役立たずの三輪   作:メカ丸ゥゥゥウウウ!

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禪院家で⑨

 凄まじい大質量が激突し、粉々に砕け散った禪院家の庭園。

 数十メートルの高さまで舞い上がった土煙が、秋の冷たい風に流されてゆっくりと薄れていく中、クレーターの底には、マッハ三の超音速の突撃を相撲の投げで完全にカウンターされ、意識を失って血の海に沈む真希の姿があった。

 

「……ハッ。よくやったじゃねぇか。少しは楽しめたぜ、小娘」

 

 その光景を見下ろす貞綱の口からは、先ほどまでの熱を帯びた、荒々しく粗野な称賛の言葉が漏れていた。

 しかし、彼女の異常なまでに沸騰していた戦闘狂としての血液がゆっくりと平熱へと戻るにつれ、その顔には再び、借り物である三輪霞の愛らしく、そしてどこまでも空虚ないつもの微笑みが貼り付いていった。

 

「さて、と。……せっかくの極上の素材です。ここで死なれては、これからの死滅回游での楽しみが減ってしまいますからね」

 

 貞綱は、三輪の丁寧な口調に戻り、気絶した真希の身体に反転術式を施そうと、ゆっくりと右手を伸ばした。

 その、無防備な指先が真希の身体に触れようとした、まさにその刹那である。

 

――パァンッ!!

 

 静寂を取り戻しつつあった庭園の空気を切り裂いて、乾いた火薬の爆発音が轟いた。

 貞綱は、音よりも早くその殺意の軌道を察知し、伸ばしかけていた右手をピタリと空中で停止させた。

 ヒュンッ。

 一発の鉛の銃弾が、貞綱の指先の皮一枚を掠め、後方の瓦礫へと着弾して火花を散らす。

 指先が僅かに赤みがかった。もちろん、今の貞綱の異常な肉体強度からすれば、直撃したところで痛くも痒くもない代物である。だが、彼女はその弾道を辿るように、ゆっくりと銃弾が飛んできた方向へと視線を巡らせた。

 

 そこには。

 全身を土埃と擦り傷だらけにしながらも、両手でしっかりとリボルバー式の拳銃を握り締め、銃口を貞綱の眉間へと真っ直ぐに向けている、真依の姿があった。

 

「あら。……まさか、生きているとは思いませんでしたよ」

 

 貞綱は、心底意外そうな、それでいてどこか小馬鹿にしたような態度で首を傾げた。

 

 先ほどの、真希をクレーターの底へと叩きつけたマッハ三の質量の激突。その余波だけで、周囲一帯に致命的な衝撃波が撒き散らされた。かつての、銃弾を一日に一発しか作れないほどの微弱な呪力しか持たなかった真依であれば、その衝撃波の余波だけで内臓を破裂させられ、間違いなく死んでいたはずだ。

 

 しかし、今の真依は違う。

 貞綱の手によって、真希の体内にあった呪力を全て押し付けられ、双子という呪縛から切り離された彼女の体内には、これまでの比ではない圧倒的な総量の呪力が満ちていたのだ。

 その膨大な呪力を無意識のうちに全身に巡らせ、強固な呪力の鎧として纏うことで、真依はあの致死的な衝撃波を、全身に浅い傷を作る程度で耐え凌いでいたのである。

 

「……真希から、離れなさい!!」

 

 真依は、ガタガタと震える腕を必死に固定し、血走った目で貞綱を睨みつけた。

 

「ふふっ。健気ですね。だけど……」

 

 貞綱は、真依の構える銃口を全く意に介さず、再び真希へと向き直った。

 

「ッ!!」

 

 真依が、引き金を引く。

 貞綱の呪力の起こり、その初動に完璧に反応して放たれた、必殺の銃弾。鉛の塊が、螺旋を描いて貞綱の額の中央へと正確に吸い込まれていく。

 しかし。

 ガィィィンッ!!

