役立たずの三輪   作:メカ丸ゥゥゥウウウ!

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十八話にしてようやくです。
新宿決戦に向けた下準備とはいえ長かった…。お待たせして申し訳ございません。


渋谷の跡で②

 鼓膜を破るような轟音と共に巻き上がった土煙が、夜風に流されてゆっくりと晴れていく。

 渋谷警察署跡地の路上。先ほどまで三輪が立っていたその場所には、地面も、地中の配管も、その下にある土砂すらも跡形もなく消し飛び、底が見えないほど深く巨大なクレーターが口を開けていた。真人を取り込んだ夏油の放った極ノ番うずまきが残した、圧倒的な破壊の爪痕である。

 

その巨大な穴を挟んだ反対側。

 辛うじて崩落を免れた地盤の上に、四つの人影があった。

 二人の女性――歌姫と西宮が、泥に塗れ、完全に気を失っている三輪霞の身体を守るように抱きかかえている。そして、その三人の前に立ち、土煙に背を向けて刀を構えているのは、東京校二年の担任であり一級術師の日下部篤也であった。

 

「……ハァッ、ハァッ……ッ」

 

 日下部は、柄を握る両手から伝わる激しい痺れに奥歯を噛み締めながら、荒い息を吐き出していた。

 

 限界を超えた呪力と共に放たれた三輪の抜刀が、刀の物理的限界によってへし折れ、彼女が気を失って前へと倒れ込んだその刹那。

 日下部は、歌姫と西宮と共に、うずまきと三輪の間に文字通り滑り込んだ。

 彼が展開したのは、三輪と同じ弱者のための領域。

 

 シン・陰流簡易領域。

 

 日下部は、自らの肉体と愛用の刀を極限まで呪力で覆い、うずまきの超高密度の呪力波を正面から受け流し、相殺したのだ。一歩でも領域の展開が遅れていれば、背後の三人ごと塵と化していた。

 

 五条をはじめとする多くの呪術師が、一級最強は日下部と言うだけのことはある。

 

「……三輪! 三輪、しっかりしなさい!」

 

 歌姫の悲痛な声が、静寂を取り戻しつつある戦場に響く。

 彼女の腕の中で、三輪は糸が切れた操り人形のようにぐったりと首を垂れていた。

 西宮が慌てて三輪の身体を触り、外傷を確認する。

 衣服はうずまきの余波でボロボロに引き裂かれていたが、幸いにも、致命傷となるような外傷や出血は見受けられなかった。彼女の異常なまでの肉体強度が、間接的な衝撃から内臓や骨格を守り抜いていたのだ。

 

「……よかった。大きな怪我は、ないみたい……」

 

 西宮が安堵の息を漏らそうとした、その時である。

 彼女の視線が、ふと、気を失っている三輪の顔に止まった。

 土埃に汚れた少女の頬に、透明な筋が一本、引かれている。閉ざされた目尻から、ほんの僅かに涙が溜まり、こぼれ落ちそうになっていたのだ。

 

「……三輪ちゃん、泣いてる……?」

 

 西宮の呟きに、三輪の頭を抱いていた歌姫がハッとして彼女の顔を覗き込んだ。

 歌姫の脳裏に、数時間前、京都からの新幹線を降りた時の三輪の姿がフラッシュバックする。

 

 あの時、彼女の目は確かに赤く腫れ上がっていた。しかし、涙そのものは残っていなかった。必死に拭い、覚悟を決めて戦場へと足を踏み入れていたはずだ。

 ならば。

 今、この目尻に溜まっている涙は、いつ流れたものか。

 つい先ほどだ。

 全てを懸けた一撃が折れ、仲間の仇を討つこともできず、ただ無力感と絶望に心を押し潰されて、気を失うその直前の瞬間に、こぼれ落ちたもの。

 

(この子は……どれほどのものを一人で背負って、あの刀を振ったの……)

 

 歌姫の胸の奥で、激しい怒りと悲しみが沸点に達した。

 歌姫と西宮は、ゆっくりと顔を上げ、クレーターの向こう側で余裕の笑みを浮かべて立つ夏油を、明確な殺意を込めて睨みつけた。

 その突き刺さるような二人の視線を背中に受けながら、日下部はただでさえ重い胃がさらに痛むのを感じ、居心地悪そうに視線を逸らした。

 

 

ーーー

 

 

「加茂憲倫!!」

 

 血を吐くような怒声と共に、クレーターの横から一人の男が跳躍した。

 

