厳戒令が敷かれたムルマンスクの空軍基地では出撃もなく暇を持て余したパイロットで溢れていた。
「そのストールマニューバおかしいでしょ!」
「ガンキルに固執するからこうやってカウンターされるんだよ、F-15Eに乗ってるならBVRすればよかったのに」
明はアリスに対戦を申し込まれたフライトシュミレーターのゲームで一方的に白星を上げ続けていた。
「もう少し練習してから挑んでこい」
そう言って明はコントローラーを置いてテレビの前を後にする。
「くっそ〜、ちょっとあんた練習相手になりなさいよ!」
アリスは付近で暇そうにしていた吾妻を捕まえて練習台にし始めた。
「えぇ、僕ですか?」
嫌々コントローラーを持つ吾妻を明はそっと見守りつつ部屋を離れた。
「こんなに外と隔絶されているのにみんな楽しそうだな…」
廊下で一人缶コーヒーを飲んでいた里緒がぶっきらぼうに言った。
「死地に身を置くのと比べたら何だってマシさ」
このように屋内に閉じ込められ、外と隔絶されてから約2日が経っていた。その間は不思議な事に敵の襲撃もない、だがみんな外出が禁じられている理由も、敵の襲撃がない理由も本当はわかっていた。
敵基地に核攻撃を行ったからだろう。
「死の灰が振るわけじゃなし、線量が高い訳でもない。じゃあこれは何の時間なんだよっ」
里緒が飲み干したからの缶をゴミ箱へ投げつける、そこには隠しきれない苛立ちが溢れていた。
「俺たちにどんな影響があるか分からないからな、上の連中は過保護なんだよ」
レジスタンスのパイロットは身体の改造を行う手術を受けている。だが手術の内容を知るものは殆ど居ない、だが皆背中に手術跡があるので脊椎を弄っているんだな程度の認識だった。後天性の精神異常などを発生させる者も居ないのでパイロットの中でこの手術を批判している者は殆ど居ない。
「こんな20歳にも満たないようなガキ共に人類の命運背負わせといて、今更過保護もクソもあるか」
また苛立ちが募るが今度は投げる缶も無いが故に爪を噛む。
「それはそうだな」
そんな里緒を尻目に明はスナックの自販機の前に立つ、金を入れてチョコバーを選択する。しかし菓子を止めている螺旋状のパーツに引っかかってチョコバーは落ちてこない。
「ぼったくりじゃんねこれ…」
「…どけ」
悪態をついた矢先、里緒が明を押し退けて自販機の前に立つ。
「おいおい、壊さないでくれよ…」
何をするのか察した明は安全のため距離を取る。ドラマや映画でさんざん見てきた展開だ、きっと苛立ちを解消したいのだろう。
「判ってる」
軽く手足を振って身体をほぐすと、里緒は華麗な回し蹴りを自販機にお見舞いした。
バキィ!
とても生身の人間が放ったとは思えない爆音と共にチョコバーが落下する。同時に自販機も照明が消えてダウンした、一発KOだ。
「ほらよ」
何事も無かったように商品受け皿に落ちたチョコバーを取り出して明に手渡す。
「ほらよじゃねぇ!」
チョコバーと引替えに給料が消し飛んだかもしれない、慌てて目撃者が居ないか辺りを見回す。
「こういう時は逃げるのがお決まりの展開だよな…」
里緒はニヤリと笑いながら、廊下を全力で駆け出す。
「もう知らね…」
明も後を追うように現場から逃走した。
「大出力エンジンにものを言わせての強引なパワー勝負…隼じゃ絶対に出来ないな」
場面は変わってアリスの対戦相手から開放された吾妻は先日の戦闘で撮影された明日子のコルセアの動きを見直していた。
「撃墜へのプロセスが全部違う…」
ノートPCの画面と向き合いスロー再生を駆使して明日子の動きに迫る。
敵の2機編隊に奇襲をかけて片方を落とした後にエネルギー有利を利用してもう1期を追い立てる、ヘッドオンを回避しつつインメルマンターンですれ違った敵機を間髪入れずに追撃する。時にはコルセアの頑丈さを利用してか被弾覚悟でヘッドオンを強行することもある。
全く予想できない映像の連発に吾妻は更に苦しめられる。
「いやわからんよ…」
目に疲労を感じてPCの画面から目を離し、首筋のこりを取ろうと頭を左右上下に振る。その瞬間ここ数日夢にまで見た人物の顔が目に入った。
「何見てるんですか?」
優しい眼差しで吾妻の顔を覗き込む明日子の姿があった。
「明日子さん…」
驚きと同時にこれは好機と認識した。
「これは先日の戦闘のガンカメラの映像ですよね…地上部隊から撮影された物もありますね…なるほど」
動画ファイルの名前を見た明日子は状況を理解する。
「動画から色々学べないかと思いまして…」
申し訳なさそうに吾妻は答える。だが明日子は優しく応える。
「それで私の動画だなんて…直接聞いてくれても良かったのですよ」
「いいんですか、それじゃあこの動画の事なんですけど…どうしてbf109がいきなりロールを使って向きを変えたのに見越し射撃の照準を保ったまま追従できたのですか?」
探究心に火がついた吾妻に付き合い明日子も隣に腰掛ける。それをアリスと現場からの逃走に成功した里緒は遠くからまじまじと観察していた。
「仲良さそうねあの二人…」
「確かに、珍しく意見が合致したな」
里緒もアリスも素の感情で感想を述べた。
一方で明も逃走に成功していた。
「それで逃げて来たと…」
「まぁ蹴ったのは里緒だからな、俺は見てただけだ」
ルーの元へ逃げ込んだ明は適当な弁明を連ねる。
「同じ場所にいて止めなかった時点で同罪だろう」
真面目に言い返され言葉が詰まる。
「ぐうの音も出ません」
その時、緊急の放送を知らせるビープ音が鳴り響いた。基地内全体へ響いている。
「ん?」
『ムルマンスクに配属されている航空遠征打撃群のパイロットへ告ぐ。貴官らは沖合の航空母艦へ移乗した後、ノルウェー海へと向かわれたし』
「えぇ!?」
「急展開だな…」
『部隊内でも噂になっているが先日ノバヤ・ゼムリャの敵基地に核攻撃が行われた。この攻撃を逃れた残党がノルウェー海に展開された敵艦隊と合流を果たした。これは強力な敵戦力であり見逃すことは出来ない、英国海軍並びにドイツ海軍と合同でこれを撃破せよ、空母への航空機の空輸は明日の明朝0500より開始する、核攻撃による放射線等の影響は無いため安心して欲しい。以上』
プツリと放送が切れ、また静寂が戻った。
「空母に戻れってことは立ち往生してたの解消したのか…」
明は陸上に上げられた理由を思い出す。
「小耳に挟んだんだがロシア軍が厄介払いしたくて砕氷船を総動員して無理やり領海の外に追い出したらしい」
「なるほど、やっぱ領海内に米の艦艇を置くのは耐えられなかったか」
背伸びしながら、異星人が居ながらも真っ当に協力できない人類に呆れる。
「アメリカとロシアは休戦状態なんだ、無理もない…」
そういえばそうだったと思い出す、今は第三次世界大戦の休戦中だったのだ。しかし問題はそんなことでは無い、また出撃が迫っているのが問題だ。だが考えるのがめんどくさくなり1つの結論にたどり着く。
「…こうやって少し休めただけ良しとしよう」
「それには激しく同意する」
翌日には順繰りに空母への移動が始まった。
「…随分と減りましたね」
空に上がる戦闘機の数を数えて明日子は悲観的になる。
「ずっと迎撃戦をしてたからな、エースの集まりとはいえじわじわと減ってはいたんだ」
誘導路をゆっくりと進む蒼穹隊の5機、1番前を行く里緒は機体を滑走路に移しながら答えた。
「5人とも欠けてないだけ奇跡だ、俺たちは運がいいらしい」
明も新たなエンジンの調子を見ながら答える。
「あら、ようやく5番目として認めてくれたの?」
