強化人間C4-621が、人として幸せになる為に 作:03-AALIYAH
割とあっさり目に終わる予定ですが、その代わり1話ごとの文量が今回のように多くなりそうです。
闇銀行の描写はサオリの絆ストーリーを参考にしました。
レイヴンは基本弾薬の消費をケチってます。
貧乏性ですね。
MISSION07 口座開設
「来たよ」
その言葉は、埃の積もったフロアに吸い込まれるように消えていった。
錆びついた扉を押し開けると、薄暗いオフィスの奥で、黒服が静かに立っていた。
二週間前と同じ場所。
そして、二週間前と同じ姿勢で、まるで時が止まっていたかのようにそこに居た。
「ええ、お待ちしていました。その様子……ここに来たということは、やはり」
乾いた声。感情の波ひとつない口調だった。
だがその瞳のようなひび割れは、私がここに現れることを最初から知っていたように、静かに細められている。
今、私はこの人のような形をした異形との取引に応じるため、ここへ来た。
「うん。取引に応じるよ」
自分でもそう思うくらい淡々とした声が出た。
黒服は僅かに頷き、机の上に置かれた小さな黒い箱を開けた。
「分かりました。では、これを」
中から取り出されたのは、前にも見せられた黒光りする腕時計だった。
金属の縁が薄く冷たい光を帯び、ベルトは人工皮革のような質感をしている。
私はそれを受け取り、左手の手首にはめてみる。
真っ黒な見た目は、意外と灰白色のコートに馴染んでいる気がした。
「これが契約書です。サインをお願いします」
次に差し出されたのは、一枚の紙束だった。
紙はやや黄ばみ、角が少し折れている。内容にざっと目を通す。
契約期間は半年。
その後は、こちら側の意思で一方的に打ち切ることができる。
支援内容は、ブラックマーケットにおける身分と口座の構築、そして弾薬費の補填。
黒服が保証人になるという形らしい。
……ここの文字は、私の知るルビコンであったものとは違うのに、何故か読めるし書ける。
でも、どうして私は読み書きを知っているんだろう。
誰に教わった? いつ?
頭の奥で何かが微かにざらついたが、今はどうでもいい。
ひと通り目を通し、感じたまま疑問を口にした。
「私は身分というものを持っていないから、サインをする意味が無いと思うんだけれど」
「おや、つれませんね…まあ、形式的なものですので」
私は差し出されたボールペンを手に取り、紙の一番下へと視線を落とす。
ペン先を紙に押し付けると、かすかな抵抗のあと、黒い線が走る。
Ravenっと。
それが私の名前。
私の、今ある形。
たとえ最初が偽名だったとしても、だ。
「仕方ない。……これで良い?」
そう言って紙を差し出すと、黒服はそれを両手で丁寧に受け取った。
「ええ、確かに受け取りました」
音もなく紙をファイルに挟み込む手つきは、とても丁重さを感じさせた。
その指の動きすらも、何かしらの儀式の一部のように見える。
「ブラックマーケットにはどう向かえば良い?」
「こちらで迎えの者を用意しています。一応は住まいとなるであろう物件も確保しておきました」
「分かった」
「では、私はこの辺で。直ぐにでも迎えが来ると思いますよ」
そう言うと、黒服の身体が黒い穴に吸い込まれるように、音もなく掻き消えた。
空気がわずかに揺れる。残ったのは、コンクリートと、そこに積もる埃の匂いだけ。
『去ったようですね。……こちらへと接近する反応があります。どうやらそれが彼の言う【迎え】であるようです』
エアの声が、ハンドキャノン越しに静かに響く。
私はそれに短く頷いた。
階段を降りる。
踏みしめるたび、コンクリートの粉が靴底でざり、と鳴る。
外に出ると、乾いた風が頬を撫で、遠くで低く唸る音が聞こえた。
最初は風の音かと思ったが、それはすぐに違うと分かった。
──プロペラ音。
