役立たずの三輪 作:メカ丸ゥゥゥウウウ!
やっぱりアニメは戦闘が盛られてていいですね。髙羽がスベった時の周囲の反応も盛られていてバカおもろい
音速を超えて放たれた極限圧縮の血液、穿血。
それを一滴残らず飲み干すという、およそ生物として、否、呪いとしてすら常軌を逸した凶行を目の当たりにし、渋谷の路上にいた者たちは皆、得体の知れない悪寒に全身を硬直させていた。
「……あ、あいつ……俺の血を、飲んだのか……?」
呪胎九相図の長兄である脹相は、放水が止まったホースのように自らの術式を解いたまま、ありえない光景に目を見開いていた。
自身の血液には、呪霊としての猛毒が孕まれている。それを体内に取り込めば、いかなる術師であろうと肉体が拒否反応を起こす。
しかし、目の前で口の周りの血を艶かしく舐め取っている少女――貞綱の肉体には、毒による浸食の兆候など微塵も見受けられなかった。
貞綱は、自らの胃の腑に落ちた膨大な血液を、瞬時にして極限の消化酵素と呪力分解によって濾過していた。そして、その分解のプロセスにおいて、彼女の術式は、血液に込められた情報を正確に読み取っていた。
(……なるほど。この血液の成分、極めて歪ですね)
貞綱のガラス玉のような瞳が、微かに細められる。
(人間の血肉の組成と、呪霊の呪力構造。相反する二つの性質が、高度な呪術的結合によって融け合っている。そして何より……この血液の奥底から香る、ひどく懐かしい匂い。私のお母さんである、あの人の呪力の残滓……)
貞綱の脳内で、事象が完全に結びついた。
人間と呪霊の混血。そこに加わった、羂索の血。探る器の記憶。
かつて明治の世に生み出されたと伝わる、九つの特級呪物、呪胎九相図。それが受肉した姿こそが、目の前にいる男の正体なのだ。
「ふふっ」
貞綱の愛らしい唇から、自然と笑みがこぼれ落ちた。
「おや、貞綱。そんなに美味しかったのかい?」
隣に立つ羂索が、怪訝そうに問いかける。
「いいえ、お母さん。味は少々鉄分が強すぎです。私が笑ったのは、そのような理由からじゃありません」
貞綱は、頬を赤らめ、まるで待ち焦がれていた家族と再会した少女のような、純粋な歓喜の表情を浮かべた。
「嬉しいんです。私に、新しい弟が四人もできたことが」
その言葉に、脹相の顔が強張る。
貞綱の視線が、脹相を、そして少し離れた場所にいる虎杖悠仁を、優しく、愛おしそうに撫でた。
呪胎九相図である脹相。羂索の気配が漂う虎杖。そして、この肉体の元の持ち主である三輪には、実の弟が二人いる。
合わせて、四人の弟。数百年の孤独な眠りから覚めた彼女にとって、それは思いがけない、最高のプレゼントであった。
「……何を、言っている……?」
脹相が後ずさる。
貞綱は、両手を広げながら、ゆっくりと、ふわりとした足取りで脹相の元へと歩み寄った。
「そんなに警戒しないでくださいな。私は、あなたのお姉ちゃんなんですから」
「ふざけるなッ!! 俺の弟は、悠仁と……ッ!」
脹相が再び血液を圧縮しようと身構えた、その瞬間。
――フッ。
貞綱の姿が、陽炎のようにブレて消失した。
脹相の優れた動体視力をもってしても、全く捉えきれない、純粋な身体能力による神速の移動。
「は?」
脹相が気づいた時には、貞綱はすでに彼の背後にピタリと密着し、その細い腕で脹相の背中から首元へと、優しく抱きついていた。
「いい子ですね」
耳元で囁かれる、甘く、冷たい声。
直後、脹相の身体を、温かく、そして圧倒的な純度を持った正の呪力が包み込んだ。
反転術式。
貞綱の身体から流れ込む正のエネルギーが、脹相の肉体が負っていた数々のダメージ――打撃による内出血、呪力の枯渇による細胞の劣化を、瞬く間に癒していく。
通常、他者への反転術式には呪力の拒否反応がある。しかし、貞綱のそれは、極限まで細やかに波長を調整されており、効果が落ちるはずの反転術式のアウトプットを、効果を落とさずに施した。
