無機質なコンクリートの壁が視界の先に広がる。目の前のスペースには十畳程の空間が牢獄として取られている。彼女はこの狭くはない程々の広さの部屋で今隔離状態にあった。
遠くからかつんかつんと足音が聞こえてくる。部屋へと通じる廊下の奥を誰かが歩いてくる時のものだ。
耳でその気配を察した受刑者は、びくりと肩を震わせた。
近付く来訪者は望ましい存在では決してない。こちらの身に危険をもたらす災厄であり、忌避する対象だと彼女はわかっていた。
「いーんちゃん、今日の体調はどんなフレーバーかな~?」
表れた影は飄々とした声で語りかけてきた。軽薄な声音で試すような台詞が飛んでくる。
解錠する音と共に檻の扉を軋ませて開けると、その者はするりと身体を牢の中へ忍ばせた。上背は長身で群青のタキシードを着込み、頭にはこれまた蒼のシルクハットを被っている。
帽子のサイズは頭部をすっぽり覆う程ではなく、頭の一部に乗るミニスケールデザイン。ハットから靡く銀髪は長髪で艶やかにたなびいている。
年齢は不詳だがおそらく20代半ばといったところだろうか。彼の名はヘメニス。彼女を拐った者達の一人で拷問官でもある。
男は眼前の少女を前にして少し身を屈めてみせる。
身長差があるためそのままだとかなり上から見下ろす形になるからだ。
この行動は安心を与える故か、それともこれから始まる催しを前に彼女がどんな顔をしているかよく認めるためか。
男の性格を考えれば十中八九後者だろう。
嗜めるような目で見つめる相手に少女は言った。
「き、気分はよくない……よ。ていうか、いいわけない。これからまた酷い事をするつもりなんでしょ…?」
「うんうん。不安と緊張が昂って心がさめざめと泣くのを辛うじて耐えている顔だ。そんな顔をされたら是非とも崩壊させてみたくなるよね」
男は少女の根詰めた表情に、同情する事は当然なかった。
何故ならば彼の役職は上級拷問官である。対象をあらゆる手で追い詰めるのが彼の得意分野だ。
相手がどれだけ苦しもうが彼は慣れっこ。むしろその有り様にたまらない優越感を感じる。
「……………」
いつもの如く狡猾な様子を隠さないヘメニスに少女は一筋の冷や汗を垂らした。
この後に行われるのは彼が用意したある催しである。
役職名だけを見れば彼女の暮らす魔界での執行者のそれだ。だがここでのそれは決して同じではない、似て非なるものだった。
「じゃあ準備はいいかな、陰ちゃん?」
「い、いいわけないでしょ……!誰があなた達に従……」
少女が男に反意を示す。いや示そうとした。
しかしその言葉が言い終わる事はなかった。
その前に彼女の身体が吹っ飛ばされていたからだ。
ドオン!!!
けたたましい音が鳴り、牢獄が揺れる。
壁に少女の身体が打ち付けられ、衝撃が響いたのだ。
男に腹を蹴り飛ばされた彼女はそのまま飛ばされて打撃を受けてしまった。強烈な痛みに思わず口から生唾が吐き出される。
「ご、ごほァ゛、、!?」
いきなりどでっ腹をえぐられ、雷が走ったように負荷がかかった。固いレンガの壁に叩きつけられた事で全身にも衝撃が走る。
彼女の反抗は拷問官からすれば粛清対象だ。容赦なく制裁が加えられた形である。
「まだわかってないんだねえ。従わない子はイジメて進ぜようだよ?」
「は、はぁ…!はぁ……!」
生じた痛みに呼吸が滅茶苦茶になる。男の蹴りの力は強く、一撃だけでもかなりの威力だった。
華奢な彼女の身体では負荷も相応にかかってしまう。這いつくばった体勢で彼女はヘメニスを見上げた。
「ご、ごめんなさい……!や、やります。だから痛い事しないで、、」
「くく、最初からそうしてればいいのだ。オイタが過ぎると寿命を縮めるよ~?」
平伏する少女に軽口を叩くように笑みをたたえるヘメニス。
