ネブカドネザル号乗組員消失事案に関する資料 作:統合惑星連盟特務調査局
補遺資料 ΩR-VOID-006
資料分類:制限なし
──────────────────────
S-01 最終記録
記録開始日:西暦3001年4月3日
第一節
フライトレコーダーのデータを入手してから72時間、私たちは動き続けた。
T-09がデータを解析し、P-03が公開経路を整備した。
私は手元の全資料を一つのパッケージにまとめた。
カイの取材記録、ハイネック博士のノート、実験記録、ゾレンティーノの映像、そしてこの報告書。全てを一度に、複数の経路から同時に公開する。
フライトレコーダーのデータは、想定以上のものだった。
T-09が解析結果を報告した。
消失の瞬間の全センサー記録。
乗員1000名の神経量子場が一斉に変容していく過程。そして——アマリーが人間をやめてしまう瞬間が映っている。
乗員が消えていく中、アマリーの神経量子場は消えず、変容し別の何かに置き換わった。そしてその置き換わりが完了した瞬間、アマリーはカメラの方を向いて笑った。
ある一種の魔術的な光景だった。
あの悍ましい記録は死んでも忘れない自信があった。
「これで十分です」
T-09は言った。
「アマリーが異常であることの証明になります。笑顔の意味を、誰もが理解できる形で示せます」
P-03が公開経路の最終確認をした。
置換されていない可能性が高い独立系の報道機関三社。
連盟管轄外の情報発信基盤二つ。市民が直接アクセスできる公開回線。全ての経路に、同じデータパッケージを同時送信する。
どれか一つを握り潰されても、残りが生き残る算段だ。
インタビューまであと4日だった。
「準備ができたら、すぐに動きます」と私は言った。
T-09とP-03は頷いた。
──────────────────────
第二節
西暦3001年4月5日、午前3時。
全ての経路から同時に、データを送信した。
送信完了まで4分17秒かかった。
送信が完了した瞬間、私は奇妙な感覚を覚えた。
安堵ではなく何か重いものを手放した感覚に近い。
しかし手放した後に残ったのは、軽さではなく、別の重さだった。
P-03が言った。
「確認が取れました。三社中二社が受信を確認。公開回線にも正常にアップロードされています」
「残り一社は」
「まだ応答がありません」
応答がない一社については、後で確認することにした。
今は動いたことが重要だ。
データは出た。後は広まるのを待つだけだ。
しかし2時間後、P-03が言った。
「おかしい」
「何が」
「報道機関二社から、同時に確認の連絡が来なくなりました。公開回線の閲覧数が、送信直後から全く増えていません」
「どういうことですか」
「データは届いている。しかし誰も見ていない。あるいは——見えない状態になっている」
P-03が経路を確認した。
データは存在しているため消えていない。
しかし検索にかからない。リンクを直接踏んでも、エラーが返ってくる。
「削除されたのではありません」
P-03は言った。
「存在しているのに、アクセスできない状態になっています。技術的には——こんなことが可能なはずがない」
私は少しの間、黙っていた。
連盟の情報管理部門が動いたのか。
しかしこれほど速く、これほど完全に遮断できるものなのか。
T-09が言った。
「一つ、確認したいことがあります。報道機関に連絡を取った人間は誰ですか」
P-03が答えた。
「私が直接、担当者に連絡しました」
「……貴方が無意識下のうちに、影響を受けて……他に感染させられた可能性は……」
「それ…………は…………」
沈黙があった。
長い沈黙だった。
もう誰が感染してないのか、してるのかわからない。
──────────────────────
第三節
翌日の朝、T-09から連絡が来た。
「一つだけ伝えておきたいことがあります」
声がいつもと違った。
落ち着いていたというより……落ち着きすぎていたが正しい。
「T-09、大丈夫ですか」
「大丈夫です。ただ——昨夜から、また夢を見るようになりました」
私は息を呑んだ。
「内容は」
「覚えています。今回は覚えています」
T-09は少し間を置いた。
