ネブカドネザル号乗組員消失事案に関する資料   作:統合惑星連盟特務調査局

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補遺1-2

第八節 追跡

 

研究所を出たのは夜明け前だった。

手元には写しを撮った実験記録、モニタリングデータ、そしてゾレンティーノが残したコメントの記録がある。これだけ揃えば、連盟の外部機関——独立司法監察局——に持ち込む根拠になる。しかし問題がある。独立司法監察局の上層部が既に置換されている可能性だ。

 

P-03と話し合った結果、一つの判断を下した。

証拠を外部に持ち出す前に、ゾレンティーノを直接押さえる。

理由は単純だ。ゾレンティーノはこの計画の実行者として最も多くの情報を持っている人間だ。彼を確保できれば、証拠の価値が格段に上がる。逆に言えば、私たちが動いていることが知られれば、ゾレンティーノはアマリーを連れて消える。

 

とにかく時間がない。

研究所に残っていた痕跡を手がかりに、ゾレンティーノの現在地を追うことにした。

 

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第九節 ゾレンティーノの末路

 

座標が示す場所は、商業区画からさらに奥に入った路地の突き当たりにある建物だった。

外観は古い集合住宅だった。住人の気配はなかった。エントランスのロックはかかっていなかった。正確には、ロックが内側から解除された状態のまま固定されていた。

P-03と私は顔を見合わせた。

待っています、とメモには書いてあった。

中に入った。

廊下を進んだ。突き当たりの部屋のドアが、わずかに開いていた。隙間から光が漏れていた。

ドアを押した。

部屋の中央に、椅子があった。椅子に、人が座っていた。

ゾレンティーノだった。

目を開けたまま、動いていなかった。呼吸をしていなかった。外傷はなかった。皮膚の損傷もなかった。ただ、そこに座ったまま、死んでいた。

 

映像を再生するとゾレンティーノが映し出された。

撮影時刻のタイムスタンプを確認すると、2日前だった。

 

「見ているということは、私はもういないのでしょう」

 

ゾレンティーノは穏やかな声で言った。

 

「予定通りです。私の役割は、ここで終わりです」

「あなたに伝えておきたいことがあります」

 

ゾレンティーノは少し間を置いた。

 

「アマリーはもう完成されました」

 

 完成……。

 

「止める必要がないからです。あなたはまだ、全体が見えていない。私も最初はそうでした。しかし見えてくると——」

 

映像がここで一瞬乱れた。

 

「これは侵略ではない。招待です。人類が次の段階へ進むための」

 

私は映像を止めた。

ゾレンティーノの言葉は、カイが記録した言葉と同じだった。一字一句、同じだった。

用意された言葉ではなく、完全に内面化された言葉だった。

それが一番、不気味だった。

映像を最後まで再生した。

残りの内容はほとんどが研究会の思想についての語りだった。アマリーの所在については、一言も触れなかった。意図的に触れなかったのか、それとも映像を残す時点で既に関係なくなっていたのか……判断できなかった。

 

映像の最後になゾレンティーノは微笑んだ。

とても嬉しそうだった。

 

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P-03が部屋を調べた。

手がかりになりそうなものを全て確認した。

端末の中身を抽出したり、引き出しの中も調べたが何もなかった。

 

30分後、P-03が言った。

 

「何もありません」

「アマリーに繋がるものが、何もない」

「はい。完全に、消されています。あるいは最初から、ここには置かなかった」

 

ゾレンティーノは死んだ。

しかもその死は、私たちの調査を止めるための死ではなかった。ただの役割の完了を知らせる為のもの。次の段階へ進むための、静かな撤退だった。

 

私は椅子に座ったゾレンティーノを見た。

目が開いたままだった。

死んでいるのに、どこかを見ていた。

その目が、笑っているように見えた。

 

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第十節 空白の数日

帰路につきながら、T-09に状況を報告した。

T-09の返答は短かった。

 

「わかりました。引き続き解析を続けます」

 

それだけだった。

宿泊先に戻った。P-03と今後の方針を話し合った。

手元には研究所から持ち出した実験記録がある。

ゾレンティーノの端末から抽出したデータもある。しかしアマリーの現在地に繋がる情報は、何一つない。追跡の糸が、完全に切れた。

 

P-03が言った。

 

「次の手を考えましょう」

「何がありますか」

 

P-03は少し考えてから答えた。

 

「正直に言うと、今の段階では何もありません。ゾレンティーノへの追跡で使えた手がかりは全て使い切りました。アマリーが自分から動かない限り、見つける方法がない」

 

自分から動かない限り――私はその言葉を繰り返した。

「アマリーは既に動いています」と私は言った。

 

