役立たずの三輪   作:メカ丸ゥゥゥウウウ!

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作者自身、ファンパレの全てを追えているわけじゃないのでね、この世界でファンパレと同じことが起きたのは「偽りの英雄」くらいにします。


禪院家で①

 虎杖悠仁たちが、停学中の三年生秤金次の潜伏先である栃木へと赴き、激しい衝突の末に彼の説得に成功した、その翌日の朝。

 

 11月12日。

 

 日本の呪術界において頂点に君臨する御三家の一つ、禪院家の広大な京都本邸は、前代未聞の激震に見舞われていた。

 

 事の発端は、現当主である禪院直毘人の、唐突すぎる隠居宣言であった。

 

 渋谷事変において、漏瑚の極大の炎を全身に浴び、生死の境を彷徨っていた直毘人。通常であればそのまま命を落とすか、運良く一命を取り留めたとしても再起不能になるほどの重傷であった。

 しかし、彼は数日前に突如として本邸へと帰還した。しかも、全身を覆っていたはずの致命的な火傷の痕跡を一つ残らず綺麗に消し去り、五体満足の完全な状態で、である。

 その奇跡的な生還に家人が安堵したのも束の間。直毘人は一族の重鎮たちを集めた広間で、酒をあおりながら事も無げに「ワシは当主を降りる」と言い放ったのだ。

 

 さらに禪院家を混乱の渦へと叩き込んだのは、直毘人が次期当主を指名しないという異例の判断を下したことであった。

 本来、御三家の当主交代は、相伝の術式や血筋、実力に基づいて厳密に定められる。しかし、直毘人が後継者を宙に浮かせたまま退いたことで、野心を燻らせていた当主候補の三名が、一斉に牙を剥き出しにして殺気立つこととなった。

 

 一人目は、直毘人の実の弟であり、特別一級術師の称号を持つ禪院扇。

 

 二人目は、直毘人の甥であり、その厚い人望で荒々しい武闘派を束ねる禪院甚壱。

 

 そして三人目は、直毘人の嫡男であり、相伝の術式投射呪法を受け継ぐ禪院直哉。

 

 思想、人望、血筋。それぞれが異なる強みを持つ三者による、血で血を洗う派閥争い。

 

 禪院家内部に存在する炳、灯、躯倶留隊といった私兵集団の有力者をどれだけ味方につけられるかが、このお家騒動を制する唯一の鍵となる。

 広大な日本家屋の至る所で、三者の配下たちが牽制し合い、疑心暗鬼に陥り、一触即発の泥沼化するかと思われた、その張り詰めた空気の中。

 

 澱みきった水面に、一つの冷たい小石が投下された。

 禪院家の異端児であり、呪力を持たない落ちこぼれとして家を出た少女。

 禪院真希の、本邸への帰還である。

 

 

ーーー

 

 

 禪院家本邸の最奥に位置する、美しい枯山水の庭園に面した奥の院。

 かつての当主直毘人は、縁側に胡座をかき、朝から瓢箪に入った酒を美味そうに煽っていた。彼の背中には、御三家当主としての重圧はすでになく、どこか清々しさすら漂っている。

 庭の砂紋をぼんやりと眺める彼の背後に、一切の足音も、衣擦れの音も、呪力の揺らぎすらも伴わず、一人の人影が音もなく立ち止まった。

 

「……老いには勝てないか、クソジジイ」

 

 背後から投げかけられた、敬意の欠片もない挑発的な言葉。

 直毘人は振り返ることなく、瓢箪の口を指で拭いながら、喉の奥で「かっかっか」と笑った。

 

「誰かと思えば、家出娘ではないか。相変わらず足音だけは立派に消しおるわ」

 

 直毘人はゆっくりと首を巡らせ、背後に立つ真希を見た。

 そして、彼の細められた瞳の奥に、極めて鋭利な観察の光が宿る。

 

(……やはり、傷一つ残っていないか)

 

 直毘人の脳裏に、渋谷事変での記憶が蘇る。自身と同様、真希もまた呪霊の炎に焼かれ、炭化する寸前の重傷を負っていたはずだった。

 あの直後、臨時医療キャンプに現れたという京都高の三輪霞、いや蘆屋貞綱。彼女の放った規格外の正の呪力が、直毘人の肉体を細胞レベルで再生させた。どうやら、真希の身体もその少女の理不尽な治癒の恩恵を受けたらしい。

 

「それで? 隠居の身に、何の用だ。まさか見舞いに来たわけではあるまい」

 

 直毘人が再び正面に向き直り、酒を一口含む。

 

「忌庫の鍵を借りに来た。死滅回游で使う、まともな呪具が要る」

 

