万年最下位ヘボ重音フランスパンズ 作:カイルデービッド
夏の始まり。
梅雨の季節が明け、しかしその爪痕が湿っぽく陰鬱と日常に滞留するように、フランスパンズを取り巻く状況も悪化を辿る一方。
自力優勝の可能性は早々に消滅。ファンの一部は惨憺たる一軍から二軍戦へと目を逸らし始め、ろくに有望株もいないという事実をそこでまた突きつけられては頭を抱えていた。
そしてチームの低迷に引き摺られ、直近の重音もここ15打席で無安打と大スランプ。それがまた敗けを呼ぶ文字通りの負の連鎖だった。
「カサネー♪」
果ての見えない澱みの中で、それでもドミニカの大砲デロスサントスは膝を折って立ち止まりなどはしない。
この日の試合前も不調に苦しむ僕へ陽気に声を掛け、ウォームアップに付き合ってくれた。
僕の思い込みじゃなければ、彼とはそこそこに仲良くやれている。何なら最近は広報があからさまに僕ら二人をセットで売り出そうとする気配がある。正直釣り合いが無いと我ながら思うのだが、溺れる者は藁をも掴むとでも言うか。
仲良くなるきっかけのような出来事がはっきりとあった訳ではない。それこそ打順の成り行き、後は言語の壁で浮き気味だった彼に僕が臆せず日本語で絡みまくったり、そういう積み重ねだった。
「デロスー、今夜辺り久々に呑まない?」
「アー……ボク、家族、アル」
「あ、そうだよな。ごめん」
体を伸ばしながらその普段のノリで誘ったのだが玉砕。いや、なんで僕が泥棒猫みたいになってるんだ、そんなシリアスな顔しないでくれデロス。
「じゃー、オールスターブレイクのどっかで飯とか」
「ボク、オールスター、出ル」
oh。
見事に大破轟沈した。そう言えば去年も出てたわデロス。
しかしデロスも今となって見るとチームにもすっかり溶け込み、何だか可愛い後輩が随分と遠くへ行ってしまった感覚だ。入団はほぼ同時期だけど。
……ところで、実際この男の年齢は幾つなのだろうか。wikiだと僕と一、二歳差ってことになっているが、本人に聞くと毎回片言の日本語ではぐらかされる。サバ読んでるのか、或いは彼自身覚えていないのか、まさか、もっと離れてたり___。
じっと訝る僕に、デロスは目を瞬かせつつ朗らかに微笑するばかりだった。
日曜日、アウェーでの一戦はクイニーアマンズとの対決。いつ聞いても語呂が悪い。そんなセンスだから地元ファンから微妙に外方向かれるのだ。
上位の化け物揃いと比べれば、まあ特徴の無いチームだ。エースのアンダーソンは災害級だがここでは当たらない。その辺りの個の主張が強くイマイチ一体感に欠ける集団という印象。ちなみにうちと同地方である。不人気地味球団と万年最下位球団どっちがマシなんだろうな。
試合は乱打戦の様相を呈した。取っては取られ、取られては取りを繰り返し、八回までにスコアは7-9。いっつもビハインドやってんなこいつら。
そしてこの日、監督は不振に喘ぐ僕をDHから外しサードのスタメンに置くという恐ろしい暴挙に出た。最近二軍から上げた若手を試すに辺り巡り巡ってこうなったそうだが、仮にも実績組にする仕打ちかこれが。
DH、指名打者は打撃のみに専念できるとは言うが、言い換えれば守備から勝負勘を整えられず一度ドツボに嵌まると立て直すのが難しいとする論説もある。しかし久方ぶりの守備位置に就いてみれば、寧ろこんなのやってる方が尚更打つどころじゃなくなるようだった。慣れない土、異境染みた視界、敵地の重圧。膝は生まれたての子鹿さながらに震え、簡単なゴロ処理もおっかなびっくり。打球ってこんな早いもんなんだっけ?
