零戦を失った明だが、そこに敵艦隊発見の報が入る。愛機を失い、手も足も出ない状態でアリスとルーの出撃を見守っていた所に真紅の機体が奇襲をかける。それはかつて明が震電で仕留めたシュヴァルベのパイロットの生き残りだった。復讐に来た彼女『ペーネロペー』との決着をつけるためにルーと共に流星改を盗んで飛び上がる。
ルーと敵機を捌き、味方の助けを借りた明は敵艦隊へ一撃をお見舞いした。満身創痍の2人にペーネロペーは一騎打ちを挑む、かろうじて一騎打ちには勝利したが、代償としてルーは意識不明の重体となる…
第九章 上陸
「また落とされた…」
大海原の中心、海面に浮かぶBf109の翼の上に立ち尽くす。救援に駆けつけた水上機が着水タイミングを見計らうために上空旋回しているのだが、それすらも彼女を嘲笑しているように見える。
「…私の名前はペーネロペー、いつも貴様を狙っているぞ!」
なんの気無しに流星改が去って行った方角へ声を張り上げた。
艦内は陰鬱な空気で満たされている。勝利の祝杯も、華々しい戦果の自慢も何一つない、あるのはひたすら荒み切った人々の心と大量の怪我人だけだった。高飛 明や戦友であるルー ・M・ポータルも例外ではない。
「頬と脇腹の傷自体は命に関わるものじゃない、でも跡は残ってしまうかな…それで昏睡している件については…」
軍医は深刻そうに深く深呼吸し、続きを口にした。
「正直言って、精密な検査をしないと分からない。今ここで希望的観測を並べて適当な事を言って君を安心させるなんて無責任な事は出来ない」
軍医は彼女と明の様子を交互に確認しながら誠実に答える。
「…そうですか」
確かに今ここで中途半端に希望を与えるような適当な文言を並べられても明は何一つ納得しないだろう。魂を抜き取られた用に動かないルーは、もうかれこれ1日と15時間も眠り続けていた。病床に静かに横たわる彼女を見る明の瞳も何かが抜けているように感じられた。
「6時間後に怪我人を内地に輸送するためのヘリが来る、彼女はそれに乗せてドイツ国内の大きい基地に運び込む、そこで精密な検査を受けてもらう…」
軍医は続けた。
「君は空母を降りて彼女へ付き添う権利がある…いやこの際だからはっきりと言おう。降りるべきだ、君は彼女の傍を離れては行けない」
力強く明確に軍医は言葉を出し切る、この医者は間違った事は何一つ言っていない。全くもってその通りだ、だが彼女を見ていると考えてしまう。誰のせいでこうなったんだと、その度に自分の頭を殴りつけたい衝動に駆られる。
しかしそんな怒りを必死に抑えて言葉をひねり出す。
「わかりました、ヘリに同乗します。彼女がこうなったのも俺のせい、でもこの罪に向き合わなければ多分一生自分を許せなくなる。彼女が何年目覚めなくても一生傍に居続けます」
その言葉を聞いた軍医が安堵して微笑む。固く厳しかった表情が一気に柔らかになる。
「…賢明な判断だ、6時間後までに自分と彼女の荷物をまとめておくんだ、戦友が居るのならば別れの言葉も忘れるんじゃないぞ」
「はい!」
明は一礼して医務室を去った。医務室前の廊下まで負傷者が溢れている、そんな彼らを交わしつつ艦内の自室へと向かっていた。
よく考えると里緒にも顔を合わせられていない。というか医務室には姿が見えなかった、だが動ける状態でもないだろう。
ぼんやりとそんな事を考えている途中、見覚えのある背中を発見する。戦闘終了後も艦内がごった返しておりお礼を言う暇すらなかった。
「吾妻!」
「隊長…生きてたんですか!てっきり死んだかと…」
彼は敵艦隊の直前、流星改に追い縋る敵機を追い払ってくれた。そのおかげであの攻撃は成功したとも言える。吾妻はちりじりになって把握出来ていなかった味方の動きを事細かに説明してくれた。
「敵機を追い返しても追い返してもキリがない、流星改もじわじわ数が減りますし、護衛機だって損害はバカになりませんでしたよ。撤退命令が出たのは流星改が全滅した直後でした」
明が艦内のシップストアで購入したペットボトル飲料を手渡した、吾妻はそれを受け取ると一気に半分ほど飲み干す。