「廊下でした。長い廊下。端が見えない廊下。アマリーが立っていました。背を向けていました」
カイの夢と同じだった。
「T-09」
「笑っていました」
T-09は言った。
「振り返った時。笑っていました。私に向かって、何かを言いました。聞き取れませんでした。でも——なんとなく、わかりました」
「何と言っていましたか」
「よく来た、と言っていました」
私は端末を握りしめた。
「T-09、今すぐ場所を離れてください。今すぐ——」
「S-01」とT-09は静かに言った。
「もう…………手遅れだったんです。あの時にアマリーを救うのではなく殺すべきでした」
「T-09——」
「気をつけてください」
通話が切れた。
それ以降、T-09とは連絡が取れなかった。
──────────────────────
T-09との通話が切れた後、私はしばらく端末を手に持ったまま動けなかった。
かけ直しても繋がらなかった。
もう一度かけた、繋がらなかった。
P-03に状況を伝えた。
P-03は黙って聞いていた。
それから「T-09の居場所を確認できますか」と聞いた。
できなかった。T-09とは常に、追跡されないよう匿名の経路で連絡を取っていた。居場所を特定する手段を、意図的に持っていなかった。それが安全のためだったはずだった。しかし今は、その安全が仇になっていた。
「待ちます」とP-03は言った。
「T-09が連絡できる状態になれば、来るはずです」
「来なかったら」
P-03は答えなかった。
答えられなかったが正しいかもしれない。
──────────────────────
私は一人で、次の手を考えた。
P-03は別の場所で情報収集を続けていた。
私は宿泊先の部屋に戻り、手元の資料を広げた。
カイの取材記録。ハイネック博士のノート。実験記録。ゾレンティーノの映像。フライトレコーダーのデータ。
全部あっても使う手段がない。
T-09が消え、公開経路は遮断された。
リストに残っていた人間の目が、一人また一人と変わっていく。
私は窓の外を見た。
街は普通だった。人が歩いていた。笑っていた。話していた。
見た目は普通なのに……中身が違うなんて。
変えられた果てに……何が待ち受けている。
気がやられる前に私は窓から離れた。
机に向かって、資料を見た。
何かを見落としていないか。何か、まだ使える手がないか。
ハイネック博士のノートを開いた。最後に読んだのはいつだったか。何度も読んだはずなのに、また最初から読み直した。
読みながら、T-09の最後の言葉を思い出していた。
「フライトレコーダーのデータを、もう一度見てください。最後の部分を。私が最初に見た時、見落としていた部分があります」
T-09は何を見たのか。
しかしデータを見ることが——T-09が消えた原因かもしれなかった。
私は端末を手に取った。フライトレコーダーのデータを開こうとして、止まった。
T-09の仮説を思い出した。
「PCEの存在や性質に関する情報を深く理解しようとした瞬間に、神経量子場が共鳴状態に入る可能性がある」
知ることがトリガーになる。
ならばデータを見ることは——私は端末を置いた。
しばらくそのまま座っていた。
何もできない、という感覚があった。動こうとするたびに、壁にぶつかる。人を増やせば置換のリスクが増える。データを見れば自分が危険にさらされるかもしれない。公開しようとすれば遮断される。
じわじわと、選択肢が削られていく。
人智を超えた存在が相手を前に我々はなす術がない。
私は机の上のノートを見た。
この報告書を書いていた。
書いている間だけ、頭が整理される。書いている間だけ、次の手を考えられる気がした。
ハイネック博士が「数式を書いている間だけ私は私だ」と書いていた。
私には数式はないが記録がある。
記録を書いていると、少し落ち着いた。少し、だけ。
インタビューまであと何日あるか確認した。
4日だった。
4日で、何ができるか。
T-09なしで。
遮断された公開経路なしで。削れていくリストだけを持って。
一つだけ、残っている手があった。
物理的な配布だ。
デジタル経路を使わずに記録媒体を直接、人の手に渡す。
時間がかかる上に確実性もない。しかし他に方法がなかった。