 真希は単刀直入に要件を切り出した。

 禪院家の忌庫には、特級呪具をはじめとする強力な武具が多数保管されている。これからの狂気のデスゲームを生き抜くためには、呪力を持たない彼女にとって呪具の力は必要不可欠であった。

 

「鍵か。……今のワシは当主ではない。直哉か、扇にでも頭を下げてこい」

「ふざけんな。あいつらが私に素直に鍵を渡すわけねえだろ。テメェがまだ隠し持ってるのは分かってんだよ」

 

 真希が舌打ちをすると、直毘人は愉快そうに笑い、瓢箪を床に置いた。

 

「かっかっ。まあ、そう焦るな。鍵の話の前に、少し世間話でもしようではないか」

 

 直毘人の声から、先ほどまでの飄々とした老人の響きが消え、呪術界の頂点に君臨し続けた絶対的な政治家としての凄みが滲み出た。

 

「現在の呪術界の勢力図が、どうなっているか分かるか?」

 

 直毘人の問いに、真希は無言で眉をひそめる。

 

「まず、我らと並ぶ御三家の一つ、五条家。あそこは五条悟という神輿一つで成り立っていたワンマンチームだ。その絶対的支柱が獄門疆に封印された今、五条家は発言権を失い、呪術界における政治的な存在感は皆無に等しい。ただの没落貴族へと成り下がった」

 

 直毘人は、枯山水の庭の石を一つ指差した。

 

「次に、加茂家だ。あそこはつい先日、唐突に当主が交代した。……加茂憲倫。今回の死滅回游という未曾有のテロを引き起こした首謀者が、かつて加茂家を乗っ取った史上最悪の呪術師であることは、我が禪院家の情報網ですでに掴んでいる」

 

 直毘人の目が、冷酷に細められる。

 

「先日の当主交代。そして、この絶妙なタイミングでのテロ。情報から察するに、現在の加茂家の当主の座に収まっているのは、他でもない加茂憲倫本人であると見て間違いないだろう。加茂家は完全に奴に乗っ取られた」

 

 真希は息を呑んだ。御三家の一角が、すでに黒幕の支配下にあるという絶望的な事実。

 

「そして最後が、呪術総監部の上層部だ」

 

 直毘人は、自らの膝をトントンと叩いた。

 

「ワシが上層部に潜り込ませていた手駒のいくつかと、渋谷事変の直後から完全に連絡がつかなくなった。それと同時に、上層部から通達が下った。五条悟の封印を解こうとする者を、呪術界への反逆とみなし極刑に処すとな」

 

 虎杖への死刑宣告。そして、五条悟の解放の禁止。

 

「そんな決定が下る理由は一つしかない。総監部の上層部もまた、すでに加茂憲倫の手中に落ち、奴の操り人形と化しているということだ」

 

 直毘人の口から語られた、呪術界の真実。

 五条家は没落し、加茂家と上層部は黒幕の支配下にある。

 つまり、現在の呪術界は、実質的に加茂憲倫の勢力と、最後の独立機関である禪院家の勢力の二つに完全に二分されているという、恐るべきパワーバランスの崩壊が起きていたのだ。

 

「状況は最悪だ。ならば、我が禪院家が今最優先ですべきことは何だか分かるか?」

 

 直毘人の眼光が、真希を射抜く。

 

「それは、この禪院家の内部に潜んでいるかもしれない、加茂憲倫と通じている裏切り者を炙り出すことだ。ワシが当主の座を宙に浮かせたのは、次期当主の座に目が眩み、上層部――つまり加茂憲倫の後ろ盾を得ようと焦って尻尾を出す愚か者を、燻り出すためよ」

 

 隠居宣言の裏に隠された、老獪極まる政治的な罠。

 自らの家を混乱に陥れてでも、腐敗の根を絶とうとする直毘人の覚悟に、真希は舌を巻いた。

 

「……もし、裏切り者がいなかった場合はどうするんだよ」

「その時はその時だ。いないということが明確に分かれば、それで十分だ。一枚岩となって奴に抗うことができる」

 

 直毘人は再び瓢箪を手に取り、酒を一口あおった。

 

「さて。ワシの話はこれくらいだ。次は、お前が持っている手札を見せてもらおうか?」

 

 真希は、忌庫の鍵を手に入れるための交渉のテーブルに、自らの切り札を乗せた。

 

「あいつの目的は知ってる」

「ほう。何故、お前のような小娘がそんな最重要事項を知っている?」

「高専の地下で、天元様から直接聞いた」

 

