそれとは次元が違っていた。

 

「のせる」

 

 三輪の口から、血を吐くような、しかし恐ろしく澄み切った呪いの声が紡がれた。

 それは、ただの決意表明ではない。

 縛りという、自らの魂に刻み込む呪術契約。力を得る為には、対価を差し出さなければならない。

 

「今までの全てと、これからの未来も」

 

 三輪の足元から、青白い呪力が間欠泉のように爆発的に吹き上がった。

 ここ数ヶ月、彼女の肉体の奥底で、呪物が彼女を一級、あるいはそれ以上の術師へと引き上げていた。だが、今この瞬間に彼女の全身から放たれている呪力は、これまでを凌駕する、文字通り未来を燃やすような凄まじい熱量であった。

 

「もう二度と、刀を振るえなくなっても!」

 

 ――縛り。

 

 家族を養うため。皆が生き残るため。そのために、彼女は血の滲むような努力で刀を振り続けてきた。その刀を、その剣士としての人生の全てを、今この一太刀のためだけに、完全に捨て去る。

 二度と刀を振れなくなるという縛りが、彼女の呪力を、身体能力を、かつてないほど跳ね上げた。

 

「……ッ!!」

 

 夏油の額を、一筋の冷や汗が滑り落ちた。

 千年以上を生きる呪術の深淵たる彼であっても、最高傑作の器が縛りを結んだことによる一撃は、決して無視できるものではない。ましてや、今の彼女から放たれる呪力密度は、明らかに特級の領域に足を踏み入れている。

 

 殺される。

 

 その明確な死の予感が、夏油を即座に動かした。

 

 既に三輪の方へと身体の向きを変えていた夏油の背後。

 そこに、悍ましい呪力の奔流が凄まじい回転を伴って顕現した。

 取り込んだ呪霊たちを一つに圧縮し、超高密度の呪力そのものへと変換して撃ち放つ、呪霊操術の最終奥義。

 

「極ノ番うずまき」

 

 夏油の宣言と共に、空間を捻じ曲げるような極大の呪力の塊が、三輪目掛けて射出された。

 直撃すれば、塵すら残らない圧倒的な破壊の渦。

 しかし、三輪の目は一切の恐怖を映していなかった。彼女の瞳に焼き付いているのは、ただ目の前の標的の首だけ。

 

「抜刀!!」

 

 地面が粉々に砕け散り、三輪の身体が砲弾のように前へと射出された。

 過去も、未来も、メカ丸という仲間への想いも、流した涙も。

 その全てを刃に乗せた、生涯最後にして最高の、神速の剣閃。

 

 三輪は止まらない。迫り来る極大のうずまきごと、夏油傑という存在を完全に両断するつもりで、真っ直ぐに刀を振り抜いた。

 青白い刃と、漆黒の呪力の渦が、正面から激突する。

 

 渋谷の夜空を裂く、鼓膜が破れるような轟音。

 莫大なエネルギー同士が衝突し、周囲の瓦礫が嵐のように吹き飛ばされる。

 三輪の刃は、確かにうずまきの外殻を捉え、その超高密度の呪力の渦へと食い込んでいた。彼女の未来を燃やした一撃は、夏油の極ノ番にも決して引けを取っていなかった。このまま押し切れば、渦を断ち割り、夏油に刃が届く。

 

 だが。

 刀とうずまきが激突し、拮抗したそのコンマ数秒後。

 信じられないことが起きた。

 否。三輪霞にとって、最も信じたくない、そして最も残酷な現実が音を立てて訪れた。

 

――ピキッ。

 

 三輪の握る刀の刀身から、微かな、しかし致命的な亀裂の音が響いた。

 それは、呪術の力関係の敗北ではない。極めて単純な耐久性の問題であった。

 

 彼女が今使っている刀は、決して伝説の銘刀でも、特級呪具でもない。三級呪術師であった頃から、ずっと使い続けてきた、手入れの行き届いたただの刀に過ぎなかった。

 いくら三輪自身の呪力出力が縛りによって跳ね上がり、肉体の筋肉と骨格がそれに耐えうる異常な強度を誇っていたとしても。

 その膨大なエネルギーを相手に叩きつけるための媒体である鉄の刀が、耐えられるはずがなかったのだ。

 限界を遥かに超えた呪力と、極ノ番うずまきの途方もない摩擦熱と圧力。

 それに挟まれた安物の刀身は、瞬く間に赤熱し、限界を迎え……。

 

 パキンッ!!

 乾いた、ひどくあっけない音と共に。

 三輪霞の刀は、半ばから無惨にへし折れた。

 

「…………え?」

 

 三輪の口から、間の抜けた声が漏れる。

 その瞬間、彼女の視界は、永遠のように引き伸ばされたスローモーションの世界へと移行した。

 激突の反動で宙を舞う、折れた刃。

 刀身に映り込む、月明かりに照らされた自身の呆然とした顔。

 そして、抵抗を失い、迫り来る圧倒的な死の渦。

 

(……折れた)

 

 理解が、遅れて脳を殴りつける。

 過去も未来ものせた。もう二度と刀を振るえなくなるという、呪術師としての命を代償にした。

 メカ丸の仇を討つために、全てを懸けた一撃だった。

 それなのに。

 自分の握る道具の限界という、あまりにもちっぽけで、残酷な現実の前に、三輪の全ては無残に散った。

 

(これだけ、強くなったのに……)

 

 得体の知れない力で肉体が強化されても。未来を燃やして限界以上の力を引き出しても。

 結局、私は何も果たせなかった。誰も守れなかった。敵に一矢報いることすら、できなかった。

 

 スローモーションの世界の中で、三輪の脳裏に、かつて弱かった頃の自分が、ヘラヘラと笑いながら自嘲した言葉がフラッシュバックする。

 

 ――役立たずの三輪です!

 

 あの時は、自分の弱さを誤魔化すための、ただの自虐だった。

 でも今は違う。

 どれだけ強大な力を手に入れても、どれだけ覚悟を決めようとも、結局、本質的な何もかもが変わらなかった自分自身を指す、最も正確で、最も鋭利な呪いの言葉。

 

(あぁ……私は、役立たずの三輪だ)

 

 悔しさ、悲しみ、無力感、自己嫌悪。

 メカ丸を失った絶望と、全てを懸けた一撃が折れた絶望。

 様々な色を持ったどす黒い感情がごちゃ混ぜになり、致死量のストレスとなって三輪の心を完全に圧殺した。

 

 プツン、と。

 三輪霞という少女の心が、限界を超えて完全に壊れてしまう、その一歩手前。

 彼女の脳髄は、自身の精神を完全な崩壊から守るための最終的な防衛手段として、その意識を強制的にシャットダウンした。

 

 視界が真っ暗に染まる。全身から力が抜け、身体が重力に従って前へと倒れ込んでいく。

 意識という名の光が、深い、底無しの暗い深淵へと、ゆっくりと、ゆっくりと沈んでいく。

 

 無防備になり、気を失って前へ倒れ込む三輪の身体へと、夏油の放った超高密度の呪力の塊うずまきが、轟音と共に容赦なく襲いかかろうとしていた。

 直撃すれば、今度こそ確実に消し飛ぶ。

 

 死が三輪を飲み込もうとした、まさにその刹那。

 崩壊したアスファルトを蹴り砕き、三輪を守るため、うずまきと彼女の間に滑り込んだ三つの影があった。

 土煙が爆発し、眩い光が渋谷の夜空を白く染め上げた。




新幹線の中で三輪の泣き声を背景にぶちぎれてる京都高の面々が大好きです
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