役立たずの三輪 作:メカ丸ゥゥゥウウウ!
上空を飛翔する一本の箒。それに跨る京都校の西宮桃は、上空から呪霊の気配を探っては味方に報告をしていた。
その時、彼女のポケットに入っていた携帯電話が震えた。画面には究極メカ丸の文字。味方からの通信に安堵し、西宮は通話ボタンを押して耳に当てた。
『――眠れ』
スピーカーから響いたのは、メカ丸の機械音声ではなく、呪力が色濃く乗った少年の肉声であった。狗巻棘の呪言。自身の口から出た言霊を相手に強制させるそれに抵抗する間もなく、西宮の意識は急激に暗転し、彼女は箒ごと森の奥深くへと墜落していった。
地上でその通信を切った狗巻は、小さく息を吐き出した。
当初の予定では、この呪言による奇襲のターゲットは三輪霞に向けられるはずだった。だが、交流会前の顔合わせの際、狗巻は三輪から放たれる呪力の質と量に明確な警戒を抱いていた。
三級呪術師という肩書きからは到底考えられない、重く、分厚く、そしてどこか底知れない呪力の総量。もし携帯電話越しの呪言で彼女を狙った場合、その膨大な呪力によって弾かれ、逆にこちらの喉が深刻なダメージを負う危険性があった。
ゆえに狗巻はターゲットを西宮に変更し、無力化に成功したのである。
だが、安堵したのも束の間だった。
狗巻の背後、森の深くから、大自然の雄大さを感じさせる異常なまでに澄み切った、それでいておぞましい呪力の気配が膨れ上がった。
ーーー
「はぁっ……! はぁっ……!」
伏黒恵は、肺を焼くような疲労感に耐えながら、鬱蒼とした森の中を駆け抜けていた。
隣を走る加茂憲紀も、前方を走る狗巻棘も、その表情は一様に険しい。彼らの背後に迫るのは、これまで対峙してきたどの呪霊とも次元が違う、文字通りの特級であった。
花御。
大自然の怒りそのものが受肉したかのような精霊の如き特級呪霊は、彼らがどれだけ距離を離そうとも、音もなく、しかし確実に背後へと迫っていた。地面から無数に生え出る巨大な木の根が、大蛇のように彼らを追尾する。
「このままではジリ貧だ……!」
加茂が走りながら振り返り、身に着けていた輸血パックを空中に放り投げる。
「赤血操術――
両手の平を合わせて極限まで圧縮された血液のレーザーが、音速を超えて花御の頭部へと放たれる。
しかし、花御は首をわずかに傾けただけで、その致命の一撃をあっさりと躱した。タメの大きさ故に事前に回避行動に移れば穿血を避けるのはそう難しいことではない。さらに、地面から隆起した大木が加茂の腹部を容赦なく打ち据える。
「がはッ……!?」
血を吐きながら、加茂の身体が後方へと大きく吹き飛ばされ、木の幹に激突して動かなくなった。
「加茂さん!」
伏黒が叫ぶが、立ち止まることは死を意味する。
狗巻が足を止め、制服の襟を下ろした。口元に刻まれた蛇の目と牙の呪印が露わになる。すでに限界を超えて酷使された喉からは、生臭い血の匂いが漂っていた。
「ぶっ飛べ!!」
空気を震わせる強烈な言霊。
その強制力によって、花御の巨体が後方へと弾き飛ばされ、周囲の木々を薙ぎ倒しながら地面を削った。
だが、代償はあまりにも大きかった。狗巻の喉が限界を迎え、大量の鮮血を吐き出してその場に崩れ落ちる。
「狗巻先輩!!」
伏黒は狗巻を抱きとめ、絶望的な視線を前方へ向けた。
土煙の中から、無傷の花御がゆっくりと立ち上がる。あの程度の呪言では、特級の強靭な肉体を削り切ることなど不可能だったのだ。
伏黒の脳裏に、最悪の選択肢がよぎる。
自らの命と引き換えに、最強の式神である
伏黒が両手を合わせ、その呪詞を紡ごうとした、まさにその瞬間だった。
「――シッ!!」
鋭い呼気と共に、青い残像が伏黒の横を通り抜けた。
木々の間を縫うように、常軌を逸した速度で飛び出してきたのは、スーツ姿の三輪であった。
森の別の場所で真希と別れた後、異常な呪力の衝突を感知した三輪は、自身の底上げされた脚力を全開にしてこの場所へと駆けつけていた。
彼女の目は、眼前に立つ異形の特級呪霊を真っ直ぐに捉えている。恐怖はない。あるのは、状況を打破するための極めて冷静な戦術的思考のみ。
「シン・陰流――抜刀!」
鞘走りの鋭い音が響き渡る。
全身のバネと、桁外れに増幅された呪力を乗せた必殺の一撃。青白い呪力の軌跡が、花御の右腕の関節部目掛けて正確に振り抜かれた。
ガギィィィンッ!!