少しずつ、確実に近づいてくる。
空を見上げると、雲を裂くように一機のヘリが姿を現した。
艶のない灰色の機体。マーキングもなく、軍用とも民間ともつかない無機質な形。
やがてゆっくりと降下し、コンクリートの広場に着地した。
巻き上がる砂埃が髪を揺らし、身につけているすべてが微かに振動する。
「どうぞ、お乗りください」
ハッチが開き、中から現れたのはロボットだった。
無機質で整った見た目をした、光のないメインカメラがこちらを向く。
これはたぶん、オートマタと呼ばれる類の存在。
私は黙って頷き、言われるままに座席へと乗り込む。
座席の革が冷たく、背中を押し返すように硬い。
シートベルトを締めると、金属がかすかに軋み、ヘリがゆっくりと浮き上がった。
体が地面から離れる感覚がし、胸の奥に、言葉にならない違和感が広がる。
けれどそれは恐怖ではなくて、ただ、世界がゆっくりと遠ざかっていく、その静けさに似た感覚。
窓の外に広がるのは、無数の砂丘と崩れかけた建造物の群れ。
小さくなっていくアビドスの影を見下ろしながら、私はそれを実感していた。
ヘリは風を切り裂き、黒い煙のような空の彼方へと消えていった。
※
ヘリは砂煙を巻き上げながら、低く滑るように飛んでいた。
私はただ、自分が去ったアビドスの方を向いて眺めていた。
もう見えないが、視線の先にあるのは赤茶けた砂漠と、崩れかけた建物の群れ。
脳裏によぎった、鉄の骨組みだけを残して沈黙する建造物たちはまるで巨大な墓標のようだった。
『高度を下げています。どうやら目的地に到着したようです』
エアの声に頷き、下を見た。
薄汚さを感じさせる繁華街の郊外に、ひときわ大きな建物が見える。
屋上にはヘリポートらしき白い標識。
機体はそこで旋回し、緩やかに降下を始めた。
着地する衝撃が、骨の奥まで伝わる。
プロペラの轟音が一瞬だけ強まり、そして次第に弱まっていった。
「どうぞお降り下さい。私はこれから別の仕事がありますので、ここで失礼。依頼主は下の階にいらっしゃいます」
操縦席のオートマタが振り向かずに言った。
「分かった」
私はシートベルトを外し、重い扉を押して外に出た。
熱い風が頬を叩き、髪を乱す。
背後でドアが閉まり、すぐにローターが再び回り始めた。
ヘリはまるで逃げるように上昇し、あっという間に空の彼方へと消えていった。
ヘリポートからドアへ向かう。
足元には割れたガラスと小石。踏みしめるたびに、かすかに音が鳴る。
壁には古いポスターの残骸が貼り付いており、風に揺られて端がはらりと落ちた。
一見、アビドスの廃ビルよりはまだ“使われている”ように見えるが、それでも人の気配は薄い。
埃と油の混じった匂いが鼻を刺す。
中に入ると、階段の奥から照明の光が漏れていた。
下がっていき、とある一室に入ると、やはりそこに黒服は居た。
あの時と同じように、デスクに腰掛け、両手を組んで私を待っていた。
……この人(?)、毎回どこからデスクを用意してくるんだろう。
ここに来るたびに違う場所なのに、机も椅子も、まるで一式ごと瞬間移動しているみたいだ。
「またお会いしましたね」
相変わらず穏やかな声。
その声音には温度がなく、けれどそれは無礼でもない。奇妙に整っている。
「私はこれからどうすれば良いの?」
「そうですね……まずは貴女が滞在することになる部屋へとご案内しましょう。不要な荷物などを置いたその後は、早速仕事をしてもらいます」
「分かった。部屋はどこにある?」
「今から説明します。今居るこの建物は、貴女が拠点として活動することになるブラックマーケット、その郊外にあたります。そして、貴女に用意した拠点はここのすぐ近くです」
黒服は立ち上がり、机の上に投影されたホログラムを指先で操作した。
淡い光の地図が空中に浮かび、赤い点が一つ、点滅する。