P-03に連絡した。
「一つ、提案があります」
P-03は聞いていた。
「物理的な配布です」
沈黙があった。
それからP-03が言った。
「準備します」
電話を切った後、私はもう一度窓の外を見た。
街は変わらず動いていた。普通に見えた。
しかし4日後、それが全部変わるかもしれない。
変わった後も、街は普通に見えるだろう。
それが一番、怖かった。
──────────────────────
第五節
翌朝から動いた。
P-03が記録媒体を7本準備した。同じデータが入っている。フライトレコーダーの解析結果、カイの取材記録、実験記録、全て。
リストに残った7名に届ける。
最初の一人目は、外縁コロニーの研究者だった。
P-03が玄関まで届けたら受け取ってもらえた。
二人目は、独立系の弁護士だった。
連盟の法的管轄外で動ける人間だ。私が直接会いに行った。目を確認した。まだ本物だったから渡した。
三人目に向かう途中で、P-03から連絡が来た。
「一人目の研究者に確認を取ろうとしました」
「どうでしたか」
「繋がりません」
渡してから2時間で、繋がらなくなった。
私は足を止めた。
ああ……もう……無駄な足掻きかと悟ったが、止める気もなかった。
「続けます」と私は言った。
「S-01——」
「続けます」
P-03は何も言わなかった。
──────────────────────
三人目、四人目と回った。
どちらも受け取ってくれた。目はまだ本物だった。
もうそう思いたいだけだろうが。
しかし五人目の住所に向かう途中、違和感を覚えた。
後ろを歩く人間が同じ間隔を保ったまま、私と同じルートを歩いていた。気づいてから3ブロック、同じ距離を保ったまま続いていた。
立ち止まった。
後ろの人間も立ち止まった。
振り返った。
中年の男で連盟の制服ではなかった。普通の服を着ている。
だけどそいつは私を見て笑っていた。
走った。
無我夢中になって、この現実から逃れたい一心で。
だけど別の角から、二人目が現れた。
逃げ切れなかった。
両腕を掴まれてしまい、抵抗しても無意味だった。
P-03に連絡しようとした。端末を取り上げられた。
「離せ」
返答はなかった。二人は黙って私を引いていった。
笑顔のまま。目が変わったまま。何も言わないまま。
それが一番、不気味だった。
──────────────────────
第六節
車に乗せられた。
どこへ向かっているのか、わからなかった。
窓の外を見た。見覚えのある方向だった。
連盟の中心部に向かっていた。
1時間後、車が止まった。
降ろされた場所は、大きな建物の裏口だった。警備員がいた。全員、目が変わっていた。
裏口から中に入り廊下を歩かされた。
エレベーターに乗せられた。
地下ではなく、上に向かっていた。
扉が開いた。
明るい部屋だった。
窓が大きかった。外が見えた。街が見えた。街は動いていた。普通に見えた。
部屋の中央に、テーブルがあった。椅子が二脚あった。
一脚に、人が座っていた。
白い服を着た女性だった。
穏やかに微笑んでいた。
アマリー・ヘッシュだった。
「座ってください」とアマリーは言った。
声は温かかった。本当に温かくて気味が悪かった。
私は立ったままでいた。
アマリーは気にせず笑顔のまま、私を見ていた。
「ずっと調べていたんですね」とアマリーは言った。
「カイさんから始まって、ずっと」
カイの名前が出た瞬間、私はすぐに聞いた。
「カイを殺したのはあなたですか」
「殺していません」とアマリーは穏やかに言った。
「カイさんは自分で来ました。来て、見て、受け取りました。それだけです」
「受け取った結果、内臓が全て消えていたのはどういう理屈です?」
「次の段階へ進んだということです」とアマリーは言った。「残念でした、本当に」
残念でした、という言葉が、普通の言葉として発音された。
感情があった。しかし人間の感情ではなかった。別の何かが、感情の形を借りていた。
私は黙っていた。
アマリーは続けた。
「T-09さんも、そうでした。フライトレコーダーのデータを最後まで見てしまった。見た瞬間に扉が開きました」
「T-09は今どこにいますか」
「次の段階にいます」とアマリーは言った。