笑ってはいるが気が置けないオーラを纏っている。気に入らない態度を取ればすぐに痛みが与えられる怖さがあった。
一方うずくまる少女は頭を振って何とか起き上がる。不安を隠せない顔をしているが、この後の催しから逃げる事は許されない。
彼女の名は陰鬼。
魔界では中級拷問官という役職であり、もう一人の相方と共に2人で1組の拷問官として働いていた。
丈の長い黒い衣服に身を包んだ格好を彼女はしており、あまり肌を晒さない。紫の髪色に落ち着いた顔立ち、頭からは1本の角が伸び、魔族である事を表している。
本来なら彼女は今頃魔界でいつも通り"普通の拷問"にいそしんでいたはずだった。しかし今こうして彼女はここにいる。
「では気を取り直して始めようか」
ヘメニスが雰囲気を変えて呟いた。
あっけらかんと言って彼は右手をくるくると回してみせる。
そして胸に手を当てると、右足を後ろに引いて膝を落とし、左手を横に広げて会釈した。
ボウアンドスクレイプを披露したヘメニスはいつものように開始を宣告する。
「陰鬼ちゃん、拷問の時間です」
ーーーーーー
牢獄の中はほのかに灯りが点いているが、視界がいいとは言えない。
十畳ある室内の奥の方はランプが消されており、薄暗くなっていた。
ヘメニスはそちらの方に歩いていくと、部屋の隅で立ち止まる。そして備え付けられていたランプに火を灯した。周囲が明るくなると、そこに一台のチェアが浮かび上がる。
「こ、この椅子は何……?」
物の存在に気付いた陰鬼が不審気に尋ねた。彼女はここ数日この牢獄にずっといたが、いつの間にこんな椅子が置かれていたのか気付かなかった。姿を表したのは業務用の椅子で、医療機関などで使われているような製品だ。
「昨日君が寝てる間に設置させてもらったのさ。重いし今運び込むのは面倒だから」
ヘメニスは説明しながら椅子の周りに何かをセットしていく。
よく見るとそこにあるのは椅子だけではなく、上側から照らすライトやバキュームのような器具類が傍らに置かれていた。
「これで何をしようっていうの……?」
意図がわからず彼女は訝しむ。ヘメニスはそんな彼女を含み顔で見つめると、笑顔を作った。
「まあとりあえずここに座ってみてくれ」
「…………」
今からこの椅子で何かをされる事になる。彼女は嫌だったが、断る選択肢は初めから用意されていない。
拒否すれば先程のような"痛み"が与えられるからだ。
無言で彼女は仕方なく勧められた席上に座る。
「うんうん、いい子いい子。大人しくしてたら悪いようにはしないよ?」
「……どうだか」
満足そうに微笑むヘメニスは彼女が座ったのを確認すると脇の器具類に手をつけた。
陰鬼はその様子を不安気に見つめる。
「今回の拷問は特別サービスしてあげよう」
「え?」
不意に彼がそんな事を言う。
小首を傾げて陰鬼は尋ねた。
「サービスって?」
「10分耐えれたらこの囚われの身から君を解放してやる」
突然の解放条件の提示。
思わぬ言葉に彼女は聞き返す。
「え?10分耐えるだけでいいの…?耐えたらここから解放してもらえるの?」
「そうさ。それが出来たらね」
笑みを浮かべながらヘメニスが言う。陰鬼は本当なのか不審に思うが、もし嘘がないならこれはまたとないチャンスだ。
早くこんな怖い場所から元の優しい世界の魔王城に帰りたい。
そう思っていると、ガチャリと音がした。
「え…?」
彼女が気がつくと、いつの間にか手首の周りに手枷がついている。
椅子のアームバーから手枷が表出して手首周りを覆っているのだ。
そして手首だけではなく、足首も同様に椅子から足枷が出てきて覆われていた。
「な、なにこれ……!」
「拘束具」
短く言ってヘメニスが冷たい顔になる。
今から始まるのが何なのか、改めて陰鬼は実感させられる。
「ッ………」
「じゃあそろそろ始めさせてもらうよ~?」
