憑依者しかいないゲマトリアがキヴォトスの破滅を回避しようとする話 作:シャンタン
「見逃してはいけない場面で、大事な情報を見逃すことがある」
「納得してはいけないタイミングで、納得することもある」
「我々は、過ちを犯す生き物ですから」
「よって、気付けないという無知は、毒となる···」
「些細な気付きであれば、認識をズラすのは容易い、容易い······」
「ヒヒッ。貴女の為に手を貸しましょう。マザー」
マダムが何よりも大事にしているのは、アリウスの生徒達である
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そこは単なる地下通路ではなく、長い年月の中で用途も目的も曖昧になった、半ば遺跡のような場所。
それが、このカタコンベであった。
そんな場所に、無邪気な少女達の声がした。
「ねぇねぇ、今日の夜ご飯当番どこだったっけ?」
薄暗いカタコンベの片隅で、まるで遠足前夜の小学生みたいなテンションで話し出す見張りの少女。
「スバ姉の班だったはず。スバ姉の半熟卵のオムライス楽しみにしてたから、間違いない」
食の記憶に関してはやたら精度が高いもう一人の少女。訓練時には発揮されない記憶力だった。
「やった!オムライス!!スバ姉が夜の班だった時は当たりね!」
「スバ姉のご飯美味しいけど、量がちょっと多いからね。朝だとちょっと···」
"美味しい"と"重い"の天秤による、幸せな悩みだった。
「でも、減らしてくれとも言いづらいのよね。ちょっと寂しそうな目をするし······」
「分かる。でも、マザーに同じ量出すのもどうかと思うの。マザー毎回食べきってるけど、私達と同じ量は無茶じゃない?」
「他の子がご飯を少なめによそおうとしてたけど、スバ姉が『あっ』て顔するのよね。スバ姉は、マザーによそうの楽しみにしてるっぽい」
その『あっ』によって、幾ばくかのアリウス生徒のハートがやられた。そして、ご飯時には、マザーへ黙祷を捧げるものが増えた。
「あのクールな感じで世話焼きだからね。マザーに少しでもお返ししたいって考えもあるかもだけど。いずれにしても、スバ姉はギャップがズルい」
「ねっ。······マザーには頑張ってもらおう」
マダムにとっては普段の量も多すぎるが、毎回気合いで完食しているのだ。少女達は知り得ないが、無慈悲であった。
「まあ、マザーも嫌がっている訳では······何か足音しなかった?」
「した。ただ、誰か分かんない。今日は外出組が居ない筈だし、外部の生徒にしても、カタコンベに侵入する理由が不明」
先ほどまでの雰囲気は鳴りを潜めて、真剣な雰囲気が流れていく。
「探りにいく?もしかしたら迷子かもしれない。動物が迷ってたとしても可哀想だし、生徒だったとしても、ここまで来ちゃったらカタコンベから出るのは困難でしょ?」
「その前に、待機班に連絡だけ入れて。敵襲の可能性も考慮して、通信は繋げたままで。これが、カタコンベでかくれんぼしてる奴らだったらまだ良いんだけど······」
「それはそう。念のために連絡だけしておく。······こちらAブロック。不審な足音を感知。原因究明に向かう。繰り返す。こちらAブロック。······」
「はぁ」
(どうして···こうなってしまったのでしょうか?)