「問題だったのはその後、単独で撤退してたんですけど、途中でアリスさんに出会ったんです。機体は穴だらけで本人に怪我はなかったんですけどもうヘトヘトで…もう飛んでるだけでやっとみたいな…」
最終的に吾妻はそんなアリスを空母へエスコートし帰還、しかし味方の大多数は帰らず、流星改全滅の報を聞いて明が死んだと思っていたらしい。
「自分が話せることはこれが全てです、良かったらこの後アリスさんの所にも顔を出してあげてください」
「あぁ、時間があまりないからな、すぐにでも行ってくるよ…」
「時間?」
うっかり口を滑らせて吾妻を困惑させる、仕方が無いので全て説明した。
「なるほど…あんな凄腕の人ですら…」
「あぁ」
力無く答える。
「でもこんな戦いで2人とも生きてるっていうのは不幸中の幸いですよ」
吾妻は続ける。
「隊長もルーさんの事を思って生き続ける。ルーさんだって眠っていても何処か深い意識の奥で隊長の事を思い続けて、それがどんなに小さくてもいつか結果になって…あなたの事を救ってくれると思います」
「そうかもしれないな…気付かされたよ。自分の事ばっかり考えてた。ありがとう」
「いえ、少しでも力になれたなら光栄です」
「また生きてどこかで会おう、皆にもよろしく言っておいてくれ…そういえば」
背を向けて2歩程歩いたところで振り返る。
「里緒を見なかったか?とは言っても重症で医務室から出れる状況じゃないが…」
「里緒さん…?あ〜!彼女ならオスプレイで先に内地へ運ばれました」
「そうか…」
オスプレイを使って搬送されるということは、迅速な搬送、つまり一刻を争うような容態な可能性がある。
「わかった、確認を取ってみるよありがとう」
また前を向いて歩き出す。今度はアリスがいるであろう彼女の自室へ向かった。
「居ないのか…」
ドアを数回ノックしたが何かが出てくる気配はなかった。一旦諦めて自室へ戻ろうとした時、ドアがゆっくりと開きアリスが顔を出した。
「人様が寝てるとこ起こしといて直ぐに去るとか嫌がらせか何か?」
彼女も例外ではなく顔に疲労が浮き出ている、いつもの元気も感じられない。
「顔色が悪いな、今まで見た事ないくらい疲れた顔してるぞ」
「悪かったわねすっぴんで!」
「違うそうじゃない…」
アリスの部屋はこざっぱりしており普段の彼女からもっと荒れた部屋を想像していた。
「…味方の流星改は全滅、あんたらは敵のエースに連れてかれるし、私だってえらい目にあったんだけど…」
「吾妻と一緒に母艦に帰ってきたのは聞いた、でも何があった」
アリスはベットにうつ伏せでぱたりと倒れ込み、嫌そうに口を開いた。
「3機のメッサーに囲まれてあんたらと真逆の方向に連れてかれて…なんかこのままだとヤバそうだな〜って思ったから、不意打ちで1機落としてあとはなんかもう…」
生きるのに必死だったから詳しい事は覚えてないということらしい。
「それで…あんた達の後に味方は続かなかったし…敵艦隊には逃げられるし、味方の損害は馬鹿にならない…なんか必死こいて命かけたのがバカみたいだわ…」
アリスが半笑いで呆れたように言った。
「でも、生きてるからまだいいのかな…味方の半数は未帰還、私を襲った黒い奴らと同じのが他にも何機か居たらしくて、残党狩りをしてたらしいの」
「あいつらを束ねてたのはあの赤い隊長機だ、どうも奴は俺に恨みつらみがあるらしい」
この話を始めた途端アリスは身体を起こすが、疲れのせいか動きが緩慢で安定感も欠けている。
「へぇ…じゃあ何、あんたへの恨みつらみで私はこんな目に合ったと」
アリスの声色がきつくなるが、怒りのような感情ではなかった。
「その可能性がある、次同じ事があればアリスとて死ぬかもしれない。だから…」
「あんたが次何言うかだいたい察した、離れて内地かどっか行くってんでしょ」
アリスが突如として言葉を遮る、挙句内容は図星だ。
「当たりだよ、最も重篤状態のルーの面倒見るってのもあるけどさ…」
実際のところ本命はそっちだ。
「え、あいつそんなにやばいの?」
