イドフロントの「協力者用休憩室」には、かつてないほどの重苦しい沈黙が流れていました。
その原因は、迷宮の原生生物でも、ボンドルドの狂気でもなく、テーブルの上に置かれた灰色の立方体――行動食4号にありました。
「おやおや、皆さん。手が止まっていますよ。これは私の探求を支えてきた、至高の栄養塊。愛ですよ、効率という名のね」
ボンドルドは優雅に椅子に腰掛け、仮面のスリットを穏やかに明滅させます。
一方で、オッタルは無言でその塊を掴み、奥歯で力任せに噛み砕きました。パキッ、と室内に不吉な硬質音が響きます。
「………………」
「オッタル。……どうなんだ、それは」
フィンの問いに、オッタルは僅かに眉間を寄せ、地響きのような声で答えました。
「…………壁だ。石灰を、そのまま胃に流し込んでいるような……圧倒的な『無』だ」
オッタルの強靭な精神をもってしても、この糧食がもたらす虚無感には抗えませんでした。アイズもまた、一口齧っただけでその立方体を皿に戻し、冷たい視線をボンドルドに向けました。
「……これ、食べ物じゃない。……イドフロントの壁の味がする」
「おやおや。アイズさん、それは最高の褒め言葉です。生きるために必要な要素を純粋に抽出すれば、味覚という名の余剰は削ぎ落とされる。皆さんも、慣れればこの虚無こそが心地よくなりますよ」
ボンドルドは愉悦を隠さず、スリットを深々と紫に光らせました。
その頃、オラリオの裏通りではさらなる混乱が進行していました。
勧誘活動を行っていた祈手(アンブラハンズ)たちが、行き詰まった冒険者たちに向けて、あろうことか行動食4号の無料配布を始めていたのです。
「おやおや、お腹が空いているのですか? 私たちの主が、あなた方に『救済』を届けに参りましたよ」
「な、なんだこれ……石か? ……ん? ぐ、あぁ……!!」
一口食べた冒険者が、そのあまりの「無」に悶絶します。しかし、祈手たちは理知的な声で囁き続けます。
「分かります。最初は戸惑うでしょう。ですが、これは『自由』への味。味覚という呪縛から解き放たれ、ただ合理的に、強くなる。……私たちの一部となれば、この虚無さえも悦びへと変わりますよ」
「……あ、ああ。……そうか。味がしない……。悩みが……消えていく……」
空腹と絶望の極致にいた者たちが、その「壁の味」を咀嚼するたびに瞳からハイライトを失い、祈手たちの列へと加わっていきます。無理やりな洗脳ではなく、食の虚無による精神の平坦化。
オチ:勇者の親指、最大の警告
イドフロントに届いた報告書を読み、フィンは顔を覆いました。
「……ボンドルド。街で何を配っている。あんな『壁』を配って、オラリオの冒険者たちを自分の『手足』へと引きずり込むのが、貴様の言う『停戦』か!」
「おやおや。フィンさん、随分とご機嫌ですね。私はただ、飢えた方々に栄養を分け与えているだけです。彼らは自らの意志で、私の愛の一部となることを選んだ。それを止める権利が、あなたにあるのですか?」
ボンドルドは悠然と立ち上がり、新たな「試作型」をテーブルに置きました。
「おやおや、朗報ですよ。アイズさんの好物だという『ジャガ丸くん』の成分を分析し、行動食4号に配合してみました。名付けて、行動食4号:プレミアム・プラスター(特製漆喰)風味です」
期待を込めて、アイズがその「プレミアム」を一口齧ります。
一瞬、彼女の瞳に光が宿り、すぐに消えました。
「……ジャガ丸くんの匂いがする、壁」
オッタルも一口。
「……少し、甘い壁だ」
フィンは疼きを通り越して、激痛を上げ始めた自分の右親指を強く噛み締めました。
「……ボンドルド。今すぐ第25層へ行くぞ。これ以上、この部屋にいたら……僕の精神まで『壁』になりそうだ」
「おやおや。実に素晴らしい意気込みです、フィンさん。さあ、行きましょうか。次は第25層の原生生物たちにも、この愛(壁)を分かち合ってあげねばなりません。」
こうして、英雄たちは「壁の味」という最大の絶望を胃に抱えたまま、さらなる深淵へと足を踏み出すことになったのです。
この先の展開アンケート
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和解ダンジョンの黎明を目指す
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全面戦争突入
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両方かけ(作者死ぬ)