役立たずの三輪   作:メカ丸ゥゥゥウウウ!

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禪院家で②

 禪院家に非ずんば呪術師に非ず、呪術師に非ずんば人に非ず。

 

 この古めかしい、そして血に塗れた狂気の言葉こそが、呪術界の御三家、禪院家を千年にわたって支配し続けてきた絶対の教義であった。

 強力な呪力と、代々受け継がれてきた相伝の術式。それを持たざる者は、たとえ禪院の血を引いていようとも、生まれたその瞬間から落伍者としての過酷な人生を歩むことを強要される。

 さらに、この家には時代錯誤も甚だしい男尊女卑の価値観が根深く、そして執拗にこびりついていた。一族の戦闘員部隊である炳や灯に女性が一人も存在しない事実が、それを何よりも如実に物語っている。

 禪院家に女として生まれ落ちる。それだけでもう、呪術師としてのスタートラインに立つことすら許されない、徹底的な迫害の対象となるのだ。

 

 禪院真希は、そんな腐りきった家を、心の底から憎んでいた。

 

 天与呪縛。

 呪力を持たない代わりに、常人を遥かに凌駕する身体能力を得たフィジカルギフテッド。しかし、術式至上主義のこの家において、呪力が見えない彼女は透明人間以下のゴミとして扱われ続けた。

 真希は、この因習に縛られた家を叩き潰し、見返してやるために家を飛び出した。東京の呪術高専に入学し、己の力だけで特級呪霊すら祓えるほどの術師へと成り上がるために。

 

 だが、その強烈な反骨心の根底にある、本当の願いはただ一つ。

 自分と同じく落ちこぼれとして扱われ、この家に縛り付けられている妹――真依が、誰にも蔑まれることなく、心から笑って過ごせる居場所を、この手で作り上げてやることだった。

 

 長く、薄暗い板張りの廊下。

 真希は、実の父親である禪院扇が待つ、広大な和室の前に立っていた。

 先ほど廊下で別れた母親の、一度くらい産んでよかったと思わせてよという呪詛の言葉が、耳の奥でまだべったりとこびりついている。

 真希は、大きく息を吸い込み、忌まわしい血の記憶が染み付いた重い襖に手をかけ、一気に横へと引き開けた。

 

「……何の用だ、クソ親父」

 

 真希が部屋の中へと鋭い視線を向けた、その瞬間。

 彼女の思考は、まるで巨大な氷塊を頭から浴びせられたかのように、完全に停止した。

 

 広い和室の中央。

 畳は、おびただしい量の真っ赤な鮮血で黒く染め上げられていた。

 そして、その血溜まりの中心で、ボロボロに切り裂かれた高専の制服を纏い、うずくまっている一人の少女の姿があった。

 

「……ま、い……?」

 

 真希の喉から、ひゅっ、と引き攣った音が漏れる。

 血を流し、意識を失って倒れているのは、間違いなく実の妹の禪院真依であった。

 そして、その真依の血に濡れた刀を片手に持ち、冷酷な目で真希を見下ろしているのは、他でもない二人の実の父親、禪院扇である。

 

「遅かったな、真希。……出来損ないが揃うのを、待っていたのだ」

 

 扇は、血振るいをして刀を構え直し、無感情な声で実の娘へと告げた。

 

 禪院扇。

 特別一級術師の称号を持つこの男の腹の底では今、どす黒く、醜悪な野心と責任転嫁が渦巻いていた。

 

 当主直毘人の突然の隠居宣言。宙に浮いた次期当主の座。

 扇は、当主になるべく目をギラつかせていたが、彼には決定的な欠点しかなかった。人望では甥の甚壱に遠く及ばず、純粋な呪術の実力では当主息子の直哉にすら劣っている。扇は決して口には出さないし、認めようともしなかったが、心の奥底の冷静な部分では、このままお家騒動が進めば、自分が当主になる可能性は限りなくゼロに近いことを自覚していた。

 そこで扇が目をつけたのは、禪院家という家の内側ではなく、家の外――すなわち、呪術総監部の上層部であった。

 

