役立たずの三輪 作:メカ丸ゥゥゥウウウ!
大気が震えていた。
特級呪霊花御の全身から立ち昇る呪力は、先ほどまでの自然を愛する精霊のような穏やかさを完全に投げ捨てていた。自身を殺し得る強者たちとの、純粋な命の削り合い。その本能の解放に呼応するように、花御の強固な外殻はさらに禍々しい光沢を帯びていた。
「……ッ、来る!」
三輪霞は刀の柄を握り直し、腰を深く落とした。限界まで引き上げられた彼女の視覚と嗅覚が、花御の放つプレッシャーをビリビリと感じ取っている。
だが、その圧倒的な重圧を前にしても、彼女の前に立つ巨漢の男は、ただ不敵な笑みを深めるだけだった。
「いいだろう。俺も全霊で応えてやる」
東堂葵が、両手を胸の前で構えた。
「解禁だ」
パンッ。
乾いた拍手の音が、森の静寂を切り裂いた。
次の瞬間、花御の視界が完全に反転した。
先ほどまで眼前にいた東堂の姿が掻き消え、代わりに虎杖悠仁の拳が、すでに花御の顔面の数センチ手前まで迫っていたのである。
「なッ……!?」
凄まじい衝撃と共に、花御の巨体が後方へと吹き飛ばされる。空中で体勢を立て直そうとする花御だったが、再び乾いた音が響く。
パンッ。
今度は、吹き飛ばされている自身の真後ろに東堂が出現した。
東堂の重い蹴りが、無防備な花御の背中を容赦なく打ち据える。
位置の入れ替え。それが東堂葵の生得術式、不義遊戯の正体であった。一定以上の呪力を持つ任意の対象を、拍手をトリガーにして入れ替える。ただそれだけのシンプルな術式。
だが、極限の近接戦闘において、この術式は対象の思考を鈍らせて選択を誤らせる凶悪さを誇る。
(私と呪術師、あるいは呪術師同士……いや、呪力を帯びた物とも位置を入れ替えている!)
花御の高度な知能は、数度の入れ替えで即座に術式のルールを理解した。
しかし、頭で理解できることと、肉体が反応できることは全くの別問題である。右から来ると思った攻撃が左から来る。敵を殴りつけたはずが、呪力の込められた小石を殴らされている。
さらに、東堂の拍手は必ずしも入れ替えを意味しない。拍手をしたのに入れ替わらないというブラフすらも混ざり、花御の思考は泥沼に嵌まり込んでいた。
その混沌の盤上において、三輪霞は極めて冷静に立ち回っていた。
彼女は東堂の拍手のタイミングに合わせ、瞬時に自身の役割を切り替えている。虎杖や東堂が死角に回った際は、正面から花御の注意を引くためのフェイントを掛け、逆に自身が死角に回った際は、鞘に納めた刀による重い打撃で花御の関節や外殻の継ぎ目を的確に狙い打つ。
(東堂先輩の術式……本当に恐ろしい。でも、私までこの高速の入れ替えに完全に乗ろうとすれば、必ずどこかで反応が遅れて隙を晒す)
三輪は自身の現状を冷静に分析していた。
身体の機能が異常なまでに向上し、一級術師に匹敵する肉体強度と出力を持っていたとしても、虎杖と東堂の間にある魂の兄弟とでも呼ぶべき異常な連携の波長に、即席で合わせることは不可能に近い。
だからこそ、彼女は入れ替えられない前提のポジショニングを保ち、二人の攻撃の余波を潰す壁と刃の役割に徹していた。
一方、防戦一方に追い込まれながらも、花御の観察眼は一つの事実に辿り着いていた。
(……少ない)
花御は、東堂の拍手によって三輪が入れ替えられる回数が、虎杖と比べて圧倒的に少ないことに気づいたのである。
花御の予想は的を射ていた。
IQ53万を自称する東堂の脳内CPUは、戦場にいる全メンバーの適性と心理状態を完璧に把握している。虎杖とは阿吽の呼吸でブギウギの高速回転を回せるが、そこに三輪を同じ頻度で組み込めば、彼女の思考にコンマ数秒のラグが生じる。それはこの戦場において致命的な隙となる。
ゆえに東堂は、三輪を必要以上に混乱させないよう、彼女を入れ替えるパターンを限定し、基本的には虎杖との二者間、あるいは呪力を込めた物を交えた入れ替えで盤面を回していたのだ。
(ならば……狙うべきはあの女)
花御の殺意の矛先が、明確に三輪へと向いた。
この戦場において、あの青髪の少女の存在は極めて厄介だ。一撃の重さはあの
入れ替えのパターンから、次の一手で三輪が入れ替わらないタイミングを花御は完璧に予測した。
(この一撃で、あの異常な硬度を誇る肉体ごと粉砕する……!)
花御は右腕に特級としての呪力を一点に圧縮させた。しかしそれは見ようとしなければ気づけない程静かな呪力の流れである。それを、攻撃態勢に入ろうとしていた三輪の正面目掛けて全力で振り下ろした。
回避不能のタイミング。三輪の卓越した動体視力も、その一撃が自分に直撃する未来を鮮明に映し出している。彼女は即座に刀を盾にすべく呪力を込めた。
だが、その瞬間。
東堂葵の口角が、三日月のように吊り上がった。
(引っかかったな、特級)
パンッ!