重篤という言葉に反応したのかアリスが驚きを見せる。
「イマイチ分からないんだそれが、気を失ってるんだけど脳の検査も出来ないから詳しい事は分からない。もしかすると…もう手遅れ…」
旧友の前なのもあって今まで考えないようにしていた弱気な部分が零れ落ちる、だがアリスはそれを見落とさなかった。
「何弱気になってんのよ、情けない。そうやって生きてのびのび私と談笑出来てるだけマシだっての!誰がそんな相方が弱気になってるとこ見たいと思ってんだよ!」
珍しくアリスが怒っている、何も返す言葉がない…はい、全てその通りでございます。
「はぁ、声出したら疲れた…」
ガス欠になったようにすんと怒りが鎮まる。
「いや、なんかごめん…多分俺欲張りで贅沢なんだよ…」
「ほんとそう…2人とも五体満足なだけ十分よ、疲れたからまた寝るわ!」
吐き捨てるように言い切ると気絶したようにまたベットへ倒れ込む、それを見た明はそっと部屋を離れようと立ち上がりドアへ手をかける。
「もし…辛くなったら何時でも連絡していいから…」
仰向けで、瞳を閉じたままアリスは呟いた。
「ありがとう、また生きて何処かで会おう…絶対にな」
そんな在り来たり残して部屋を去った。
この後は荷物をさっさとまとめる、甲板で2人分にしては異様に軽い荷物を抱えてヘリを待った。別に戦争に行く訳では無いので戦闘服ではなく制服を着ている、とは言っても海軍からの借り物だ。
やがてダックスフントのような長い胴体を持つ機体が現れて甲板へ降り立つ、CH-47だった。ストレッチャーに寝かされたルーやその他の負傷者が先に運び込まれ、明もストレッチャーの傍に座る形で同乗する。
「すまない…」
戦い続ける事を選んだ、いや戦い続けなければいけない仲間への負い目を感じつつもそんなものはお構い無しにヘリは離陸する。
やがて発艦したヘリは南下、ドイツを目指す。空母を発艦してすぐ、護衛の戦闘機が上空を飛び始めた。ジグザグに飛行して低速のヘリに速度を合わせている。
約1時間半程度の飛行を経てヘリはヨーロッパでも有数の海軍基地ヴィルヘルムスハーフェンへと辿り着いた。ここへ来るまでの機内、同情している負傷者から冷たい視線を向けられるのではと心配したのだがそんな事はなかった。何故なら皆重傷者であり、他人へ感情を向けている余裕などないのである。弱りきった自身の命を維持するので精一杯だったからだ。しかしその事実は冷ややかな視線以上に明の背中に爪を立てた。
2人は海軍病院へと向かい、ルーはそこで精密な検査を受けた。4時間程で全ての検査が終わり結果はルー自身の代わりに明が聞くことになった。
「やはり頭部を弾丸が掠めたのが原因で間違いないでしょう…」
やたらと白衣の似合っている初老の医師は淡々と言葉を紡ぐ。
「同じような事例で脳震盪などを引き起こした例は数多くありますが…このレベルの昏睡は私も初めてで…」
「回復の見込みはありますか?」
その質問に医師は回答の言葉をよく選んだ末に答えた。
「五分五分といったところでしょう、絶対とは言い切れません、長期的なケアや刺激を続ければいつかは…ですがそれが1ヶ月後なのか1年後なのか5年後になるのか…」
「なるほど」
医者が確率の話をした時は基本的に状況は良い方向へ向かう可能性が高いと言われているが、こんなにこんなに保険をかけるような文言を並べられたら不安など晴れるはずもない。
「とりあえず、お2人ともこの基地にて待機するように言われていますが、暫くすればまた移動の命令が出るでしょう」
「わかりました、彼女を頼みます」
医者の話によるとここはヨーロッパにおける一大反攻拠点の1つだそうで、他からの病人を受け入れる余力は対して残っていないらしい。つまり戦力外の人間を養う余力はないということだ。
この戦火で溢れた世界の何処に彼女の目覚めをのんびりと待つことが出来る土地があるのか、そんな事は誰も分からない。
「…何とかしてみせるさ、これからも」
病院を出て一人、あてがわれたホテルへと向かう。軍の敷地内ということで質素なものを想像していたが、装飾や美しく整えられたベット、洗練された水周りは民間の高級ホテルに匹敵する質感だ。
