ネブカドネザル号乗組員消失事案に関する資料 作:統合惑星連盟特務調査局
補遺資料 ΩR-VOID-004
資料分類:極秘/取り扱い注意
文書番号:ΩR-VOID-004-A
〔本資料は特務調査局Ω班の管轄外において独自に収集された一次資料である。本資料の原本は、かつて「ノイエ・ベルリン第三居住区」と呼ばれた外縁コロニーの廃棄区画内、厳重な電子ロックが施された個室において発見された。発見時、資料の保存状態は良好であり、外部汚染・データ腐食・物理的損傷のいずれも確認されなかった。保存環境が意図的に整えられていた可能性がある。〕
〔本資料の作成者は、フリージャーナリストのカイ・ドレスナー(享年34歳)である。ドレスナーは本資料の作成後まもなく不審死を遂げており、死因は現在も「不明」として処理されている。本資料は彼が生前に残した最後の記録と推定される。取り扱いは慎重を期すこと。〕
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カイ・ドレスナー 取材記録
記録開始日:西暦3000年12月1日
3000.12.01 記録①
ジャーナリストになって11年になる。
これまでに扱ってきたネタは、連盟の汚職、コロニー間の資源紛争、軍の隠蔽工作と、それなりに修羅場をくぐってきたつもりだ。匿名のタレコミも一度や二度ではない。怪しい情報源からの接触も、慣れたものだと思っていた。
しかし今日届いたメールは、これまでとは少し毛色が違う。
送信者は「Ω-VOID」と名乗っていた。アドレスは使い捨てと思われる匿名サーバー経由のもので、送信元の特定は不可能だろう。件名は「調査依頼」。本文は暗号化されており、添付ファイルの復号キーが別の経路——私の個人端末の旧アドレス宛て——に届いていた。旧アドレスを知っている人間は、業界でも限られている。
復号したファイルの中身は膨大だった。
報告書、ログ記録、医療記録、個人端末のデータ断片。ざっと目を通しただけで、これが連盟の最高機密文書であることは明らかだった。
添付ファイルの末尾に、短いメッセージが残されていた。
「調べてほしい。私たちが調べられなかったことを。あなたの周囲の人間が、全員信頼できる人間であることも」
正直に言えば、最初は疑った。
これは罠かもしれない。
連盟情報局が仕掛けたジャーナリストの炙り出しか、あるいはどこかの勢力による偽情報工作か。機密文書を餌にジャーナリストを釣り、情報漏洩の共犯に仕立て上げる手口は珍しくない。
しかし読み進めるうちに、その考えが少しずつ揺らいでいった。
内容が精巧すぎる。
偽情報であれば、矛盾が生じるはずだ。
しかしこの資料群は、細部に至るまで整合性が取れている。複数の独立した記録が、互いを補完する形で存在している。一人の人間が作り上げるには、あまりにも膨大で、あまりにも緻密だ。
それに——ネブカドネザル号の名前は、私も聞いたことがあった。
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3000.12.01 記録②
ネブカドネザル号。
連盟が公式に発表したのは「恒星間移民調査船が航行中に通信を断絶し、現在調査中」というものだった。発表は事案発生から約2ヶ月後の西暦3000年8月下旬のことだ。私はその時、発表の内容よりも発表のタイミングに違和感を覚えていた。2ヶ月という空白は長すぎる。何かを整理する時間が必要だったのだろうと思いながら、当時は別の取材を抱えていたこともあり、深く追わなかった。
今思えば、追うべきだった。
資料を読み直す。報告書の冒頭には「Ω-4級機密」という区分が記されている。連盟の情報保全規定において、Ω-4がどのような位置づけなのかを私は知らない。しかしその名称が示す通り、これが最高位に近い機密区分であることは容易に想像できた。
乗員1000名の消失。
数字として読めば確かに衝撃的だ。しかし私がより強く引っかかったのは別のことだった。資料の中に、一人の女性の名前が繰り返し出てくる。アマリー・ヘッシュ。唯一の生存者。28歳。医療班所属。
彼女の医療記録を読んだ。
航行日誌を読んだ。
査問記録を読んだ。
担当医の私的メモを読んだ。
読み終えた後、私はしばらく端末から目を離せなかった。
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3000.12.03 記録③
2日間、資料を読み込んだ。
まず確認できる事実を整理することにした。ジャーナリストとして長年やってきた習慣だ。感情的な印象より先に、検証可能な事実を積み上げる。
確認できる事実として、ネブカドネザル号が西暦2999年12月3日に発航したことは連盟の公式発表でも確認できる。通信断絶が発生したこともそうだ。しかし連盟が公式に発表した内容はそこまでだった。乗員が全員消失したという事実は、少なくとも公開情報の中には存在しない。