「座標は……ここですね。ちょうど良い物件がありましたので使わせていただきました。そこに用意したPCに、依頼内容はすでに送ってあります」
「……何故そんなにも羽振りが良いのか聞きたい」
そう口にすると、黒服は少しだけ口角を歪めた。
あくまでも比喩だが、感情というものはしっかりと表れるようになっているらしかった。
そしてそれは笑みとも、溜息ともつかない奇妙な表情だった。
「前にも説明したはずですが……まあ良いでしょう。ある日、突然出現したそれは、子供と大人の中間に位置しながらも表面的には“生徒”として存在し、その神秘の根源はキヴォトス由来のもので非ず。本来発見されるはずのない【杖】を所持し、戦闘力はあの暁のホルスと匹敵する。──そんな存在が、貴女ですよ」
一気に言葉を畳みかけるような口調。
普段の淡々とした話し方からは考えられないほど饒舌だった。
「言っている意味が分からないんだけど」
「ええ、まあ。端から理解してもらえるとは思っておりません。ですが私個人としては、将来利益を生む可能性のある存在に投資をしている──それだけの話です」
「私が、そんなに?」
「ええ。貴女にも、心当たりがあるのでは?それに……これは直感ですが。
【利益のためにわざわざ騙すような真似をすれば、むしろこちらが損害を負う】。
そう感じさせる雰囲気を、貴女は纏っているのですよ」
「……………」
ただ黙って見返す。
黒服はそれを確認するように小さく頷き、すぐに話を戻した。
「……ひとまず話を戻しましょう。用意した拠点には最低限の生活用品と、前の入居者が残したいくつかの物品があります。ですが嗜好品や装飾類は当然ながら用意しておりません。食料も最低限ですので、自分で調達していただく必要があります」
「充分。ありがとう」
「いえ、あくまでビジネスですので」
彼はそう言って、机の引き出しを開けた。
そして小さなカードを取り出し、私の前へ滑らせる。
「それと最後にこれを。あくまでペーパーカンパニーですが、身元の保証は必要になると思いますので」
カードには、私の所属と名前が書かれていた。
全て虚構のものだが、しっかりと必要とされるのだろう。
手渡された名刺を胸ポケットにしまい、私は無言のままその場を離れた。
外へ降りて歩けば、砂混じりの風だけが耳を撫でていく。
指定された座標まで歩いて数分。
そこにあったのは──ただの、廃墟だった。
壁は壊れ、天井は途中から崩れ落ちている。
窓は全て割れ、金属枠が錆び付いて茶色く変色していた。
ここが“拠点”だなんて、冗談にしても悪趣味だ。
「まさかここ……なんてことは無いよね」
思わず口に出した言葉に、ホルスターから静かな声が返る。
『地下に空間があることを確認しました。前方三メートル先に入口を検知。地上部分は地下施設の存在をカモフラージュするための隠れ蓑のようです』
「なるほど。そういうことね」
少しだけ胸を撫で下ろす。たしかにここは、自分にピッタリかもしれない。
前方に敷かれた古びたカーペットをめくると、下から木製の蓋が現れた。
金属の取っ手を掴んで引き上げると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
中へ続く階段が、闇の底へと伸びている。
足音を立てぬように一段ずつ降りる。
やがて視界に広がったのは、灰色がかった白壁に囲まれた地下室だった。
思ったより広い。
無骨な照明が天井から下がり、金属の匂いと古い埃の匂いが混ざっている。
右手の壁にはガンラックとハンガーが整然と掛けられ、その下には、おそらく食料品と思われる段ボール箱がいくつも積まれていた。
確かに最低限──それ以上でも以下でもない。
靴を脱いで上がると、通路の先に四つの扉が見えた。
右手にひとつ、左手に二つ、奥にひとつ。