またアリスがだる絡みを仕掛ける。
「訂正する、4人だ」
即答だった。
その後スウェーデン沖に展開する機動部隊に合流した。着艦の時、5人は妙な物を見かける。
「見たことない機体…」
甲板には尖った機首の双発機が5機並んでいる。
「双発機とは…発艦はともかく着艦できるのか?」
ごもっともな疑問がルーから生じる。
「屠龍みたいだな」
通りかかった里緒がポツリと呟いた、言われてみるとたしかに似ている。 座席は2つ、操縦席と少し離れた位置に窮屈そうにこじんまりとした座席がある。
「あれはF7Fタイガーキャットですよ」
未知の双発機を眺めていた我々に気づいた整備兵の一人が観光案内の如く流暢に説明を始めた。
「名前的に艦載機で間違いないのか」
2人は更に混乱するが続ける。
「そうですね、あれは夜間戦闘機型なので複座になっているんです。でも今回は索敵に使用します。複座で航続距離も長くて速度も早いからうってつけということだそうで」
「なるほど、これで敵艦隊を探すのか…」
とりあえず納得できた。艦載機用エレベーターで格納庫に降りる。エレベーターシャフトの上に覗く空をぼーっと見上げているとルーが肩を叩いて来た。
「なぁ、あの機体はなんだ?天山ともアヴェンジャーとも似つかないのだが…」
「ん?」
一瞬驚きつつ格納庫内に目をやる、そこには逆ガル翼を持つ中翼の複座機が並んでいた。カラーは日本海軍お馴染みの濃緑色だ。
「あぁ、流星改だなこれひとつで雷撃も急降下爆撃も出来るから敵艦の攻撃に使うんだ…流星改!?」
自分でもすらすら説明しておきながら驚いた、よく見ると格納庫の約半分が流星改で埋め尽くされている。
「確か明が前に乗ったのも…」
流星改に驚きテンションが上がっている明に対してルーも少し動揺しつつ物問う。
「そうだよ、流星改だった!」
エレベーターが停止するとすぐに駆け出し流星改に駆け寄る。
「うわぁ、久しぶりだなぁ」
以前の機体は1人乗り用に後席がハリボテになっていたが今度は旋回機銃まで装備されている。つらつらと全体を観察し、誰の目もないのをいい事に翼に上がった。
「いいなぁこれ、忘れられない機体の一つだ…」
その姿をルーは子守りをするかのような優しい目で見ていた。
「女を見つけてもああはならないのにね、飛行機見た瞬間あれよ」
「ん、アリスか」
一緒に降りていたアリスが容喙する。
「あんな男に付いて回ったってどうしようもないわよ」
そう言うと整備兵がひしめく格納庫の中へと消えた。
「どの口が言ってるんだ!」
ムッとなって言い返す。
「降りてください!傷をつけるなと言われてるんです!」
「申し訳ない、すぐに降りる!」
整備兵にバレた明は翼から降りてすぐに謝っていた。
「困ります!駐機してる機体に勝手に上がるなんて、今後はないようにしてください!」
釘を刺されてしゅんとした明が戻ってきた。
「整備兵には逆らえない…か」
「あぁ、エンジンに砂糖入れらてしまう」
昔からよくある話だ、どの国のパイロットも他の役職に対して偉そうな態度を取っていることが多かった。しかしそんな彼らでも整備兵には頭が上がらない、何故なら整備兵を怒らせるとエンジンに砂や砂糖を入れられて墜落してしまうという流言があったからだ。
その後戦闘機を全て収容した機動部隊はノルウェー海に向けて出航した。24時間かけてノルウェー海の入口へ進行し、そこでドイツ,イギリスのフリゲート艦が多くを占めるNATO艦隊と合流した。
「小さい船ばかりだ…」
明とルーは合流した艦隊を見て落胆する。
「大きいのはみんな沈んだのさ、クイーンエリザベスもオーシャンも」
横でタバコを吹かしていた水兵が応えた。出てきた名前はどちらもイギリス海軍の航空戦力の中核を担う名前だった。
「そうか…」
星の官軍に対する最前線として戦ってきたイギリスに戦力と言えるものは大して残っていなかった。傷だらけの騎士のような姿の艦隊を見てルーは故郷を思い出した。
「家族の事が心配なのか?」
「いや、私の家族はもうシンガポールに疎開している。とは言っても姉と父のふたりだけだがな」
明の問に対してルーは少し悲しげな顔をしつつ応えた。
「十分さ、生きてたらいつでも会える」
励ましつつも家族が居ない明からすればそれだけでも少しだけ羨ましかった。
「ここは寒い、戻ろう」
2人は足速に艦内へと戻る、中は意気揚々とした空気に包まれている。何事かと艦内を歩き回っている、理由はすぐに判明した。ブリーフィングルームに本作戦の編成表が張り出されてるらしい。
「くっそ、冗談じゃねえ!」
憤然とした態度の里緒が部屋から飛び出すのを2人は見かけたが、あまりの剣幕に声をかけ損ねた。
「何があったんだあの人…」
人混みを交わしつつブリーフィングルームに入る、そこには取り残されて不安げな顔をする明日子が居た。
「里緒に何があったんだ?」
ルーが俯いた明日子の顔色を伺いながら聞いた。
「それが編成表を見てもらうとわかるんですけど…」
オペレーションヨルムンガンド…
索敵隊…4番機 パイロット羽月里緒
「索敵役なのが嫌なのか…」
だいたい理由を察したがそこまで怒ることではないとも思える。
「多分自分の機体に乗れないのが嫌なのか?」
「そういえばあいつは自分の機体に相当手を入れてるからな…」
彼女が自慢げに語っていたのを回想した。
「いえ違うんです。偵察ってこと自体にトラウマがあるんですよ…」
明日子悲しみとも苦しみとも取れる曖昧な表情の顔を背ける。
「過去に何かあったと…」
2人もなんとなく事情を察する。
「はい、でもこれは本人から口封じされているので…」
「ならば無理に話す必要はない」
なるべく不安要素を無くすために隠し事は無しにしたいが口封じされているのならば仕方ない。
「おふたりはまだ見た事ないですしね、時が来れば話します…」
含みのある言い方で明日子が呟く、しかしそれ以上語ることはなくそそくさと部屋を後にした。
「明日子も決して本調子ではなさそうだ」
ルーは部屋を出る明日子の背中に目を向けながら身を案じる。その横で心配しつつも行動には出さない明が居た。
「俺たちは艦隊の直掩か」
人混みから1歩引いた位置から編成表に目を通す。
「あいつと明日子が攻撃機の護衛…今回は綺麗に別れたな」
あいつとは多分アリスのことだろう、最初は仲良くしようとしていたのに何故か今となっては口が悪くなっている。ここも後々どうにかしないといけない。
「索敵機を飛ばすのは明日からだ、それまでに里緒が落ち着いてくれればいいのだが…」
「まぁ仕事はきっちりする性分の人間だからなんとかなるさ」
楽観的な考えに見えるが、ここに居るのはみんなわがままな子供ではなく職務を背負ったパイロットだ、皆嫌でも仕事はする。
「あんな事は二度とごめんだ、大前提複座じゃなけりゃいいものを…三式で偵察に出た方がまだマシだ!」
里緒は宛てがわれた部屋でひとりブツブツと愚痴を連ねる。
『里緒さん』
不意に名前を呼ばれて振り向く、しかしそこには誰も居ない。
「チッ、いつもいつも邪魔ばかり…どうしようもなかっただろ」
ベットに座り込み頭を抱え、前を向くことを放棄する。
『それは貴方がそう思いたいだけなんじゃないですか?』
段々と姿なき影が形を成す。
「黙れ、誰が初撃で至近弾が来ることがわかるんだ。わたしだってアニメや漫画の超能力者やニュータイプじゃないんだ!」
『自分に非があるから、それをわかっているからずっと今まで苦しんでいるんだ』
影は更に追い討ちをかける。