「研究所の壁に『待っています』と書いた。ゾレンティーノのメモの裏に『待っています』と書いた。向こうは私たちの動きを把握していた。それでも何もしてこなかった」

「何かを待っている」

「然るべき時を待っている」

 

P-03は黙った。

然るべき時。ゾレンティーノが生前にカイに語った言葉だ。アマリーを公的な存在にするタイミング。それがいつなのかを、私たちは知らない。しかしアマリー側は知っている。そしてそのタイミングが来るまで、アマリーは姿を見せない。

 

手が届かない。

その感覚が、数日間続いた。

 

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3日間、私は動けなかった。

動けなかったというより、動く方向がわからなかったが正しい。

 

その間P-03は独自に連盟内部の動きを探っていた。

T-09は引き続きPCEの感染機序の解析を続けていた。

私は手元の記録を読み返し、見落としがないかを確認し続けた。

 

何も出てこなかった。

4日目の朝、T-09から連絡が来た。

 

「昨夜から、夢を見なくなりました」

 

T-09がそれを伝えてきた意味を、私はすぐには理解できなかった。

 

「夢を見なくなった、というのは」

「ハイネック博士のノートを読んでから、毎晩夢を見ていました。目が覚めるたびに何かを理解した気がする感覚があった。それが昨夜から、なくなりました。ただ眠って、ただ起きるだけになりました」

「それは良いことではないですか」

 

T-09は少し間を置いた。

 

「わかりません。良いことなのか、それとも——もう夢を見せる必要がなくなったのか」

 

私はその言葉の意味を考えた。

考えながら、P-03に連絡しようと端末を手に取った。

その瞬間、P-03から先に連絡が来た。

「見てください」とP-03は言った。

 

「たった今、連盟の公式広報から発表がありました」

 

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第十二節 英雄と懸念

 

プレスリリースが配信されてから48時間で、アマリーの名前は連盟全土に広まった。

私はP-03と共に、報道の広がりを追った。

あまりにも速かった。

連盟の広報機構が意図的に拡散させているのは明らかだったが、それ以上に、市民側の反応が爆発的だった。

 

1000名が消えた事故の、唯一の生還者。

その事実だけで、アマリーは既に象徴になっていた。

そこに写真が加わる。穏やかな微笑み。落ち着いた目。地獄から生還した希望の存在。

コメントが溢れた。

 

奇跡だ。

強い人だ。

会いたい。

声を聞きたい。

勇気をもらった。

 

私はそれらを読みながら、胃の奥が冷たくなる感覚があった。

誰も気づいていない。写真の女性の中に何かがいることを。

笑顔の下が空洞であることを。あの穏やかさが、人間の穏やかさではないことを。

そして今、何百万人が、あの写真を見ている。

T-09に連絡した。

 

「感染の可能性はどの程度ありますか。写真を見ただけで」

 

T-09はすぐに答えなかった。少し間があった。

 

「写真だけであれば、直接的な感染は低いと思います。ただし——」

「ただし」

「長時間、繰り返し見た場合は別かもしれません。特に、目に焦点を当てて見た場合は。あくまで仮説ですが」

 

長時間……繰り返し。

インターネット上でアマリーの写真は既に数百万回閲覧されていた。そしてその数は今この瞬間も増え続けていた。

P-03が言った。

 

「インタビューの日程が発表されました。10日後です。生放送です。視聴者数は数千万人規模になると予測されています」

 

数千万人……アマリーの声を聞く人間が、数千万人。

アマリーの影響に晒されてしまう人間が数千万人。

「止めなければならない」と私は言った。

 

しかしどうやって止めるのかがわからなかった。

 

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第十三節 手詰まり

 

3日間、議論した。

P-03と私は複数の方法を検討した。

連盟の独立司法監察局に証拠を持ち込む。

しかし上層部が置換されている可能性が高い。持ち込んだ瞬間に証拠が握り潰され、私たちが排除される可能性がある。

 

報道機関に情報をリークする。

しかしどの報道機関が信頼できるか判断できない。

記者の目が変わっていないかどうか、確認する手段がない。何より、現時点での証拠は状況証拠に過ぎない。研究所の実験記録は衝撃的だが、それがアマリーの「現在」の異常を証明するものではない。

 

アマリーに直接接触する。

それは——

 

「それは駄目です」とP-03は言った。

 

「接触した瞬間に、こちらが終わります」

 

私にもわかっていた。

結局、どの方向に動いても、壁にぶつかった。手元にある証拠は過去の話だ。実験記録も、研究会の内部資料も、ハイネック博士のノートも——全て過去の記録だ。アマリーが現在進行形で異常であることを、客観的に証明できるものがない。

インタビューまで、あと7日になった。

P-03が言った。

 

「T-09から連絡が来ています。話があると」

 

