役立たずの三輪 作:メカ丸ゥゥゥウウウ!
満腹だ
巨大なコンクリートと鉄骨の塊が、原宿の中心で完全に崩れ落ちた。
かつて流行の最先端を発信し続けていた表参道ヒルズは、釘崎野薔薇が仕掛けた無数の釘の内部爆発によって、その構造を根本から破壊され、跡形もない巨大な瓦礫の山と化していた。
もうもうと立ち込める粉塵が、冬の冷たい風に流されてゆっくりと薄れていく。
その破壊の光景を背にして、釘崎は肩に金槌を担ぎ、悠然とした足取りで歩き始めた。
彼女の呼吸は僅かに乱れ、両腕には先ほどの戦闘で受けた生々しい裂傷から血が滴っている。しかし、その足取りに迷いや恐怖は微塵も存在しなかった。
釘崎は歩きながら、自らのプリーツスカートのポケットに無造作に突っ込んでいたものに触れ、小さくため息をついた。
(わざわざ危険を冒して回収したのに、無駄になっちゃったわね)
釘崎は内心でそう毒づきながらも、すぐに思考を切り替えた。
これで、この東京第一コロニーにおける第一目的は果たした。
あとは、離れ離れになってしまった虎杖と伏黒の二人と一刻も早く合流し、彼らが順調にポイントを稼いでいることを祈るだけだ。
そこまで考えた瞬間。
釘崎の足が、ピタリと止まった。
彼女の顔から、先ほどまでの余裕の笑みが完全に抜け落ち、信じられないほどのマヌケな表情が浮かび上がる。
伏黒の義姉を救うためには、あの西園寺という女を倒すだけでなく、ルールを利用してポイントを譲渡させなければならなかったのだ。しかし、釘崎は怒りに任せて建物を崩落させ、相手を完全に生き埋めにしてしまった。死体からポイントをカツアゲすることなどできるはずがない。
「あー! ポイント奪うの忘れてた!」
釘崎の悲痛な絶叫が、誰もいない原宿の廃墟に虚しく木霊した。
自分の短気と計画性のなさを呪い、頭を抱えようとした、まさにその直後である。
シュルルルルッ。
背後の瓦礫の山から、微かな、しかし異常なほどに速い風切り音が鳴った。
釘崎が振り返るよりも早く、彼女の右腕に、細く強靭な糸のようなものが大量に巻き付いた。
それは、ただの糸ではない。太陽光を反射して輝く、金色の髪の毛の束であった。
「なっ!?」
釘崎が驚愕の声を上げた瞬間、その金色の髪の束は、凄まじい膂力で釘崎の身体を後方へと力任せに引き戻した。
足が地面から離れ、釘崎の身体は完全に空中へと放り出される。
腕に食い込む髪の毛の圧力は尋常ではなく、骨がミシミシと軋むほどの拘束力を持っていた。
「クソッ、離せ!」
釘崎は左手に持った金槌で髪の束を断ち切ろうとするが、再び強烈な力が働き、彼女の身体は空中で大きく振り回され、そのまま近くの雑居ビルのコンクリート壁面へと容赦なく叩きつけられた。
ドガァァァンッ。
背中から壁に激突し、肺の中の空気が全て吐き出される。
崩れ落ちる壁の瓦礫と共に、釘崎は地面へと落下した。全身の痛みに顔を歪めながらも、彼女は受身をとってなんとか両足で着地し、前方を睨みつけた。
崩落した表参道ヒルズの瓦礫の山。
その頂上に、土埃と血に塗れた一人の女が立っていた。
西園寺瑠璃子である。
彼女の姿は、先ほどまでの優雅で傲慢な成金お嬢様の面影を完全に失っていた。
ゴシックドレスはボロボロに引き裂かれ、美しい肌には無数の打撲痕と裂傷が刻まれている。
しかし、何よりも釘崎の目を引いたのは、彼女の頭部であった。
トレードマークであったはずの金髪の縦ロールは完全に解け、彼女の背丈ほどもある長いストレートの金髪が、まるで何百匹もの蛇の群れのように、彼女の周囲の空中でうねり、意思を持っているかのように不気味に蠢いていたのだ。
西園寺は、顔の半分を血に染めながら、ゆっくりと血だらけの手で自らの長い前髪をかき上げた。
「私の術式は、呪髪操術。自らの髪を、自在に操り、そして強化することができますわ」
西園寺の声には、先ほどまでのヒステリックな響きは消え失せ、底冷えのするような静かな殺意だけが籠っていた。