 五条悟が封印され、羂索の息がかかった上層部は、五条悟の解放を企む面々を呪術界への反逆者として極刑に処す通達を出した。

 ならば、その反逆者たちと行動を共にしている実の娘、禪院真希を自らの手で処断すればどうなるか。

 上層部へのこの上ない忠誠の証となり、彼らの強大な後ろ盾を得ることができる。上層部の支持があれば、直哉や甚壱を出し抜いて、念願の禪院家当主の座に就くことも十分に可能だ。

 

 血の繋がった娘を殺すことに、扇の心に一切の躊躇や罪悪感はなかった。

 それどころか、彼はこの凶行を正当化すらしていた。

 彼が当主になれなかったのは、彼自身の実力や器が足りなかったからではない。呪力を持たない真希と、術式が弱い真依という、二人の出来損ないの娘を持ってしまったせいだ。この汚点さえいなければ、自分はもっと評価され、当主の座に就いていたはずなのだ。

 自らの失敗と無能を全て娘たちのせいにし、歪んだ認知で正当化する。扇にとって、この姉妹の殺害は、当主の座を得るための策略であり、同時に自らの人生の汚点を消し去る一石二鳥の大掃除でしかなかった。

 

「……テメェ……真依に、何しやがったッ!!」

 

 真希の怒りが、沸点を突破して爆発した。

 彼女は背中に背負っていた刃、組屋鞣造の工房から持ち出した最高傑作の呪具、竜骨を抜き放ち、血走り、殺意に染まった目で実の父親を睨みつけた。

 

「騒ぐな。お前もすぐに行く」

 

 扇は静かに刀を上段に構え、真希との間合いを測った。

 真希は、天与呪縛による脚力で畳を蹴り砕き、一足飛びで扇の懐へと肉薄しようとする。竜骨の刃が、扇の首筋目掛けて重い風切り音と共に振り抜かれる。

 しかし。

 扇は、真希のその一撃を躱そうとも、受け止めようともしなかった。

 彼は、真希の刃が届く遥か手前、完全に間合いの外であるにも関わらず、自らの刀を真希に向かって真っ直ぐに振り下ろしたのだ。

 

(間合いの外……狂ったか!?)

 真希の並外れた動体視力が、扇の刀身が絶対に自分に届かないことを正確に計算していた。

 だが、その計算は、呪術という理不尽な法則の前に無惨に崩れ去った。

 

 突如として、真希の左肩から腹部にかけて、目に見えない巨大な刃によって斜めに深く、そして致命的に肉が切り裂かれた。

 大量の鮮血が、和室の空中にアーチを描いて噴き出す。

 

「ガ、アァッ!?」

 

 真希は、何が起きたのか全く理解できないまま、激痛に顔を歪めて血の海に倒れ込んだ。

 物理的な刀身は、確かに届いていなかった。

 しかし、扇は刀身の先端から、自身の呪力を目に見えない延長された刃として形成し、間合いの外から真希を切り裂いたのだ。

 天与呪縛が不完全であり、呪力を帯びた眼鏡などの呪具を通さなければ呪力そのものを視ることができない真希にとって。

 不可視の呪力の刃は、完全な死角からの不可避の一撃に等しかった。

 

「……呪力が見えぬお前に、私の剣の真髄など到底理解できまい」

 

 扇は、刀身から滴る真希の血を冷酷に見下ろしながら、吐き捨てるように言った。

 

「それが、特別一級術師と、お前のような呪力を持たぬ落ちこぼれとの、決して埋まらぬ絶対的な差だ。お前は、呪術師としてのスタートラインにすら立っていなかったのだよ」

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

 真希は、腹から溢れ出る大量の血と臓腑を右手で押さえながら、必死に立ち上がろうと身悶えした。

 しかし、扇の呪力が込められた斬撃は、彼女の強靭な筋肉を深々と断ち切り、内臓にまで達していた。立ち上がる力はおろか、意識を保つことすら困難なほどの致命傷。

 

(……クソッ……こんなところで……私が……)

 

 真希の視界が、急速に黒く染まっていく。

 真依を助けるために高専に来たのに。こんな男をぶち殺して、二人で自由になるはずだったのに。

 床に広がる血の温度が冷たくなっていくのを感じながら、真希の意識は絶望の闇へと沈みかけていた。

 

 その時。

 真希の傍らで、わずかに意識を取り戻した真依が、血まみれの身体を引き摺って動いた。

 真衣は、致命傷を負って倒れる姉の真希の身体に、自らの震える小さな身体を覆い被せるようにして、強く抱きしめた。

 自分が盾となって、これ以上姉が傷つけられないように。

 