「なッ……!?」
脹相は、治癒の快感と、得体の知れない存在に抱かれている恐怖が混ざり合い、咄嗟に貞綱の腕を振り払って背後を振り返った。
しかし。
振り返った先に、もう彼女の姿はなかった。
「……私は、あなたのお姉ちゃんです」
今度は、少し離れた場所から声が響いた。
満身創痍で膝をついていた虎杖悠仁のすぐ隣に、貞綱はしゃがみ込み、彼の顔を覗き込んでいたのだ。
「……どゆこと?」
虎杖は、目の前の状況が全く理解できず、呆然と呟いた。
昨日まで一人っ子だった自分が、今日、突然現れた脹相から「俺はお前のお兄ちゃんだ」と宣言され、そして今度は、先月の交流会で共に戦ったはずの
脳の処理能力が完全に限界を超えていた。
虎杖の混乱などお構いなしに、貞綱は白く細い指先を伸ばし、虎杖の顔の傷跡をそっと撫でた。
「痛かったですよね、悠仁?もう大丈夫ですよ」
彼女の指が触れた場所から、淡い光を伴った正の呪力が流れ込む。
真人との死闘で抉られた腕の肉が、まるでビデオの巻き戻しのように再生していく。頬を裂かれ、歯が剥き出しになっていた凄惨な傷口が、細胞分裂を強制的に加速させられ、瞬時にして元の綺麗な皮膚へと塞がっていく。
温かい。
虎杖の肉体を包み込むその呪力は、どこまでも優しく、祖父のように温かかった。その温もりに触れて、宿儺の大量虐殺と七海の死、釘崎の生死不明によってズタズタに引き裂かれていた虎杖の心も、ほんの僅かだが、祝福のように癒されていくのを感じていた。
「どうですか? どこか、まだ痛むところはありませんか?」
貞綱が、小首を傾げて優しく微笑む。
その顔は、間違いなく三輪霞のものだ。しかし、虎杖の魂に宿る本能は、目の前の存在が宿儺と同じであると激しく警鐘を鳴らし続けている。
過去の呪術師が、他者の肉体を乗っ取って蘇った、得体の知れない化け物。敵だ。間違いなく、倒すべき黒幕の側に立つ存在だ。
しかし。
今、この絶望的な状況において、頼れるものは何でも使わなければならない。
目の前にいるこの化け物にも、そして自分の中に潜む宿儺にも対抗できるのは、あの最強の教師しかいないのだから。
「……ッ」
虎杖は、貞綱の「痛むところはないか」という質問を無視し、血を吐くような悲痛な声で、敵であるはずの彼女に懇願した。
「五条先生を……取り返すのを、手伝ってくれ!! 頼む、姉貴……ッ!」
敵に縋るという屈辱。しかし、今は矜持などかなぐり捨ててでも、五条悟を取り戻さなければ全てが終わる。
虎杖の口から出た姉貴という単語に、貞綱の口角が、嬉しそうに僅かに上がった。
「五条悟、ですか……?」
貞綱は、立ち上がりながら顎に指を当てた。
「ふふっ。まあ、私も生五条悟には、一度会ってみたいと思ってましたし……お母さんに、少し聞いてきますね」
言い終わるか終わらないかのうちに、貞綱の姿は虎杖の眼前から消え去り、次の瞬間には、数十メートル離れた羂索の目の前へと移動していた。
二人が何やら言葉を交わしている。虎杖の耳には、その会話の内容は届かなかった。
「お母さん、獄門疆を渡してもらえませんか? 悠仁も、お母さんの子供でしょう? 弟の頼みくらい、聞いてあげたいのです」
貞綱は、夏油に向かって手のひらを差し出し、おねだりをする子供のように言った。
羂索は、困ったように眉を下げ、ゆっくりと首を横に振った。
「それは無理な相談だね、貞綱。少なくとも、今は駄目だ」
「なぜですか?」
「五条悟の封印が今解けてしまえば、これから始まる死滅回游という壮大な儀式が、根底から覆される可能性がある。あの男は、そういう規格外のバグだからね。……それは、強者との戦いを望む、君の本意でもないはずだ」
夏油は、貞綱の内に秘められた戦闘狂としての本質を的確に突き、優しく諭した。
