『神々の箱庭に、黎明の光を』   作:もいもい130

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第21話

迷宮都市オラリオの法と秩序を象徴する、ギルドの制服。それを纏った使者は、イドフロントの冷徹な空気の中で、自身の膝が笑うのを必死に抑えていました。

彼の目の前に立つのは、漆黒の外套に身を包んだ、正体不明の異形――ボンドルド。使者の視線は、ボンドルドの背後で鈍い光を放ち、まるで「呼吸」をするように一定の周期で熱い蒸気を噴き出す未知の箱型装備へと釘付けになっていました。その箱からは、金属が軋む音とは異なる、何かが蠢くような微かな振動と、鼻腔を突くような――死と再生が混ざり合った異様な匂いが立ち昇っています。

「……貴殿が、この拠点の主か。ギルドは貴殿の身元、及び第24層における無許可の建造物、そして……相次ぐ冒険者の失踪について、公式な回答を求めている」

使者の声は、自分でも情けないほどに震えていました。ボンドルドの仮面のスリットから漏れる紫の光が、まるで使者の魂の奥底を覗き込んでいるかのように感じられたからです。

「おやおや。わざわざこのような湿った深層まで、ご苦労様です。私はボンドルド。ただの探求者に過ぎませんよ」

ボンドルドの声は、恐ろしいほどに穏やかで、慈愛に満ちていました。彼は使者の警戒を解くように両手を広げ、イドフロントの奥底、奈落へと続く縦穴の縁へと歩みを導きます。

「……その背負っている不気味な装置は何だ。そこから感じる、この『嫌な予感』は……。貴殿はここで、一体何を企んでいる?」

使者が問い詰めると、ボンドルドは背中の装置にそっと手を添えました。その瞬間、装置からはアリーナとエレナの「親愛」の波長がボンドルドの神経を介して増幅され、周囲の空間を物理的な圧迫感で満たしました。その時です。使者の鼻腔を、不意に強烈な「焦げた肉」と「鉄錆」の混ざった匂いが突き抜けました。

(……待て。この匂い……それに、この箱の数……)

使者の脳裏に、ギルドに届けられていた山のような「行方不明者リスト」が、最悪のパズルとして組み上がっていきました。第24層で消えた若き冒険者たち。彼らが跡形もなく消え、代わりに目の前の男が、命の脈動を宿した「箱」を増やしている。

(まさか……いや、ありえない。そんな外道なことが……。だが、もしこの箱の中に、消えた彼らが……)

ぞっとするような「嫌な考え」が使者の全身を駆け抜け、胃の底からせり上がる嘔吐感を必死に飲み込みました。ボンドルドは、使者のその戦慄を慈しむように見つめ、静かに語り始めました。

「これは、私が深淵を歩むための『絆』ですよ。……おや。失礼しました。皆さんの基準では、いささか理解しがたい形状(なり)をしているかもしれませんね。ですが、私がここに居続ける理由は、極めて単純なことなのです」

ボンドルドは仮面越しに、底の見えない暗闇を静かに見つめました。

「アビスがどこまでも下に続くように、このダンジョンもまた、際限なく深淵へと根を伸ばしている。……もし、この垂直な闇の先に、世界の理を書き換えるほどの『真理』が眠っているのだとしたら。……そこに挑み、解明する他に、道はないではありませんか」

「解明だと……? そのために、多くの冒険者が犠牲になっているという報告がある! 貴殿のしていることは、探索ではなくただの狂気だ!」

「……おやおや。誤解を招く物言いは控えていただきたい。私は、彼らと共に歩んでいるのです。……見てください。私の背で脈動するこの温もり。彼らは今、私の……いえ、人類の黎明を支えるための、かけがえのない礎となってくれている。家族とは、血の繋がりのみを言うのではありません。こうして一つの目的に向かい、魂を重ね合わせること。それこそが、至高の絆なのですから」

ボンドルドは一歩、使者の方へ歩み寄りました。その一歩ごとに、装置から漏れ出す「使い潰された命の余熱」が強まり、使者の生存本能を激しく掻き乱しました。使者は、その熱が「誰かの体温」であるという確信に近い恐怖に打ち震え、後ずさりました。

「人が未知を恐れるのは、それが自らの理解の外にあるからです。しかし、私は恐れない。たとえこの先、神々すら知り得ぬ地獄が待っていようとも……潜り続け、その正体を暴き、識(し)ること。それこそが、この世界に生まれた知性ある者に課せられた、唯一の義務なのです。……愛、ですね。これほどまでに素晴らしい探求の舞台が用意されている。……おやおや、次の一歩が待ち遠しくて仕方がありませんね」

使者は、あまりの価値観の乖離に、反論の言葉を失いました。目の前の男は、悪人ですらない。ただ、探求という名の深淵に魂を捧げ、その過程で零れ落ちる犠牲を「愛」と呼び変えて平然としている、理解不能な「観測者」でした。

使者は逃げ出すように立ち去ろうとしますが、その背中に向けて、ボンドルドは優雅に一礼し、懃懃に語りかけました。

「ギルドの方々にもお伝えください。私はいつでも歓迎いたしますよ。……次は、どなたが私の『黎明』を共に視てくださるのか。楽しみに待っています」

ボンドルドの仮面が、暗闇の中で冷徹なまでの美しさを持って、静かに紫に染まりました。

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