「黙れ!お前も、この戦争も私にとって悪夢だ!目障りなんだよ、何もかも!」
『あれだけの事を経験しておきながらまだ、あなたは戦争に魅入られている。新しい仲間と共に、新しい戦場に足を踏み入れている』
影はついに明確な姿を得る、しかしその姿には首から上がそっくり抜け落ちていた。
「黙れ黙れ黙れ、しゃべるなぁぁぁ!」
駄々を捏ねる子供のように腕を振り回して影を振り払おうとする、その刹那形を成した影が目に入った。
「あ…あぁ、ああああああああぁぁぁ!」
喉が張り裂けんばかりの悲鳴を上げる。首なしのパイロット、今となっては顔を思い出せない。でもだから顔が無いわけではなく、本当に首から上がなかったのだ。
数年前、同じく偵察任務の途中に帰らぬ人となった後席の相棒、逢沢 誠也の最後の姿だった。
「来るなぁぁ、その姿を私に見せるな!」
枕にボールペン、衣服までありとあらゆる物を影に投げつける。投げたものは皆空を切るはずだった、しかし影と重なった何者かに命中し、同時に影はすうっと消え失せる。
「いっっ…た!」
苦悶の声が響く、手の甲でボールペンを受け止める姿、その後ろにもこちらを心配する眼差しの人物が2人在る。その姿を見て部屋の隅で蹲っていた手足から力が抜けた。
「どうした?随分声を荒らげていたが…」
後ろの2人が駆け寄り自分を抱き起こそうとする。
「また悪い夢でも見たんですか…」
これはおそらく影や幻覚なんかではない。だが反応できない、したくもない。人形のようにされるがままで担がれる。
「明は大丈夫か?」
「うん、結構刺さってるけど大丈夫だよ」
血が滴る手の甲を逆の手で強く抑え止血する。
「2人とも医務室行きましょう」
明日子の提案で里緒は医務室のベットへ、明も適切な治療を受けることになった。
「ボールペンがこんなに深く刺さってた事例は初めてだよ、喧嘩でもしたのか?」
軍医は患部を丁寧に消毒、ガーゼで覆うと手際良くテープを巻いた。
「いやまぁ…そんなところです」
ホントの事を言う訳にも行かず適当に返事をする。
「まぁどっちにしろ気をつけろよ、傷が残るのが嫌なら陸に上がった時にでも皮膚科に行くんだな」
「わかりました、ありがとうございます」
テープを巻いた左手を握って開いて動きに支障がないか確認しつつ席を立った。あの時咄嗟に防御で手が出ていなければ目にでも刺さっていたと思うとゾッとする。だがそんなことよりも心配すべきことは別にある。医務室の一角のカーテンで仕切られた空間に顔を出す。
「様子は?」
中には明日子とルーがベットを挟んで座って、ベットには里緒が横たわってぐっすり寝ていた。
「看護師曰く症状から考えてとりあえずで薬を打ったらしい、抗不安薬とか言うのを」
点滴バックから一筋のチューブが里緒の腕に繋がっている。抗不安薬いわゆる精神安定剤だ、この場合最も効果的な措置だろう。
「これの投与を初めてからは熟睡ですね」
点滴針が刺さったのとは逆の手にそっと自身の手を重ね、明日子は呟いた。
「それにしても、声を聞いただけだが何があったんだ?普段は冷静沈着そのものな彼女があんなに取り乱して悲鳴まであげて」
ルーがカーテンの外の様子を気にしつつ明日子に顔を向けた。
「もしかして時が来れば話すと言っていたのは…」
明も明日子に問うが自然に問い詰めるような形になってしまった。
「はい、本人が寝てるうちに済ませましょう」
明日子は俯いたまま2人に確認した。
「差し支えない範囲で構わないから、話して欲しい」
なるべく優しい形で優しく声をかける。
「わかりました、少し長引きますよ」
明日子はゆっくりと里緒の過去を遡り始めた。
2年前 八丈島基地
「また偵察だと、どうせ艦隊も居ないくせに」
「いいじゃないですか、遊覧飛行してるだけで金が貰えると思えば」
里緒は百式司令部偵察機を用いての偵察任務に従事していた。後席にはいつも訓練生時代からの友人である相澤 誠也という男が搭乗する。
「冗談じゃない、他の奴らは日夜防空や敵基地の攻撃で戦ってるんだぞ!私たちだけ延々と遊覧飛行ってのは気に入らん」
苛立ちを募らせながら格納庫に向かう。
「まぁまぁ、これも大事な任務のひとつです。それに万が一敵艦隊を見つけたらそれだけで大戦果みたいなもんですよ」
誠也は適当に里緒を宥める、これがいつものパターンだった。
「僕たちの偵察情報がなければエースパイロットもひよっこも敵にたどり着くことは出来ません。常に新鮮で正確な情報がいるんですよ…」
誠也は自身の使命を再認する。
「そんな機動部隊本当にいるのかな…」
里緒は以前として覇気がなく、フライトに意味を見い出せていなかった。
里緒の操縦で百式司偵は飛び立つ、そのままじわじわと高度を上げて11000メートルへと進む。
「マスク付けとけ、また酸素不足で目を回すぞ」
百式司偵三型は機首から後ろに伸びる一体形状の風防を持つ操縦席と偵察用の無線やカメラを搭載した後席が分けられている。操縦席には里緒、後席には誠也が搭乗していた。
「はいはいわかってますよ」
伝声管で緩くやり取りを繰り返す、これがいつものスタイルだ。
「もうそろそろ高度10000だ…いつものルートに入るぞ」
見るともなく当たりを見回していた誠也の視界に黒い粒が移る、まだ遠いがそれは航空機に見えた。双眼鏡を構えて正確な姿を確認する。
「りょうか…後方5000メートル敵戦闘機接近」
すぐに敵と判断する。
「嘘だろ、追いついてくるのか?」
里緒はそれを聞いて少し狼狽する。
「いや、向こうは8000mくらいだからここまで上がらないでしょう」
誠也は冷静に状況を分析する。
「だといいんだがな…」
しかし誠也の分析は外れ、敵戦闘機はじわじわと近づいて、機種がわかるほどの姿になった。
「敵高度9500上昇しつつある…F6Fですね」
「ここまでこないとか言ったのはどこの誰だ…まぁいいさ降下で振り切る」
里緒は操縦桿とスロットルを強く握る。
「捕まってろ、あと敵から目を離すな!」
機体が前に傾き、尻がふわりと浮く感覚を一瞬味わう。敵グラマンはそれに対応せず、獲物を見送るように上空に留まった。高度5000まで一気に降下してから機首を引き起こす。
「振り切りました…」
双眼鏡で後方を確認して里緒に報告する。
「よし、また生き残ったぞ」
里緒はふんと鼻を鳴らして敵を振り切った事を誇る。だがすぐにスイッチを切り替え、高度を取り直しつつ誠也に問うた。
「敵はグラマンと言ったな」
「えぇ、F6Fです」
ずんぐりむっくりした機体に大きな羽を持つ鷲のような機体だ、官軍の空母艦載機の主力のひとつとなっている。
「艦載機だ、もしかすると本当に機動部隊がいるかもな…」
「そう考えるのが妥当でしょうね、問題は僕達1機で見つけられるのかですね…」
双眼鏡で海面を捜索するが艦隊らしきものは見受けられない、もしかすると雲が多くてで捉えられないだけかもしれない。
「まぁいいのんびり探そうぜ、すぐに取って食われる訳じゃないんだ」
未だに楽観的な思考を貫く里緒はもう図太いという次元ではない。
「今日は嫌な予感がするんですよ…本当に見つけてしまいそうな気がする」
心の底から湧き上がる焦燥感や不安感から口を滑らす。しかし里緒はそんな事気にしなかった。
「おいおい、さっき自分で見つけたら大戦果だとか言ってたじゃないか。エンギでもない」
「そうですね、頑張って探しますか!」
双眼鏡を構え直し、敵艦隊の痕跡や新たな敵機の捜索に移行する。
「あぁ、お前は目がいいんだから…」
バゴォーン!