「二人で…泊まりたかったな」
部屋の入口に立ち尽くし呟いた。堅苦しい軍の正装を脱ぎ捨て、ネクタイを緩めてベットに座り込む。そして緩慢な動作でテレビの電源を入れる。
画面に映ったのはドイツの国営放送、ニュースキャスターが深刻そうな表情でニュースを読み上げている。
『中央シベリア地域から南下を続けていた敵部隊は本日未明にヒマラヤ山脈を超え、インド方面へ進撃、これを受けてインド陸軍と中国人民解放軍は戦線の後退を発表、インド政府は国防参謀長を通して声明を発表しました…』
画面が切り替わると、彫りの深い褐色の肌をした男が多数のマイクの前に立っている。
『これは我々の祖国にとって屈辱的な結果であり、中国との連携を密にし反攻作戦のための戦力を迅速に展開…』
チャンネルを変えてみるが今度は専門家がユーラシア大陸における人類と敵の戦力比、勢力図を詳細に解説している。
『ユーラシア大陸中央部から展開を開始した敵軍は、今となっては長期的な侵攻によりユーラシア大陸の3分の1を占拠しています…こうなってはインド沿岸のシーレーンは機能を失い、ヨーロッパと東アジアの経済的な寸断は加速するでしょう…日本や中国への渡航手段は殆ど無いに等しく、戦争の魔の手はヨーロッパにも着実に忍び寄っています…』
不景気など心配している場合ではないだろう。明日の朝、コーヒーを嗜みながら株価を確認していたら自宅に爆弾が降ってくるかもしれない。それほど戦争は身近に迫っている、だがそれを分かろうとしない人間は多すぎた。
「馬鹿みたいだって思うけどさ…人のこと言えないな」
今の自分に戦う力がない事を思い出し、重く深く気を落とした。空母を離れて半日近く経っているが、まだ床面が僅かに揺れているように感じる。
「何か…なんでもいいから口に入れるか」
どれだけ辛くても飯は食えという親父の言葉を思い出し、ベットにめり込んだ重い腰を上げ、部屋のカードキーと財布という最小限の荷物で部屋を出る。
フルビュッフェ形式、並べられたイタリアンからパンやピッツァ、パスタ等を皿に盛る。見たことも名前も聞いた事のないようなメニューも目に入ったが冒険する気なんて微塵もない、結果的に皿の上には面白みの無いメニューで埋め尽くされた。
「いただきます」
ナチュラルに自身の口から出たその言葉にふと考えさせられた。ルー達と出会ってから日本語を使うのが基本になっていたのだが、さっきから独り言も全て日本語だ。里緒や明日子の存在、ルーとも日本語の会話が基本だった。そしてアリスも当たり前のように日本語に順応していた。目の前に居ない彼女らをの顔がチラつくが、食欲は留まるところを知らない。
嫌という程腹を満たした後部屋へ戻りシャワーを浴びて再びベットへ横になった。だがその瞬間ありとあらゆる感情が一斉に吹き出した。
「何やってんだ俺…」
呑気に腹を満たして暖かいシャワーを浴びている自身に対して腹が立つ、毛羽立った感情を整えつつゆっくり夜の微睡みに落ちて行く。
翌朝、背広に着替えてルーの見舞いへ向かう。
ナースステーションから病室を聞き出し、足早に部屋へと向かった。
病室は目の前だと言うところで2つの人影が目に入った、目的のルーの部屋の前で何か話している。
1人はビシッとしたスーツ姿の老人、もう1人は軍服を着ているが階級はよく分からない。少し声を張れば届きそうだという所で向こうはこちらに気付き、づけづけとこちらへ向かってきた。
「高飛 明だな」
先に口を開いたのは軍人だった、明と同じ黒髪を短髪に刈り上げ、引き締まった長身だが全体的に筋肉質で軍人らしい体つきをしている。
「はい、高飛 明 特務中尉です」
姿勢を正しとりあえず確認の意を込めて自身の名を名乗る。
「君に新しい任務が与えられたからそれを伝えに来た。明朝にハンブルク空港へ、詳しい事は現地で話す」
こうなるのは頭の隅で予想していたがルーの事を考えると気乗りしない。
「わかりました、彼女はここで待機ですか?」