自室の椅子に座り込み、思わずため息をついてしまうマダム。
いつの間にか変身形態は女神になり、統治しているアリウスには変な宗教ができて馴染んでしまった。
そして、ゲマトリアの男衆によって"
しかも、その意味不明な代物が、
"
キヴォトスの意志が反映されるなど、碌でもない代物にしか感じられない。
それに、マダムからすれば、キヴォトスの意思が有るか無いかなどどうでも良いのだ。
究極的にいえば、未だ高校生という年齢の生徒達が、自治区という名の国を差配しなければいけないキヴォトスなど、受け入れられなくなってしまった。
だからこそ、キヴォトスの意思を汲むなどという代物は、マダムにとっては無価値であった。どちらかといえば、キヴォトスの在り方への憂いが先立ってしまう。
"
しかし、マダムはこの世界に存在している。
故に、マダムは失望している。子供が子供同士で憎み合い、争うのが日常であるこのキヴォトスに。
故に、マダムは失望している。大人は子供を騙し、搾取するという認識がはこびる、このキヴォトスに。
故に、マダムは失望している。この世界に救いが少ないことなど、とうの昔に知っていたはずなのに、体験しなければ理解できなかった己自身に。
故に、マダムは失望している。この世界を批判するならば革命に努めるべきであるのに、言い訳をして何も動かず批判ばかりの己自身に。
だからこそ、マダムは絶望している。キヴォトスを改善できないと思うのに、自身の記憶の残滓が、"先生"ならばできると訴えるから。
キヴォトスを否定するには、己が無力であることを実感してしまった。
キヴォトスを肯定するには、己がこの世界の裏を観すぎてしまった。
自己嫌悪と自己否定、自己批判と自己矛盾に染まっているのが、今のマダムである。
生徒が居ない時に発生するマダムの自己陶酔の時間。
そんな時間に、マダムの部屋に扉のノックの音が響き渡る。
「入って構いませんよ」
「失礼します。マザーを探されてカタコンベまで訪れたトリニティの生徒がいます。連れて来ても大丈夫でしょうか?」
「······分かりました。連れて来てもらえますか?」
怪訝な顔を浮かべそうになるが、生徒の前だと自重したマダム。
「了解しました!監視班に連絡します」
「ありがとうございます。お願いしますね」
(珍しいこともあるものですね)
アリウス生からのマザー呼びの訂正を諦めてしまったマダムは、そう内心で呟く。
まず前提として、カタコンベに迷い込む存在が少ない。カタコンベの入り口自体は数多くあり、カタコンベへの侵入自体は簡単だ。
しかし、アリウス自治区付近の場所まで来るのは稀だ。アリウス生による監視も、念のために過ぎない。今までは来ても、動物が迷いこんで来てしまうぐらいだったからだ。
(まさか、聖園ミカがもう?······いえ、私を訪ねて来ているというのが引っ掛かる)
仮に、他のゲマトリアメンバーの遣いが訪ねて来たのであれば、連絡ぐらいは寄越してくる。最近はテーマパーク化
そのため、他のゲマトリアメンバーの遣いは除外される。
次に、原作にてアリウス自治区に来訪した実績がある聖園ミカであれば、このアリウス自治区付近まで来ることも考えられる。しかし、マダムを訪ねて来ているというのが、余りにも不自然だ。そのため、聖園ミカである可能性は保留となる。
(そもそも、どういった人物なのか聞けば良かったですね。外見すらも分からない状況では、推測しても無意味です)
マダムが待つことに徹して数十分。
また、ノックの音が響き渡る。
「どうぞ」
「失礼します。マザーへの来客をお連れしました。銃器等は外してもらい、所持していないことは確認してますが、どうされますか?」
「貴女は、外で待っていてもらっても?」
「了解しました。ドアは開けておきますので、何かあればお声がけください。······では、中へどうぞ」
そう言いながら、退室していくアリウス生。
そして、アリウス生と入れ代わりで入って来たのは、一人の少女だった。
「ごきげんよう。マザー・ベアトリーチェ。急に訪ねてしまったことに、お詫び申し上げる」
年若く見える小柄な体つきに、やわらかな金髪がふわりと背中に流されており、頭からぴんと立った狐耳が覗いている。耳は毛並みがよく、光を受けると淡くきらめいていた。
「また、突然の来訪を受け入れていただき、感謝の念に堪えない」
背後には、ふさりとした狐の尻尾が一本。豊かな毛並みで、丁寧に手入れされていることが分かる。
「本来であれば交わることのなかった邂逅であり、交わるべきではない邂逅であったかもしれない。しかし、どうしても伝えなければならないことがあった」