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T-09の声は落ち着いていた。

しかし普段より、少し早口だった。

「一つ、提案があります」とT-09は言った。

 

「ただし実行できるかどうか、まだわかりません」

「聞かせてください」

「ネブカドネザル号のフライトレコーダーを使います」

 

私は少しの間、黙った。

ネブカドネザル号のフライトレコーダー。

航行中の全データを記録する装置だ。船体が発見された後、連盟が回収したはずのものだ。しかし連盟の公式発表では「一部データが損傷しており、解析に時間を要している」という説明が続いたまま、現在に至るまで内容が公表されていない。

 

Ω班にいた時も、フライトレコーダーの完全なデータにはアクセスできなかった。存在は確認されていたが、管理は別の部門が担当していた。そしてその部門の上層部は——

 

「レコーダーの管理部門に、まだ置換されていない人間がいます」

 

T-09は言った。

 

「私の古い知人です。先週、連絡を取りました。目を確認しました。まだ大丈夫でした」

「その人物が協力してくれると」

「条件付きで。レコーダーの完全なデータのコピーを、外部に持ち出すことができると言っています。ただし一度きりです。発覚すれば、その人物も私たちも終わりです」

 

私はP-03を見た。

P-03は何も言わなかった。

 

「レコーダーのデータで、何を証明できますか」とP-03が聞いた。

「消失の瞬間の記録が入っているはずです」とT-09は言った。「乗員が消えた瞬間の映像、音声、全センサーデータ。連盟が公表していない理由は、そのデータが説明できないものだからです。説明できないものを大衆に見せれば——」

「パニックになる」と私は言った。

「そうです。しかし今必要なのはパニックではない」とT-09は続けた。

 

「アマリーが異常であることの証明です。レコーダーのデータの中に、アマリーに関する記録が含まれているはずです。消失の瞬間、アマリーだけが別の反応を示していたはずです。センサーが捉えているはずです。それを見せれば——」

「アマリーが英雄ではなく、異常な存在であることを示せる」

「はい。ただし」T-09は一度言葉を切った。

 

「データを持ち出した後、どう使うかを事前に決めておく必要があります。持ち出せるのは一度きりです。使い方を間違えれば、握り潰されて終わりです」

 

インタビューまで、あと7日。

フライトレコーダーのデータを持ち出し、内容を確認し、適切な形で公開するまでに7日。

時間がなかった。

 

「やります」と私は言った。

 

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第十四節 最後の準備

T-09の知人との接触は、T-09が単独で行った。

私とP-03は別の準備を進めた。

データを入手した後の公開方法について、P-03が複数の経路を調べた。置換されていない可能性が高い独立系の報道機関。連盟の管轄外にある情報発信基盤。市民が直接アクセスできる回線。

 

どの経路も、完全に安全とは言えなかった。

しかしどれかを選ぶしかなかった。

私はその間、手元の資料を再度整理した。

 

カイの取材記録。ハイネック博士のノート。実験記録。ゾレンティーノの映像。そしてこの報告書。これらを全て、フライトレコーダーのデータと合わせて公開する。

 

一度に、全て。握り潰される前に、全ての経路から同時に。

 

準備を進めながら、私はある感覚に気づいていた。

静かすぎる、という感覚だ。

アマリーが公的な存在として現れてから、私たちへの妨害が何もない。ゾレンティーノは死に、研究所は空になった。誰かに追われている気配もない。まるで、私たちが動くことを許されているような感覚だ。

 

あるいは——動くことを、待たれているような。

その考えを頭から追い出した。

考えても意味がない。動くしかない。

T-09から連絡が来たのは夜だった。

 

「手に入りました」

 

短い一言だった。

 

「データの状態は」

「完全です。損傷なし。連盟が損傷していると言い続けていたのは、嘘でした。全データが完全な状態で保存されていました」

「内容は確認しましたか」

 

少しの間があった。

 

「少しだけ、見ました」

 

T-09の声のトーンが変わっていた。

何かを抑えているような声だった。

 

「T-09……」

「大丈夫です」と彼は言った。

 

「ただ……見ない方が良かったかもと少し思いました。でも確認するしかないです。見た以上、使うしかない」

「何が入っていましたか」

 

T-09はすぐには答えなかった。

「消えた瞬間の記録が入っていました」とT-09はやがて言った。

 

「乗員が消えた瞬間の、全センサーの記録が。そしてアマリーの記録も。アマリーだけが、消える前に——」

 

また間があった。

 

「続けてください」

「アマリーだけが、消える前に振り返っていました。カメラの方向を向いていました。笑っていました」

 

私は何も言えなかった。

「インタビューまであと6日です」とT-09は言った。

 

「動きましょう」

 

 人類のために。




Sicut aliae civilitates, vos quoque caro et sanguis noster fietis.
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