突如爆発音が鳴り響き機体が揺さぶられる。里緒はふらつきながら高度を落とす機体を立て直そうと操縦桿を引く。
「クソ!」
高度が下がり雲の下に出る、海面には想像を絶する光景が広がっていた。空母4隻と何十隻もの護衛艦隊が群れを成している。対空砲火が続々と近くに着弾するが幸いな事にダメージにはならない。無線を起動して基地へ報告する。
「空母4隻を基幹とする大艦隊、戦艦2 巡洋艦10 駆逐艦多数を確認!上空に直掩も多数居る」
全速で高度を上げて艦隊距離を取り離脱する。
無線も返事を待たずに電源を落とす、電波の受診と発信を追われたら逃げきれない。
「クソ、右エンジンは死んでるのか…」
冷静になり機体の状況を確認する。右翼のエンジンは被弾痕からオイルがダラダラと漏れ出しておりかろうじて回っている状態だ、対照的に反対のエンジンは奇跡的に無傷だった。これなら基地に帰るだけなら持つだろう。
「おい、生きてるか?」
伝声管に声をかけるが返事はない、後席を目視で確認する方法もない。わかるのは後席のキャノピーが吹き飛んでいることくらいだ。
「基地に帰るぞ…怪我してるなら止血しとけよ」
半ば現実逃避のようなものだった。
レーダーに移るのを避けるため低空を這うように基地へ逃げ帰った。
「見えたぞ、足が出ないから不時着する。何かに掴まっとけ」
また彼の身を案じて声をかける。
「…」
だが返事はない。
胴体も翼も地面に擦り付け機体がひっくり返りそうな勢いで滑走路に飛び込んだ。
「相澤!」
キャノピーを飛び出して真っ先に後席へ駆け寄る。
「…あぁ」
文字通り膝から崩れ落ちて、その場にへたり込む。キャノピーが吹き飛んでいる時点でやはり生存は難しかったのだろう、だがあまりにも酷い。
「こんなのって…流石にナシだろ」
対空砲の破片に当たったのか、外れたキャノピーに持っていかれたのか分からないが首から上がそっくり無くなっている。
「私のせいか、戦闘機を振り切っていい気になってたから…」
傷口からはまだ血が滴ってパイロットスーツと機内を赤く染め、機体後部まで真っ赤だ。それは彼の最後の自己主張なのか、こんな死に様は納得出来ないという意思がこの形で現れたのかもしれない。絶望する暇すらなく死んだだろう。強く握りこんだ拳だけが、生前の彼と同じように見えた。
「おーい!」
救護班や消防車、城戸司令や明日子が車で機体に向かってきた。消防車は小火が出ていた右エンジンに対応し、救護班は二手に分かれて里緒と後席へ駆け寄る。
「大丈夫、私は怪我なんかひとつも無い…彼も別にもう急がなくていい…」
後席を覗き込んだ救急隊員が驚愕する。
「少し…疲れたな」
里緒は地面に身を投げ出している百式司偵の機体に身を任せて目を瞑った、それ以降の話は覚えていない。
「里緒さんはその後人員不足で複座機に乗ることはなくずっと飛燕に乗ってたんですけど…」
「今回それが原因で幻覚か何か見てたのかもしれないと…」
最後は被せるように明が話を終えた。
「里緒の中には2年前から相澤という男の影があるのか…」
「きっと里緒さんが離さないんですよ、自分の罪として記録するために、だから今回みたいなことが起きる」
呆れたような口調で明日子は言った。
「確かに相澤は優しい人でした、でも彼にも私にもあの人をあそこまで縛る権利はありません」
ルーは明日子の言葉に異を唱える。
「彼だって里緒の事を縛りたくはないはずだ、かつての仲間が自分に囚われてここまで苦しむ様は見たくないだろう」
明が挙手をした。
「俺の考えなんだがな…おそらくこの偵察任務を無事に終える事が彼女にとっての転換点になる、彼女もそれをわかっているか…」
里緒が目を覚ます。
「起きた!心配しましたよ」
明日子は真っ先に心配して顔を向けた。
「…少し疲れてただけだ、こんなもの要らん」
体を起こして状況を把握して、里緒は強引に点滴の針を腕から引き抜き地面に投げつけた。
「危ないな」
近くに丸椅子を使って座っていたルーが少し身を引く。
「んな乱暴な、まだ暴れ足りないってのか?」
明が焚きつける様に言った。
「五月蝿い、飛べるんだから問題ないだろ」
「飛べるのか?」
ルーが憂慮するが里緒ははっきりと言い返した。
「飛ばなきゃいけない、そんな気がするんだ…だからこの事は上には黙っててくれ!精神異常だとかで飛べなくなるのは御免だね」
そういうと里緒はベットから起きて使い古した上着を取って部屋を出た。
「ほら、やっぱり本人もわかっているじゃないか」
「だがなぁ、結局あれだけ精神が不安定なのには変わりない…」
「本人の意思は相当強いですよ、今更飛ぶなって言っても聞きません」
この中だとダントツで里緒と付き合いが長い明日子の意見がいちばん正しいように思える。
空のベットを囲んだ平行線の議論を終わらせんと一人の来訪者が現れた。
「パイロットの一人が錯乱したと聞いたが…」
姿を表したのはコラー・レイクス大尉だった、3人とも立ち上がり敬礼する。彼は我々エースパイロットを束ねる指揮官の1人だ。
「楽にしてくれ、その本人が居ないように見えるが…」
誰も居ないベットを見て中佐は呟く。
「当の本人は点滴を拒否してもう出ていきました」
枕の横にそっと置かれた点滴針を見て納得する。
「どうしてわかったんですか?人目は避けてきたはずなんでずなのですが…」
明日子は居場所がバレたのが不服らしく強い声色で問いかけた。
「馬鹿め、あの部屋の隣は士官室だ」
「なるほど…盲点だった」
明はが眉間を抑えて内省する。
「あれだけ暴れられると嫌でもわかる、何があったか話してもらおう」
「…」「…」「…」
3人は一斉に顔を渋らせて黙り込む。
「そんなに知られたくない身内話なのか…」
明日子が無言で頷く。
「なるほどわかった、邪魔したな」
意外とすんなり納得すると大尉は足早に部屋を出た。
「本人に聞く気じゃないだろうなあのハゲ」
遠ざかる大尉の背中をまじまじと見つめる。
「流石にそこまでデリカシーがない人間じゃないだろう」
「そんな事したら私が許しません」
明日子が強く言った。その後は特にやることも無く解散、各自が部屋に戻った。その後は訓練、自主的なトレーニング、就寝と普通すぎる半日を終える、しかし3人とも訓練の結果に僅かながら支障が出るくらいには仲間思いだった。
「時化のせいでだいぶ艦隊が遅れている…」
ルーと明はまたしても飛行甲板に出てよもやま話を交わす。どこか遠くからヘリコプターの飛行音も聞こえてくる空母の日常だ。
「逆に言えば敵も時化の時は仕掛けてこない、こっちの矛も向こうの矛も相手が見えなければ使い物にならない…」
明は売店で買ったスナックを摘みながら言った。
「じゃあ雨が止んでいる今こそ警戒すべきじゃないか」
空は雲量7と言った具合、チラチラと青空が見える。
「うん、俺もそう思うけど…」
そう言いかけた途端、ヘリのメインローターの音は大きくなった。スナックの袋を抑えて振り返ると2機のシーホークが飛行甲板へアプローチしている。
「物資の輸送じゃないな…」
ルーは持ち前の感で当てる、着艦したヘリからは続々とパイロットが降りてきた。
「おそらく補充組だな」
2人は艦橋の影から甲板に整列するパイロットを眺める。
「航空機は何を使う…流星改か」
ルーがほんの少しの思考の後先日格納庫で見たあの攻撃機を思い出す。
「多分内地で訓練してたのを連れてきたんだ、腕は如何程なのか」
1人ずつ点呼を行う補充パイロットの姿を見て明は呟く。