手に器具を持ち、彼はマスクをした状態で振り返った。
彼の手に収まっているのは何かのドライバーのようだ。
これで果たして何をするのだろうか。
「んじゃ、口あけて」
「え……?」
いきなり口をあけるように指示される。
彼女は困惑して戸惑った。
だが遅延は許されない。
「早く、口をあけて。大きくね」
「……!そ、そんな」
ようやく陰鬼は察した。
これから何をされるのかを。
どうやらさながら歯医者のように治療されるらしい。
「ま、まさか削るの……?」
「言う必要あるかい?」
「ま、麻酔はしてくれるんだよね……?」
「……………」
無言でヘメニスは答えない。
陰鬼の顔に冷や汗が垂れる。
そんな事をされたらとても耐えられる自信がない。
「や、やっぱりやめ……」
「オイ、早くあけろ」
ぴしゃりと彼は言う。
口調の変化に彼女の肩が思わず跳ねた。
反射的に彼女は口をあけてしまう。
「よーしよし、それでいい」
笑顔を作ってヘメニスが何かを陰鬼の口に挿し込む。
先程のドライバーではなく、別の物をだ。
つっかえ棒のような物を入れられ、彼女は口を閉じられなくされる。
「なぁ゛……!」
「ふふ、これでもうお口チャックは出来ないね」
狡猾な笑みを漏らしてヘメニスは器具類に手をつける。
これで彼女は抵抗する術を完全に失ったのだ。
大きく口をあけた状態で固定された事でヘメニスは自由に好きに咥内を"治療"出来る。
さらに手足を拘束されているので逃げる事も不可能だった。
拷問不可避の状況に絶望の色が彼女を支配する。
(で、でも頑張って10分耐えれば……!何とか、なる)
恐ろしい治療に怯えつつも彼女は僅かな希望を抱く。
短時間我慢すればこの拷問生活も終わりを迎えるのだ。
何とか耐えるしかないーー。そう彼女は意を決する。
「じゃあ始めるよ~?」
ヘメニスが早速ドリルを持って歯に近付けていく。
ギュルルルル、と高速回転する音が聞こえ出した。
ギュルルルル
ドライバーのような金具の刃先が耳障りな音を立てて稼働を始める。
それは確かな不安感を与えて近付いていく。
歯の間際に刃先が迫り、彼女は目を瞑った。
キュル
「ぁ………あ、あア゛ああ゛あアあ!!!!」
少女の口から絶叫がこだました。
刃先が僅かに歯に接したその瞬間。
少しドリルに削られただけで、彼女は大声を上げていた。
痛み、というには軽すぎる表現だ。
レベルの違う痛覚が陰鬼の歯には訪れていた。
当然だが歯には神経が通っている。
普通なら麻酔をした上で削るので痛みはほとんど感じない。だが今はそれ無しで切削が行われている。
恐ろしい痛みが陰鬼を襲っていく。
「ア゛、ああァあ゛ア!!!」
喉をつんざくような声が弾ける。
思わず口を閉じようとするが、つっかえ棒が入れられているため大口を固定したまま動かせない。
絶叫を轟かせて彼女は目を見開いた。
耐えられる痛みの範疇を優に越えている感覚。
普段声量が穏やかな彼女が甚だしい叫びを上げる。
「くく、いい悲鳴だね~」
あまりの痛みに狂ったように叫喚する陰鬼にヘメニスは性癖を昂らせた。
当て付けた回転刃を彼はさらに歯に沿わせていく。
削られた歯のより内側に刃が進出する。
「あ゛、ァあア゛あーー!!!、」
凄まじい痛みが雷に打たれたように少女の全身に走る。
ダメージを受けた歯は当然痛いのだが、歯の神経に伝わった衝撃が一瞬で全身にまで伝播したのだ。
彼女は耐える気持ちなど即座に霧散し、何とか痛みから逃れようと身体を椅子からどかそうとした。
しかし手足を枷に拘束され、身動きを取る事が叶わない。逃れたくても出来ないのだ。
「や゛、ヤめて゛やめてやめて゛ぇえエエえ!!!!」
狂った声で彼女はヘメニスに制止を懇願した。
痛みが苛烈すぎてもうまともな精神状態ではなくなっている。