そして頭の上には、小さなシマエナガがちょこんと乗っている。真っ白で丸い体に黒い瞳を輝かせたその鳥は、まるで彼女の一部のように自然に馴染んでおり、少女が動くたびに軽やかにバランスを取っている。
ときおり首をかしげたり、ぴょんと跳ねるように羽を震わせたりして、静かな存在感を放っている。
「故にこうして、貴女の元へ訪ねることにした。私にも何かできることがあると信じて」
全体として、少女は柔らかな色合いと穏やかな空気をまといながら、どこか不思議で幻想的な雰囲気を漂わせる存在だった。
「貴女は······」
「すまない。礼を欠いてしまった。私も焦っていたらしい。名乗るのが遅れてしまった」
コホンと喉の調子を整える少女。
「私の名前は百合園セイア」
(どうして···)
「貴女達に夢見た、数多くの者達の一人だ」
(どうして、
マダムは混乱している。
混乱する頭を何とか回し、息を整えたマダム。
「それで、用件はなんでしょうか?」
「あぁ、私も本題にはすぐに入りたい。しかし、貴女からすれば、とても信じられない話なんだ。そも、私達の間に信用も信頼もあるはずもないからね」
静かに、しかしはっきりとした声音で語り出す。その言葉には、ためらいと同時に、確かな決意が滲んでいた。
「それに、真実というのは、一つの形をしているとは限らない。むしろ、それをどう捉えるかという"視点"こそが本質に近い」
セイアは、マダムの反応を確かめるように、わずかに間を置く。シマエナガが首をかしげ、セイアの髪に小さく足を踏み替えた。
「だからこそ、私は言葉を紡がせてもらう。本来であれば、ただの生徒である私が知り得ない情報を開示することで、私の言葉を軽くしないために」
一歩も引かないその姿勢は、幼い見た目とは裏腹に、揺るぎない意志を感じさせるものだった。
「私は、知っている。貴女が所属しているゲマトリアという組織のことを。ゲマトリアという組織が、このキヴォトスに何をもたらしたかを」
空気が、わずかに重くなる。決意という灯が確かに宿っていた。
「そして、知ってしまったのだ。何時になるかは分からない未来で、貴女が······」
そこで、セイアは言葉を止めた。唇がわずかに震え、視線が揺れる。口にするにはあまりにも重い未来。その断片を、彼女は確かに見てしまったのだ。
しかし······逃げることはできない。逃げない為にここに来たからだ。
小さく息を吸い、覚悟を宿した瞳で再び相手を見据える。狐の耳がわずかに動き、尾もぴたりと静止した。
「マザー・ベアトリーチェ。私は、ある目的があってここに来た。私の観測した悲劇を回避する為に、どうか話をさせてほしい」
迷いのない宣言。そこには、彼女なりの使命と責任があった。
「いろいろ確認したいことはありますが···まず、初めに······」
マダムは呆気にとられそうになった。しかし、言わなければならないことがある。
「私をマザーと呼ぶのは止めなさい」
鋭く、そしてどこか不機嫌さを含んだ声が遮る。
一瞬の沈黙。
セイアはわずかに目を瞬かせ、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
「まず確認するのは、そこなのかい?」
緊張の糸が、ほんのわずかに緩んだ気がした。
「こちらから質問をしても?」
「もちろんだとも。結論を急ぐのは簡単ではあるが、その過程を省いた答えに価値など宿らないからね。私の信用という価値の為に、貴女が知りたい
(何でしょうか?この違和感は······いえ、この時点でゲマトリアを認知していることに違和感はあります。しかし、彼女の知識ではなく、言動に違和感が···)
突然の状況に混乱しているマダム。完全に立ち直れている訳ではなかった。しかし、この状況を整理するよりも、真っ先に聞かなければならない質問があった。
「まず、どうやってこの場所にたどり着いたのですか?カタコンベを通ってここにくるには、特定のルートを辿る必要があるはずですが」
そう。アリウス自治区へどうやって来たかである。仮に、マダムが知り得ない簡単なルートがあるとすれば、目も当てられない。今の段階でアリウスが露呈してしまった場合、トリニティからどのような扱いをされるか想像できないためだ。
少なくとも、アリウス自治区の者達は良い扱いをされないだろう。
「ふふっ。やはり貴女は、アリウスについての質問を先にするのだね」
「······?」
シマエナガが小さく鳴き、場の静寂にかすかな揺らぎを与えた。セイアの狐耳がぴくりと動き、その尾もまた、思考に合わせるようにゆったりと揺れる。
「いや、私は先程、ゲマトリアという単語を出し、貴女が所属している組織を知っていると言ったはずだ。ゲマトリアという組織名を知るには、メゼラを調べるのが一般的だろう?」