 赤血操術を操る特級呪物呪胎九相図の長兄、脹相。

 彼は、目の前に立つ夏油傑の皮を被った男の正体が、かつて自分たち兄弟を弄り、悲劇の連鎖を生み出した史上最悪の呪術師、加茂憲倫であると直感し、激しい怒りと共に襲いかかっていた。

 

 脹相の両手から、音速を超える血液の奔流、穿血が幾度も放たれる。

 しかし、夏油――羂索は、それら全てを呪霊操術で軽々と弾き、躱し、涼しい顔で脹相の猛攻をあしらっていた。

 

「さあて、どうするかな」

 

 羂索が呟く。

 その視線の先には、満身創痍でありながらも再び立ち上がり、五条悟が封印された獄門疆を奪還すべく、脹相に加勢しようと集結しつつある呪術師たちの姿があった。

 虎杖悠仁、パンダ、加茂憲紀、日下部篤也、そして上空の西宮桃。

 彼らの体力は限界に近い。だが、その目には決して折れない闘志が宿っていた。

 

 虎杖が拳を握り締め、加茂が弓を構え、パンダが重心を落とす。

 総力戦の火蓋が、再び切って落とされようとした、その瞬間。

 

 突如として、渋谷の空気が、異常なまでの冷気に包まれた。

 単なる気温の低下ではない。大気中に存在する微細な水分が、物理法則を無視した速度で一瞬にして凍結し、空間そのものが白く濁り始めたのだ。

 

「……なんだ、この異常な呪力は……!?」

 

 日下部が刀を構え直し、周囲を警戒する。

 虎杖も、本能的な悪寒に背筋を震わせた。

 

 冷気の発生源は、羂索の隣。いつの間にか音もなく降り立っていた、一人の人物であった。

 性別不明の整った顔立ち。おかっぱに切り揃えられた、氷のように白い髪。

 千年前から両面宿儺に仕える専属の料理人であり、氷の呪法を極めた呪詛師、裏梅。

 

 裏梅は、羂索に向かって一瞥もくれず、ただ冷酷な眼差しで虎杖たちを見下ろした。

 そして、白く透き通るような自らの両手を顔の前に掲げ、手のひらをそっと合わせる。

 

氷凝呪法(ひこりじゅほう)

 

 裏梅が、合わせた手のひらの隙間に向かって、小さく、凍てつくような息を吹き付けた。

 

「霜凪」

 

 瞬間、世界が白に染まった。

 裏梅の手のひらから放たれた極低温の冷気が、視界を覆うほどの巨大な吹雪の津波となって、虎杖たち全員へと襲いかかった。

 逃げる隙など、一ミリも存在しなかった。

 大気中の水分が瞬時に氷結し、音速の壁となって迫る。触れれば最後、皮膚はおろか、筋肉、骨髄、そして体内を流れる血液の全てが絶対零度の氷に閉ざされ、細胞単位で破壊される。

 

「しまッ――!!」

 

 日下部が簡易領域を展開しようと踏み込んだが、間に合わない。

 虎杖が両腕で顔を庇う。

 上空にいた西宮を除く、地上にいた全員の身体が、致死の過冷却呪力に飲み込まれ、完全に氷像と化す、そのコンマ一秒前の刹那であった。

 

――ドンッ。

 

 渋谷の空間そのものが、重く、鈍く、一回だけ脈打った。

 それは、音ではなかった。

 強烈すぎる一つの呪力が、この空間に顕現したことによって引き起こされた、大気と重力の異常な歪みであった。

 

「……なに?」

 

 吹雪を放っていた裏梅の顔に、初めて驚愕の色が浮かんだ。

 虎杖たちを完全に飲み込むはずだった霜凪の絶対零度の呪力が。

 突如として発生した見えざる巨大な壁に衝突したかのように、彼らの目の前で完全に停止し、そして、まるで海を割るモーゼの奇跡のように、左右へと強引に押し流されていったのだ。

 

 過冷却の呪力は虎杖たちを避けるように分岐し、彼らを遠巻きに囲うような巨大な氷の壁となって、背後の廃ビル群を串刺しにしながら展開された。

 

「……な、なんだ……!?」

 

 氷結を免れた虎杖が、震える声で周囲を見渡した。

 冷気から助かった。だが、虎杖の全身の毛穴からは、先ほどの氷の呪法とは比べ物にならないほどの、尋常ではない冷や汗が滝のように噴き出していた。

 

 日下部も、加茂も、パンダも、誰も動けない。

 否、動けないのではない。動くことを、本能が完全に拒絶しているのだ。

 

 場を支配する、ただ一つの呪力。

 それは、暴力的なまでに純粋で、底知れず、そして途方もなく重い。

 もし今、指一本でも動かそうものなら、瞬き一つでもしようものなら、その瞬間に自らの存在が塵一つ残さずこの世から消し去られる。

 そんな、強烈な幻覚すら引き起こすほどの、絶対的な威圧感。

 

(なんだ……この異常なプレッシャーは……!)