 という、硬質な金属が弾かれるような異音が響いた。

 

「え……?」

 

 真依は、見慣れない光景に目を見開いた。

 貞綱の額に命中したはずの銃弾は、彼女の白く滑らかな皮膚を1ミリたりとも食い破ることができず、まるで分厚い鋼鉄の壁に衝突したかのようにひしゃげ、ポトリと足元へと落ちたのだ。

 真希との死闘において、貞綱は己の肉体のみで防御をしていた。つまり、呪力による防御を一切使用せず、純粋な肉体のぶつかり合いを楽しんでいたのだ。

 だが、今は違う。貞綱は、真衣の放つ銃弾程度、わざわざ避けるまでもなく、ただ表面を薄く強固な呪力で覆うだけで、完全に無効化してみせたのである。

 

 真依の存在など、路傍の石ころと同等。完全に無視したまま。

 貞綱は、血の海に沈む真希の身体に、そっと手のひらを触れた。

 直後、庭園の暗闇を白く照らし出すほどの、圧倒的で純粋な正の呪力が吹き荒れた。

 

 極上の反転術式。

 真希の全身に刻まれていた無数の切り傷、砂利による裂傷、そしてマッハ三の激突によって粉砕されていたはずの全身の骨格や内臓が、まるでビデオの逆再生を見ているかのような恐るべき速度で、完全に元の状態へと癒着し、再生していく。

 

 ものの数秒で、真希の身体から血の汚れ以外の全ての傷が完全に消え去った。

 その完璧な治癒を確認した瞬間。

 フッ、と。

 真依の視界から、水色の髪の少女の姿が、陽炎のようにブレて完全に掻き消えた。

 

「――真希さんに、とても楽しかったと伝えてくださいね」

 

 ゾワッ。

 真依のすぐ耳元で、冷酷な悪魔の囁きが鼓膜を撫でた。

 弾かれたように背後を振り返る真依。しかし、そこには舞い散る土埃と、生暖かい夜風が吹き抜けているだけで、貞綱の気配はすでに禪院家の敷地のどこにも存在していなかった。

 

「……霞。絶対助けるから」

 

 真依の周囲には、その手に一丁しかなかったはずのリボルバーが無数に散乱していた。

 

 こうして、突如として降りかかった蘆屋貞綱という特級呪詛師による禪院家の襲撃は、呆気ないほど唐突に幕を閉じた。

 奥の院をはじめとする敷地の大半はクレーターと化し、半壊するという甚大な被害を受けた。

 しかし、不幸中の幸いと言うべきか。前当主である禪院直毘人が、真希と扇の戦闘の余波、そして貞綱の異常な呪力をいち早く感知し、炳や躯倶留隊の戦闘員たちに迅速な避難誘導を呼びかけていたため、この未曾有の襲撃における死者は、奇跡的にただ一名のみに留まっていたのであった。

 

 

ーーー

 

 

 それから、二日後。

 気絶から意識を取り戻し、完全に回復した真希は、前当主直毘人の呼び出しを受け、禪院家本邸において最も神聖で格式高い大広間の前に立っていた。

 

 巨大な一枚板の重厚な襖。その前に立っていたのは、真希の実の母親であった。

 扇が死に、後ろ盾を完全に失った母親は、ひどく窶れ、生気を失った顔をしていた。彼女は真希と一度も顔を合わせようとせず、ただ黙って、俯いたまま静かに大広間の襖を左右に引き開けた。

 真希もまた、母親に対して憐憫の情も怒りも向けることなく、無言のまま、堂々とした足取りで広間の中へと足を踏み入れた。

 

 そこは、禪院家の権力の中心。

 一番奥の上座には、瓢箪を横に置いた直毘人が、鋭い眼光を放ちながら鎮座している。

 そして、その直毘人から見て左右の列には、現在の禪院家を牛耳る最高戦力たちが、ズラリと居並んでいた。

 

 次期当主の座を狙う直毘人の息子、禪院直哉。

 武闘派を束ねる実力者、禪院甚一。

 長老格である禪院長寿郎。さらには若き実力者の蘭太。

 

 その後ろには、炳や灯、躯倶留隊の一部精鋭たちが、広間の左右の空間を埋め尽くすようにして正座し、一斉に真希へと視線を突き刺していた。

 

 呪力を持たない落ちこぼれに対する、侮蔑、敵意、そして得体の知れない変化への警戒。

 何十という強力な術師たちの威圧感が交錯する中、真希は一切の怯みを見せず、直毘人の御前、広間の中央まで進み出ると、どっかと胡座をかいて座り込んだ。

 