「先ほどまでのドリルの攻撃も、ほんの一部に過ぎません。……お嬢様としての気品を保つためにあの髪型にしておりましたけれど、外見にこだわっていては、あなたのような野蛮な獣には勝てないと悟りましたの」
西園寺は、自らのプライドの象徴であった縦ロールを捨てた。
それは、なりふり構わず目の前の敵を完全に屠るという、呪術師としての本性が剥き出しになった覚悟の現れであった。
うねる金色の髪が、周囲の瓦礫を撫でるように動き回る。
「絶望してもよろしくてよ。田舎娘」
西園寺が、地獄の底から響くような声で宣告した。
しかし。
釘崎野薔薇の顔には、不安も絶望も、ただの1ミリたりとも浮かんでいなかった。
彼女は、痛む背中を伸ばし、肩の関節をコキリと鳴らすと、口角を限界まで吊り上げて、腹の底から愉快そうに笑ったのだ。
「いーや。生きててくれてサンキューな。おかげで目的が果たせるわ」
釘崎は金槌を構え、西園寺を真っ直ぐに指差した。
「あんたの得点、残らず全部貰ってやるよ!」
その宣言を合図に、原宿の廃墟を舞台にした第二ラウンドの幕が切って落とされた。
西園寺の周囲で蠢いていた大量の金髪が、一斉に地面に向かって伸びた。
髪の束は、崩落した建物の巨大なコンクリート片や、道路に乗り捨てられていた廃車を、まるで巨人の腕のように軽々と巻き込み、空中に持ち上げた。
無数の髪の毛が、数トンの質量を持つ鉄とコンクリートの塊を保持している。その異常な光景は、呪髪操術という術式の基礎的なパワーがどれほど規格外であるかを物語っていた。
「ペシャンコにおなりなさい」
西園寺の冷酷な声と共に、空中に持ち上げられた数台のトラックと巨大な瓦礫が、砲弾のような速度で釘崎目掛けて投げ放たれた。
空気を押し潰すような凄まじい風圧と質量が迫る。
釘崎の脳内コンピュータが瞬時に計算を弾き出す。飛んでくる瓦礫の塊であれば、簪の爆発力で相殺し、四散させることは可能だ。しかし、数トンもの質量を持つ車の鉄塊は別だ。金属の塊を呪力の爆発だけで完全に粉砕することは難しく、相殺しきれずに押し潰される危険性が極めて高い。
真正面からの迎撃は不可能。
ならば、躱すのみ。
釘崎は、迫り来る質量兵器の群れから視線を切り、すぐ横に生えていた原宿の街路樹の並木へと向かって駆け出した。
彼女は走りながら、左手の指に挟んだ数本の釘を、金槌で街路樹の太い幹の側面に次々と打ち込んでいった。
ガンッ、ガンッ、ガンッ。
幹に深く突き刺さった釘。釘崎は、その釘の頭を階段の足場のように利用し、天性の身体能力で軽々と木を駆け上り、一気に上空へと跳躍した。
彼女の身体が空中に舞い上がった直後。
西園寺の投げつけた車と瓦礫の雨が、釘崎が先ほどまでいた場所と、彼女が足場にした並木を容赦なく襲った。
太い幹が飴細工のようにへし折られ、車はそのままの勢いで後方のビルに激突し、爆音と共にひしゃげて炎上した。
もし並木を盾にして隠れようとしていれば、今の攻撃で釘崎の身体はミンチになって敗北していただろう。
「小賢しいネズミですわね」
西園寺は、上空へと逃れた釘崎を見上げ、忌々しそうに舌打ちをした。
空中にいれば、足場がなく回避行動をとることはできない。西園寺の髪が再び周囲の廃車を二台同時に掴み上げ、空中の釘崎にむけて容赦なく投げ放った。
空中にいる釘崎に、それを躱す術はないかに見えた。
だが、釘崎は空中でニヤリと笑った。
彼女の視線の先には、先ほど自らの足場として使い、今は瓦礫の中に埋もれている街路樹の幹があった。そこに突き刺さっているのは、彼女自身の呪力が込められた釘。
釘崎は、その釘の呪力を遠隔で起爆させた。
簪。
地面で小規模な爆発が起きる。その爆発の衝撃波と風圧が、空中にいる釘崎の身体を下から強烈に突き上げた。
空中で身動きが取れない状態から、爆風を利用して強引に自らの身体の位置を上へとずらしたのだ。
ゴォォォンッ。
二台の車が、釘崎のいたはずの空間で激突し、激しい金属音を立てて弾け飛んだ。
完全に直撃を免れた釘崎であったが、強引な軌道変更の代償として、激突して跳ね返った車体の鋭利な金属部分が、彼女の左肩を深く掠めていった。
