ウラノスの祈りの間には、場にそぐわない安酒の、鼻を突くような嫌な臭いが充満していた。
そこにいたのは、かつて狡知に長け、都市に君臨した「美しき欺瞞者」の姿ではない。
髪はボサボサに乱れ、瞳は血走り、震える手で空の酒瓶を握りしめた、ただの狂乱した敗北者――ロキだった。
「――っ、どのツラ下げて……どのツラ下げてここに来やがった……ッ!! この、鉄クズ野郎がァァァッ!!」
ボンドルドが足を踏み入れた瞬間、ロキは持っていた酒瓶を祭壇に叩きつけ、殺意に染まった絶叫を上げた。
彼女の脳裏には、スパラグモスに無音で抉り取られたティオナの幼い体や、光の帯に呑み込まれて消えたフィンの最期が、消えない焼き印のようにこびりついている。
「フィンを……リヴェリアを……ッ!! ウチの子供らを、あんなゴミみたいに……機械のお掃除みたいに殺しといて……ッ!! どの口が『管理』やなんて抜かしとるんじゃボケェッ!! 殺してやる……絶対に、ワシがこの手で細切れにしてやるからな……ッ!!」
ロキはボンドルドの胸ぐらに掴みかかろうと躍り出るが、酒によるふらつきと、絶望による衰弱でその足元はおぼつかない。彼女を支え、諌めるはずの『家族(眷属)』は、もうここには一人もいなかった。
「おやおや。……ロキさん。それほどまでに深い情動。素晴らしい。これこそが、魂を焼く真実の愛の形ですね」
ボンドルドは、掴みかかろうとするロキの手を、まるで幼子をあやすように優しく、しかし抗えぬ力で受け止めた。
「放せッ!! 触んなや気色悪いッ!! ウチの子供らの血が付いたその手で……ッ!!」
ロキは涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、ボンドルドの漆黒の装束を拳で叩き続ける。だが、その拳には神としての重みはなく、虚しい乾いた音を立てるだけだった。
「ええ、ええ。その憎悪も、悲嘆も、すべては新しき黎明への糧となります。……ですが、ウラノスさん。彼女をこれ以上、この停滞した絶望の中に留めておくのは、いささか非効率ではありませんか?」
ボンドルドは狂乱するロキを無視し、奥座で沈黙を守る巨神ウラノスへと視線を向けた。
「……ボンドルド。貴殿はこの場所を、ただの資源の供給源としか見ていないようだが、ダンジョンの本質を見誤るな」
ウラノスが重々しく口を開く。その声は祭壇の下から響く「迷宮の鼓動」と共鳴していた。
「この迷宮は、神々が降臨する遥か古より存在する『負の母体』だ。地上の生命が光を求めるならば、ここは闇を、捕食を、そして『終わりの日』を求めて呼吸している。私がここで祈りを捧げているのは、ダンジョンの意識を欺き、その食欲を『英雄』という名の高純度な魂の欠片を与えることで宥めるためなのだ」
ウラノスは、ボンドルドの背後に立つ祈手たちの「無機質な魂」を見据えた。
「貴殿の連れてきた兵士には、ダンジョンを満足させる『輝き』がない。彼らをどれほど投げ込もうと、ダンジョンは満たされぬ。むしろ、その機能的な蹂躙が英雄の苗床を焼き払えば、迷宮は飢えに狂い、真の意味で地上を食らい尽くすだろう。……貴殿の『管理』など、この巨大な胃袋の前では無力だ」
「ほう……。生ける胃袋、ですか。実に興味深い知見です」
ボンドルドは、ウラノスの警告を、まるで新しい研究材料を手に入れた学者のように愉快そうに受け止めた。
「ですが、ウラノスさん。あなたが『英雄譚』という供物で迷宮を宥め続けてきた結果、何が起きましたか? 迷宮はより強い英雄を求め、供給は追いつかず、地上は疲弊した。……ならば、やり方を変えるべきです。満足させるのではなく、この胃袋そのものを、私の『実験設備』の一部として組み込んでしまえばいい」
「……狂うたか。神の座にあるワシらですら御せぬものを……ッ」
ロキが床に這いつくばりながら、呪うような声で呻く。
「神という存在に縋り、不確かな英雄に運命を預ける。……そんな甘やかな揺籠は、過酷な事実の前に砕け散ったのです。……さあ、ウラノスさん。下界の王としての役割を、私に譲渡していただきましょうか。迷宮を『宥める』時代は終わりました。これからは、私がこれを『解剖』し、新たな夜明けの道具として調律いたします」
漆黒の探求者は、狂い泣く神と、祈りを捧げ続ける巨神を見下ろしながら、迷宮の深淵よりも深い、静かなる覇気を放った。
この先の展開アンケート
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和解ダンジョンの黎明を目指す
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全面戦争突入
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両方かけ(作者死ぬ)