病室のドアを指差して確認を取った、すると後ろに控えていた老人が軍人の脇から前に出る。
「それに関しては私から話そう、アニマ・メディカルグループのA・J・セントクレアだ」
脱帽して頭を下げた老人に合わせて明も頭を下げる。
「彼女の事は心配しなくていい、ハンブルクまで一緒だ、というか君に彼女と離れる事を強要することはないから安心してくれ」
それを聞いてほっと安堵する。
「彼女はハンブルクでうちの技術を使ってもう一度精密な検査を行う、その間に君は任務の説明を受けるということだ」
アニマ・メディカル・グループというのは聞いた事があった。傷痍軍人に対する治療やアフターケア、義手や義足の製造開発、他にも多岐にわたる事業を主に軍を相手に行っている民間の医療機関だ。
「それは安心です…ちなみに任務というのは?」
それを聞いた途端、2人は顔を突き合わせてギリギリこちらにも聞こえる声で短く会話を交わす。
「もう話してもいいんじゃないか?」
「そうですね、後回しにして不信感を抱かせてもどうしようもありません、私から話しましょう」
「じゃあそれで頼む」
軍人の方が答えた。
「君の任務は新たなパイロットの育成、厳密に言うとCクラスパイロットの教育だ。前線で戦う適性の無い者達を戦えるように仕上げる。後方勤務だ、文句はなかろう」
「はい、任務に関して申し立てはありませんが…自分なんかでいいのでありますか?」
「人手が足りとらんのだ。貴様1人を戦線に復帰させるよりも後方でのんびりしてるヒヨコ共を10人戦えるようにする方が効率がいい」
そう言うと軍人の男は先に明の前を離れ、下の階へ階段で降りて言った。
「任務について問題がないのならば3時間後に出発しよう、彼女も一緒に…」
老人も後を追うようにして廊下を歩む。
それからは面白いほど事が素早く進み、明もホテルを出払って運転手付きの老人の車に同乗した。
ルーを乗せた救急車とメルセデスの大型のセダンはハイウェイを進み、淡々とハンブルクを目指した。
「君の経歴には驚いたよ、世界各地を回っていたそうだね。撃墜数も並ではない」
「恐縮です」
セントクレアは話の方向を変えた。
「これは私が前線で戦う人間に聞いているのだが…我々が行う負傷者の治療やケアはどれくらい戦局に影響していると思う?」
難しい質問だった。だが明は少しづつ答えを紡ぐ。
「大いに役立っていますよ、重症を負って後方へ退いた戦友は何人もいます。もう生きるか死ぬか分からない、そんな状態でお別れをしても数ヶ月すれば彼らから手紙が届くんです。『何とか生きてるぞ、お前も死なないように頑張れ、生き残ってまた語り合おう』って…こういう手紙が来るだけで前線は明るくなるんですよ」
「なるほど…貴重な意見として受け取ろう、本音か建前か知らぬが腕や足が千切れてもまた前線で戦えるのならば本望だと言っていたが…こんな方向性の意見は久しぶりに聞いたよ」
セントクレアは窓の外をぼんやりと眺めながら明の答えに納得した様子だった。
ハンブルクへ向かう高速道路は閑散としており、前を走る救急車と2人の乗るセダンのみだった。起きているのかすら分からないほど静かに窓の外を眺めていたセントクレア突如がピクリと動き、リアセンターコンソールの電話機に手を伸ばした。
「何か問題ですか?」
「お客さんだよ…」
その言葉を聞いて慌てて車の窓を開け身を乗り出して空を睨む。
「…来てる!」
3時の方向にまだ遠いが3機ほど確認した、あまり見覚えのない液冷エンジンを搭載した機体だった。メッサーシュミットにしては丸っこいし、スピットファイアよりもたくましいように見える。身体を車内に戻すとセントクレアが何処かへ連絡をしていた。
「あぁ、2機待機しているだろう。1番近い市街地は5キロ先だから遠慮はいらん」
そう言うと電話を戻し、またのんびりと外を眺め始めた。
「大丈夫なんですか?敵は3機居ます、護衛任務を数的不利で行うとは…」
明からすれば彼は戦術の専門家には見えない。一企業の代表に軍を動かし、それを指揮する能力があるとは思えない。
