役立たずの三輪 作:メカ丸ゥゥゥウウウ!
鬱蒼と生い茂る木々が、陽の光を遮り、森に特有の薄暗い影を落としていた。
風が吹き抜け、ざわめく葉擦れの音が遠ざかる中、二人の少女が相対していた。
一人は、身の丈ほどもある長柄の呪具、薙刀を悠然と肩に担いだ禪院真希。
もう一人は、黒い鞘に納められた刀の柄に静かに手を添え、隙のない正眼の構えをとる京都校の二年生、三輪霞。
「……真依は元気か?」
真希が口を開いた。その声には、実の妹を気遣うような温もりがあり、同じ顔でも普段の真衣の言動との違いに内心で驚く。
三輪は僅かに目を細め、相手の挙動から一切視線を外さぬまま、静かに応じた。
「ええ。元気ですよ、真依のお姉さん」
言葉が終わるか終わらないかの刹那、空気が爆ぜた。
真希が踏み込んだのだ。その脚力は常人の動きを超えており、枯れ葉が舞い散る暇すら与えない速度で三輪の手前まで肉薄する。肩に担いでいた薙刀が、鋭い風切り音と共に横薙ぎに振り抜かれた。
意識を刈り取る、必殺の軌道。
しかし、三輪の視界は、その疾風のような一撃をまるでスローモーションのように鮮明に捉えていた。
(速い。でも――見える)
三輪は柄を握る手に力を込め、鞘から刀を抜き放った。
甲高い金属音が、森の静寂を切り裂いて木霊する。
真希の全体重と遠心力が乗った薙刀の一撃を、三輪は正面から刀の腹で受け止めた。
「ッ……!?」
驚愕に目を見開いたのは、攻撃を仕掛けた真希の方であった。
真希は自身の身体能力に絶対の自信を持っている。天与呪縛によるフィジカルギフテッド。呪力を持たない代償として得たその剛力は、三級呪術師であれば呪力による防御ごと肉体を後方に吹き飛ばすだけの威力を誇る。
だが、三輪の刀は微塵も揺らがなかった。
それどころか、刃を打ち合わせた瞬間、真希の手首から両腕にかけて、巨大な鉄塊を全力で殴りつけたような激しい痺れが走ったのだ。
三輪の足元を見る。地面にめり込むことも、後ずさることもなく、彼女は完璧な体勢を維持したまま、底知れぬ圧力を刀身から真希へと伝達していた。
(嘘だろ……!? こいつ、三級じゃなかったのか!?)
真希の脳裏に警鐘が鳴り響く。
事前の情報では、三輪霞はシン・陰流を使う三級呪術師。呪力操作は丁寧だが、身体能力も呪力量も特筆すべき点はない、平凡な術師のはずだった。
だが、目の前で自身と鍔迫り合いをしているこの少女はなんだ。
刀身から伝わってくる、この尋常ならざる筋肉の密度。そして、それを裏打ちする分厚く、圧倒的な呪力の奔流。
これは三級などというチャチな器ではない。準一級、いや、純粋な身体の強度と呪力出力だけを見れば、あるいは一級術師にも匹敵する。等級詐欺もいいところだ。
「……随分と、重い一撃ですね」
三輪が冷静な声で呟く。その表情に余裕はないが、焦りもなかった。
彼女の進化した観察眼は、刃を交えたこの一瞬で、目の前の禪院真希という人間の実力を正確に測り終えていた。
真依からは、「呪具振り回すだけの一般人。何で呪術師やってんの?って感じ」と聞いていた。三輪自身、等級が四級である真希をどこか甘く見ていた部分があったのは否定できない。
しかし、それは完全に間違っていた。
先ほどの踏み込み、刃の角度、体重の乗せ方。どれをとっても武芸の達人のそれであり、決して呪具をただ振り回しているだけの一般人が到達できる領域ではない。
(真希さんは強い。間違いなく、一筋縄ではいかない相手だ。でも……)
三輪は、刀に込める力を一段階引き上げた。
彼女の全身の筋肉が、骨格が、神経が、爆発的なエネルギーを生み出す。それは彼女自身の意識を超えた、肉体の奥底に眠る存在の力が無意識に漏れ出し、肉体を最適化させている結果だったが、三輪本人はそれを知りえない。
「――っ!」
三輪が刀を押し返す。
その信じられないほどの腕力に、真希はたまらず後方へと跳躍し、距離を取った。靴底が地面を擦り、土埃が舞う。
(手加減して勝てる相手じゃない。このまま力比べをしたら、私の呪具ごと叩き折られる……!)
真希は舌打ちをし、戦術を切り替えた。
正面からの打ち合いを避け、天与呪縛による圧倒的な敏捷性を活かした遊撃戦。木々の幹を蹴り、立体的な動きで三輪の死角へと回り込む。
「シッ!」
上段からの振り下ろし。下段への刺突。木の枝を利用した変則的な飛び蹴り。
真希の猛攻が、息つく暇もなく三輪へと降り注ぐ。薙刀の風切り音が、森の中に幾重にも重なって響き渡る。
しかし、三輪は動じなかった。
彼女の脳は、異常なまでの処理速度で真希の攻撃軌道を予測していた。皮膚が空気の僅かな流れを感じ取り、筋肉が最適の速度で収縮する。
「シン・陰流――」
三輪は足幅を広げ、重心を深く落とした。
彼女の周囲に、円状の簡易領域が展開される。
刃が迫る。真希の薙刀が、三輪の脇腹を薙ぐように迫った瞬間。
三輪の身体が、最小限の動きでそれを躱した。布の巻かれた刃先がスーツの布地を掠めるが、肉には届かない。そして、躱すと同時に、三輪の刀が真希の死角から鋭く跳ね上がった。
ガキンッ!!