「ええ。ゲマトリアという名前を秘匿しているつもりはありません。ですから、メゼラにいるメンバーを詳細に調べれば、ゲマトリアという組織名を知ることはできるでしょう。それが何か?」
「だからこそだよ。ゲマトリアという組織を知っていれば、貴女以外のゲマトリアメンバーを結びつけるのは容易だ。一年前からメゼラ開発を行っているからね」
マダムはここで、確認すべき順番に些細なミスがあったことに気付く。
「しかし、アリウス自治区を秘匿している貴女を、ゲマトリアと結びつけるのは困難なはずだ」
「それは······」
原作によって、セイアは予知能力を持っているとマダムは知っている。何だったら、その予知能力によって、ゲマトリア会議を観測したことを知っている。
そのため、『ゲマトリアに所属していることをどうやって知ったか?』という質問は、無意識のうちに優先度が低い質問となる。結果として、どうやってアリウス自治区への道を知ったかを、先に聞いてしまった。
「このような状況で先に聞かれるとすれば、ゲマトリア所属であることをどうやって知ったかだろう?しかし、貴女は真っ先に、アリウスに関わる質問をした」
セイアは静かに指摘する。その声には喜色が乗っていた。
「その事実が少し嬉しくてね。ただの順序のズレかもしれない。しかし、その些細なズレこそが、貴女の想いに思えたのだよ。このアリウスにいる生徒達への想いにね」
その言葉に、マダムはわずかに目を細める。喜んでいるのは、意図的か、無意識か。いずれにせよ、セイアの思考がよめなかった。
「······御託は結構です。先に質問に答えていただいても?」
「すまない。少々話が長くなってしまった。ただ、その質問には、貴女が納得できるだけの答えを返せるかは自信がないんだ」
「構いません。私が納得するかは私が決めますので」
「······それもそうだね。察しているかも知れないが、私は、このカタコンベがアリウス自治区へ繋がる道だと知っていた」
(やはり、予知夢によって、正しいルートを知ったのでしょうか?私達が原作と乖離している以上、予知能力も乖離している···?)
「けれど、カタコンベからアリウス自治区への道までは、流石に調べきることは出来なかった」
(ん?)
予知夢で正規のルートを知ったという予想が外れたマダム。このタイミングでの来訪は、予知夢について道を知れたからだと思っていたのだ。
であるならばどうやって···と思考を巡らせていく。
「だから、カタコンベを総当たりで歩き、アリウスを探し出すことにした。足音をたてていけば、見張りがみつけてくれるだろうという予測もあったけれどね」
マダムの思考が停止し、固まってしまう。
セイアはマダムの反応を気にせず、
「早めにみつけてくれて助かったよ」
と呑気に続ける。
「·········は?」
マダムにとっては、理外の考えであった。セイアという生徒は、原作開始前の時点では、予知能力によって、悲劇を回避できないと思い知り、悲観に暮れているはずだ。
何よりも、予知能力の後遺症であるのか、病弱であったはずだ。
そのため、総当たりでカタコンベを巡るなど、マダムの知る原作のセイアが、到底するはずのない行動であった。
先程から感じている違和感が、マダムの中で膨らんでいく。その違和感を確認するために、追加の質問をしていく。
「害されるとは考えなかったのですか?秘匿された地を発見された場合、たどり着いた者をどうするかなど分かりきっているでしょう?」
「そこだけは心配していなかったとも。貴女達の行動を実際に観測していたんだ。何よりも、私が今、呑気に話していることがその証明だろう?」
(やはり······)
マダムの中にある、勘違いという壁が壊されていく。違和感という点が繋がっていく。
「貴女がどうやって様々なことを知り得たか分かれば、用済みになるかもしれませんよ?」
「ならば、拷問でもすればいい。私から情報を出すだけならば、そちらの方が効率的だろう?」
明らかにセイアには余裕があった。それどころか、マダムの反応すら楽しんでいる節がある。
「······」
「ふふっ。そう心配されなくとも、私は蛮勇でここに来たつもりはないよ。私は、私なりの覚悟を持ってここに来たんだ」
目の前にいる百合園セイアは、悲観的というには希望に満ち溢れていた。そして、相手のために言葉を紡ぎ、相互理解をしようという片鱗を感じる。
違和感が線となって完全に繋がった。
「最初に言っただろう?私にも何かできることがあると思ったから、ここに来たんだよ」
(既に、わんぱくフォックスに覚醒している······!?)