「うんあの目は新人の目だ、夢と希望で光り輝いている…」
明は嬉しげなような悲しげにも見える顔で彼らの瞳を捉えた。
「そんな適当な…」
ルーが呆れているとまた爆音が空に響く。
「まだ何か来るって言うのか…」
2人とも空を見回すが何の姿も捉えられない。
「何も見えな…」
明が日光で目を眩ませている間にルーが叫ぶ。
「違う!左舷の超低空!」
護衛艦隊をすり抜けながら3機の戦闘機がこちらへ向かっている。
細く薄い胴体に中翼の折れ曲がった翼、固定脚外にはガンポッドらしき物を懸架している。ドイツで敵地上部隊を蹂躙し名を揚げたju87だ。
「スツーカのくせにラッパ鳴らさないのはズルだろ!」
低空で侵入されたから察知できなかったのだろう、もしかしたら味方と誤認した可能性もある。
「敵襲っー!」
誰かが叫んだがもう遅い、敵はガンポッドを甲板に向かって斉射しながら突っ込んでくる。更についでと言わんばかりに小型の爆弾を投げつけるように空母に向かって投下する。
明はルーの手を引いてキャットウォークに飛び込んだ。
「頭下げとけ!」
ルーを角に押し込むと自身がその上に覆い被さる。断続的な爆発音とM2ブローニングの射撃音、味方のシースパローやスタンダードミサイルの発射音が1分ほど続く後に空はようやく静かになった。
「大丈夫か?」
下を向いて両手で頭を守る姿勢を取っていたルーが頭を上げ、目の前壁になってくれた明を気にかける。
「うん、破片が降り注いだくらい…」
明からすれば文字通り目と鼻の先にルーの顔がある。今ならあの蒼い瞳孔の奥深くまで見えてしまいそうだ。
「はぁ〜心臓に悪い…」
張り詰めていた糸が切れたのか、体を起こすと明はそのままルーの横に座り込んだ。
「空母は…被弾したのか…」
ルーが顔を上げて見回すと左舷側から煙が上がっているのが見える。
「おいあれを見ろ…」
もっと深刻なものを目にしたルーは明の頭を叩いて体を起こさせた。
「珍しいなそんなに慌て…て」
明もルーが見つめる方向に目を向けるが驚愕した。さっきまで補充組のパイロットが立っていたところは死体と負傷者が区別つかないほど倒れ込んでいた、駆けつけた衛生兵や付近の他の兵士が救護に当たっている。
「爆弾の直撃か…機銃掃射されたのか…」
込み上げる先程のスナックを抑えながら、自分に冷静でいるよう言い聞かせるように状況分析をつらつらと独りごちる。
「ヘリが爆発して巻き込まれたのかも…逃げる暇もなかったか…」
しかし段々とそれも声にならなくなる。その次に湧き出した感情はひたすらな怒りだった。
「貴様らが居なければみんな平和な生活を送れていたのに!今死んで奴らも、ブティックで服を選んだり、カフェで友人と談笑したり。年相応な生活を送っていたのに…引き金を引くための訓練なんかしなくてよかったのに!お前達が…お前達が奪ったんだぞ!」
誰かに伝えるでもなく、怒りを虚空に向けて解き放つ。
「だ、大丈夫か?…」
ルーは明の突然の変わりように当惑していた、しかし狼狽えつつも明の手をそっと握る。明も握られた暖かい手の感覚で正気に戻り、隣に居たルーの方を振り向くと今にも泣き出しそうな顔をしている。
「今の私には明しか居ないんだ、それなのに明がそんなに我を失って怒ってたら…」
ルーは更に強く手を握る、同時に大粒の涙が頬を伝う。
「ごめん…」
今の自分の立場を把握した、誰かに支えられていると同時に誰かを支えていると。自分も泣きたい気持ちを抑えようとしてルーを強く抱き締める。
「でも俺も同じだ、俺に肉親なんて居ない、今俺の心に寄り添ってくれるのはお前だけだ…ごめん、ごめん…」
2人は暫く涙を零しながら抱き合った後、艦内放送に反応して互いに腕を解いた。
『指揮官のカール・クレメンスだ、敵の威力偵察により我々は損害を受けた。だがこれは敵艦隊が近くに潜んでいる証拠でもある、消火作業と怪我人の救護が終了次第偵察機を発艦させる!以上』
放送はプツンと切れて甲板で作業に当たっている乗員のから流れ出る空気が変わる。全員が戦闘モードに変化した。
「ついに始まるのか…」
2人とも新たな戦いの始まりに身震いする。
「あぁ、こういう威力偵察的な攻撃も増えるかもしれない」
ルーが艦内に戻るために歩き出す。明も間を開けずに隣を歩く。
「その度にこうやって慰め合うのはごめんだね」
明はルーの涙で濡れた肩を擦りながら言った。
「その心配はない、もう私たちは離れていても分かり合える。そんな気がするよ」
ルーは振り向いて笑顔を明に向けた。2人はキャットウォークを進んで艦内に戻る、しかし艦内は怪我人やダメージコントロールのための修理班、衛生兵でごった返している。
「怪我人が大勢出てるんだ、医務室はもう埋まってる!」
「火災はまだ鎮火してない、機体を退かす暇もなかったからな」
各々の専門の会話が絶え間なく耳に届く、そんな中すれ違った1人の衛生兵が明とルーに声をかけた。
「そこの2人!今すぐ医務室に行け、仲間が探してたぞ、あの黒髪の日本人の女だ」
嫌な予感がした。
「どうも、そいつ何か言ってなかったか?」
「早く来いとだけ…」
言葉のシンプルさが状況の深刻さを物語っているように感じる。
「嫌な予感がする、早く行こう」
ルーも同じ何かを予想しているのか明の腕を引く。
「勿論だ」
雑踏を超えて医務室へ向かう。怪我人で埋め尽くされた医務室の隅、ご丁寧にカーテンで仕切られた空間が一つだけあった。
「そこだ、早く行ってやれ!」
明の腕を治療してくれた先生が怪我人の治療を行いながら顔だけ2人の方を向いて怒鳴った。
「は、はい!」
カーテンをめくるとベットに横たわる誰かと横に立ち尽くす里緒の姿があった。顔に白い布がかけられている。打ち覆ひ、それだけで何があったか想像するのは容易だ。
「死んだのか…彼女は…」
「あぁ、運び込まれた直後までは意識があったらしい」
「そんな…」
「こいつ格納庫の左舷側に居たんだ、ロケットが着弾した時にパイプから吹き出した燃料が引火して火炎放射器みたいになったんだと、そこから他の奴守ろうとして…」
ルーは黙ったまま静かに遺体と向き合う。
「明日子…」
あまり長い期間の付き合いではなかった、でも彼女には良くしてもらったし、八丈島に居たあ数日間で作ってくれた食事は別格だった、いつも明るくて、千年に一人の逸材ってレベルには腕も良かった。そんな人がこんな形で最期を迎えるとは3人共予想出来ていなかった。
明がそっと打ち覆ひに手を伸ばすが里緒は俯いたまま言った。
「辞めた方がいい、全身3度熱傷だ生前の面影はない」
「全く、お前が死ぬなら死ぬなら空の上、それも敵のエースパイロットと相打ちとかだと思ってたよ」
力の入っていない足で里緒は立ち上がるがすぐにふらついて膝を付く。
「大丈夫か」
ルーが駆け寄って手を引いて立ち上がらせる。
「大丈夫だ、ブリーフィングもあるからな…いつまでもここに居られない」
「無理する必要は無いから休めよ、代わりのパイロットならいくらでも…」
明が里緒の肩を掴んで止めるがサッと振り払われる。
「行かせてくれ、ちょっとわがままかもしれないけど仇討ちくらいさせてくれよ…」
そのまま2人を振り切って里緒は医務室を後にする。明日子だった物とその場に残された明とルーはじわじわと悲しみが増幅して、嗚咽が止まらなくなった。そこで実感する。あぁ、涙を流さなかった里緒は強かったんだと。
その後担当の兵によって遺体は回収されて、空母の奥深くにある遺体安置所へと送られた。
