役立たずの三輪 作:メカ丸ゥゥゥウウウ!
特級呪霊・花御は、黒焦げになった体を起こし、額から紫色の血を滴らせながら、右手と再生した左手でゆっくりと印を結んだ。
(ここまで追い詰められるとは……)
特級としての矜持すら粉々に砕かれるほどの暴力。四度にもわたる黒閃の直撃と、自身の腕を容易く両断した神速の刃。このまま肉弾戦を続ければ、確実に自分は祓われる。
盤面を根底から覆す、呪術の極致たる『領域展開』。
だが、誰を巻き込むか。
花御の優れた知能は、極限状態の中でも冷静に相手を値踏みしていた。
宿儺の器である虎杖悠仁。これを領域に引きずり込むことは、自ら死地に飛び込むに等しい。かつて夏油から、生徒の中に宿儺の地雷となる者がいると聞かされていた。あの異常な連携を見せる
ならば、狙うべきはただ一人。
先ほどから微妙に連携のリズムが異なり、虎杖とはほぼ初対面と思われる青髪の少女。彼女だけを領域に閉じ込め、確実に殺害して盤面をリセットする。
大地が割れ、数十本もの巨大な樹木が爆発的な勢いで隆起する。それは虎杖と東堂を凄まじい質量で押し流し、三輪との間に分厚い壁を作り上げた。
「チッ! 分断か!」
東堂が舌打ちをして拳を振るうが、樹木の壁は異常に厚く、すぐには破壊できない。三輪が孤立していたこと、そして森に満ちる花御の呪力が膨れ上がったことの二点により、東堂は不義遊戯を発動できなかった。
同時に、花御は周囲の植物から生命力を限界まで搾取し、左肩に寄生している
そして、少女と自身を覆い隠すように、強固な樹木のドームを形成する。領域展開は内側からの耐性は高いが、外からの攻撃には脆い。虎杖と東堂による外殻破壊までの時間を稼ぐための、万全の防御壁だ。
ドームの内側、外界から完全に遮断された薄暗闇の中で、花御は印を結んだ両手を高く掲げた。
「領域展開、
瞬間、暗闇が弾け飛んだ。
三輪の視界を覆い尽くしたのは、凄惨な戦場にはおよそ不釣り合いな、あまりにも美しい景色だった。
雲一つない、澄み渡るような青空。
足元には、見渡す限りの色鮮やかな花々が咲き乱れている。柔らかな風が吹き抜け、甘く芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。
それは、大自然の慈愛そのものを具現化したかのような、穏やかで平和な世界であった。
だが、三輪の背筋には氷を当てられたような悪寒が走っていた。
(……これが、特級呪霊の領域……!)
一見すれば天国のような光景だが、ここは紛れもなく、花御の必中必殺の術式が支配する空間である。この美しい花畑のどこから、どのような致命の攻撃が飛んでくるか分からない。
三輪は即座に刀の柄に手をかけ、両足を地面――否、花畑の土にしっかりとつけた。足をつけなくても簡易領域を展開できるが、領域の強度を確保するための縛り。
東堂先輩と虎杖くんなら、必ず外殻を破壊して救出に来てくれる。それまで持ち堪える。
彼女の思考は極めてクリアだった。
「シン・陰流――簡易領域!」
三輪の足元を中心として、半径2.21メートルの簡易領域が展開される。領域内の必中効果を無効化するための、弱者のための防壁。
花御の領域と、三輪の簡易領域が激突する。
だが、その差は歴然だった。
莫大な呪力量と、領域の完成度。特級呪霊のそれは、三輪の構築した小さな防壁を、まるで薄氷を割るかのように容易く軋ませ始めた。
(……重い! 簡易領域が、削られていく……!)
三輪の額から冷や汗が流れる。これまでにないほど自身の呪力出力が底上げされていることを自覚していたが、領域の押し合いという純粋な呪術の格付けにおいては、花御の強大な空間支配に抗うことはできなかった。
ピキッ、という嫌な音が三輪の感覚に響いた。
ものの十数秒。
三輪が必死に維持しようとした簡易領域は、特級の重圧に耐えきれず、完全に霧散して剥がれ落ちた。
「あっ……」
簡易領域が破られた瞬間、三輪の身体を、花御の領域の必中効果が完全に包み込んだ。
無数の斬撃や打撃が襲いかかってくる。そう覚悟し、三輪は全身の筋肉を硬直させ、防御の姿勢をとった。
しかし、彼女を襲ったのは、痛みでも衝撃でもなかった。
――なんて、美しい場所なんだろう。
ふと、三輪の心にそんな感情が湧き上がった。
足元に咲く花々の色彩が、不自然なほどに鮮やかに目に焼き付く。頬を撫でる風が心地よく、張り詰めていた心臓の鼓動がゆっくりと落ち着いていく。
(……違う。これは、ダメ……!)
三輪の理性は、それが領域の効果による精神攻撃であることを正確に理解していた。戦意を強制的に喪失させ、敵対心を削ぎ落とす、優しくも残酷な精神干渉。
だが、頭で理解していても肉体が言うことを聞かない。
刀の柄を握る指先から、ゆっくりと力が抜けていく。戦わなければならないという意志が、温かい泥の中に沈み込んでいくように薄れ、深い安らぎへと変換されていく。
「だめ……動け……私……!」
三輪は奥歯を強く噛み締め、必死に戦意を呼び起こそうとする。しかし、脳が発する命令は筋肉に届かず、彼女は刀をだらりと下げたまま、完全に無防備な姿を晒してしまった。
その三輪の姿を、花御は冷めた眼差しで見下ろしていた。
完全に無力化された獲物。あとは、確実に息の根を止めるだけだ。
花御の左肩にある巨大な供花が、不気味な脈動を始めた。周囲の植物から搾取した莫大な生命力と呪力が一点に圧縮され、眩いほどの閃光を放ち始める。
狙いは、立ち尽くす三輪の心臓。
供花の砲口が、真っ直ぐに彼女へと向けられた。
(あぁ……死ぬんだ、私)
迫り来る圧倒的な呪力の奔流を前に、三輪の意識は奇妙なほど透き通っていた。
回避することはできない。戦意を奪われたこの身体では、一歩も動くことができない。
仮に動けたとしても、ここは領域内。放たれた攻撃は、必中の理によって確実に彼女を穿つ。
ここ最近の自身の異常な肉体強度をもってしても、これだけの呪力を込めたこの砲撃を無防備に受ければ、文字通り塵も残らないだろう。
明確な、絶対的な死の予感。
真衣や、京都校の仲間たちの顔が脳裏をよぎる。
花御の供花から、大気を焦がす閃光と共に、極太の呪力砲が放たれた。
それは青空を切り裂き、一切の慈悲もなく三輪へと迫る。
その、死が直撃するまで一秒前という刹那。
三輪霞という少女の意識の最深部で。
いや、彼女の肉体という器の底の底で、重く固く閉ざされていた扉が、生命の決定的な危機に呼応して、音を立てて開き始めた。
これまで、ほんの僅かに漏れ出すことで彼女の筋力や呪力を底上げしていただけの、得体の知れない力。
それが今、器の破壊を防ぐため、主の意識を置き去りにして、自律的に、そして強制的に起動の準備を始めた。
三輪の肉体の内部で、神経が、血管が、細胞の一つ一つが、これまでとは全く異なる法則に従ってうねりを上げ始める。
それは単なる身体能力の強化ではない。
人体の構造そのものを根本から覆す、新たな人類の可能性であった。
話の引きを意識すると文字数が減るジレンマ。次回姉妹校交流会編完結。