役立たずの三輪 作:メカ丸ゥゥゥウウウ!
東京第一コロニー、原宿。
かつて若者たちの熱気と最新のファッションで彩られていた表参道ヒルズの薄暗い本館フロアで、二人の術師の殺意が、火花を散らして正面から激突しようとしていた。
一人は、呪術高専東京校一年、釘崎野薔薇。
もう一人は、死滅回游の泳者であり、この原宿の街を我が物顔で破壊し尽くしていた傲慢な簒奪者、西園寺瑠璃子。
「……」
両者は、本館中央を貫く緩やかなスロープを挟み、十メートルの距離を置いて静かに向かい合っていた。
釘崎の脳内では、先ほど西園寺が放った一撃――金髪の縦ロールの穴から、質量を持ったドリルのような呪力塊を射出する術式――についての、極めて冷静な分析が恐るべき速度で回転していた。
(あの女の術式は、間違いなく中~遠距離に特化した射撃型の能力。髪の毛を砲身に見立てて、呪力を圧縮した質量弾を飛ばしてくる。……なら、当然あいつは、私となるべく距離を置いて戦いたいはずだ)
釘崎は、手にした金槌の柄を強く握り直した。
飛び道具を主体とする術師にとって、近接格闘に持ち込まれることは最大の死活問題である。ならば、自分が取るべき最善の戦術はただ一つ。
「シッ!」
釘崎は、短い呼気と共に足の裏に爆発的な呪力を込め、スロープの床をひび割れさせるほどの踏み込みで、西園寺の懐へと一気に距離を詰めた。
狙うは、あのふざけた縦ロールごと頭蓋骨を叩き割る、金槌による脳天への一撃。
「……野蛮ですわね」
しかし。西園寺は、釘崎が距離を詰めてくるというその行動を、すでに察していた。
西園寺は、優雅なドレスの裾を翻し、スロープの傾斜を利用して滑るように後退する。 そして、そのまま背後にあるエスカレーターの吹き抜け空間を飛び越え、下の階層――地下一階のフロアへと、身軽な動作で飛び降りて逃走を図った。
「逃がすかよ!」
釘崎もまた、手すりを蹴り飛ばしてB1フロアへと飛び降り、着地と同時に西園寺の背中を追って駆け出す。
だが、西園寺は逃げながらも、肩越しに冷酷な視線を釘崎へと向けていた。
「下品なネズミには、お似合いの罠がありますわ」
キュイィィィィィンッ!!
西園寺の背中側で揺れる縦ロールから、再びモーター音のような轟音が鳴り響く。
発射されたのは、釘崎の身体ではなく、釘崎が今まさに全力で踏み込もうとしていた足元の床――B1フロアの強固な大理石の床面であった。
強烈なドリルの呪力塊が床に直撃し、フロアが円形に大きく抉り取られ、爆音と共に完全な崩落を引き起こした。
足場が消滅し、巨大な暗い穴が口を開ける。
突進のスピードに乗っていた釘崎は、急に止まることも軌道を変えることもできず、そのまま崩れゆく床と共に、さらに下の階層へと落下しそうになる。
「チッ……!」
しかし、幾多の死線を潜り抜けてきた釘崎の反射神経は、その程度の罠で後れを取るほど鈍くはなかった。
釘崎は落下する瓦礫の破片を空中で蹴り飛ばし、それを足場にして空中で強引に身体を捻った。そして、崩落した床の横にあるテナントの『壁』へと跳躍し、垂直な壁面を蹴りながら忍者のように駆け抜け、大穴を見事に乗り越えてみせたのである。
「はぁっ、はぁっ……! チョコマカと……そんなに逃げたきゃ、一生逃げてればいいわよ!!」
壁を蹴り終え、再び西園寺の背後へと着地した釘崎は、左手の指の間に挟み込んでいた釘を一本、右手で持った金槌でカァンッ!と高らかに打ち出した。
ヒュンッ!!