まず右奥の扉を開ける。
階段を一段下りた先は、作業場だった。
フローリングの廊下と違い、こちらは玄関同様に打ちっぱなしのコンクリートの床だ。
古い旋盤、プレス機、工具棚。
どれも丁寧に整頓されているが、長く使われていない為に埃の層が薄く積もっている。
──これは、前の住人の趣味だろうか。
製造か、あるいは修理か…はたまた改造か。
どちらにしても、長らく使われていないようだ。
扉を閉め、廊下へ出て右に……丁度玄関から見て一番奥の部屋だ。
そこは洗面所とトイレのようだった。
トイレの床には青いタイルが規則的に貼られ、中央の脱衣所には小さな洗濯機が置かれていた。
部屋の中の左の扉を開けると浴室がある。
自由度の高い地中に埋もれた空間ゆえか、ホシノの家のものよりも一回り大きい。
再び廊下に戻り、右手のドアを開ければ、そこは寝室だった。
奥にはホシノの家で借りていたような布団ではなく、シーツのかかった白いベッド。
その右側には白木のデスクと椅子、机の上にはノートパソコンが一台。
そしてその隣に、一枚のメモが置かれている。
走り書きのようでいて整った文字で、何かのアドレスが記されていた。
『これを使って、そこのPCで連絡を取れ……ということでしょうか』
「多分」
最後に残った扉を開けると、そこは小さな居間だった。
右手に簡素なキッチンと冷蔵庫。
左側の壁沿いにソファとローテーブル。
家具はどれも質素だが、配置にわずかに“人の手”を感じる。
作業場との落差が妙に気になる。
前に住んでいたのは、どんな人間だったのだろう。
『ひとまず荷物を置いて、依頼内容を確認しましょう』
「そうだね」
私は入口に戻り、肩から提げていたカバンを床に下ろした。
寝室のデスクに座り、パソコンの電源ボタンを押す。
薄い電子音とともに画面が明るくなり、何の認証もなく起動する。
「ここからどうすれば良いのかな」
『ひとまずブラウザを起動させましょう。青と緑のアイコンです』
「……これ?」
クリックすると、別の画面が開く。
見慣れないUIだが、どこか懐かしい既視感がある。
白い検索枠が表示され、エアの声が続く。
『では、その白い枠にメモの文字列を入力して下さい』
私はメモを見ながら、キーボードを叩いた。
カタカタと小気味良く音が響き、最後にエンターを押すと、画面が一度暗転して別のインターフェースが立ち上がった。
黒を基調としたUI。
右上に「Raven」の文字。
左側には「Mission」「Board」などの項目が並んでいる。
……ルビコンで使っていたシステムと、非常によく似ている。
ミッションの欄を開くと、地図を背景に依頼名が一つだけ浮かんでいる。
カーソルを合わせると、マップ上に赤いマーカーが現れた。
「これで、正解だよね」
『そのようです。まずは依頼内容を確認しましょう』
表示されたミッション名は「口座開設」。
内容をクリックすると、詳細ページが展開された。
▢ 《B》口座開設
□場所
ブラックマーケット中央銀行
□内容
口座の開設
□報酬
¥ ─
□備考
身分確認の際には事前に渡した名刺を使うこと
詳細を開くと、画面の中で黒服の文体そのままの説明が続いていた。
ミッションの内容を説明しましょう。
これは依頼というより、その前段階にあたります。
貴女がこの形式にまだ慣れていないと考慮し、最初の“準備”として設定しました。
こちらからも貴女へ依頼を斡旋しますが、傭兵として今後活動するにはブラックマーケットの依頼を受けることが不可避です。
報酬の受け取りには口座開設が必須。
手続きの効率化のためにも、まずは銀行で口座を開設してください。
場所はマップに表示されます。
窓口で「口座を開設したい」と告げ、身元の保証を求められた際には、先程お渡しした名刺を提示すれば問題なく進むでしょう。