「……で。何の用だ、ジジイ。わざわざこんなお歴々を集めてよ」

 

 真希は、周囲の殺気を完全に無視し、退屈そうに首を鳴らした。

 

 直毘人は、真希のその不遜な態度を咎めることもなく、ただ一つ、短く息を吐くと、広間に響き渡るよく通る声で、絶対的な宣言を下した。

 

「ワシは、次期禪院家当主に……禪院真希、お前を推薦する」

 

 ――シンッ。

 一瞬、広間全体の空気が完全に凍りつき、音という音が消失した。

 次の瞬間、堰を切ったように、何十人もの術師たちの間から、信じられないものを見るような激しいどよめきと怒号が爆発した。

 

「はぁっ!? 頭狂ったんか、ジジイ!!」

 

 真っ先に立ち上がり、怒りを露わにして吠えたのは、直毘人の息子である直哉であった。

 

「呪力も術式も持たん、女の落ちこぼれやぞ!? そないなゴミを当主に据えるやなんて、禪院の歴史に対する最大の侮辱やないんか!?」

 

 直哉の怒声に、周囲の術師たちも同調するように殺気を膨れ上がらせる。

 しかし。

 その騒然とした空気を、野太く、重い声が叩き伏せた。

 

「直毘人に、同意する。……俺も、次期当主に真希を推薦する」

 

 声の主は。直哉の最大の政敵であり、武闘派の筆頭である甚一であった。

 

「なっ……甚一君!? アンタまで血迷うたんか!!」

 

 直哉が驚愕に目を見開く。

 

 直毘人は、騒ぐ直哉を完全に無視し、真希を見つめながら自らの狙いを語り始めた。

 

「先日の動乱……ワシの隠居宣言による内通者の炙り出しは、ある程度の片が付いた。加茂憲倫側の人間であるはずの、あの水色の髪の娘が、突如としてこの本邸を襲撃してきたことで、屋敷内に潜んでいた奴の手駒どもは、慌てて外部と連絡を取ろうと動き出した。……そこを、全て捕らえ、情報を吐き出させた」

 

 直毘人の老獪な罠は、貞綱の気まぐれな襲撃というイレギュラーな劇薬によって、想定よりもずっと早く機能したのだ。

 

「おおよその膿は取り除けた。これ以上、当主不在というデメリットを放置し、残りの小粒の膿を探すメリットは無いと判断した。……故に、新たな当主を据える」

 

 直毘人の眼光が、剣呑な光を帯びる。

 

「死滅回游という、未曾有の動乱の世。今の禪院家に、血筋や格式などという生ぬるいものは必要ない。これからの時代、当主に求められる唯一にして絶対の力は……他を圧倒する暴力に他ならない」

 

 直毘人が真希を推薦した理由。それは、彼女がその暴力の頂点に至ったことを、彼の老獪な目が正確に見抜いていたからだ。

 

「……甚一。お前が推薦する理由も、同じか?」

 

 真希が、胡座をかいたまま甚一に視線を向けた。

 

「ああ。そうだ」

 

 甚一は、渋面を作りながら深く頷いた。

 彼ら禪院家の情報部は、渋谷事変での貞綱の戦闘データを収集し、彼女の実力は、あの五条悟に匹敵する規格外であるという絶望的な報告を上げていた。

 甚一は当初、その報告を有り得ないと一蹴していた。彼ら現代の呪術師にとって、五条悟という存在は、他の追随を絶対に許さない最強そのものであったからだ。

 しかし。先日の夜、遠目ではあったが、奥の院で暴れ回るあの水色の髪の少女の圧倒的な暴力を直に目にした甚一は、その認識を完全に改めざるを得なかった。

 あれもまた、五条悟と異質の最強であると。

 

 そして、それ以上に甚一の認識を根本から覆したのは、他でもない。

 その最強の化け物と、互角の肉弾戦を演じ、一度は後退させた真希の姿であった。

 甚一の脳裏に、かつて家を出ていった一人の男の背中がフラッシュバックしていた。

 呪力を持たずして、全ての術師をその圧倒的な身体能力だけで蹂躙した、天与の暴君。

 あの夜の真希の姿に、甚一は、あの男――禪院甚爾の姿を、完全に重ね合わせていたのである。

 