マダムは戦慄していた。
原作では、悲劇的な未来を予知能力で散々観測させられ、鳴りを潜めていたはずのわんぱくフォックス。
ダンボールを被り潜入を行う。
車はナギサが敬遠するほど荒っぽく運転する。
何を守れるのかという水着で海に繰り出す。
そんなわんぱくの片鱗は、"先生"が希望をみせるまでは、潜んでいたはずなのだ。
しかし、どうみてもここにいる百合園セイアは、セクシーフォックスでわんぱくフォックスであった。
「どうしてそこまでの信用を?正直に言うと、不気味でしかありません。私達のことをどうやって知ったのかも不透明すぎます」
率直な疑問だった。遠回しな言い方をする意味はないと判断した。むしろ、この段階で曖昧さを残す方が危険だと、認識を改めた。
セイアはその言葉を受け、わずかに目を伏せた。頭上のシマエナガが小さく羽を揺らす。狐耳もまた、ほんの僅かに傾いた。
「それもそうだね。こちらから一方的に、私が観測して予測した、貴女の人となりを紡ぐだけになってしまった。私が、貴女達のことを知った手段の提示を、先にするべきだったね」
素直に認めるその態度に、マダムはわずかな違和感を覚える。弁明ではなく、あくまで順序の問題として捉えている。そこに、奇妙な誠実さのようなものが滲んでいた。
「信じられないかもしれないが······私には、未来、現在、過去を、明晰夢のような形で観測できる力がある。······もっとも制御が効くわけではないがね」
「······それで、どうして私達を信用しようと?」
話が続かないため、先を促して
「信じてくれるのかい?」
セイアは静かに問い返す。その声音には、試すような色はない。すんなりと信じられると思わなかったという、疑問という名の困惑だけが宿っていた。
「先程も述べたはずです。納得するかしないかは私が決めます」
マダムにとっては、未来予知があるなど既知の情報でしかない。故に、信じる信じないは考慮に値しない。
問答に気を遣うのを、諦めたともいう。
「···あぁ。アリウスの者達が、君を慕う理由を実感した気がするよ。それならば、長くなってしまうが、私が知った過程を紡ぐとしよう」
そうしてセイアは、自身が見た明晰夢について語っていった。やはり、信じてくれるのだと、喜色を浮かべながら。
曰く、身分を問わずに、生活できる資金を渡している、黒い体にひび割れた顔を持つ異形を観た。
曰く、様々な自治区にて、身寄りのない者に手を差しのべる、顔だけの絵画と顔のない異形を観た。
曰く、キヴォトスへ混乱を招くはずだった、ゲヘナの"雷帝"を退けた、双頭を持った異形を観た。
曰く、トリニティの因縁が紡いだ紛争を断ち切った、多数の
いずれにしても、不気味な異形でありながら、その大人達によって救われた者が多くいた。
「他にも、貴女達の歩みを観てきたんだ。悲劇であったはずの未来を、喜劇という現実にする貴女達を」
その声音には、どこか遠くを懐かしむような響きがあった。観測者としての距離を保ちながらも、確かにそこに感情が滲んでいた。
「私は、そんな貴女達に希望をもらっていたんだ。それこそ、いうことをきかない身体を鍛練するぐらいにはね」
自嘲気味に微かに口元を緩める。思うように動かない身体でさえ、彼女たちの存在を言い訳にして、改善に努めるぐらいには影響を受けていた。
「しかし、つい先日のことだが、とある未来を観測してしまった。···貴女に銃を向けるアリウスのことを。······私には、到底信じられなかった。能力の不調すら疑った」
その瞬間を思い出すたび、セイアの思考はわずかに軋む。あってはならない光景。観測の誤差であってほしいと、何度も記憶を疑い直した自分を、彼女は冷静に振り返る。
「不調なら良い。しかし、何かの陰謀に巻き込まれている懸念が、頭から離れなかった。······どうか、気を付けてほしい。身勝手ではあるが、私は希望を失いたくないんだ」
それは忠告であり、願いでもあった。部外者が紡ぐには、踏み込みすぎた言葉だと理解していながら、それでも口にせずにはいられなかった。
「······ありがとうございます。百合園セイア。ここまで来るのには様々な葛藤があったことでしょう。それを伝えることに、多大な勇気を必要としたことでしょう」