「せめて、私が天元を手に入れるまでは待っておくれ。それまでは、獄門疆は渡せない」
理路整然とした母の説得。
それを言われてしまっては、貞綱も引き下がるしかなかった。彼女にとっても、強者たちが集う死滅回游は、生前から待ちわびた最高の舞台であるからだ。
「……分かりました。お母さんがそう言うのなら」
貞綱は小さくため息をつき、再び瞬きする間に虎杖の元へと戻ってきた。
そして、ひどく申し訳なさそうな顔を作って、肩を落としてみせた。
「ごめんなさい、悠仁。お母さん、今は駄目だって」
「……ッ」
「このままじゃ、せっかくの可愛い弟の頼みも聞けない、役立たずの三輪になってしまいますね」
器である三輪の記憶の底から拾い上げた自虐の言葉を、貞綱は悪びれもなく口にした。
その言葉を聞いた瞬間、虎杖の顔は、さらに深い絶望のどん底へと突き落とされたように歪んだ。
五条悟を、取り戻せない。唯一の希望の糸が、無残に断ち切られた。
酷く落ち込み、うなだれる虎杖を見て、貞綱は首を傾げた。
「ほかに、何か私にできる頼み事はありませんか?」
腕を組み、唸るように沈黙する虎杖。
しかし、数秒の沈黙の後、虎杖がゆっくりと顔を上げた時。彼の瞳の色が、明確に変わっていた。
それは、地獄の底から垂らされた、蜘蛛の糸のような細く脆い希望に、必死に縋りつこうとする目。
全てを失い、それでもなお、たった一つの救いを求めて泥水をすするような、人間の極限の渇望の目。
(ーーああ。)
貞綱の胸の奥で、甘い痺れのような歓喜が広がった。
彼女は、その目を知っている。
江戸の世。疫病が大流行し、天明の飢饉で町々が死の影に覆われた時。飢えと病に苦しむ町人たちが、医者として振る舞っていた彼女に向けた、あの目だ。
貞綱は、その目が好きだった。
いや、正確には違う。その目に至るまでの状況と、その後の結末を愛していたのだ。
深い絶望の中にいる人間に、ほんの僅かばかりの救いを与えてやる。すると人間は、それに縋りつき、一瞬だけ生気を取り戻す。
しかし、その希望の手を途中で離し、再び地獄の底へと叩き落とした時。
人は、最初から絶望していた時よりも、遥かに深く、昏く、そして純度の高い絶望へと染め上げられるのだ。
その極限の絶望こそが、呪術の世界において、より強力で、より美しい呪いを生み出す最高のスパイスとなる。
(こんな、極上の目をされたら……私は……)
貞綱の口元が、人間の悪意を煮詰めたような、昏い薄ら笑いの形に歪もうとした。
弟を利用し、極上の
だが。
彼女が完全にその悪魔の笑みを浮かべる直前。
――ピタリ、と。
彼女の頬に、何かが触れた。
冷たい、土に汚れた感触。
貞綱は、僅かに目を丸くした。自身の右手が、いつの間にか持ち上がり、自らの頬に触れていたのだ。
羂索はその姿を見て、五条悟を封印したときのことを思い出した。
(……何故?)
貞綱は、右手を動かそうなどと思っていない。
意識とは完全に切り離された、肉体の反射。いや、完全に沈めたはずの三輪の魂が、土壇場で残した、執念の無意識の抵抗か。
しかし、その疑問が貞綱の思考を占める前に、視界の端に虎杖の顔が入った。
傷つき、ボロボロになりながらも、決して死なせないと誓った仲間を想う、痛切な弟の顔。
その顔を見た瞬間、貞綱は、自らの頬に触れた右手の不可解な挙動を、彼女なりの歪んだ論理で瞬時に解釈し直した。
(……ああ。いけませんね、私ったら。弟をいじめようとするだなんて。この右手は、そんな悪いお姉ちゃんを戒めるために動いたのですね)
自らの内にある残虐性をそっと仕舞い込み、貞綱は再び、完璧なお姉ちゃんの微笑みを顔に貼り付けた。
弟は、大切にしなければならない。
だって、私は、心優しい彼のお姉ちゃんなのだから。
三輪ちゃんの記憶の影響で、多少ですが丸くなってます。