『こちらでマップを確認しました。経路については私が案内します』
「ありがとう、エア」
私は椅子から立ち上がり、装備を確認する。
今朝アビドスを発つ際に支給されたショットガンを肩にかけ、ホルスターにはハンドキャノン。
マガジンの残弾を確認し、スライドの動作を確かめる。
指先の動き一つひとつが、もう自然と出来るようになっていた。
戦闘は避けるに越したことはない。
だが、このキヴォトスでは避けられない時のために備えることは必須だろう。
靴を履き、地上へ続く階段を登って蓋を閉め、上からカーペットを戻して隠す。
外は依然として乾いた風が吹き、太陽は高く持ち上がっていた。
私は無言で息を整え、目的地───ブラックマーケット中央銀行へと歩き出す。
「……栄えてるね」
口をついて出た言葉は、感嘆というより、どこか戸惑いのようだった。
荒廃した外壁を抜けて辿り着いたブラックマーケットの街並みは、予想していたようなバラックの山ではなかった。
金属の軋むような喧騒、明滅する看板。
通りには顔のいかつい獣人やどこぞの不良、それに身分の分からない者たちが行き交い、どの顔にもそれなりの活気や疲弊が入り混じっている。
露店では色々な食べ物が並び、奥まった路地からは笑い声と喧騒が同時に聞こえてきた。
アビドスより、よほど“生きている”場所だと思う。
当然だが、砂に沈んだ街よりもここには熱があるからだ。
『少し調べてみました。
ここブラックマーケットはキヴォトス内の犯罪組織が集まる場所ですが、その規模はひとつの学園に匹敵します。
キヴォトスの犯罪発生件数、まさにその約二割がこの区域に集中しており、専門の流通コミュニティ、資金洗浄を担う闇銀行、果ては治安維持を行うマーケットガードと呼ばれる組織まで存在します。
自治制度が確立している分、構造としてはひとつの学園に近いようです。ゆえに──アビドスよりも栄えているのは当然と言えることでしょう』
「なるほど。やっぱりエアは頭が良いね」
空気は埃っぽく、香辛料のような匂いが鼻をくすぐる。
生の混沌がここにはあった。
「なら、当分の間はここで活動できそう」
『そうですね。口座が開設できれば、すぐに依頼の確認も行えます』
足元に溜まる砂を踏みしめ、通りを抜ける。
周囲の喧騒は絶えず続くが、どこか薄膜を隔てたように遠い。
人の流れの中に居ても、誰の目にも映っていないような感覚を覚える。
それが少しだけ、心地よかった。
やがて、目の前に高層ビルのような建物が見えてきた。
正面には古びたエンブレム──「Black Market Central Bank」と刻まれた文字。
見た目は整っているが、人工的な冷たさを帯びている。
『どうやらここが目的地のようです。さっそく中へ入りましょう』
「うん」
自動ドアが音もなく開く。
中は外の喧噪とは対照的に、ひどく静かだった。
空調の低い唸り声と、光沢のある床。
人影は少なく、機械音だけが空間を支配している。
私は窓口へ歩み寄り、設置されたベルを押した。
軽い音が鳴ると、奥から一体のロボットが姿を現す。
顔面に当たる部分のディスプレイには、プログラムされた笑顔。
「お客様、どのような御用でしょうか?」
「口座の開設がしたいんだけど」
「承知しました。まずは学園の所属をお願いします」
「そんなものはない」
言葉が落ちた瞬間、ロボットの動作が一拍止まる。
その表情──いや、表示された顔が一瞬だけ固まった。
「え、えぇと……それは、少々……。では他に、身元を確認できるものはございますか?」
「はい」
ポケットから黒服に渡された名刺を取り出し、無言で差し出す。
ロボットは光学センサーでそれを読み取り、沈黙したまま確認を終えると、声を落ち着けた。
「……確かに確認しました。では、簡単な審査をさせて頂きますね」
「審査?」