 

 虎杖の脳裏に、ある二人の規格外の存在がよぎった。

 

 一人は、現代最強の呪術師、五条悟。

 もう一人は、呪いの王、両面宿儺。

 今、この空間を埋め尽くしている気配は、間違いなく彼らと同等。

 しかし、五条悟はすでに獄門疆の中に封印されており、両面宿儺は未だ虎杖の肉体の奥底で息を潜めているはずだ。

 

 ならば、この圧倒的な重圧の発生源は、一体誰だというのか。

 

 静寂。

 氷の壁に囲まれた、息が詰まるような沈黙の空間。

 その凍てつくような緊張感を、あっさりと、本当にあっさりとぶち壊す声が響いた。

 

「――おはようございます、皆さん」

 

 それは、凄惨な血の匂いが漂う戦場にはおよそ似つかわしくない。

 まるで、休日の朝にリビングで家族に挨拶をするような、穏やかで、優しく、そして日常の一コマを切り取ったかのような、礼儀正しい声であった。

 

 だが、その声のトーンとは裏腹に、声の主が発している圧倒的な呪力の密度は、周囲の空間を物理的に軋ませていた。

 そして何より、その声の音色に、その場にいた加茂や日下部、そして上空の西宮は、決定的な聞き覚えがあった。

 

 羂索のすぐ隣の空間から、その声は発せられていた。

 

「……今の時間は、こんばんはだよ」

 

 羂索が、額に薄っすらと冷や汗を浮かべながら、隣に立つソレに向かって、探るように言葉を返した。ソレの気分次第では、今この場で暴れ始めてもおかしくないからだ。

 羂索の声を聞いたその存在は、ほんの少しだけ驚いたような、それでいてどこか嬉しそうな声音で答えた。

 

「おや、ごめんなさい。……少し、寝ぼけていました」

 

 フッ、と。

 その言葉と共に、先ほどまで空間を支配し、虎杖たちの心臓を鷲掴みにしていた異常な呪力と威圧感が、まるで幻だったかのように一瞬にして綺麗さっぱりと掻き消えた。

 重圧から解放された術師たちが、一斉に地面に膝をつき、「ガハッ!」「ハァッ、ハァッ!」と、まるで水底から引き上げられたように、足りない酸素を求めて激しく呼吸を始める。

 

 上空から、西宮が悲鳴のような声を上げた。

 彼女の視線は、先ほどまで自分が立っていた場所――歌姫の腕の中へと向けられていた。

 

「うそ……どういう、こと……」

 

 歌姫の両腕は、空を切っていた。

 ほんの数秒前まで、意識を失ってぐったりと倒れ込み、彼女が確かにその腕に抱きしめていたはずの少女の姿が、そこにはなかったのだ。

 

 皆の視線が、ゆっくりと、恐怖に引き寄せられるように、羂索の隣へと向く。

 そこに立っていたのは。

 

「よく眠れました。……良い夜ですね」

 

 土と血に汚れたスーツを纏い、片手には刃の半ばから折れた無惨な柄を提げたまま。

 青い髪を夜風に揺らし、まるで散歩の途中で立ち止まったかのような自然体で立つ、一人の少女。

 

 歌姫が抱きかかえていたはずの、三輪霞であった。

 

 しかし、その目元には先ほどの悲痛な涙の痕跡すらなく、その瞳に宿っている光は、彼らが知る生真面目で心優しい少女のそれとは、決定的に、そして絶望的に異なっていた。

 それは、数百年という長い時間を超え、母と慕う羂索の隣に立つことの喜びに静かに微笑む、江戸の世から蘇りし最強の術師。

 

 蘆屋貞綱の、完全なる目覚めの瞬間であった。




果たして、名前だけ出ていた原作キャラを好き勝手に改造してオリ主と呼んでもいいものか。

原作における蘆屋貞綱は、千年前、門弟を守るためにシン陰流を考案したことしかわかっていません。

一応、十一話「特級という埒外の眼前で」の後半、シン陰流の説明で江戸時代後期にシン陰流ができたという文を入れていたのでわかった人もいるかもしれません
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