「誰も悪くない、死んだ人たちはそういう運命だった。でも明日子は違った、誰かの運命のために命を懸けたんだそう簡単に真似できることじゃない」
出撃する偵察機を見送るために甲板へ移動している途中、明がふと口を開いた。
「私達も見習うべきことだ…」
ルーも共感する。そこで明は強く拳を握りしめた。
「あぁ、俺はやるべき事を決めた、協力してくれ」
「勿論だ、なんでも喜んでついて行く」
同時刻、遺体安置所ではもう一度明日子と向き合う里緒の姿があった。
「面と向かって謝れなかった、ごめんな…でも私は行くよ、あんたやあいつのために…お前達が安心出来るように生きてやる。帰ってきた乾杯だ、すぐ戻る」
一輪の花を捧げると彼女は自身の任務に向き合うためにまた歩み始めた。
「まさかあの子が殺られるなんてね…私ほどじゃないけど凄く強かったわよ」
途中で合流したアリスにも明日子の訃報を告げる。彼女も沈痛な面持ちで深く重く聞き入れた。その横ではデルタ部隊と名付けられた偵察機隊が出撃を開始している。
「自信家のお前がそこまで言うって事は余程気に入ってたのか…」
甲板で偵察隊を見送るために3人は待機するが誰も偵察機の事を考えてなどいなかった。頭の中は今は亡き戦友のことで埋め尽くされている。
「そんな事よりも重大な問題があるの…あ゙〜あ、あいつになんて言えばいいのよ」
アリスが天を仰ぎながら葛藤する。
「あいつって誰の事を…」
気になったルーが尋ねるが言葉の途中で何かを察した。
「もしかして吾妻か?」
明も少し遅れて答えにたどり着く。
「そう!なんか明日子と仲良くしてるの見ちゃったのよね…」
「あぁ〜そういう事かぁ〜」
両手で顔を覆って溢れる数多の思考を整理せんとする。
「俺から伝えるしかいだろう」
数秒考え込んだ末にシンプルな結論に至る。
「やっぱそうよね、申し訳ないけど頼むわ…」
3機の偵察機が出撃したところで話題は目の前の偵察隊に移る。
「偵察機は5機出す予定と聞いているが」
甲板に残るF7Fの数に違和感を覚えたルーが尋ねる。3機が出撃して残りの機体は1つだけだ。
「そうだけど昼間ので1機壊れたらしい、小規模な強襲の割に被害が大きすぎた」
焦げ目の付いた甲板、穴の空いた格納庫側面、ちぎれたアンテナ等が被害を物語っている。
「だが偵察機は5機出すらしい、虎の子の流星を使う気かな」
明がそんな疑問を思い浮かべた時、エレベーターが動き出し、格納庫から5機目の偵察機を連れてくる。ガルウィングを畳んだ特徴的な三角形の影が現れた。
「あれはコルセアか」
見覚えのあるコルセアだった、その隣にはパイロットスーツの里緒が居る。
「あれで飛ぶ気なのか」
「彼女なりの向き合い方なんだろう」
後ろでは続々とF7Fが発艦して、四方の空へと消えていく。
「あんまり長話は出来ないぞ」
機体をカタパルトまで移動させる短い間に里緒は2人に気づいて歩み寄った。
「あれで飛ぶ気なのか…」
「あぁ、あれならオプションなしでも1600キロ、増槽を2つ搭載すれば4000キロは飛べる」
よく見るとコルセアの内翼下には大型の燃料タンクが二つも取り付けられている。
「4000キロか、それなら索敵には充分すぎるくらいだ、だが一人で高域を索敵しつつ飛ぶには相当な精神力を要するぞ」
ルーが警告混じりに言った。
「任せろ、この道のプロが故にお前たちとは踏んできた場数が違う」
170センチ代のふたりと比べると小柄なのも相まって忘れていたが彼女は2人より4つ年上でその分パイロットとしての歴も長い。その経験からか余裕を感じさせる表情には何か裏があるように感じられた。その表情に耐えきれずに明は口を開く。
「死ぬなよ」
「あたぼうよ、ここで倒れるようじゃ私もあいつらは成仏しないさ」
そう言うと彼女はゴーグルを装着してコルセアに向かって歩き始めた。
「そうか、思ったより元気そうで安心したよ」
「あぁ、絶対に艦隊見つけてやるから無線機の前で待ってろ」
そう言うと一気にコルセアに駆け寄ってそのまま飛び乗った。
「こんなに前方視界悪いのか、よくこれで飛んでたな」
同じ立場に立ってこそ、新たに分かった明日子の事、そんなものに感化されながらも気を引き締める。誘導員がハンドサインをこちらに送ってくる。問題がないことを確認する。
「デルタファイブ 羽月 F4Uコルセア 出るぞ!」
誘導員の腰を屈めて腕を前に突き出す動きと同時にカタパルトに載せられたコルセアが加速して空母からはじき出される。
高度を1万フィートに保ち巡航速度になったところで自身の担当である南東へと機首を向ける。予測ではこちらの方向が1番敵がいる可能性が高いとされている。
「行ったわね…」
盛大に手を振ったりするわけでもなく、空の彼方へと向かうコルセアをただ黙々と見送った。
「俺は吾妻の所に行ってくる。ルーは計画の準備を頼む」
「わかった、と言っても服を準備するくらいだろう」
「そうだな」
「ちょっと何言ってるか分からない、計画って何の事を言ってるのよ!」
2人は強い足取りで艦内へと戻り、状況を理解できずにアリスだけが一瞬取り残される。明は慌てふためくアリスを巻き込んで3人で計画を実行することを決めた。
「吾妻、話があるんだがちょっといいかな」
2人から離脱した明はスクランブルに備えて待機していた吾妻を呼び付けた。
「隊長、先程の攻撃でお怪我はなかったですか?」
いつも通り明を慕って丁寧に言葉を選ぶ吾妻に余計胸が苦しくなる。
「あぁ、俺は怪我とかしてないが…」
「誰か負傷したんですか?戦えそうにないと言うわけですか…」
全てを察した訳じゃなさそうだが段々と彼の顔が曇る。
「…」
ほんの数秒の躊躇いの後に声を出すことができた。
「明日子が死んだ」
「はい?」
反応はたった一言、乾いた声だけが発せられた。しかし隊長の前で笑顔を作っていた吾妻の顔は次第に歪み、いつもの優しさに溢れる姿も今は思い出せない。
数十秒の沈黙の末に吾妻は歪んだ顔を隠すように振り返り壁に向き合う。
「さっきの攻撃ですか…」
震える声で吾妻は尋ねる。
「あぁ」
その言葉を聞いた吾妻は怒りに身を任せ壁を殴る。艦船なので壁は鋼鉄製だ、傷1つ付かずに吾妻の手にのみ痛みは蓄積する。
「隊長…僕はね…」
普段は敬語を使い明に対しても比較的丁寧な言葉を使うが今はそれすら崩れつつある。そしてその間も頻りに壁を撲り続ける。
「あの人に希望を見出していたんだ、明日子さんならいつかこの戦争を終わらせてくれるって…」
「この人の強靭さなら何にも負けない、この人に着いていくべきだと思ったんですよ。時期に皆がこの人に着いていけばいい。そうすれば皆が生き残りつつ戦争に勝てる…そう考えていました」
まだ壁に殴打を続ける吾妻の拳に異変が現れる。
「血が出てるぞ、気持ちは分かるがその辺に…」
そんな明の静止を掻き消すように吾妻は声を荒らげる。
「そんな人が!こんな形でこの世を去るなんて!あの人は逸材だった、カリスマだった、こんな戦争でジャンヌ・ダルクになり得る可能性があった!それなのに…」
更に拳がペースアップする。そして壁を1発殴る事にリンゴが潰れるようなぐしゃりという音が響く。
「もうやめろ、手が使い物にならなくなるぞ!」
慌てて静止しようと吾妻の腕を強く掴む、しかし吾妻は反射的に腕を振り上げた。血まみれの拳が明の顔面を直撃する。
「ぐはっ」
あまりの激痛でその場にしゃがみこむ、吾妻も反射的に手が出てしまったらしく我に返る。
「す、すいません!怒りで我を忘れて…」