ただ、先人の思考とはなかなかどうして捨て置き難い。三塁からの視点を経た後で打席に立ってみると不思議とヒットゾーンが広くなった感覚がして、その一打席目で遂に僕のバットから快音が聞かれた。
長いトンネルを抜ければ勢いそのままマルチヒットも記録、幸い守りのやらかしも目立ったものは無く、良い雰囲気で僕は九回表、四人目に回る打順を待っていた。
先立つは例によってデロスサントス。相対するはクイニーアマンズのクローザー、沖野方瑞。
満を持しての守護神の臨場だと言うのに相手ファンの面持ちはやけに緊張し、逆にこっちの方が優勢かのような活気に沸いている。所謂劇場型と言うやつで、ぶっちゃけ支配的とかの語彙とは程遠い位置の男だ。レジェンドの引退を妙な空気にした伝説の投球は今尚記憶に新しい。
期待感そのままに先頭が出塁。しかしながら次が三球三振に倒れ1アウト一塁、流れが遠のく。それでもデロスと、復調した僕ならば。
スリークォーターハンドでの、初球___
悲鳴が上がった。
「おんどりゃあぁぁ!!」
判定が下るより前にバットを打ち棄てていた。
抜け球がデロスの肩に直撃した。ぶつけておいて帽子に指も掛けない奴に、僕は居ても立ってもいられず叫びマウンドの方へ躙り寄る。
「どこに腕付いとんじゃ、ぶてこかすぞワレェェェ!!」
ざわめく球場。一頻り怒り散らして少し冷静になり、ちらと味方ベンチを窺う。件の若手が「これ行かなきゃダメなやつ?」と言わんばかりに前後運動をしていた。意気地無しがよお。
改めて向き直る僕。
その目の前に立ちはだかる、巨影があった。
「ダイジョブデス、ダイジョブ」
ドミニカの大砲、デロスサントス…………。
「しかしだね」
食い下がる僕の肩に、彼の頑強な左手が添えられる。
「オカエシ、バットデ。オケイ?」
小柄な僕の頭一つ分はあるデロスサントスの背丈が、この時は更に高く見えた。
「……おうよ」
僕が溢したのを聞き届けたデロスは、にこりと破顔した。
平気な様子で塁に出て、相手側からも拍手が起こる。その途中で沖野を一瞥し、それを受けたさしもの奴も気まずさを覚えたか鍔を僅かに持ち上げて返した。
そして、僕の出番が来る。
「…………」
腹の虫が治まらない。だから落ち着け、この間コーチにも言われたじゃないか。僕はすぐこうして頭に血を上らせるからダメなのだ。
深呼吸して、事前に仕込まれたデータを思い出す。
奴の投球はフォーシーム5割、フォークボールが3割、他カーブとシンカーで2割。
そう。
スライダーは無い。
(……仇は、バットで)
奴の首が一度振られ、第1球。
死球の後だ、目付は外に___
「ッばかやろう!!」
顔を引きながら思わず悪態吐く。
澄ました面でインハイ投げるとか、どういう神経してんだ。抑えってのはこんなメンタリティでもなければ務まらないということか、絶対友達にしたくないポジション1位で確定だ。
憤るまま2球目。
バックドアのシンカーが決まって、ワンエンドワン。
3球目のフォークは引っ掛かりワンバウンド。
2ボール1ストライク。バッティング・カウント。
握る手に力が籠る。4球目。
「んがっ」
続いたフォークを盛大に空振った。失笑が漏れ聞こえ、2ストライク。
打席を外す。
背水の陣。だがこの頃の僕の心には、思いの外ゆとりがあった。
根拠も何も無い自信だ。けれど今なら、何が来ても打てる予感がする。フォーシームは弾き返せる、フォークでも拾える、他だって捉えられる。そんな予感。
一塁を見やってから、構え直す。
体が軽い。
もう何も怖くない。
(見ていてくれ……デロス!)
迫る球。
「ッ___!」
独りでにバットが動き出す。
速球を真っ向から叩くつもりで。
直前、白球の縫い目が見えた。
回転が弱い。
(フォークっ……!!)
歯を食い縛る。
(……っだぁぁ!)
膝を沈める。右手首を捻る。
是が非でも、喰らい付く___!
落ち切らなかったそれを、掬い上げた。
刹那、無音が包む。
押されるように、ゆっくりと歩き出す。
高々と、バットを放り投げ。
『ウオオォーー!!』
狂喜する左翼席へ、橋は架かった。
会心の一撃。
逆転、3ランホームラン。
「カサネーーー!」
ベースを一周した先で、デロスサントスに出迎えられる。
「エイッ」
上から。
「えいっ」
下から。
『おぉーい!!』
正面から、ハイタッチ。
「¡Ta' pila de JEVIIIII!」
「おおー!」
何言ってんだか知らんが喜んでるんだろう多分。
ベンチの面子とも次々に手をいてえ。誰だ今強めに叩いたの。あの若手じゃねえか、こやつめハハハ。
最終回にして10-9、試合は180度反転した。
後の打者がさくっと打ち取られたのを見届け、グラブを嵌めて守備位置へと走る。
『いいぞーいいぞーか・さ・ねー!!』
敵地の通夜ムードを引き裂くレフトスタンドからの歓声に帽子を取って応える。
この時の僕は、否恐らくほぼ全員が、フランスパンズの勝利を確信していた。
そのはずだったのだが。
(なんか雲行き怪しいぞ、おい)
今度はこっちの抑えが2アウトから途端に崩れ、二者連続四球で一・二塁、サヨナラのランナーまで出してしまう。敵方の応援も徐々に息を吹き返し始める中、一度内野陣がマウンドへ集まる。
「アトヒトツ、アトヒトツ。落チ着クマショウ」
デロスがそのように励ますが、不安は隠れない。
嫌な兆しとは重なるもので、よりによってここからがクイニーアマンズ打線の一番怖い巡り。4番柏本、5番外山の並びに掛かる所だった。
まず左打席に立とうとする柏本、これはその日その日の調子が成績にまあ如実に表れるわかりやすい選手なのだが、さて今日はと言えば既に3安打猛打賞。最悪だ。
あと単純に個人ファンが多いので出てくるだけで球場の空気が変わってしまう。落ち目チームの若大将は要らない期待まで背負って大変だなあ、なんて他人事みたく言ってられない。
明らか浮き足立ったままの投手が、初球を放る。
(やべっ)
斜めからでも寒気が走った。打ち頃の内角。
引っ張られた打球。角度こそ付かなかったが、一二塁間を痛烈に強襲する。
勢い良く、無情にも外野へ、ボールは___
抜けない。
一塁手デロスサントスが、横っ跳びで止めている!