「ガッ……!」
肉が裂け、鮮血が夜空に舞う。
車体が掠めた物理的な衝撃によって、釘崎の身体は空中で大きく吹き飛ばされ、西園寺から数十メートル離れた道路の真ん中へと激しく転がった。
アスファルトを削りながら着地し、土埃に塗れる釘崎。
左肩の制服は破れ、そこから赤い血が止めどなく流れている。熱を帯びたような激痛が肩から首にかけて走るが、骨は折れておらず、腕を動かすことには全く支障はなかった。
問題なし。
釘崎はゆっくりと立ち上がり、遠くに立つ西園寺を鋭い目つきで睨み据えた。
呼吸を整えながら、釘崎の脳内では冷静な戦力分析が行われていた。
あの女、あれだけ強力な髪を自在に操れるなら、わざわざ車や瓦礫を投げなくても、直接髪を槍のように伸ばして私を串刺しにすればいいはずだ。
だが、彼女はそれをしない。いや、できないのだ。
髪そのもので直接攻撃を仕掛けてこないということは、あの髪の毛を自在に操作できる距離や長さに、明確な限界があるという証拠だ。おそらく、彼女の身体から数メートル圏内が、髪を最も強力に操作できる絶対領域なのだろう。
しかし、その限られた射程を補って余りあるのが、車をも軽々と投げ飛ばす異常なまでのパワーだ。
髪で直接刺す近距離。
車や瓦礫を投擲する中距離から遠距離。
全てのレンジに対応し、圧倒的な質量で敵をすり潰す。得点が三十五点、つまり最高で七人の術師を殺害しているというコガネの情報にも、十分に納得がいく強力で洗練された術式だった。
「……あんた、過去の術師?」
釘崎は、指の間に新たな釘を三本挟み込み、金槌で次々と打ち出しながら、西園寺に向けて問いかけた。
ヒュンッ、ヒュンッ。
呪力を帯びた釘が弾丸のように飛んでいく。
「そうですわ。それが何か?」
西園寺は、自らの髪で足元の瓦礫を瞬時に拾い上げ、盾のようにして飛来する釘を弾き落とした。コンクリートが削れる音が響く。
「なんで呪物になってまで、現代に生き延びようと思ったのよ」
釘崎は問いを重ねながら、弾き落とされた釘に込められた呪力を起爆させた。
簪の爆発が起こり、盾にされた瓦礫が木っ端微塵に四散する。
しかし、土煙が晴れた先には、自らの髪を幾重にも編み込んで強固なドーム状の壁を作り出し、爆風を完全に防ぎ切った西園寺の無傷の姿があった。
「恵まれた現代を生きるあなたのような小娘には、到底理解できないでしょうね」
西園寺は髪の壁を解き、冷酷な目で釘崎を見据えた。
「飢えと死が日常に蔓延る地獄の中で……どうしても、第二の人生を歩みたいと願う切実な気持ちなど」
第二の人生。
その言葉を聞いて、釘崎の攻撃の手がピタリと止まった。
恵まれた現代。そんな言葉で片付けられるほど、釘崎のこれまでの人生も平坦なものではなかった。
彼女は、他所者を排除し、同調圧力が全てを支配する田舎の狭い村の風習が心底嫌で、自分の人生を生きるために東京へと飛び出してきた人間だ。
もし。これまでの人生の中で、ほんの少しでも運命の歯車が狂い、何か一つでも取りこぼしていたら。自分は今でもあの息の詰まるような田舎の村で、死んだような目をしながら一生を終えていたかもしれない。
きっとそうなっていたら、自分だって悪魔に魂を売ってでも、別の場所で、別の時間で、第二の人生を望んだだろう。
生きる時代が過去だろうが今だろうが、自分の人生を自分の手で掴み取ろうとする執念に、優劣など関係ない。
釘崎は、そう反論しようと口を開きかけた。
しかし。
釘崎が言葉を紡ぐより一瞬早く、西園寺の口から、彼女の魂の奥底に刻まれた、暗く冷たい過去の記憶が語り出された。
「天保の大飢饉。……現代の歴史書では、そう呼ばれておりますわね」
その声は、これまでのような傲慢な成金女のものではなく、数え切れないほどの死と絶望をその目で見てきた、一人の亡霊のひどく静かで重い響きを帯びていた。
冷たい夜風が、原宿の廃墟を吹き抜け、釘崎はただ黙って、その亡霊の独白に耳を傾けるしかなかった。