「苦しんでいません。それだけは確かです」
私は拳を握った。
アマリーはそれを見ていた。
見ながら笑顔を崩さなかった。
──────────────────────
しばらく話した後、アマリーが立ち上がった。
私より少し背が低かった。
近くで見ると、ただの人間に見えた。
普通の、28歳の女性に見えた。
それが一番、不気味だった。
「一つ、お願いがあります」とアマリーは言った。
私は何も言わなかった。
「今日の記者会見を、ここで見ていてください」
アマリーは私を見た。目が笑った。
口ではなく、目が……。しかしそれは温かい笑いではなかった。
品定めをするような目だった。
値踏みするような目だった。
「皆さんが変わっていく様子を」とアマリーは続けた。
「あなたには、ぜひ見ていてほしいんです」
「なぜ私に……」
この時……声が震えていたのを覚えてる。
「あなたは最後まで抗った、その健闘に報いるためです」とアマリーは言った。
「貴方は人間のままにします、ですが他は全部変えます」
その言葉の意味を、私はすぐには理解できなかった。
アマリーは少し首を傾けた。
まるで私の理解が追いついていないことを、楽しんでいるような仕草だった。
「おわかりですか」とアマリーは言った。
「あなたをそのままにしておくことが——あなたにとって最も辛いことだからです」
「………………なんと、残虐な……」
「全員が変わります」
アマリーは静かに続けた。
「あなたの周りの人間が、全員。P-03も。T-09も。リラも。エリックも。あなたが調べてきた全員が。あなたが守ろうとしてきた全員が。今日、この瞬間から我々となる」
「そしてあなただけが」
アマリーは微笑んだ。
「最後の人類として、それを見続ける。命が尽きるまで……変わりゆくこの小さな星を見るのです」
部屋の空気が変わった気がした。
「これは慈悲ではありません」
アマリーははっきりと言った。
「あなたが足掻いてきたことへの、答えです。あなたは最後まで人類のために動いた。その結果として、あなただけが人類のまま残される。それがどれほど孤独で、どれほど絶望的か——あなた自身が一番よくわかるでしょう」
私は何も言えなかった。
言葉が、出てこなかった。
「記録し続けてください。最後まで……それがあなたの役割です。私たちが歩みを進める間、あなたには証人でいてもらいます。誰にも届かない記録を書き続ける、最後の人間として」
誰にも届かない記録という言葉が、刃のように刺さった。
「一つだけ聞かせてください」と私は言った。
アマリーは待った。
「あなたは——アマリー・ヘッシュとして、何かを感じていますか。人間だった頃の記憶は、残っていますか」
アマリーは少しの間、何も言わなかった。
初めて、間があった。
それから静かに言った。
「アマリーは残っています」
「残っている、というのは」
「全て覚えています」とアマリーは言った。
「リンのこと。研究会のこと。ネブカドネザル号のこと。クルトのこと。あの船で過ごした時間のこと。全部覚えています」
そしてドアが開いてスタッフが顔を出した。
「準備ができました」
アマリーは私に背を向けて歩き始めた。
ドアの前で、一度だけ振り返った。
「見ていてください」と彼女は言った。
「全てが変わる瞬間を。あなたのために、特等席を用意しました」
そして微笑む。
人間性のカケラもない、気味悪い笑みだった。
──────────────────────
〔後に発見された映像資料の書き起こし〕
〔記録番号:ΩR-VID-001〕
〔発見日:西暦3001年4月29日 発見者:不明〕
〔映像の性質:アマリー・ヘッシュの記者会見における非公開カメラの記録〕
〔注意:本映像は公式中継には含まれていない複数角度からの記録を統合したものである〕
〔閲覧注意:以下の内容は精神的に強い影響を与える可能性がある〕
本映像の書き起こしにあたり、一点を明記する。
本書き起こしは自律型文字起こしAI〔VOID-AI-009〕によって処理されたものである。しかし処理の過程において、AIの出力に複数の異常が確認された。文法の崩壊、語順の逸脱、意味の断絶——通常の処理では発生しえない誤りが、特定の箇所に集中して現れた。