だが彼は必死の絶叫を受けて尚あっけらかんとして見ていた。
拷問で対象者が泣き叫ぶのは見慣れた当たり前の光景だからだ。
「はあ~まだ1分と経ってないよ……?もうちょっと楽しませろ」
呆れ混じりに吐き捨てるヘメニスはドリルの手を止めない。
ギュルルルとおぞましい稼働音が響く中、尚も切削は続く。
「い゛、いだい痛い痛イイイ゛!!!!」
鋭い破滅の痛みがさざ波のように彼女に訪れる。
制止を頼んでもやめてもらえないばかりか、より深くえぐって削られていく。
枷で動けない限界まで彼女は手首足首を枷の端にめり込ませていた。それは痛みに狂う身体が何とか対処しようとした故の動き。
だがそれで耐えれるのには限界があった。
「ぁ゛…!!ァぁあア゛!!、く、屈っし゛ますゥゥ……!!!」
とうとう陰鬼の口からギブアップの声が発せられた。
これ以上は気が狂うレベルの領域。
続行すればまず精神が耐えられない。やむなく彼女はリタイアを申告してしまった。
「やれやれ、もうお仕舞いとは。折角の短時間でクリア出来るサービス拷問だったのにな~」
肩をすくめてヘメニスがおどける。
彼女の屈する宣言であえなくこの拷問は終わりである。
彼としてはもっと続けて壊れていく陰鬼を鑑賞していたかった所だ。
継続時間は1分03秒。基準値の10分には遠く及ばず、辛うじて1分を越えるのが精一杯であった。
「き、、はあ……!!はあぁ……!!!」
どうにか切削の連鎖が止み、陰鬼が息を大きく切らす。
恐ろしい痛みがようやく軽減されたのだ。しかし、削られた状態には変わりなく麻酔は効いていない。
歯が負った損傷は鋭い痛みとなって継続している。
「い、い痛ぅ゛、、!!!」
切削が終わっても後から深い痛みが時間差で襲ってくる。
その痛さも決して緩くはなく、苛烈だった。涙を垂らしながら陰鬼は声を絞り出す。
「ご、ごめんなざィ……!ゆるじてくださぃ……!!」
「はぁ……根性のない女だなァ」
ため息をついてヘメニスが冷めた目を向ける。
彼は治癒魔法が使えるため、頼み込めば損傷した怪我も治してもらえるのだ。
だが彼は当然ただでは修復してやらない。
「治してほしいならわかっているな?秘密を話してもらおうか」
「は、はぃィ゛……!!」
拷問に屈した者はその証として自国が不利になる秘密を敵に話さなければならない。
陰鬼は中級拷問官の矜持として本来そんな情けない事はしないつもりだった。
だがここへ連れてこられてから今日まで、残念ながらそれを回避出来た日はない。
「魔界の魔王城の地下3階、、、そこ゛に、国王軍第三騎士団長の姫アイシェル・姫華・ラトルヴィアが囚われていま゛す、、、」
「ほう」
陰鬼は喋ってしまった。
囚われの姫様の事を。
彼らは当初、その彼女を拐いに来たのだ。
しかし場所を正しく把握していなかったのと手違いで間違って拷問官の陰鬼を拐っていったのである。
そのために今こうして彼女はここで拷問を受ける羽目になっている。
「俺達が本当に拐いたかったのはその姫なんだよねえ。それは有益な情報だ」
「な、な゛ら許して、治して゛くれる……?」
「うん~でもなぁ?そんな情報もっと早く言えよお前」
「え゛、、、」
「ここへ連れてきてからもう何日経ってると思ってんだぁ?ああ゛!!!??」
大声で怒鳴られ、陰鬼が飛び上がる。
有益な情報を話したはずなのに厳しく怒られて彼女は硬直してしまった。
「はぁ……使えねえ奴だ。罰としてしばらくそのままでいとけ」
吐き捨てるように言って、ヘメニスは踵を返した。
そのまま牢獄の扉まで戻っていく。
「ご、ごめんなざぃ……!許して治じてぇ、、、!」
涙を浮かべて懇願する陰鬼。
このまま放置されれば痛みでどうにかなってしまう。
だが無情にもヘメニスはそのまま扉の奥へと消えていってしまった。