次に確認が困難な事実。アマリー・ヘッシュの存在。資料には彼女の詳細な経歴が記載されているが、これを独自に裏付けることができるか。連盟中央大学の卒業記録、医学会誌への論文掲載、ネブカドネザル号への乗船——これらは公開記録を当たれば確認できるはずだ。
そして確認が不可能な事実。資料の送信者の正体。削除されたという内部議事録の内容。アマリー・ヘッシュの現在の所在。
私はまず確認が困難な事実から当たることにした。連盟中央大学のデータベースに、アマリー・ヨハンナ・ヘッシュという人物の卒業記録が存在するかどうか。
検索結果が返ってきた。
存在した。
西暦2993年、医学部首席卒業。西暦2996年、博士号取得。掲載論文も確認できた。データベース上の記録は、資料に記載されていた内容と完全に一致していた。
偶然の一致とは考えにくい。
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3000.12.05 記録④
アントン・ハイネック博士について調べた。
資料に記載されていた論文——「量子跳躍航法における位相境界の透過性と高次元場との相互作用に関する理論的考察」——が実際に存在するかどうかを確認したかった。
統合惑星連盟宇宙物理学会誌のアーカイブを検索した。
論文は存在した。西暦2976年、第214号に掲載されていた。しかしアーカイブ上の論文には「閲覧制限:要申請」という注記が付いていた。いつからこの制限がついたのかは確認できなかった。
閲覧申請を出してみた。
結果は審査中。
審査にどのくらいかかるのかという問い合わせには返答がなかった。
ハイネック博士自身については、連盟の公式記録に伝記的な情報が残っていた。量子跳躍航法の開発者として著名であること、西暦2999年9月に死去したこと。しかし晩年の活動については記録が極端に少ない。「研究活動に専念していた」という一文で片付けられていた。
晩年の同僚や教え子についての記録を探した。
ルカ・ゾレンティーノという名前を検索した。
検索結果が返ってきた。連盟宇宙物理学研究所の上席研究員として確かに存在した。論文も複数確認できた。しかし西暦3000年9月以降の記録が存在しない。在職記録も、論文も、発言記録も——何もない。
行方不明。資料に書かれていた通りだ。
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3000.12.07 記録⑤
量子航行理論研究会について調べた。
連盟中央大学の学内サークル登録記録を外部から照会できる公開データベースを当たった。過去の登録記録には、確かに「量子航行理論研究会」という名称が存在した。登録年は西暦2963年。廃止年は——記録がなかった。廃止されていないのか、記録が削除されたのか、判断できなかった。
会員名簿は非公開だった。
これは通常のサークルであれば当然のことだ。
しかし設立者の欄に記載されていた名前を見て、私は手を止めた。
アントン・ハイネック。
予想通りではあった。しかし実際に確認すると、改めて資料の精度の高さを実感した。これが偽情報であれば、こういった細部まで一致させることは難しい。
私はここまでの調査結果をまとめながら、一つの結論に近づきつつあることに気づいた。
この資料は本物だ。
少なくとも、確認できる範囲においては。
しかしそれは同時に、別の問いを生む。
なぜ私に送られてきたのか。送信者は私を選んだ。旧アドレスを知っていたということは、私の過去の取材経歴を調べた上での接触だ。では私のどの取材が、この件と接点を持つと判断されたのか。
思い当たる節がなかった。
少なくとも、今この時点では。
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3000.12.08 記録⑥
今日、一つ気になることがあった。
取材のために複数の情報源に連絡を取ろうとした。連盟の内部事情に詳しい旧知の人間が数人いる。ネブカドネザル号について何か知っているかもしれないと思い、それとなく打診するつもりだった。
最初の一人目。
連絡したところ、番号が使われていないというアナウンスが流れた。先月まで使えていた番号だ。
二人目。
折り返すと言ったまま、返信がない。
三人目。
繋がった。
近況を話し、それとなくネブカドネザル号の話題を出した。その瞬間、わずかな間があった。電話越しでも気づくくらいの、不自然な沈黙だった。「知らない」と言われた。声のトーンが変わっていた。
それだけのことだ。
それだけのことなのに、私の手が少し震えていた。
気のせいかもしれない。
でも記録しておく。