そう吾妻は弁明したがさっきから聞いていて異論を唱えたくなることはいくつかあった。
「殴ったのは許す…でもな」
鼻に付いた血をポケットから取り出したハンカチで拭い垂れてきた鼻血も抑えながら明は続ける。
「あの人ならこの戦争を終わらせてくれるとか言ったな…甘えてるんじゃない!人間ひとりにそんな偉大な力はない、ましてや戦争を終わらせるなんて不可能だ」
「だいたいな、自分だけが彼女の能力に気づいてるみたいな雰囲気醸し出してたけどな…あいつの優秀さなんてみんなわかってた。お前なんかより何倍もあいつと付き合いの長い奴が居たんだ、ずっと背中を預ける関係を続けてた」
自分でどう考えたって殴ったことを許していない、今まで生きてきてこんなにキレたのは初めてだと思う。こんな奴は里緒と比べたらとても情けなくて軟弱だ。
「その人は明日子が死んでもお前みたいにネチネチと御託を並べたりしなかった。彼女が残してくれたものを受け止めて文句1つ言わずに、さっき出撃したぞ」
吾妻は怒る隊長に気圧されて狼狽える。
「お前が真に彼女を認めるというのなら彼女の横に並んで支えてやるのが正しいはずだ!」
「…」
吾妻は何も言い返さずに黙って明の話に耳を傾ける。
「最も彼女はもう居ない、だがお前が同じ考えまた誰かを戦わせようとしたら、今度は敵ではなくお前がそいつを殺したことになるぞ!」
全てを言い切り肩で息をする吾妻に明は立ち上がり背中を向けて歩き出す。
「あとなぁ、ジャンヌ・ダルクは最後敵に捕まって火刑に処されたんだぞ…」
全ての言葉を受け止め立ち尽くしている吾妻を置いて明はこの場を去る。完全に彼には失望してしまった。同時にこんな形で吾妻と決別する事になってしまった自身へも憤りを感じる。
「クソ、前だけを見ろよ。お前にはやるべき事があるだろう」
自分に言い聞かせ、垂れた鼻血を袖で拭った。
数十分後
「俺たち本当に出撃するのかよ…」
12名いた補充組のパイロットは2名が先の攻撃で死亡、2名は重症で残り8人まで数を減らしていた。 そのうちの一人が先の攻撃で死んだ仲間のことを思い出し狼狽える。
「そうだ!もうここまで来てやっぱり無理だなんて言わせねぇぞ、あいつらの仇を討つんだろ!」
血気盛んなほかのパイロットが彼を鼓舞した、しかし他のメンバーもみな恐怖心から意気消沈している。
そんな重く暗い空気の中鉄製のドアがノックされる。
「はい」
新兵の一人が反応して扉を開ける。サングラスで目元を隠す、上下共に鮮やかな赤で身を包んだ女が立っていた。赤を基調とした中一部に黒がアクセントとして取り入れられたノースリーブのジャケット、手袋も同じように真紅に染まっている。
「補充組のパイロット達で会っているかな?」
「えぇそうですけど」
新兵は昔見たロボットアニメに登場するキャラクターを連想させた。その後ろには真っ白なゴムマスクで覆ったつなぎ服の男が立っている。目以外の全ての顔のパーツが覆われて表情が分からない。2人ともとても軍属の人間らしくない格好だ。
「新しい任務を伝えに来た、全員聞いてくれ」
そう言って2人は多少強引に部屋へ押し入った。
「は、はぁ」
美人への驚きよりマスク姿の男への恐怖が勝る。
「襟章を見ろよ、赤色の方は大尉だぜ…」
新兵の一人が仲間に耳打ちした。
「あんな辺鄙な上官の下で戦うなんてごめんだ…」
2人共顔を背けて上官のハズレっぷりに絶望する。
「大変失礼な質問であることは承知なのですが、おふたりは何者なのでしょうか…」
生き残った新兵のうち唯一の女性が怯えつつも勇気を振り絞り変人2人に質問する。
「私は君たちの上官ということ、それだけ覚えてくれればいい…隣のは私の部下だ、顔のマスクは傷を隠すための物だよ」
入ってからマスクの男はずっとだんまりだ、喋ることすらままならないのだろうか。
(なんで作戦説明なのに工具箱持ち歩いてるんだ…)
男の右手には大きな工具箱が力強く握られている。
全員の中心に立った真紅の女は声を張る。
「先程の敵艦隊攻撃の作戦が発令した!しかし君達は空母に留まってもらう!未熟な貴様らを戦場へ連れていくことはできない!」
力強い声で彼女がそう言った瞬間部屋の照明が暗転した、室内は窓もないので完全な暗闇へと変貌する。
「なんだ、停電か!」
状況の分からない新兵は驚き慌てふためく、さらに追い打ちをかけるように暗闇に仲間の声が響く。
「うぐっ!」
バキッ!
「あぁ!腕がァ!」
ドゴッ!
「折りやがったな、うっ!」
ひたすら仲間が一方的に痛めつけられるような声が響く。しかし敵の姿は捉えられない。人を殴打するような音が数十回響いたあと、室内には彼の息遣いだけが響くようになった。
「俺たちをはめやがったのか!」
暗闇の中手探りで部屋の角へ逃げたが何も抵抗できずただそうやって叫ぶ。しかし返ってきた言葉は冷酷だが慈愛に満ちていた。
「俺たちは人間じゃない、敵を殺すための機械に成り下がってしまった、確かに戦いに身を投じることで栄光は見い出せたよ。でもこの栄光は束の間の幻想みたいなものさ…光が消えた先には暗闇しか残らない」
何処からともなく男の声が聞こえる、仲間の誰のものでもない。おそらくマスクの男の声だろう。
「そんな所まで君達を連れていく気は毛頭ない。この戦争と比べたらほんの片時かもしれないがこの戦いは私たちに任せてくれ」
今度はさっきの赤い女の声だった。
しかしその直後に彼も他の7名と同じように一方的な暴力の後に気を失った。
同時刻 数百キロ遠方の海上
「シケてるな、鳥1羽も飛んでない…」
里緒は不慣れなコルセアのコックピットに難儀しつつ敵艦隊捜索を続けていた。乱層雲の隙間を縫うように飛びながら海上に目を光らせる。
「いきがって出てきたがワンオペは堪えるな…」
索敵も操縦も航法の計算も全て自力で行わなければならない。二次大戦の頃もラバウル航空隊ではよくあることだったらしいが今はGPS等にある程度頼ることができるのでまだマシなのだろう。もっとも人工衛星の多くは敵が侵略の際に破壊されたので大した数は残っておらず自力での計算の補助程度にしかならない。
「お前は計算速かったよな…なぁ相澤よ」
虚空に向かって声をかけるが返ってくる言葉はない。離陸の時までは鬱陶しいほど付き纏っていたのに今は全く見えもしない。
「私には悪霊でも憑いてるのかな、自分ばっかり生き残って周りの人間ばっかり苦しんでいく…この任務が終わったら後方にでも転職しようかね」
航路図に自機の位置を書き込みながらぶつくさと独り言を続けていたら座席の隅にペンを落としてしまった。
「あっ、クソ」
転がっていくペンを目で追っていると1つの木箱が目に入る。
「なんだこれ…」
任務中であることも忘れて箱に手を伸ばす。
「サバイバルキットならこんなに小さくないし木で作らんだろう…」
両手に収まるような木箱、なんの躊躇いもなくロックに手をかけて蓋を開ける。あと少しで中身が見えようという時、機体に衝撃が走る。バンバンという外板に被弾する音が響いた。衝撃で機体はバランスを崩し木箱の中身が飛散した。しかしそんなもをに気にする暇はない。
「うっ」
自身も鋭い痛みを覚えるが戦闘開始のアドレナリンですぐに打ち消される。
「敵襲か!」
瞬間的に右翼の燃料タンクが発火したが自動防漏タンクのおかげで消火される。
すぐに下方へ目を向けると数十機メッサーシュミットbf109とシーファイアが数百メートル低空で跳梁跋扈している。おそらく上からの一撃離脱で下方にエスケープしたのだろう。