 天元。

 その言葉が出た瞬間、直毘人の酒を飲む手がピタリと止まった。ありえなくはない。不死の術師であり、日本全土の結界の要。その天元に直接謁見し、情報を引き出したという事実は、真希の言葉に信憑性を与えるに十分だった。

 

 直毘人は、瓢箪を横に置き、少しの間、目を閉じて深く悩むような素振りを見せた。

 そして、ゆっくりと目を開き、真希に向かって言った。

 

「……何が欲しい」

「忌庫の鍵。中の呪具を、死滅回游に持っていく」

「……好きにしろ」

 

 直毘人は懐から古びた真鍮の鍵を取り出し、真希の足元へと無造作に放り投げた。

 チャリン、という冷たい金属音が縁側に響く。真希はそれを拾い上げ、直毘人の目を見据えたまま、天元から得た情報を口にした。

 

「加茂憲倫の目的は、日本全土の非術師の国民と、天元様との強制的な同化だ。……それによる、一億人の呪力による新たな化物の誕生。それが、死滅回游の行き着く先だ」

 

 直毘人は、そのスケールの大きすぎる、狂気に満ちた目的に、ただ無言のまま天井を仰ぎ見た。

 真希はそれ以上何も言わず、鍵を握り締めると、足音一つ立てずに背を向け、奥の院を後にした。

 

 真希の気配が完全に消え去った後。

 静寂を取り戻した庭園で、直毘人は残った酒を一気に飲み干し、ポツリと独りごちた。

 

「……禪院家の歴史を、業を、全て呑み込めなければ……死ぬぞ、真希」

 

 それは、数十年渡って家を守り抜いてきた、一人の老兵からの、不器用で残酷な餞の言葉であった。

 

 

ーーー

 

 

 奥の院から、目的の呪具が眠る忌庫へと向かう薄暗い木造の廊下。

 真希は、冷たい床板を踏みしめながら、先を急いでいた。一刻も早く強力な呪具を手に入れ、虎杖たちと合流し、死滅回游の平定へと向かわなければならない。

 

 しかし。

 その長い廊下の中腹で、真希の行く手を遮るように、一人の和装の女性が静かに立ち塞がった。

 

「……何の用だ、母さん」

 

 真希の声は、氷のように冷たく、一切の感情が籠っていなかった。

 彼女の目の前に立っているのは、真希と真衣という双子の娘を産んだ、実の母親であった。

 

 禪院家において、呪術を持たない女は人に非ずとして扱われる。強力な術式を持った男を産むことだけが女の価値とされるこの家で、落ちこぼれの双子の娘を産んでしまった母親の扱いは、言うまでもなく悲惨なものであった。母親は常に娘たちを疎み、禪院家の男たちにへつらうことでしか自分の存在価値を保てない、悲しき因習の奴隷であった。

 

「真希。……父である、扇が呼んでいます」

 

 母親は、真希の顔を見ようともせず、ただ床を見つめたまま、機械のように感情のない声で伝言を口にした。

 

「悪いが、急いでんだ。後にしてくれ」

 

 真希は母親の言葉を無視し、横を通り抜けようと歩みを進めた。

 自分の命を狙っているかもしれない、次期当主の座に焦る扇。そんな男の呼び出しにノコノコと付き合ってやる義理はない。今は、忌庫の呪具が最優先だ。

 

 だが。

 真希が母親の横をすり抜け、背を向けたその瞬間。

 背後から、ひどく掠れた、呪詛のような言葉が投げかけられた。

 

「……一度くらい、産んでよかったと思わせてよ」

 

 ビクリと、真希の足が止まった。

 その言葉は、刃よりも鋭く、毒よりも深く、真希の心臓を抉り取った。

 物心ついた時から、何度も何度も、この母親から浴びせられてきた呪いの言葉。お前たちが男であったなら。お前たちに強力な術式があったなら。お前たちさえ生まれなければ、私の人生はこんな惨めなものにはならなかった。

 

 真希は、ゆっくりと拳を握り締めた。

 家を出て、東京校で仲間と出会い、自分の居場所を見つけたはずだった。しかし、この禪院家という呪われた血の縛鎖は、決して彼女を自由にはしてくれない。

 そして、その呪縛に最も苦しめられているのは、自分だけではない。

 同じ落ちこぼれとして、この家に残り続け、今も虐げられている妹――真依の存在。

 

(……逃げちゃダメだ)

 

 真希は、忌庫へと向かうための道から、ゆっくりと方向を変えた。

 少しの逡巡の後、彼女は決意の足取りで、実の父親である禪院扇がいるであろう奥の院へと、自ら足を進めた。

 この腐りきった因習と、今ここで完全に決着をつけるために。




直哉に配下なんかいないよなと書きながら思いました
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