「大丈夫だ、敵はおそらくyak-3だろう…我々からすれば大した驚異ではない」
セントクレアははっきりと言い切る。
「yak-3ですか!?」
自身も中々相対することの無い機体だが堅実なその高性能さは耳にする。そんな機体を相手に数的不利で、挙句勝利を確信するとはどれ程の機体とパイロットが寄越されるのだろうか、それだけで少し心が踊った。
「さぁ、来たぞ」
yakが目の前に迫り、もう少しで機関砲の射程が届く距離まで接近した。明は一向に姿を現さない護衛への苛立ちと恐怖を感じつつ、迫るyakをガラス越しに見守った。
その時だった。迫るyakへ横から機関砲弾が刺さり1機が爆散、残る2機はこちらへの攻撃を中断し慌てて上空へ退避する。
間髪入れずに機関砲弾を発射した主がセダンの狭い窓枠の外から姿を表す。乳白色に空冷の丸く黒いエンジンカウルをした機体だった。前を飛ぶ機体は胴体後部に青い帯状に塗られているので、おそらく隊長機だろう。
「零戦…?」
軽快な機動でyakの後ろを取り続ける姿は、カラーこそ違えど、明が長年大切にした零戦と同じ姿をしていた。パワーの差で一時的に零戦から距離を取り、上を抑えたyakは左右にブレイクする。撹乱して零戦を釣り出そうとしているのかもしれない。
「誘いに乗るか…」
しかし零戦は誘いに乗らずに2機で、散開したうちの1機にしつこく張り付いた。青帯の機体はyakの後ろにビッタリと張り付く、機体同士がいつ衝突してもおかしくない距離を維持し続けていた。いつ機関砲を撃っても敵は撃墜できるはず、しかし撃たずに追いかけ回すうちにもう一機のyakが援護に回る。
「そういう事か!」
ようやく作戦を理解した。味方のyakを追い回す零戦の後ろに張り付き3機が並んだその瞬間、待機していたもう一機の零戦が後ろに張り付いたyakに上から20ミリを浴びせる。それとほぼ同時に青帯の零戦も目の前のyakを撃墜した。
「フレンドリーファイアも無しか…すごいな」
敵機を誘い出すまで空戦起動を続ける忍耐力、味方に接近している敵機のみを射抜く的確な射撃、どれも一朝一夕で身に付けられるものではない。
「あぁ、ご苦労だった。ハンブルクまでは残り1時間と少しだ…」
何も武器は持っておらず、自分に戦う力は微塵ない、それなのに恐怖や焦りは少しも感じなかった。むしろ最高のショーを見たような気分だ、今まで見てきたパイロットの中でも連携や操縦技術に関しては一日の長がある。
それからの1時間、零戦は圧倒的な航続距離を活かして我々の上空を周回しつつ護衛を継続した。しかし敵機はそれ以上現れずにハンブルクへと辿り着いた。
「ハンブルク空港は元々民間の物ですよね?」
敷地への入口に歩哨が立って居るのを見て、明がドライバーに問いかけた。
「民間機なんて飛んじゃいないからな、それなら軍が有効活用しようって事でだだっ広い敷地にうちの会社の施設を置いて、軍は空港は中継基地に使ってるんだ…」
ドライバーは話を続けた。どうやらアメリカ方面から運び込まれた軍需物資はこのハンブルクを中継してヨーロッパ各地の基地へ分配されるらしい。空港として使われていた時の手荷物仕訳機もそれに一役買っているというので面白い。
空港の出発ロビーの前に明とルーは降ろされた。
「彼女はここの施設で検査して預かる、言ってくれればすぐに面会が出来るようには整えておこう」
「はい、お願いします…」
セントクレアに一礼し、自分の分のカバンをセダンのトランクから取り出す。 先日病院へ迎えに来ていた軍人が手招きしているが、今度は制服ではなくパイロットスーツ姿だ。
「やっと来たか、時間が無いから説明を急ぐ」
男は大振りな歩幅で歩き出す、やたら速いので離されまいとこちらの歩みも速度を増す。
「パイロットだったんですか…」
「あぁ、お前の護衛してやったのも俺と部下のひとりだ」
「正直言って感動しました、見事な腕です」
「そりゃどうも、だがこの作戦の成否はお前にかかってるからな、おだてたって意味ないぜ」