呪力を帯びた五寸釘が、空気を裂いて西園寺の背中へと迫る。
しかし、西園寺はその足音と風切り音から釘の軌道を予測し、ドレスを翻してあっさりと横へとステップを踏んで回避した。
ガンッ。
外れた釘は、西園寺のすぐ横にあった、ブランドショップのショーウィンドウを飾る分厚いコンクリートの壁に、深々と突き刺さった。
「……釘?」
西園寺は、壁に刺さった古めかしい五寸釘を見て、疑問符を浮かべ、そして小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「あんな原始的な暗器で、この私を仕留めようとしたのかしら? 随分と、時代遅れな――」
西園寺が、傲慢な台詞を言い終えるより、ほんの一瞬早く。
「――
釘崎が、低く、冷たい声で術式の名を呟いた。
直後。
西園寺の横の壁に突き刺さっていた一本の釘に込められていた呪力が、臨界に達し、爆発的に膨張した。
壁の内部から弾け飛んだ強烈な呪力の爆発が、コンクリートの壁を内側から完全に粉砕し、大破させた。
ただの打撃ではない。対象の内部に打ち込んだ呪力を炸裂させ、内部破壊を引き起こす、釘崎の
「キャァァァッ!?」
すぐ隣で起きた想定外の爆発に、西園寺は悲鳴を上げて吹き飛ばされた。
爆風と共に飛び散った鋭利なコンクリートの破片が、散弾となって西園寺の身体を襲う。彼女は咄嗟に呪力で防御を固めたが、数個の破片が防御をすり抜け、彼女の白く美しい頬と、漆黒のゴシックドレスの袖を容赦なく切り裂いた。
ザシュッ。
西園寺の頬から、一筋の赤い血がツーッと流れ落ち、真っ白な肌を汚していく。
高級なドレスの袖も無惨に破れ、中の白い肌が露わになっていた。
「……あ、あ、ああ……」
西園寺は、震える手で自らの頬に触れ、指先に付いた赤い血を信じられないといった目で見つめた。
彼女は、足を止め、ゆっくりと釘崎の方へと向き直った。
その顔は、先ほどまでの余裕と気品を完全にかなぐり捨て、般若のような凄まじい怒りと憎悪に歪んでいた。
「よくも……よくも、この私の完璧な肌と、何百万もする最高級のドレスを傷つけてくれましたわね!?」
西園寺の金切り声が、表参道ヒルズの地下フロアに響き渡る。
しかし、釘崎はそんな女のヒステリーなどどこ吹く風と、金槌を肩に担いで、心底見下したような冷笑を浮かべてみせた。
「何百万? 嘘つけ。そんな趣味の悪い安物のドレス、ドンキのコスプレコーナーで買いなおせよ、コスプレ女」
ドンキのコスプレ。
その、この世の何よりも屈辱的な煽り文句を聞いた瞬間。
西園寺の頭の中で、理性の糸が完全にブチィッと音を立てて千切れた。
「死ねェェェェェェェッ!!!!」
西園寺の顔が夜叉の如く変貌し、彼女の頭部を飾っていた金髪の縦ロールが、まるで意思を持つ生き物のように、メデューサの蛇の如く四方八方へと広がり、宙を舞った。
その数、実に六つ
。
キュイィィィンッ!!!!
六つの縦ロールの穴の全てから、同時にドリルが形成され、けたたましいモーター音を響かせて回転を始める。
「は!? 全部の穴から出せるのかよ!?」
さすがの釘崎も、そのデタラメな出力と手数に目を丸くして驚愕した。
直後、六発のドリルが、空気を引き裂きながら、釘崎の肉体をミンチにすべく殺到してきた。
「クソッ!」
釘崎は、即座に回避行動をとりながら、空いている左手の指の間に新たな釘を挟み込み、右手で迎撃のための金槌を連続で振るった。
カァンッ! カァンッ! カァンッ! カァンッ!
