役立たずの三輪   作:メカ丸ゥゥゥウウウ!

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禪院家で⑦

 鼓膜を突き破るような轟音。

 それが、泥のように深く沈み込んでいた禪院真依の意識を、強引に水面へと引きずり上げた。

 

 何が、起きている。

 目覚めの混濁した意識が、真依の現状の状況把握をひどく遅らせていた。

 先ほどまで、冷たい畳の上で絶望の涙を流していたはずだった。姉との繋がりがノコギリで削り落とされるような、あの未知の喪失感。そして、手放された温もりの残夢。

 

 しかし今、真依の後頭部に感じている感触は、冷たく硬い畳のものではなかった。

 何か、柔らかいような。それでいて、強靭な筋肉の張りを感じる、ひどく温かく、硬いもの。

 それが自分の頭の下に敷かれている。

 

 再び、すぐ間近で炸裂する轟音。

 その直後。

 ポタッ、ポタポタッ。

 真依の顔に、生温かく、鉄の匂いのする水滴のようなものが、立て続けに落ちてきた。

 

 なんだ、これは。血? 誰の血だ。

 真依は、痛む頭を無理やり稼働させ、鬱陶しそうに重い瞼をゆっくりと開けた。

 視界のピントが合う。

 そこに広がっていたのは。

 視界を埋め尽くすほどの赤。

 いや、それは。おびただしい量の血を流し、苦悶に顔を歪ませながら、自分を見下ろしている人の顔であった。

 

「……お姉ちゃん……?」

 

 真依の口から、掠れた声が漏れた。

 そこにいたのは、姉である真希であった。

 真希は、倒れている真依の頭を自らの太ももに乗せ――いわゆる膝枕の体勢をとり――そして、真依の身体をすっぽりと覆い隠すように、四つん這いになって上から覆い被さっていたのだ。

 

 三度、鼓膜を裂く轟音。

 その瞬間、真希の身体がビクンッと大きく跳ね、彼女の口の端から新たな血が吐き出され、真依の頬を赤く濡らした。

 

 そこでようやく、真依の混濁した脳は、今ここで何が起きているのかを正確に理解した。

 これまで一定の間隔で鳴り響いていたこの轟音。それは、単なる爆発音などではない。

 何かが、自分たちのいる建物を物理的に破壊している音だ。

 

 そして。

 真希は、真依の身体に隙間一つ作らないように極限まで身体を縮め、飛来するそれから妹を守るための、文字通りの肉の盾となっていたのである。

 

 血と汗に塗れた真希の瞳と、目を見開いた真依の瞳が、至近距離で交差する。

 

「……やっと起きたか、真依」

 

 真希は、血反吐を吐きながらも、どこか安心したような、しかし不器用でぶっきらぼうな声で言った。

 その顔には、先ほどまで真依が感じていたような、双子の繋がりを絶たれたことに対する底無しの絶望感はない。ただ、目の前のたった一人の妹を絶対に死なせないという、純粋で暴力的なまでの意志だけが宿っていた。

 

「……早く、どきなさいよ。……ブス」

 

 真依は、震える唇から、憎まれ口を叩くのが精一杯だった。

 

 再び轟音。

 真依の視界の端で、赤い血飛沫が残酷に舞う。

 和室の奥の壁が粉々に吹き飛び、木材や土壁の破片が嵐のように周囲に降り注いでいる。

 

 真依は、真希が自分を何から庇っているのか、その正体は分からなかった。だが、それが圧倒的な死の暴力であることだけは理解できた。

 

 真依の心に、激しい自責の念が渦巻く。

 双子であった時。自分という存在が足枷になっていたせいで、真希は不完全なフィジカルギフテッドとして、この禪院家で苦汁を舐め続けてきた。

 そして今。あの水色の悪魔によって双子という呪縛から切り離され、真の暴君として覚醒したというのに。

 真希は、その無敵の力を、敵を倒すためではなく、何の力も持たない自分が死なないように、ただ身を挺して庇うためだけに使っている。

 

(……昔も今も、私は真希の足手纏いであることに、何一つ変わりはないじゃない)

 

 真依の胸の奥で、姉に対する申し訳なさと、自分の無力さへの絶望が黒く膨れ上がった。

 これ以上、真希の負担になるのは嫌だ。

 私なんかのせいで、真希がボロボロになって死んでいくのなんて、絶対に見たくない。

 

 真依は、真希の身体を押し退けようと、咄嗟に両腕に力を込めた。

 

「え……?」

 

 真依は目を見開いた。

 あの悪魔に神経を遮断され、首から下が完全に不随になっていたはずの身体が、今は何事もなかったかのように、何の不自由もなく動いたのだ。

 悪魔の術式が解けたのか。それとも、姉の呪力が流れ込んだことによる一時的な反発か。理由は分からない。

 だが、動くのなら。

 

「離れなさい! 離れてよ!!」

 

 真依は、涙を流しながら叫び、両腕で真希の胸を強く押し返そうとした。

 しかし。

 真依の必死の抵抗も虚しく、真希の強靭な身体は、まるで大地に根を張った大樹のように、一ミリたりともビクともしなかった。

 

「やめろ、真依。……暴れんな」

 

 真希は、押し退けようとする真依の腕を両手でガッチリとホールドし、さらに強く抱きしめ込んだ。

 

「お前が動いたら……隙間ができるだろがッ!!」

 