「神はまだ私の事見放しちゃいないらしい!」
敵戦闘機を振り切るために旋回して乱層雲に逃げ込む。スロットルを握る左手がやけに痛むがそんな事は気にもとめない。
「迎撃機が居るってことは母艦が近いか、またしくじったな…」
自身の愚鈍っぷりに苛立つが一旦忘れて任務へ集中する。敵艦隊を捜索するために雲の下へ降りる。
「賭けだな…」
振り切った敵戦闘機に発見される可能性もある、それに敵艦隊の対空砲火も脅威だが、任務遂行のため、そして同時に2人に安心してもらうために覚悟を決める。
「…考えるな、動け!」
操縦桿を倒し機首を下へ向けた、コルセアは雲を抜けて眼科に広がる大海原を望む。
「ビンゴだ!」
曇り空の切れ目、太陽の光が差し込む空間の真下に敵艦隊の姿が見える。すぐに無線をオンにして報告する。
「こちら5番機、敵艦隊を見ゆる空母4、戦艦2…壊れてるのかクソ!」
違和感を覚えて無線を怒りに任せて叩く、しかしうんともすんともいうことはない。先程の被弾で破損したのだろう。
「生きて帰れって言いたいのか…」
壊れた無線も今はメッセージのように感じられた。
「お前たちがそこまで言ってくれるなら私も報いるしかないな…」
対空砲火は届かない位置だが後ろには案の定敵機が迫っている。
「私は生きる、生きてあいつらに報いる!」
スロットルを全開にして急降下、海面に飛び込む勢いで速度を稼いだ、しかし引き離すことは叶わず曳光弾が降り注ぐ、里緒は海面ギリギリで引き起こす。追尾していた敵機のうち1機が引き起こしは叶わず海面に飛び込んだ。海面に敵機が叩きつけられた爆音を聞いて里緒は後ろを確認する。残りはシーファイア1機だった。
「これについてこれるか!」
高度20メートルからから微細な操縦桿の操作でさらに高度を落とす。高度計は限りなくゼロに近い値を示した。立ち上がる波が翼を叩く。
そしてそれに無理に追従した敵機は僅かにコントロールを誤り海面に捕らえられた。
「よしっ、このまま空母まで逃げる!」
そのまま超低空を維持しつつ数分飛んだところでようやく自身の現状に目を向けることができた。左腕の上腕からダラダラと血が漏れ出す。止血のためにスロットルから手を離そうと力を抜こうとするが上手く出来ない。
「ん、クソッ」
ほんの少しだけ高度を上げ、右手で無理やり動かない左手を引き離す。その間アドレナリンが切れてじわじわと血の滴る左腕に激しい痛みが現れる。パイロットスーツの上腕部には大きく被弾痕が刻まれている。ようやく自身の状態を理解した、左腕がちぎれるかけているんだ。
「冗談じゃない」
震える右手で鎮痛剤を手に取る、操縦しながらで余裕もないので用量も気にせずにポロポロとこぼしつつ口に放り込む。しかしこんなもの気休めでしかない。一瞬首元に付けているスカーフに手を伸ばすがそんな生易しい物ではいけないと考え、壊れた無線機の配線を手に取る。
片側の端子を口にくわえ、器用に左腕に巻巻いて強く締め上げる。
「うっ!」
強い痛みが津波のように脳に押し寄せるが出血は止まった。この間定期的に操縦桿を握り機体を制御する。自分にこんな芸当をするだけの力が残っていた事に驚くが一時的な安寧を取り戻した。右手で操縦桿をしっかりと握り直す、役に立たない左手は単なる錘と化している。
「空母に戻れるだろうか…」
信じれるものは自分が書き込んだ地図だけだ。新たな不安が込み上げた矢先、計器盤に張り付いた写真に目移りする。こんなものを貼り付けた記憶はない。しかしそれは己の血でべっとりと計器盤に張り付いている。半分が赤く染った写真をよく見る。城戸司令、相澤、明日子そして自分の4人が集まった他愛とのない集合写真だった。丁度相澤と明日子の写っている部分のみ血で染まっている。こんな写真を持ち込んだ覚えはない、きっと木箱の中身はこれだったのだろう。
「縁起でもない!」
張り付いた写真を引き剥がして投げ捨てる。
「私はもう死人に引っ張られたくない!だからお前達もさっさと私なんかに構わずに自由にしろ…もしまた会いたいってなら…」
疲労と失血による意識の混濁が始まる。必死に右手に力を込めて耐えようとするが独り言は途切れ途切れになり意識も弱まる。
「全部…終わわせて…それから…」
ここまで保った精神力もこれまで、意識は完全に消失した。コントロールを失ったコルセアは蒼い深淵へと進む。
「担架だ!」
「左腕が千切れかけてる…失血死するぞ!」
そんな声で目が覚める、天国らしさも地獄らしさも感じられない。
「馬鹿な…着艦した覚えは…」
掠れた声で呟く、しかしそんな声は無視されて傾いた機体から引きずり出される。とりあえず助かったらしい。担架に乗せられながら、ただ一つ心の底から言葉が浮かび上がる。『ありがとう』そんな思いが何処かの2人へと馳せた瞬間また深い眠りへと戻った。
第六章 END
第六章機体解説
1.F7Fタイガーキャット(グラマン)
グラマンが開発した、圧倒的なパワーを誇る双発艦上戦闘機である。2,000馬力級エンジンを2基搭載し、最高時速は740kmに達する。20mm機関砲4門と12.7mm機銃4門という重武装に加え、前輪式降着装置を採用した先進的な設計が特徴とされている。その巨体ゆえに当初は空母での運用が困難とされたが、抜群の加速力と上昇性能を誇った。第二次大戦には実戦配備が間に合わなかったものの、後の朝鮮戦争では夜間戦闘機や偵察機としてその高性能を遺憾なく発揮した、レシプロ双発機の極致といえる存在だ。
2. 百式司令部偵察機(三菱重工業)
「敵戦闘機を上回る速度で振り切り、情報を持ち帰る」という思想で設計された、日本軍機屈指の高速偵察機である。徹底的な流線形の機体設計により、大戦初期には連合軍のどの戦闘機も追いつけないほどの圧倒的な快速を誇る。その洗練された姿は連合軍からも「空のユリ」と称賛され、戦略情報の収集において終戦まで替えのきかない殊勲機として活躍した。
戦後、英軍が行ったテストでも、その高性能に驚嘆の声が上がったと言われている…でもお前らモスキート持ってんじゃん。
2. Ju87 スツーカG型(ユンカース)
急降下爆撃機の代名詞であるスツーカを、対戦車攻撃用に特化させた型式である。主翼の下に「37mm対戦車砲」を2門搭載し、その外見から「大砲鳥(カノーネンフォーゲル)」と呼ばれていた。旧式ながらも、伝説的エースのルーデルらに操縦され、ソ連軍の戦車を次々と撃破する驚異的な戦果を挙げる。低速ゆえの精密な射撃で戦車の上面装甲を狙い撃つ、まさに東部戦線の「戦車殺し」として恐れられた異形の攻撃機だ。
3.シーファイア(スーパーマリン)
イギリス空軍の傑作機スピットファイアを海軍向けに改修した艦上戦闘機である。ベース機の優れた速度と卓越した運動性能をそのまま海へ持ち込み、艦隊防空の要として活躍した。しかし、華奢な陸上機の設計を無理に転用したため、狭い甲板への着艦や脚部の強度不足に悩まされるという「繊細な貴婦人」のような一面も見受けられた。それでも改良を重ね、大戦末期の沖縄戦や日本本土空襲では、その空戦能力を存分に発揮して英国海軍の意地を見せつけた。
答え合わせというか私の書き方が下手くそで伝わらなかった人に解説すると、新人を襲った時の2人の変装はルーさんがクワトロ・バジーナで明君がスケキヨです。なんでこんなのにしたのか私も分かりません。深夜テンションでしたヨ…
追記 ぶっちゃけスケキヨに関してはジェイソンと迷った。