そのまま空港の中のオフィス、その一角の会議室には連れてこられた。ホワイトボードにはデカデカと世界地図が張り出されており、敵と味方の勢力圏が塗り分けされている。インドや中国西部、モンゴルやカザフスタン、ロシアも中央で寸断されるように敵は展開している。ニュースで言っていたアジアとヨーロッパの寸断は嘘では無いらしい。
「前置きもクソもない、お前達を日本に送り届けるための作戦を話す」
鞄を置いて立ったまま話を聞く姿勢を作る。
「見ての通り敵の勢力圏がユーラシア大陸を真っ二つにしている。これを超えてお前を日本へ送り届けにゃならん…」
赤い油性ペンでドイツと日本の間に長い1本の線を引く。
「敵の勢力圏の帯がおおよそ厚い所で3000キロ、薄い所でも800キロですね」
「そして最も薄い部分はインド中央部だがここは今激戦地、敵も味方も防備が強固だからここを飛び越えるのは得策じゃない…」
今度はインドにデカデカとバツ印を入れる。
「となると敵軍の後方、カザフスタンから中国西部を突き抜けると…」
「正解だ、お前は3日後の朝ここを出発、ひたすら東へ飛び続ける」
「経由地は何ヶ所…?」
大抵長距離侵攻などで長時間飛行する場合は補給のための経由地を設けるか空中給油機を設けるのが正しい。
「ない」
日本からドイツへは9000キロ、零戦ですら航続距離の最大値は3000キロ前後であり、あのB-29を持ってしても戦闘行動を行えば燃料消費は増加し、到達は困難となる。真っ当な機体が飛べる距離では無い。
「はい?今なんと…」
思わず聞き返す、『経由地は?』という問いに対して彼は『ない』と答えたのか。
「経由地は無いと言ったんだ」
やはり経由地は無いらしい。
「空中給油機を使うのでありますか?」
「敵陣の上空まで来てくれる空中給油機が居るわけないだろう」
「はぁ…」
言い返す気にもならない、ど〇でもドアでもある言い出すのではないかと気が滅入る。
「安心しろ、今回みたいな自体のために作られた特務機がある。着いてこい」
息苦しい会議室を出てハンガーへ向かう。広い空港なだけあってターミナルの建物を出てからナンバープレートの無い敷地内移動用の車に乗り込む。
「運転しろ、俺は無免だ」
「えっ…?わかりました」
そう言われて無骨なステーションワゴンの運転席に着座する。零戦以外の操縦は久々だった。
アメリカは16歳から免許が取れるので親父に取らされた、故に運転は出来る。それにここは大した交通ルールもない、徐行さえしてれば問題ないだろう。
「お前…ここに来るまでは何に乗ってたんだ?」
「え?」
初めて向こうから雑談を仕掛けてきた。
「零戦…五二型丙です。でも事故で海に落としました…」
最終的にはエンジンを載せ替えていたが原点は五二型なのでそう答えておく。
「お前も零戦乗りだったか、いい趣味してるぜ」
離陸する輸送機を眺めながら彼は呟いた。
「貴方の機体は二一型でしたね」
「あぁ、そっちのよりロールが遅い代わりに他の機動性は上だ」
五二型は二一型と比較して翼が切り詰められており、旋回性能が低下、航続距離も低下した代わりの重装備だった。
「重装化の弊害ですよ、でも悪い機体じゃなかった…そういえばまだ名前を聞いてませんでした」
「あぁそうか、お前には名乗らせておいてすまんかったな。千歳 鋭治(ちとせ えいじ)、階級は大尉だ」
「零戦乗りのよしみです、仲良くしましょう」
左手でハンドルを握ったまま右手を差し出す。千歳の大きな手が強く明の手を包み込んだ。
「そこ、2番格納庫だ…」
敷地の端、サッカーコートが丸々収まるようなサイズの建物の前で車を止める。旅客機等を整備するには手狭なサイズなのでおそらくプライベートジェット等を収めていたのだろう。
「あいつだ」
その一角に胴体がキャンバス地の布で覆われた機体がぽつんと置かれている。流線型を突き詰めたようなボディ、薄く長い翼にはそれぞれエンジンが搭載された双発機だ。
「初めて見る機体ですね、爆撃機ですか?」
近寄って翼を撫でる。