澄んだ拍手の音が鳴り響く。
花御の渾身の拳が三輪の身体を粉砕する、その直前。
三輪の姿が掻き消え、彼女が立っていた場所には、ただの石ころが転がっていた。
空振り。極限まで圧縮された花御の呪力は虚空を打ち据え、地面をクレーターのように抉り取っただけで、完全に狙いを外した。
「なッ……!?」
自身の完全な読みを外され、致命的なまでの体勢の崩れを晒した花御。その巨大な背中が、完全に無防備な状態でさらけ出されていた。
「遅えよ」
花御の背後。そこに立っていたのは、攻撃が透かされることを先読みして射程に潜り込んでいた虎杖悠仁であった。
彼の拳には、拳を綺麗に包み込むように呪力が収束している。
轟音。
本日二度目となる、黒閃。
空間を捻じ曲げるような黒い稲妻が、花御の背中に深々と突き刺さった。
特級の強固な外殻が内側から爆ぜるような鈍い音が響き、花御の全身が硬直する。脳髄を揺らすほどの激痛と衝撃に、花御は声すら上げることができない。
「まだまだァッ!!」
虎杖の猛攻は止まらない。黒閃を経験した者は一時的に呪力の核心と繋がり、ゾーン状態に突入する。
流れるような身のこなしから放たれた次なる一撃。
三度目の黒閃が、立て続けに花御の横腹を抉り取った。外殻が粉々に砕け散り、紫色の血が宙を舞う。
(このままでは……祓われる……!)
花御の本能が、明確な死の予感を告げていた。
虎杖が、息つく暇もなく四度目の打撃態勢に入る。右拳に再び呪力が収束し、これが決まればいかに特級といえども重傷は免れない。
ダメージによる硬直を、花御は強引な呪力操作で引き剥がした。自らの肉体にダメージが入るのも厭わず、残された左腕に樹木を纏って鋭い槍のように変形させ、虎杖の心臓を目掛けてカウンターの刺突を放つ。
相打ち覚悟の決死の一撃。ゾーンに入っている虎杖は回避の動作を取っていない。このままでは黒閃が決まると同時に、虎杖の胸も貫かれる。
だが、その特級の決死の反撃は、決して虎杖には届かなかった。
「――舐めないでください」
静かな、しかし凄まじい殺意を孕んだ冷気が、花御の左側から放たれた。
先ほど東堂の術式によって石ころと位置を入れ替えられた後、花御の左斜め後方へと移動していた三輪霞。彼女はその立ち位置の優位性を一瞬で理解し、すでに抜刀の姿勢を完了させていた。
シン・陰流、居合。
これまでの防戦や牽制ではない。完全に研ぎ澄まされた、攻撃のための剣閃。異常なまでに底上げされた筋力と、足の裏から爆発的に推進する呪力の波が、三輪の身体を砲弾のように前へと押し出した。
「抜刀!!」
空気を裂く音すら置き去りにする、超神速の斬撃。
青白い光の線が、花御の左肘の関節を正確に捉えていた。
分厚い大樹を両断したかのような重い切断音。
特級呪霊の極めて硬質な外殻と呪力の防御を、三輪の刀が完全に断ち切った。
虎杖を貫くはずだった花御の左腕が、半ばから切断され、宙を舞う。
「ガ、アァァァァッ!?」
腕を失い、完全に体勢と防御を崩した花御。
その開けっ放しになった胸のど真ん中へ、虎杖の右拳が吸い込まれるように撃ち込まれた。
轟音。
本日四度目となる、最大の黒閃。
黒い稲妻が花御の巨体を完全に貫通し、背後の木々を何本も薙ぎ倒しながら吹き飛ばした。
土煙が舞い上がり、森に一瞬の静寂が訪れる。
三輪は残心をとったまま、小さく息を吐き出し、刀の血を振って落としてからゆっくりと鞘に納めた。
(……腕は斬り落とせた。でも、まだ呪力は消えていない。特級の生命力、底が知れない)
彼女は自身の異常な斬れ味に慢心することなく、ただ冷静に事実だけを分析していた。
土煙の奥で、腕を失い、全身を黒く焦がした花御が、ゆっくりと身を起こした。
その双眸には、もはや戦いを楽しむ余裕など微塵も残っていない。
肉弾戦では、この三人の連携を崩すことは不可能。純粋な呪力出力と体術において、自分が敗北しつつあるという冷酷な現実。
確実に自分を殺しに来る、三人の術師。
(……ならば)
呪力で構成される呪霊は呪力操作によって欠損を回復することができる。花御の両手が、ゆっくりと印を結び始めた。
周囲の空気が、これまでとは次元の違う、空間の支配の予兆を帯びて震え出す。
負けを予感した花御が最後に選んだ手。それは、呪術戦の極致。
(――領域展開)
窮鼠猫を嚙む。追い詰められた鼠が猫を嚙むのなら、追い詰められた特級呪霊は何を嚙むのだろうか。
秤の領域は無害な分押し合いに強いとされてるけど、相手の領域を五条先生みたいに塗りつぶせるのか気になるところ。