「……ふざけんなや。そんな妄言、誰が信じるっちゅうねん!!」

 

 直哉が、ついに我慢の限界を超え、ギリッと歯軋りをして真希を指差した。

 

「甚爾君の再来やと? 笑わせんな。こいつはただの女や。呪力も持たん、ただ死にかけとっただけの、惨めな落ちこぼれやないか!!」

 

 直哉は、相伝の術式を持たない真希を心の底から見下し、馬鹿にした。彼にとって、女性であり呪力を持たない真希が、自分が敬愛する甚爾と同格であるなど、絶対に認めることのできない屈辱であった。

 

 そんな直哉の激しい罵倒を受けながらも。

 真希は、一切の表情を変えることなく、ただ冷たい目で直哉を見上げ、ポツリと、短い言葉を投げ返した。

 

「……嫌ならかかってこいよ。三下」

 

 その、圧倒的なまでの強者の挑発。

 

「死ねや、ゴミがァァァァッ!!」

 

 直哉のプライドが完全に爆発した。

 直後、直哉の姿が広間から掻き消えた。

 彼の相伝の術式、投射呪法。1秒間を24分割し、あらかじめ作成した動きのコマをトレースすることで、物理法則を無視した超スピードを生み出す、禪院家最高峰の神速の術式。

 直哉は、瞬時にトップスピードへと加速し、真希の死角である背後へと完全に回り込んだ。

 誰も見えない。直毘人ですら、その動きを辛うじて目で追うのが精一杯の絶対的な速度。

 

 直哉の拳が、背後から真希の後頭部を打ち砕こうと迫る。

 ――終わった。誰もがそう思った。

 

 しかし。

 

 ゴッ。

 広間に響いたのは、乾いた、ひどくあっけない打撃音であった。

 

「……あ?」

 

 直哉の思考が、完全に停止した。

 彼の拳は、真希に届いていない。

 いや、それどころか。投射呪法による超スピードで移動し、真希の背後に現れた、まさにその瞬間。

 振り返ることすらなく、完全に直哉の動きを先読みしていた真希の裏拳が、完璧なタイミングで、直哉の顎の先端を正確無比に撃ち抜いていたのだ。

 

 貞綱との超次元の死闘を経て、真希の肉体と動体視力は、空気の密度の変化、温度の揺らぎ、そして術師の呪力の微細な起こりすらも、1フレームの誤差なく完璧に捉えられるまでに覚醒していた。

 投射呪法の24フレームの動きなど、今の彼女からすれば、まるでスローモーションのコマ送りのようにしか見えていなかった。

 

「……が、ァ……」

 

 ドサッ。

 脳髄を直接激しく揺らされ、強烈な脳震盪を起こした禪院直哉は、白目を剥き、真希の背後で文字通り糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。

 ピクリとも動かない。

 完全なる、一撃必殺。

 

「……」

 

 大広間を、再び完璧な静寂が支配した。

 圧倒的な速さを誇る次期当主候補が、呪力を持たない少女の、見ることすらできない一撃で沈められた。

 その圧倒的で、理不尽で、あまりにも暴力的な光景を見せつけられ。

 

 その場にいた、直毘人、甚一、長寿郎、そして全ての精鋭たちが。

 本能のレベルで、完全に理解し、戦慄した。

 

 没後十二年。

 かつて御三家全てを震撼させ、呪術界の理を単身でへし折った、あの圧倒的な鬼人が。

 今、この血塗られた玉座の前に、完全に再来したのだと。

 

ーーー

 

 

 桜島コロニー某所。

 一つの人影が街の往来を歩いている。その手からは煙が立ちのぼっていた。

 

 「野蛮な連中だらけだナ」

 『5ポイントが追加されました。100ポイントを消費して死滅回遊にルールを追加しますか?』

 

 人影はコガネの方に顔を向けた。

 

 「ルール追加の前ニ、いくつか聞きたいことがあル。……待っていロ、三輪」




??「さらば、我が人生の誇りよ」
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