「惜しいな、キ77だよ。日本とアメリカの親善飛行用に作られた長距離飛行の試験機だ、爆撃機とのパーツの互換性に加えて、与圧室やインテグラルタンクのテストを兼ねていた機体だ」
「栄エンジンで航続距離は1万6000キロ、多少戦闘行動しても日本に着けるだろう」
千歳は機内への扉のロックを解除、中へ入れとジェスチャーした。やたら日本機特有の薄い扉を横目に機内へ入ると、中にはカプセル状の1.5畳程の部屋が設けられていた。
「与圧室ですか?」
「そうだ、お前の彼女さんはこの中だ、飛行時間がまる1日以上あるから医者も常駐させる」
「コックピットは与圧無しですか?」
奥に見えるコックピットに目を向ける。中型以上の機体に使われる操縦桿と操舵輪が一体化した形だ。
「あぁ、別にお前は病人でもなんでもないからな」
「問題ありません、これなら気兼ねなく高高度を飛んで敵地を突破できます」
思わず拳に力が籠る、この機体ならば戦闘機の護衛がなくとも敵地を突破可能だ。
「残念だが操縦の練習は出来ない、30時間飛ばしながら慣れろ。まぁ俺たちが護衛をするからお前は真っ直ぐ飛ぶだけでいい」
そういえば護衛をするとさっきから言っていたが補給無しでこの機体に追従出来る戦闘機などあるのだろうか。ふと疑問に思ったので思い切って聞いてみる。
「護衛って…9000キロ飛べる戦闘機があるんですか?」
「あるわけないだろう、俺たち護衛に付くのは敵の勢力圏だけだ。まぁ敵は俺達が引き受ける、さっきも言ったが遊覧飛行とでも思ってゆっくりしておけ」
冗談を言うように千歳は笑顔を作ったが、そこには何か含みがあるようでならない。その違和感は出撃の直前まで消える事はなかった。
第九章END
第九章登場機体解説
1. yak-3(ヤコブレフ)
■モスクワで育ったyakシリーズの究極系
第二次大戦後半にソ連空軍が投入した、究極の軽量・格闘戦闘機である。前作のYak-1やYak-9をベースに、機体を徹底的に小型・軽量化し、空力特性を極限まで洗練させた。低空から中高度における運動性能と加速力は当時の世界最高峰であり、bf109やFw190を相手に互角以上の戦いを演じて見せた。まさにソ連進撃の要となった機体だ。
2.零式艦上戦闘機二一型(三菱重工業)
■誰しも一度は聞いた事のあるレジェンド戦闘機
ゼロ戦の名で今でも親しまれている名機、太平洋戦争の開幕から中盤にかけて、連合軍に「ゼロ・ファイター」の恐怖を植え付けた零戦の代表的モデルである。一一型に空母運用向けの主翼端折りたたみ機構や着艦フックを追加した型式で、徹底的な軽量化と優れた空力設計により、驚異的な格闘性能と当時の戦闘機としては桁違いの航続距離を誇った。日中戦争から始まった伝説はやがて太平洋を支配し、錚々たる戦果を上げ続けた。
3.キ77 / A-26(立川飛行機)
■平和の象徴になる為に生まれた悲運の渡り鳥
朝日新聞社が企画し、東京帝国大学航空研究所が設計した、長距離飛行の記録樹立と日米の親善飛行を目指した試作長距離機(A-26)である。陸軍の「キ77」として開発が継続され、徹底した流線型の機体と、燃料を極限まで搭載できる主翼(インテグラルタンク)を備えていた。1944年には、当時の世界記録を大幅に塗り替える16,435kmの無着陸周回飛行に成功。実戦用ではないが、日本の長距離飛行技術の頂点を示す、航空史に残る記念碑的な一機である。
最近思うのが、書きやすいキャラと難しいキャラってのがあるんですよ。正直言って明やルーは己のこだわりも相まって書きずらいです。書いても書いても『違う!こうじゃない!』って自分の中の彼らの像と違って、言葉に表すのが難しいんです。
でも対称的に里緒さんやアリスはめちゃくちゃ書きやすい、書いてて楽しいってのがあります。彼女達のキャラを書き出し易い、セリフがすらすらと思いつくってのがあります。多分これは単純に里緒さんやアリスが自分の性癖にハマっててモチベーションが上がってるってのもあると思います。
そんなこんなで次回でついに第十章な事に驚いています。飽き性だからこんなに続かねぇと思ってました。ではまた次回会いやしょう。