金属同士が激突したような、甲高い轟音が森に響いた。
三輪の目は驚きに見開かれた。渾身の力を込めた斬撃は、花御の腕の表面にある外殻を浅く削ったのみで、完全に停止していた。
刀身から伝わる反動は凄まじく、並の術師であれば手がしびれて刀を握ったままではいられなくなる衝撃だった。
(なんて硬さ……! ただの木や岩じゃない。極限まで圧縮された呪力の塊……!)
だが、三輪の肉体はその衝撃を、異常なまでの筋繊維の密度と骨格の強度で完全に相殺していた。彼女は衝撃を逃すために後方へと軽やかに跳躍し、伏黒の前に着地して再び正眼に構えた。
「伏黒くん、狗巻さんを連れて下がって! あれは、一年生がどうにかできる相手じゃない!」
三輪の的確な状況判断。しかし、花御が追撃の手を緩めるはずがない。
地面から無数の鋭い木の根が射出され、三輪たちを串刺しにせんと殺到した。
「させねえよ!!」
その時、頭上の枝から猛然と飛び降りてきた影があった。禪院真希である。
刃を露出させた薙刀を振るって殺到する木の根を切り裂く。
「真希さん!」
「ナイスだ、恵!」
真希は空中で伏黒から特級呪具
重い打撃音が響き、花御の巨体が数歩後ずさる。
着地した真希は、手に残る強烈な痺れに顔をしかめた。
(なんだこの硬さは……! 特級呪具で全力で殴ってようやくこれかよ!?)
規格外の硬度。しかし、真希の脳裏には別の驚愕が走っていた。
彼女は、隣で刀を構える三輪を横目で見た。
(……いや、待て。確かにこの化け物は硬え。だが…さっき私がこの三輪って女に薙刀を叩き込んだ時の手応え……あれは、呪具の有無を差し引いても、この特級呪霊と同じくらい硬かったぞ……!?)
真希の背筋に薄ら寒いものが走る。三級呪術師のはずの少女が、特級呪霊に匹敵する、あるいはそれを越えるほどの肉体強度を持っている。そんなことがあり得るのか。
しかし、今はその謎を追究している暇はない。
「よそ見してる暇はないぞ、三輪!」
「分かってます、真希さん!」
三輪、真希、伏黒。三人の即席の連携が始まった。
伏黒が
その隙を突き、真希が游雲による重い連撃で花御の外殻を破壊しにかかる。
そして三輪は、持ち前の反射神経と身体能力を駆使し、花御が放つ無数の木の根や枝の攻撃を、最短距離で斬り落としていく。
三輪の動きに無駄はない。彼女の脳と肉体は完全に連結し、放たれる全ての攻撃の軌道を読み切り、最も効率的な迎撃を行っていた。
(いける……! この三人なら、隙を作れる!)
三輪が確かな手応えを感じた、その時だった。
花御が生やした花から、ひときわ異質な呪力を纏った種子が放たれた。それは直線的な軌道で、伏黒へと向かって飛んでいく。
伏黒はそれを躱そうとしたが、地面から生えた樹木に足を掴まれて回避できず、種子が伏黒の胸元へと突き刺さった。
「ぐぅッ……!」
伏黒の体内の呪力を喰らい、種子が根を張る。激痛に伏黒が膝を突いた。
「恵!」
真希が伏黒の異変に気を取られた一瞬の隙。
花御はそれを見逃さなかった。地面から極太の木の根が爆発的に隆起し、真希の胴体と四肢を強固に捕縛して空中に吊り上げたのだ。
「しまッ……!」
真希が游雲を振るう隙すら与えない完璧な拘束。木の根がギリギリと締め上げ、真希の骨が悲鳴を上げる。
「真希さん!!」
三輪の表情から冷静さが消え、焦燥が走る。
彼女の全身の筋肉が爆発的に膨張し、常識外れの脚力で大地を蹴り砕いた。
真希を捕縛する木の根を両断すべく、三輪は空中に躍り出て刀を振りかぶる。彼女の今の力ならば、特級呪霊の呪力で強化された樹木であろうと容易く断ち切れる。
だが、三輪の刃が届くよりも早く。
上空の巨大な天蓋――木々の枝葉が、内側からのすさまじい衝撃によって粉々に吹き飛ばされた。
「邪魔!!」
野獣のような咆哮と共に、上空から降ってきたのは虎杖悠仁。
そして、その背後には巨体を揺らす東堂葵の姿があった。
虎杖の拳が、真希を捕縛していた巨大な木の根を粉砕し、真希を解放する。空中で体勢を崩した三輪は、見事な身のこなしで無事に着地し、突如現れた増援を驚きと共に見つめた。
「……虎杖くん。それに、東堂先輩」
三輪の呟きに答えるように、東堂が不敵な笑みを浮かべて前に出た。
絶望的だった戦況は、二人の乱入により、新たな局面へと突入しようとしていた。
殺意の高い狗巻くんですが、西宮さんは死んでません。多分。