──────────────────────
〔映像書き起こし〕
記者会見会場――壇上にアマリー・ヘッシュが立っている。
白い服。穏やかな微笑み。会場は満員だった。
記者、カメラクルー、連盟の関係者がいた。
アマリーがマイクの前に立った。
拍手が起きた。
「皆さん、はじめまして」
アマリーは言った。
声は温かかった。
落ち着いていた。
会場の空気が、その声に引き寄せられるように静まった。
「私はアマリー・ヘッシュです。ネブカドネザル号から、帰ってきました」
また拍手が起きた。
スピーチが始まった。
内容は記録しない。記録する意味がないからだ。ただ一点だけ書いておく。スピーチの内容は論理的だった。美しかった。人類の未来について、恒星間移民の意義について、宇宙における人類の役割について。聞いていると、正しいことを言っているように聞こえた。
しかしその正しさは、人間のものではなかった。
別の何かが、人間の言葉を借りていた。
スピーチが10分を過ぎた頃、アマリーの声が少し変わった。
変わった、というより——別の層が加わった。声の下に、別の音が混じり始めた。マイクが拾っているかどうかわからないような、低く持続する音だ。
会場の空気が変わった。
記者たちが、カメラを構えたまま動かなくなった。
目を開いたまま、瞬きをしなくなった。
アマリーは話し続けた。
そして15分が経った頃、アマリーは話すのをやめた。
沈黙があった。
会場が完全に静止した。
アマリーはマイクから少し離れた。目を閉じた。
そして——呟き始めた。
言語ではなかった。しかし言語の構造を持っていた。規則的で、反復的で、何かを呼んでいるような音だった。
「ウム・シャラ・ネフ・アタ・ウム」
一度。
「ウム・シャラ・ネフ・アタ・ウム」
二度。
「ウム・シャラ・ネフ・アタ・ウム」
三度目が終わった瞬間——アマリーのすぐ後ろの空間が、割れた。
割れた、という表現が正確かどうかわからない。
しかし映像には確かに、空間が裂けるように開いていく様子が記録されていた。裂け目の向こうは暗かった。光がなかった。ただの暗闇ではなかった。何かがいる暗闇だった。
裂け目が広がった。
暗闇の中から、それが現れた。
人型だったが人間ではなかった。
全身は光を吸い込むような黒に染まっていた。
長い髪のようなものが全身から伸びていた。髪ではなかった。触手でもなかった。それが何であるかを、映像では判断できなかった。ただ、揺れていた。風がないのに、揺れていた。
それは壇上に立った。
アマリーの隣に。
アマリーは振り返らなかった。ただ微笑んでいた。
それが目を開いた。
数百の目が、全身のあちこちに開いていった。大きさが違った。色が違った。しかし全ての目が、同じ方向を見ていた。
カメラの方を。
会場の全員の方を。
その瞬間——空が変わった。
会場の天井が消えたわけではなかった。
赤かった。
血の色だった。
夕焼けではなかった。
炎でもなかった。ただ、赤かった。
赤い空が、広がっていた。
会場にいた全員が、同時に白目を向いた。
立ったまま。座ったまま。カメラを構えたまま。マイクを持ったまま。全員が、その姿勢のまま、白目を向いて静止した。
棒立ちになった。
一秒後、声が聞こえた。
女の声だった。一人ではなかった。複数だった。何百人分か、何千人分かわからない声が重なっていた。悲鳴のような声だった。しかし悲鳴ではなかった。言葉だった。言語ではなかったが、言葉だった。
その声が、轟いた。
壁が揺れた。カメラが揺れた。映像が乱れた。
会場の輪郭が溶け始めた。
壁が壁でなくなった。床が床でなくなった。空間の境界が失われていった。代わりに広がってきたのは——何もない場所だった。何もないのに、何かがいる場所だった。
位相空間だと、私には思えた。
三次元空間が、別の何かに上書きされていく瞬間だった。
アマリーだけが動いていた。
その場で、ゆっくりと、全方向を見回すように回転した。
そして一度だけ、カメラを正面から見た。
笑っていた。
記者会見中の笑顔と、同じ笑顔だった。
穏やかな笑顔だった。
笑顔の奥に、深く、どこまでも深く、続いているものが見えた。
次章で記録は最期になる