真希は咄嗟に薙刀の柄でそれを防ぐが、その重すぎる一撃に体勢を大きく崩される。
防戦一方に追い込まれているのは、機動力で勝るはずの真希の方だった。
三輪は決して大振りはしない。ただ淡々と、精密な機械のように、確実なダメージを与えるための剣撃を重ねていく。真希がフェイントを混ぜても、三輪の瞳は一切騙されない。異常に向上した動体視力と反射神経が、真希の動きの真実だけを映し出していたからだ。
(クソッ……! なんなんだこいつは! 反応速度も、一撃の重さも、学生のレベルから外れてる!)
真希は奥歯を強く噛み締めた。
攻撃を防ぐたびに、衝撃が関節に伝わり手首の骨が軋む。
三輪の唐竹割りが、真希の薙刀の柄を激しく叩きつけた。真希の体勢が前のめりに崩れる。
三輪が勝機と見て、刀を翻し、袈裟斬りの軌道に入った。
だが。
その体勢の崩れは、真希が肉を切らせて骨を断つために意図的に作った誘いであった。
「舐めてんじゃねえぞッ!!」
真希は前のめりに崩れた体勢から、薙刀の石突を地面に突き立てて支点とし、強靭な腹筋と背筋をバネにして身体を空中で強引に捻った。
天与の肉体が限界を超えて軋む。
空中で独楽のように回転した真希の右足が、遠心力を乗せた回し蹴りとなって、袈裟斬りを放とうとしていた三輪の横っ腹目掛けて炸裂した。
「ガッ……!?」
防御する間もなく、真希の規格外の脚力をモロに食らった三輪の身体が、くの字に折れ曲がり、砲弾のように吹き飛んだ。
背中から太い樹木の幹に激突し、全身を強打して地面に崩れ落ちる三輪。
「はぁっ、はぁっ……」
真希は着地し、荒い息を吐きながら薙刀を構え直した。
決まった。いくら呪力で強化していようと、あの回し蹴りを無防備に食らえば、少なくともこの団体戦のうちは再起不能になるだろう。
まるで鋼鉄を蹴りつけた感触に、痛む足に意識を裂きながら前方を見つめた。
しかし。
土煙の中から、三輪はゆっくりと、何事もなかったかのように立ち上がった。
「……さすがは真希さん。一筋縄ではいきませんね」
三輪は、汚れたスーツの埃を払いながら、微かに眉をひそめて言った。骨が折れた様子も、戦闘不能に陥った様子も全くない。いやそれどころか、体を痛めた様子すら見えない。
(マジかよ……。あの一撃を食らって平然と立ち上がるなんて、本当に人間か?)
敗北の二文字が、真希の脳裏をよぎった。
交流会は団体戦だ。ここで自分が倒れれば、東京校の勝算は大きく揺らぐ。意地を張って玉砕している場合ではない。
(引くしかねえ……!)
真希は瞬時に決断した。
三輪が次の一撃を放つべく、再び刀を構えて踏み込んでくる、その瞬間。
真希は懐から、目眩ましのための暗器を掴み出し、三輪の顔面目掛けて全力で投げつけた。
同時に、足元の土を激しく蹴り上げ、大量の砂埃を巻き起こす。
「ッ!」
三輪は迫り来る暗器を、刀の切先で的確に弾き落とした。
カンッ、という乾いた音と共に暗器が地面に転がる。
しかし、その一瞬の防御行動と、巻き起こった砂埃によって、三輪の視界は完全に遮られていた。
「逃がしません」
三輪は砂埃の中を躊躇なく駆け抜け、真希がいたはずの空間へと刀を振り抜いた。
だが、刃が斬り裂いたのは虚空のみ。
風が吹き抜け、砂埃が晴れた先には、誰もいなかった。
「……消えた」
三輪は刀を下段に構えたまま、周囲の気配を極限まで探った。
聴覚、嗅覚、そして呪力の探知。
しかし、森の静寂が戻るだけで、真希の気配はどこにもない。
(そうか、真希さんは呪力が一般人並みにしかない。この呪霊の気配が充満する森の中で息を潜められたら、私の探知能力では見つけ出せない)
三輪は冷静に状況を分析した。
異常に発達した今の彼女の感覚をもってしても、砂漠で色違いの砂を探すことは不可能に近い。天与呪縛の特性を逆手に取られた見事な撤退戦術だった。
ここで意地になって真希を探し回るのは、時間の無駄だ。暗殺対象である虎杖悠仁の行方も知れず、味方である加茂たちとも分断されている今、彼女が為すべきことは一つしかない。
「……深追いは無用。私の目的は、この交流会で京都校を勝利に導くこと」
三輪は一つ深呼吸をし、刀をカチャリと音を立てて鞘に納めた。
真希を仕留め損ねたのは痛手だが、彼女の実力からして、他のメンバーが容易く倒されることはないだろう。ならば、自分は確実にポイントを稼ぐべきだ。
三輪は鋭い視線を森の奥へと向けた。
彼女の並外れた感覚が、遠くで蠢く二級クラスの呪霊の淀んだ気配を捉えていた。
「ポイントを稼ぎます」
誰に言うでもなくそう呟くと、三輪は地面を蹴った。
その背中は、迷いのない一人の優秀な呪術師のそれであった。
彼女は次なる獲物を求めて暗い森の奥へと疾走していった。