「といっても形式的なものです。ご安心を。──では質問にお答えください」
無機質な声が淡々と続く。
私は頷き、出される質問に順に答えていった。
アビドスでのこと、ルビコンでのこと。
思い出すたび、体の奥に鉄の味が戻ってくる。
まぁ思い出すにしても、言わなくてもいい事を言う訳ではないが。
「何か得意な仕事はありますか?」
「荷物運び、掃除、不良の掃討……それに、企業の展開する主力部隊の殲滅とかかな」
ロボットは一瞬だけ沈黙した。
そして、電子的なノイズ混じりの声で笑った。
「なるほど……最後のはジョークと受け取っておきますね」
別に冗談のつもりはなかったが、訂正する意味もない。
私はただ頷いた。
そこからも質問は延々と続いた。
どんな武器を使うか、戦闘時の行動パターン、所属経験の有無──。
やがて、数十分が過ぎた頃にようやく声が止んだ。
「質問は以上になります」
「後は何か無いの?」
「ええ、最後に“実技テスト”がございます。では、ご案内しますね」
案内された先は、鉄の壁で覆われた広間だった。
冷たい照明が金属床を照らし、反射した光が天井に淡く跳ねる。
不自然な静けさ。
奥のドアが開き、数体のオートマタが姿を現した。
黒い装甲、同じ顔。
──マーケットガード。
反射的に、私は銃を構えていた。
空気が少しだけ重くなる。
「テストの内容は実にシンプルです。私たちマーケットガードを相手に、どれだけ耐えられるかを見せてください」
「確かにシンプルで、簡単だね」
「長く耐えるほど、貴女の【価値】が高く評価されます。──準備はよろしいでしょうか?」
「大丈夫。それと……壊しても弁償の必要はないよね?」
「ええ、ございません。もっとも、そのようなことは不可能でしょうが──では、始め!」
合図と同時に、金属の脚音が一斉に鳴り響いた。
オートマタたちが進み出てくる。
銃を構えるより早く私はダッと踏み込み、先頭の個体の腹部を蹴り潰した。
ゴシャァという金属がひしゃげる音が発せられる。
内部のフレームが粉砕され、火花が散った。
「……うん、人じゃないしやっぱり蹴りが楽」
「……え?」
従業員の戸惑いの声が後ろから漏れたが、気にしない。
潰れたオートマタを遮蔽物にし、その陰から飛び出してくる個体の胸部をショットガンで撃ち抜く。
少しの反動が腕に響き、薬莢が床に跳ねる音が小さく鳴った。
動作は単調だった。
私が一体倒すごとに、数を減らしていく。
構造も戦術も単純すぎて、蹂躙という言葉がこれほど似合う光景も珍しい。
やがて、最後の個体が崩れ落ちる。
部屋の中には、焦げた金属とオイルの匂いだけが残った。
銃を下げ、リロードする。
……だが、次のウェーブは来ない。
あまりにも静かだ。
「もしかして、これで終わり?」
「え、えっと……ここまでだとは……予想外でした……」
従業員の声が震えていた。
対して、私は淡々と返事をする。
「とりあえず、終わったなら口座を作ってほしいんだけど」
「そ、それは……」
「出来ないの?」
「はいっ! 今すぐに作らせて頂きます!!」
ロボットの従業員の顔は、はっきり怯えていた。
私のどこに恐れる要素があるのだろう、と少しだけ首を傾げる。
ロビーに戻ると、先程までの静けさが嘘のように、空気が張り詰めていた。
数分後、通帳を差し出す手が小刻みに震えている。
「……ありがとうございます。またのご利用を……」
「うん、よろしくね」
私は通帳を受け取り、背を向けた。
扉を押し開けると、外の喧騒が一気に流れ込んできた。
拠点に戻ると、まずカーペットをずらして床の入口を開ける。
地下へ続く階段を降り、ガンラックにショットガンを掛けた。
段ボールを開け、食糧と水のパックを取り出す。
それからコートを外し、居間へ向かう。
ハンドキャノンだけは手放せない。