打ち出された四本の釘が、迫り来るドリルのうちの四発と空中で正確に衝突し、互いの呪力が反発し合って激しい爆発を起こし、相殺される。
しかし。
釘崎の術式の構造上、彼女が一度の装填で左手の指の間に挟んで持てる釘の数は、四本が限界であった。
迎撃できなかった、残りの二発のドリル。
それは、釘崎の回避運動のギリギリの死角を突き、彼女の両腕の外側を、ドゴォォォンッ!という轟音と共に掠め飛んでいった。
「ガッ……!」
ドリルの圧倒的な回転力と呪力の摩擦が、釘崎の両腕の制服をボロボロに引き裂き、その下の皮膚と筋肉を容赦なく抉り取った。
舞い散る鮮血。
釘崎の細い両腕から、ダラダラと大量の血が流れ落ち、床の大理石を赤く染めていく。
焼けるような激痛が、釘崎の脳髄を突き刺した。
「あーら。随分と痛そうですわねぇ」
西園寺は、扇子で口元を隠し、血まみれになった釘崎を見て、醜悪な悦びの笑みを浮かべた。
西園寺は、目の前のこの小娘を、羂索の無為転変によって最近になって術式に目覚めたばかりの現代の術師だと予想していた。
平和な日本で温室育ちをしてきた小娘が、こんな凄惨な痛みと流血を味わえば、間違いなく恐怖に顔を引き攣らせ、戦意が完全に萎縮して泣き喚くだろう。
西園寺は、釘崎が命乞いをする瞬間を、今か今かと待ち望んでいた。
しかし。
その西園寺の浅薄な予測は、次の一瞬で、無惨に、そして完全に裏切られることとなる。
「……あーあ。おろしたての制服が、台無しじゃない」
釘崎野薔薇は。
両腕から血を流しながらも、一切の恐怖も、苦痛も顔に出さず。
それどころか、呆れたようにため息をつき、腹の底から愉快そうに、フフッ、ハハハッ!と笑い飛ばしたのだ。
「な……何がおかしいんですの!?」
西園寺が、想定外の反応にたじろぎ、一歩後退する。
幾多の死線を潜り抜け、特級呪霊の毒に侵され、真人の無為転変によって顔面を吹き飛ばされ、死の淵から這い上がってきた釘崎にとって。
この程度の肉を掠める傷など、恐怖の対象にも、戦意を削ぐ理由にもなり得なかった。
釘崎は、血まみれの金槌を肩に担ぎ直し、挑発的にニィッと笑って、トントン、と、心臓のある自分自身の左胸の部分を軽く叩いてみせた。
「ノーコンか? あんたが狙うべき急所は、腕じゃなくて、心臓でしょ。……それとも、ビビって手が震えてんの?」
絶対的な死地における、完璧なまでの強者の挑発。
「……ッ!! 調子に乗るな、この田舎猿がァァァッ!!」
西園寺の怒りが限界を突破した。
挑発だと分かっていても、この小生意気な女を今すぐミンチにして、その憎たらしい口を永遠に塞いでやらなければ気が済まない。
キュイィィィィィィンッ!!!!
