ボンドルドは、戦慄に身を竦ませる冒険者の背後へ、音もなく回り込みました。その動きは捕食者のそれというよりも、極めて熱心な蒐集家が、一生に一度出会えるかどうかの稀少な剥製を検分する際のような、狂気的なまでの静謐さに満ちていました。
「……おやおや。素晴らしい。実に、実に素晴らしい。これほどまでに精緻な『書き込み』を、生身の人間がその魂に宿しているとは。愛、愛ですよ。この地の理は、アビスの深淵すら到達し得なかった、別の形の進化を遂げているのですね」
彼は陶酔したような吐息を漏らし、その指先を冒険者の背中に滑らせました。厚い防具や衣類など、彼が右腕に備えた枢機へ還す光(スパラグモス)の、物質の結合をほどく微弱な出力の前には、存在しないも同然の障害でしかありません。
音もなく裂かれた衣服の隙間から、露わになった冒険者の背中。そこには、神の血によって刻印された、複雑怪奇な恩恵(ファルナ)の紋様が、脈動するように淡い光を放っていました。
ボンドルドの仮面から漏れる紫の光が、その紋様を舐めるように、一文字ずつ解読するように走査します。彼にはまだ、これが「神」という高次元の存在が与えた慈悲であるという知識はありません。しかし、彼が先ほど定義した「魔力」という粒子を、この紋様がまるで精密な変換回路のように制御し、個人の筋力、耐久、敏捷といった身体パラメータへと、システマチックに翻訳している事実を、即座に、かつ残酷なまでの正確さで看破しました。
「なるほど……。魂に直接『経験』という名の情報を蓄積させ、それをこの術式が肉体の機能へと、物理的な出力へと変換しているわけですか。……おやおや、驚いた。この術式自体が、一つの巨大な受容体であり、同時に高度な増幅器でもある。……素晴らしい。アビスの上昇負荷という、あの逃れようのない『外圧』を、この術式ならばどのように受け流し、あるいは甘美なる変質を見せるのでしょうか」
ボンドルドの指先が、紋様の中央にある、神の署名とも言うべき核(コア)に触れました。その瞬間、精神隷属機(ゾアホリック)を通じて、対象がこれまでに積み上げてきた血生臭い戦いの記憶、死への恐怖、勝利の歓喜、そして魂の「格」とも呼ぶべき莫大な情報が、濁流となってボンドルドの内側へ流れ込んできました。
「……愛、愛ですよ。これほどまでに芳醇なデータが、この小さな紋様一つに凝縮されている。……ですが、いけませんね。これほど完成されたシステムを、ただの『戦うための道具』として浪費するなど、あまりにも勿体ない。もっと有効に、もっと美しく、私の探求のために役立てて差し上げなければ」
ボンドルドは、恍惚とした表情のまま、自らの成れ果ての尾をゆっくりと持ち上げました。その先端にある、精神隷属機の信号を強制注入するための針が、紋様の中心部に向けて、獲物を狙う毒蛇のように鎌首をもたげます。
「さあ、実験を始めましょう。この『高度な術式』と、私の『精神隷属機』を接続したとき、あなたという存在は、一体どのような夜明けを見るのか。……大丈夫、痛みは一時的なものです。それが過ぎれば、あなたはこの世界の誰よりも高く、明星へと登る階段を見出すことができるのですから。私と、一つになることでね」
ボンドルドの指先から、ドロリとした粘り気を持つ、紫色の魔力が紋様の隙間へと侵入を開始しました。それは、神が与えた絶対的な「秩序」の中に、アビスの深淵から来た「混沌」を接ぎ木するような、神への冒涜そのものと言える処置でした。
「おやおや、素晴らしい抵抗だ。魂が、存在の根源から震えている。……愛していますよ。あなたのその震え、その叫びこそが、私の新たなイドフロントを照らす、最初の灯火になるのですから」
冒険者の背中の紋様が、ボンドルドの精神汚染と混ざり合い、不気味な紫色に明滅し始めました。神の恩恵が、黎明卿の「愛」によって強引に再定義されていく。その凄絶な変異の過程を、ボンドルドは一秒たりとも逃さぬよう、狂気的な熱量をもって観測し続けます。
この「術式の改竄」によって、冒険者の自我は急速に薄れ、代わりにボンドルドという巨大な意志の断片が、その肉体の主導権を握り始めました。神が与えた力をそのままに、中身だけをボンドルドの分身へと入れ替える——これこそが、この地における最初の「祈手(アンブラハンズ)」の誕生でした。
「……おやおや。接続は良好。情報の伝達効率も、アビスの時を遥かに凌駕している。……愛、愛ですよ。さあ、私の一部となった皆さん。私とともに、この素晴らしいイドフロントを完成させようではありませんか」
跪き、虚空を見つめる冒険者たち。彼らの瞳からは光が消え、代わりに仮面と同じ紫の輝きが、その奥底で静かに宿り始めました。