 絶叫を掻き消すように、飛来した砂利が、音速の散弾となって和室の残骸を吹き飛ばした。

 貞綱が、庭園から無造作に投げ放っている、ただの小石の礫。

 しかし、それは彼女の異常な筋出力と呪力によって、ライフル弾すら凌駕する破壊の弾幕と化していた。

 

 真希の背中を、太ももを、腕を。

 音速の砂利が、ヤスリで削るように容赦なく真希の強靭な皮膚を抉り、肉を削ぎ落とし、鮮血を撒き散らしていく。

 完全な天与呪縛の肉体であっても、その全てを無傷で弾き返すことはできない。一回一回の傷は浅くとも、このまま一方的に削られ続ければ、真希の体力と血液が尽きるのは時間の問題であった。

 ジリ貧。

 誰の目から見ても明らかな、完全なる死の詰み盤面。

 

 真依一人で死ぬか。

 このまま二人とも死ぬか。

 真依は、せめて真希だけでもここから逃げて、生き延びて欲しかった。

 でも、真希がそれを絶対に許さない。

 

 たとえ、悪魔の術式によって双子という呪縛の因果から切り離され、二人の関係が変わっても。

 真希にとって、真衣は。血の繋がりや呪術の理屈など関係ない、この世でたった一人の、最愛の妹なのだから。

 

(……このままじゃ、ダメ)

 

 真依の脳内で、絶望的な状況を打破するための思考が、恐るべき速度で回転し始めた。

 姉を助けたい。その強烈な自己犠牲の念が、彼女の術式に干渉する。

 あの時、悪魔によって真希の体内に残っていた呪力が、真依へと全て押し付けられた。さらに双子でなくなったことによる真希からの開放。その結果、今の真衣の体内には、これまでの彼女とは比較にならない量の呪力が渦巻いている。

 一日一発の銃弾を作るのが限界だった構築術式。

 今なら、もっと大きく、もっと複雑なものを創り出せるかもしれない。

 

 真依の頭に、一つの狂気的で、そして姉を生かすための妙案が閃いた。

 

「……真希」

 

 真依は、真希の胸に顔を埋めたまま、必死に声を絞り出した。

 

「耳を、貸して。……今の私なら、一瞬だけ、あいつの目から逃れる隙を作れる」

「……あ?」

 

 真希は、血を流しながら怪訝な顔で真依を見下ろした。

 真依は、真希の耳元に口を寄せ、その嘘にまみれた奇策を囁いた。

 

 

ーーー

 

 

 庭園の石畳の上。

 貞綱は、三輪の愛らしい顔に冷酷な笑みを張り付けたまま、足元の砂利を無造作に拾い上げては、ピッチングマシーンのように規則正しく、奥の院の和室に向けて投擲を繰り返していた。

 

 砂利の散弾が命中するたびに、歴史ある木造建築が悲鳴を上げて崩落していく。

 

(……ふふっ。なかなか頑丈な盾ですね、真希さん)

 

 貞綱は、投げるまでの間隔や、一度に掴む砂利の量を微妙に変えながら、真希の体力をじわじわと削り取る遊戯を楽しんでいた。

 建物はすでに塵と化し、舞い上がった土煙が貞綱の視界を完全に塞いでいる。

 しかし、貞綱の異常に研ぎ澄まされた呪力感知と生命探知器官は、濃密な土煙の奥に、まだ真依と真希が重なり合って生きていることを正確に捉え知らせていた。

 

「さぁて、そろそろ限界でしょうかね。……これで、お終いとしましょうか。さよなら、真依」

 

 貞綱が、さらに大きな石の塊を掴もうと、ゆっくりとしゃがみ込んだ。

 そのタイミングであった。

 

 コロコロコロ……。

 土煙の奥から、何かが貞綱の足元へと転がり出てきた。

 

「……おや?」

 

 貞綱は、しゃがんだ姿勢のまま、それに視線を落とした。

 それは、金属製の円筒形をした、見慣れない奇妙な物体であった。表面には安全ピンのようなものが刺さる穴があり、それがすでに引き抜かれている。

 

 江戸時代を生きた貞綱の膨大な知識の中にも、そして、現代の女子高生である三輪霞の記憶の検索結果の中にも、その特殊な物体の正確な戦闘用兵器としての用途は、瞬時には結びつかなかった。

 手榴弾? いや、火薬の匂いはしない。

 呪具か? いや、呪力も込められていない。

 

 過去の術師である貞綱の脳が、それが何であるかを解析しようと、ほんのコンマ一秒だけ理解が遅れた。

 その、特級の術師に生じた未知に対する一瞬の隙。

 それこそが、起死回生の罠であった。

 

――カッ!!!!

 

 直後。

 足元に転がった円筒――真依が構築術式で再現した現代の非致死性兵器スタングレネードが、臨界に達して炸裂した。

 

 大音量の爆発音。

 そして、貞綱の網膜を、太陽の直視すらをも凌駕する、強烈で暴力的な閃光が真っ白に焼き尽くした。

 

「ッ……!?」

 

 いかに肉体を強化した貞綱であろうとも。

 物理的な音と光による、眼球と三半規管への直接的かつ強制的な過負荷。

 貞綱の視界は完全に白飛びし、平衡感覚が狂い、無敵の剣鬼の動きが、この死闘において初めて、完全に停止した。

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