西園寺は、理性を失い、六つの縦ロールから次々と、間断なくドリルを乱射し始めた。
表参道ヒルズの地下フロアが、次々と破壊され、瓦礫の山と化していく。
釘崎は、その致死的な弾幕の中を、天性の勘と身体能力で躱し、跳ね、時にはスライディングで潜り抜けながら、次々と新しい釘を指に挟み込み、金槌で打ち出していった。
しかし、釘崎の打ち出す釘の軌道は、明らかに西園寺の急所からズレていた。
西園寺の顔や胴体を狙うのではなく、その横、上、あるいは足元へと向かって飛んでいく釘の数々。
「オホホホッ! ノーコンはどっちかしら? 田舎娘!」
西園寺は、自分に直撃しそうな釘だけを最小限の動きで躱し、あとは見当違いの方向に飛んでいく釘を鼻で笑いながら、高笑いを上げた。
「そんなヘッポコな狙いで、この私に当たるわけがないでしょう!」
その言葉に、釘崎の眉間にはピキッと青筋が浮かんでいた。
(……チッ。クソ鬱陶しい縦ロール女め。後で絶対にその金髪、全部毟り取ってやる)
内心では激しく苛立ちながらも、釘崎は決してその感情をプレイングには出さなかった。
彼女は、ただ無言で、淡々と、釘を打ち出し続けていた。
攻撃を躱し、釘を打ち出しながら、釘崎はB1フロアから、スロープを駆け上がり、再び1階のフロアへと移動を重ねていた。
息を切らし、傷だらけになりながらも、彼女の瞳は常に周囲の環境を冷静に観察していた。
やがて。
スロープを上がりきり、エントランスの光が差し込む場所。
釘崎の目の前に、表参道ヒルズの出口――原宿のメインストリートへと続く、自動ドアの枠だけが残った開口部が見えてきた。
「ふぅ……」
釘崎は、その出口の前に立ち止まり、背中越しに施設の中を振り返った。
カツン、カツン。
釘崎を追って、スロープを下から駆け上がってきた西園寺が、忌々しそうな顔をして1Fフロアに姿を現した。
「逃げ足だけは速いじゃないですの。でも、もう追い詰められましたわよ」
西園寺が、勝利を確信したような笑みを浮かべ、六つのドリルを再び展開する。
その姿を確認した瞬間。
釘崎野薔薇の口角が、限界まで三日月型に吊り上がった。
「逃げ足? 追い詰めた?」
釘崎は、呆れたように肩をすくめ、そして、出口の枠を一歩跨いで、施設の外――原宿の荒廃したストリートへと、完全に身を躍り出た。
「……バーカ。追い詰められたのは、テメェの方だよ」
釘崎は、外の光を背に受けながら、手にした金槌の先を、西園寺のいる表参道ヒルズの建物全体へと向けた。
西園寺は、その言葉の意味が理解できず、怪訝な顔をした。
その時。
西園寺の背後、施設の至る所から、チリチリチリ……という、呪力が限界まで圧縮され、爆発の臨界点に達しようとする、恐ろしい警告音が鳴り響き始めた。
「……え?」
西園寺が、ハッとして周囲を見回す。
スロープの支柱、エスカレーターの土台、フロアを支える巨大なコンクリートの柱、そして、吹き抜けの天井を支える梁の数々。
その全てに。
先ほどの戦闘で、釘崎が「ノーコン」と嘲笑われながらも、的確に、そして執拗に打ち込み続けてきた無数の五寸釘が、深く、深く突き刺さっていたのだ。
釘崎は、最初から西園寺の身体など狙っていなかった。
彼女の狙いは、この巨大な複合商業施設の構造的な弱点たる全ての支柱に、自身の爆弾を仕掛け、西園寺ごと建物を完全に生き埋めにすることであったのだ。
西園寺の顔が、一気に青ざめる。
外に出た釘崎は、金槌を肩に担ぎ、指をパチンと鳴らして、冷酷に、そしてこの世の何よりも美しく宣言した。
「――簪」
直後。
表参道ヒルズの内部に突き刺さっていた、何十本にも及ぶ釘の呪力が、一斉に、そして連鎖的に大爆発を起こした。
建物の内側から、太陽が弾けたかのような凄まじい閃光と爆炎が噴き出す。
土台となる大量の柱が、簪の内部破壊によって一瞬にしてへし折られ、構造計算の限界を超えた巨大な建築物は、自らの重みに耐えきれなくなった。
ズズズズズズッ……!!という、大地を揺るがす恐ろしい地鳴り。
そして。
原宿のランドマークであった表参道ヒルズは、内部にいた西園寺瑠璃子の絶叫を完全に飲み込みながら、瓦礫の滝となって、轟音と共に完全に崩れ落ちた。
土煙が、原宿の空を真っ黒に覆い尽くしていく。
釘崎野薔薇は、その圧倒的な崩落のスペクタクルを背にしながら、舞い散る粉塵を払うこともなく、ただ一言、吐き捨てるように呟いた。
「……私に相応しいのは、私自身が選んだ物だけよ。泥棒猫」