「いや······割と衝動で来て。···それに、なんだかんだ信じてくれるだろうという打算も···」
セイアのやや気まずげな声は、マダムには届かなかった。
「私も、このアリウスが何かに巻き込まれないか注意しましょう。貴女が観測した範囲で、他に気になる点はありませんでしたか?」
セイアの言葉を促すように、マダムはわずかに顎を引く。その仕草には、続きを逃すまいとする静かな集中が滲んでいる。
「ふむ、気になる点か······些細なことかもしれないが」
セイアの思考は一転して、現実へと引き戻される。感情ではなく、情報を求める問い。その問いによって、伝えるか迷った情報を顕にすることした。
「見間違いかもしれないが······アリウスの生徒達の背後には、ヘイローを持たない大人がいた気がする」
セイアには、マダムの顔が歪に笑っているように見えた。
「今日はありがとうございます」
「いや、何かの役にたてられれば何よりだ。······図々しい願いになるのだが、アリウスを見て回ってから帰っても良いだろうか?この土地を、この目で見たいんだ」
「ええ、構いませんよ。外に居る者に案内を頼んでください」
「ありがとう。では、これにて失礼するよ」
一通りの話を終え、百合園セイアが退室するのを見届ける。
予想だにしない来訪であったが、有意義なことを知れたと、歓喜を抑えるマダム。
マダムにとって、セイアからもたらされた情報は、自身の行う行動が間違っていないという、最後の一押しとなった。
百合園セイアには知る余地も無い。
自己嫌悪と自己否定、自己批判と自己矛盾に染まっているのが、今のマダムである。
真に子供達を憂いるならば、子供が統治するべきではないと思ってしまう。しかし、このキヴォトスでは大人も信用ならない。
連邦生徒会などという狂気と思える組織があっても、現状維持以上のことが出来ないことを理解している。
真に子供達を救うならば、子供を利用する大人など破壊するべきだと思ってしまう。しかし、キヴォトスの大体の大人はロクデナシであるが、キヴォトスの存続には必要だと理解している。
需要と供給などすぐに変わるものでもなく、学園がインフラを担うという狂った世界だが、全てが学園で完結しているわけではないのだ。
そして、子供を信じるというには、このキヴォトスに希望を持てなくなってしまった。
また、キヴォトスに革命を起こすと思うには、自分の無力を知ってしまっていた。
何よりも、キヴォトスの未来を明るくする"先生"の存在を知ってしまっている。
だから、彼女達と敵対しているという事実が、己の先行きを決める後押しをしてしまった。
他でもない"先生"が、彼女達の背後に居るという未来を知ったことによって。
マダムにとっては、アリウス分校の生徒達が一つの依存先であるのだ。間違いなくマダム自身で変革を起こした土地であり、運命を変えた証明であるために。
初めは、ベアトリーチェに成ったことによる混乱しかなかった。ベアトリーチェになったと自覚した当初は、アリウスに気を配る余裕などなかった。
余裕が出来た時に、アリウス分校の実情を知った。アリウスの生徒達を使って、紛争という名の
食事をするために、自身より幼い者達の食事のために、互いに争っている、名も知らぬアリウスの生徒達を観た。
故に、マダムは手を紅く染めた。ロボットは血を流さなかったため、もちろん比喩である。
直接止めを刺さずに、ブラックマーケットに棄てたのは、慈悲であるのか、度胸がなかったのか、今でも分からない。
そんなマダム自身は、アリウスを統治する気もなかった。
己の手が、あの子達を汚してしまうような気がして。
しかし、関わり、触れ合い、助け合って、愛情ができてしまったのだ。
執着と言っても良い。
だからこそマダムには、アリウス分校の生徒達の為ならなんだってできる決意が生まれた。
アリウスの生徒達が、
彼女達が笑顔で生きられるなら、己の末路など考慮しない。考慮する時間があるのなら、彼女達の幸福を考えるのが先であるからだ。
それが、アリウスの存在を自覚しながら、介入が遅れてしまった己の贖罪になると信じて。
故に、マダムは喜んで受け入れるだろう。
「心の底から感謝いたしましょう。百合園セイア」
このとき、百合園セイアの行動によって、未来は確定した。