「……真依……やめ、ろ……逃げ……」

 

 真希が血を吐きながら制止しようとするが、真衣は首を横に振った。

 

 真依の頬を、涙が伝い落ち、真希の顔を濡らす。

 

 真依は、ずっと知っていた。

 呪力を持たない姉が、いくら強がって家を出ても、この禪院家という巨大な闇に抗うことなどできないということを。この家は、自分たちのような存在を絶対に許容しない。

 いつか、こうして二人とも、この血塗られた畳の上で無惨に切り捨てられる日が来るのだと。

 

「……いつか………こうなるんじゃないかって、思ってた」

 

 真依の口から漏れたのは、姉への恨み言でも、父親への命乞いでもなく。

 ただ、残酷な運命に対する、悲哀と諦観に満ちた、あまりにも静かな呟きであった。

 

 その姉妹の悲痛な抱擁を、扇は虫けらを見るような冷酷な目で見下ろしていた。

 親の情など、この男には微塵も存在しない。

 扇は、二人を今度こそ完全に肉塊へと変えるべく、たっぷりと呪力を込めた刀を、大きく上段へと振り上げた。

 

「二人まとめて始末できるとは、好都合だ」

 

 扇の声には、微かな歓喜すら混じっていた。

 

「さらばだ。我が人生の、忌まわしき汚点よ」

 

 扇の刀が、空気を裂き、重力と呪力の全てを乗せて、真依の細い首筋目掛けて容赦なく振り下ろされた。

 真依は目を閉じ、真希を抱きしめる腕の力をさらに強めた。

 絶対的な死の刃。回避する術も、防御する盾も、もはや何一つ残されてはいない。

 

 和室の中に、爆弾が直撃したかのような凄まじい轟音が鳴り響いた。

 しかし、それは扇の刀が姉妹の肉体を切り裂く音ではなかった。

 金属同士が激突し、片方の鉄が悲鳴を上げて軋むような、異常な破壊音。

 

「……な、に……!?」

 

 扇の目が、極限まで見開かれた。

 振り下ろした渾身の刀。それが、真依の首の皮一枚の距離で、ピタリと、文字通り微動だにせず完全に停止していたのだ。

 見えない壁に阻まれたのではない。

 誰かが、その刃を素手で受け止めていた。

 

 血飛沫で赤黒く染まった和室の空間。

 その凄惨な地獄の風景の中に、そこだけが別の世界から切り取られたかのように、鮮やかな水色の髪が映えていた。

 スーツ姿の少女。

 彼女は、扇の振り下ろした呪力が込められた刃を、右手一本で、いとも容易く、まるで飛んでくる木の枝でも掴むかのように、素手でガッチリと掴み取っていた。

 刃は少女の手のひらに食い込むことすらできず、莫大な運動エネルギーは、彼女の異常なまでに高められた肉体密度によって完全に殺し尽くされていた。

 

「誰だ、貴様は……!!」

 

 扇が刀を引き抜こうと腕に力を込めるが、少女に握られた刀身は、まるで万力で固定されたかのように一ミリたりとも動かない。

 禪院家の厳重な結界をどうやって抜け、いつの間にこの部屋に侵入したのか。扇の感知能力は、この少女が刀を受け止めるその瞬間まで、彼女の存在を全く捉えることができていなかった。

 

 少女は、扇の怒声など全く意に介さず。

 ただ、足元で血まみれになって抱き合う姉妹の姿を見下ろし、かつての三輪霞の面影を残した、とても優しく、そして丁寧な口調で問いかけた。

 

「……真依さん。大丈夫でしょうか?」

 

 その、ひどく場違いで、日常の挨拶のような穏やかな声。

 しかし、真依の耳に届いたその声は、かつて京都校で共に笑い合い、共に戦った、かけがえのない同級生の、間違いなく懐かしい声であった。

 なぜ、彼女がここにいるのか。

 真依の薄れゆく意識の淵で、水色の髪の少女の姿が、絶望の血溜まりに咲く一輪の花のように、鮮烈に焼き付いていた。




一応真希さんは家を出るまで躯倶留隊に所属してたみたいですけどね
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