「ナイス!」
声を漏らしながら三塁のカバーへ付いた時。
(__は?)
僕は、とんでもないものを見てしまう。
正確には、見えなかった。
一塁ベース上に、誰もいない。
二塁手は打球処理に走ってしまっている。一塁手デロスも見た通り。本来一塁のカバーに入らなければならない投手は、今更慌てて駆け出す所だった。セカンドでのアウトも間に合わない。
激走する打者走者の足が、ベースへと伸びる。
試合終了のはずが、内野安打に。
そう、思われたが。
切り返す。
倒れた姿勢から、体格から想像も付かない程鋭敏に、今度は一塁方向へ。
デロスが懸命に出したグラブと、柏本の爪先がベースに触れるのは、ほぼ同時だった。
「セーフ!!」
塁審が両腕を広げた。
これにデロスは落胆も挟まず、転がったままで振り被る動作を見せる。本塁突入を目論んでいたセカンドランナーは牽制され、三塁でストップ。
一連のプレーが終わるや否や監督が飛び出し、リプレー検証を要求する。しかしそれとは別の懸念が、フィールド上を覆っていた。
捨て身の死守を見せたデロスが、立ち上がることができない。明らかな異変にベンチからトレーナーが走ってくる。
モニターに大写しにされた検証映像を、眺める者が何人有っただろう。
上体のみを起こしたデロスは、トレーナーに足首を押さえられると力無く首を横に振った。
判定は変わらず、セーフ。半分ダメ元の時間稼ぎに近かったのでそれ以上抗議の声は無い、そんなことよりもデロスだ。
トレーナーに支えられながらやっと立ち上がり、足を引き摺ってフィールドを退く42番。
程無くして、選手交代を告げるアナウンスが掛かった。
(ああ、デロス、きみというやつは!)
そもそもは味方のミスだと言うのに、ともすれば今日の一勝より重い身体を擲って、それでも、君は。
結果的にランナー満塁、ピンチのみが拡大した形。
味方ファンのみならず相手ファンまでどことなく沈んだ顔色の中、僕含めた内野の面々の抱く感情は、幾分異なったものだった。
彼の想いを、無駄にしない。
投手の横顔にも、一握りの闘志が宿っていた。
右の打席は、DH外山。ここ数年には得点圏打率4割を上回った年もある超クラッチヒッター。正に今最も相見えたくなかった打者で間違いなかった。
だがそんな弱音を抜かす奴は、もううちにはいない。
初球は力んでボールだったものの、そこから2球はストライク。カウント1-2。
敵もさる者、一転追い込まれた外山だがここから驚異的な粘りを発揮。打球音一つの度に双方のファンが湧き上がる連続ファールの綱渡りの末、ツースリーに押し戻す。
一つでもゾーンを外せば、同点。投手が一度バックの野手勢を見回した。
たぶん飛ぶんで、その時は、お願いします。
(……任しとけ!)
恐らくは、ラストボール。
果たして放たれるは……清々しいまでのど真ん中、ストレート。
バットは、反応で出たように見えた。
砂を巻いた打球。
行方は、三塁方向。
僕の真正面。
(もらったッ___!!)
歯を剥いた。
平々凡々のゴロ。
何の難しさも無い!
一瞬打球がランナーと被る。問題無い、直前までの軌跡からバウンドを予測して、
…………
跳ね、ない。
(あ)
何が起きたか、気付いた時には、もう遅い。
グラブを揺らす感触は無く、振り返ってみれば、弱々しく外野へ転げる白球。
レフトがフォローに走ってくる。無意味だろうに。二死満塁フルカウント、走者は自動スタート。2点目はどうやったって防げない。
万事休す、だ。
一寸先は闇、トンネル抜けてまたトンネル。逆転サヨナラタイムリーエラー。
相手ベンチ総出の歓びの輪を、僕は土の上にへたり込んだまま、呆然と見つめるしかできなかった。
翌日。
僕は二軍落ちを通達された。
デロスサントス
:軽度の捻挫。オールスターには間に合う模様
重音
:守備固め出さないのが悪い。二軍練習中の怪我で今季絶望
ヘインリー=アンダーソン
:100マイルレフティー。はよメジャー帰れ
沖野方瑞
:防波堤。セーブシチュ以外は無難に抑える
柏本犀吾
:隔年選手。.187叩いた翌年40本塁打を記録
外山良
:元アイドルショート。重音の方狙って打った