寝るときまでは、いつでも届く場所に置いておくつもりだ。
居間にあるラックへコートを掛け、ハンドキャノンをそっと横に置く。
照明を点けようとした瞬間、エアの声が響いた。
『折角ですし、居間で食べるのはどうでしょうか』
「確かに」
スイッチを押すと、部屋が白い光に満たされた。
古びたソファに腰を下ろし、黄色いボール紙の箱を開ける。
中には無機質なブロック状の食糧があり、噛むたびに乾いた音が口内に響いた。
味はしないけれど、少しばかり感じていた空腹感が消えるのを感じた。
味覚が戻るのは、まだまだ先のことだろう。
食べ終わった包装を丁寧に畳み、先ほどビニール袋を被せたゴミ箱へ入れる。
ビニール袋を被せてあるのは、ゴミ出しの時が楽だから。
ホシノの教えだった。生活の知恵、というものだろう。
食事を終えると、荷物の整理に移る。
着替え、工具、歯ブラシ──必要なものだけを、それぞれの場所へ置いていく。
服はクローゼットに、整備道具は作業場に、歯ブラシは洗面所に。
それぞれの荷が多くはないぶん、作業はすぐに終わった。
次に、シャワーを浴びることにする。
風呂は……まぁ、特に必要ない。
清潔さが保たれるのであれば、それで十分だ。
服を脱ぎ、バスタオルと着替えを脇に置く。
ガチャっと浴室のドアを開け、中へと入った。
シャワーを起動すると、冷水が勢いよく降り注ぎ、寒さに思わず肩が震える。
温度調節を忘れていたらしい。
取っ手をクルクルっと回し、40度程度まで上げる。
すると丁度いい柔らかな湯が肌を撫で、張り詰めていた感覚が少しだけ溶けた。
備え付けのシャンプーを取り、わしゃわしゃと髪を濡らした後はボディソープ。
砂と埃、汗の膜を洗い流す。
皮膚の上から今日の痕跡を削ぎ落とすような感覚。
それも洗い流し終えると、冷めた頭で蛇口を止めた。
浴室を出て、バスタオルで身体を拭く。
「ちゃんと乾かさないと風邪を引くよ」なんてホシノに言われたことを思い出し、彼女の言葉を反芻しながら髪を丹念に拭き取る。
洗濯機に脱いだ服とタオルを放り込み、洗剤を入れてスイッチを押す。
低い駆動音が静かな部屋に広がった。
こういう単調な音は、嫌いではない。
ちなみに、シャワー室にハンドキャノンを持ち込もうとしたときにエアに止められた。
『オーパーツとはいえ、濡らすのは流石に良くないと思います』
──理由はよくわからなかったが、彼女が言うなら従っておいた。
『ひとまず依頼の報告だけして、今日は休みましょう。明日から本格的に仕事が始まりますから』
「そうだね」
着替えて、寝室へ戻る。
デスクの上にノートパソコンを開くと、報告画面に「完了」の表示。
任務は無事に終了扱いになっていた。
受信トレイには新しいメール。差出人は──Black suits。そのまんまだな。
依頼の達成を確認しました。
これでブラックマーケットからの依頼も受けられるようになることでしょう。
準備が出来次第こちらからも依頼を発行します。
それでは、またいずれ。
淡々とした文面。
黒服の声が、そのまま頭の中に響くようだった。
彼からの次の依頼までは少し時間がかかるらしい。
それまでは、自分で仕事を探すしかない。
キヴォトスでも傭兵として生活するとは思わなかったが、それが明日から本格的に始まる。
パソコンを閉じ、ベッドに身を沈める。
微かに鳴るマットレスの軋みを聞きつつも、天井を見つめながら目を閉じた。
『おやすみなさい、レイヴン』
「おやすみ、エア」
その声が遠のくころには、もう意識も、音も、すべてが静かになっていた。
どうせ言及されないので最初に言っとくと、黒服の用意した拠点はゲヘナの某天才発明家な生徒会長が中学時代に作ったという設定です。
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