〔本記録はここで一時中断されている。次の記録は3日後の西暦3000年12月11日付けである。〕
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3000.12.11 記録⑦
3日間、手が止まっていた。
理由は自分でもわかっている。怖かったからだ。ジャーナリストとして11年やってきて、怖いという感覚は何度も経験した。しかしこれまでの怖さは、権力者に睨まれるとか、情報源が危険な人物だとか、そういった種類のものだった。今感じている怖さは、少し性質が違う。何が怖いのかを言語化できない。それが余計に怖い。
しかし手を止めているわけにはいかない。
資料を送ってきた人物が私に何を求めているのかはまだわからない。しかし調べてほしいと言った。調べる。それがジャーナリストとしての私にできる唯一のことだ。
まずアマリー・ヘッシュの痕跡を辿ることにした。
連盟中央大学のデータベースで、アマリーが在籍していた西暦2988年から2996年の医学部の卒業生リストを照会した。氏名は非公開だが、卒業年度・学部・専攻の組み合わせで絞り込み、さらに公開されている学術論文の著者情報と照合することで、何人かの同学年の人物を特定することができた。
その中から、現在も連絡可能な人物を探した。
3日かけて7人にアプローチした。返答があったのは2人。そのうち「話せる」と言ったのは1人だった。
女性だった。名前は非公開を条件とした。以下、仮名で「リラ」と記録する。
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3000.12.14 記録⑧ リラへの取材
取材場所はリラの指定した外縁コロニーの小さなカフェだった。私が到着した時、彼女はすでに窓から離れた席に座っていた。入り口が見える位置だった。
30代半ばくらいに見えた。
落ち着いた印象の女性で、私が名刺を差し出すと「名刺はいいです」と静かに断った。
「アマリーのことを聞きたいんですよね」
座るなりそう言った。
私が名前を出す前に。
「どこから聞きましたか」と私が問うと、「あなたが連絡を取った人の中の一人が、私に教えてくれた」と言った。誰かは教えてくれなかった。
取材を承諾した理由を聞いた。
「アマリーのことを、ちゃんと知っている人間が話しておくべきだと思ったから」と彼女は言った。
「ちゃんと知っている人間が、だんだん少なくなっている気がして」
その言葉の意味を私はすぐには理解できなかった。
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リラはアマリーと同じ医学部の同学年で、在学中は友人だったと言った。
「アマリーは、本当に良い人でした」
最初にそう言った。
過去形だった。
「頭が良くて、でも嫌味がなくて。誰にでも親切で。男子からもよくモテていましたよ。告白されてるのを何度か見たことがあります。本人はあまり気にしていないようでしたけど」
アマリーの印象を聞くと、リラは少し遠い目をしながら話した。友人の思い出を語るというより、記録を確認するような話し方だった。
「勉強もよくできたし、実験も丁寧だし。グループ発表の時とか、アマリーがいると安心するって言う人が多かった。リーダーシップがあるわけじゃないんですけど、そこにいるだけで場が落ち着く感じがあって」
「あなたも友人だったんですね」と私が言うと、リラはわずかに間を置いた。
「友人、でした。2年生の頃までは、特に仲が良かったと思います」
「2年生の頃まで、というのは」
「その後、少し変わったんです。アマリーが」
リラはコーヒーカップを両手で包むようにして、少し声を低くした。
「研究会に入ってから、です」
「量子航行理論研究会のことですか」
リラは私を見た。
「……よく知っていますね」
「少し調べました」
彼女はしばらく黙った後、続けた。
「あの研究会は、学内でもちょっと特殊な存在でした。メンバーは確かに優秀な人ばかりだった。成績だけで言えば、学部の上位に入るような人たちが集まっていた。だから表向きは『できる人たちの勉強会』という認識で、むしろ入れることをステータスみたいに感じている学生もいた」
「でも」と私は促した。
「でも、あそこに入った人たちは、どこか変わっていくんです。少しずつ。最初はわからない。でもしばらくすると、なんか、遠くなっていく感じがして」
遠くなっていく。
私はその言葉を聞いた瞬間、資料の中のアマリーの航行日誌の一節を思い出した。「みんなが、少しずつ……遠くなっていく感じがしました」。しかし今はそれを口に出すべきではないと判断した。
「具体的にどんな変化がありましたか」
「話が変わるんです。話題が。恒星間航行のこととか、人類の未来がどうとか、地球の限界がどうとか。学生が話すような内容じゃない。それ自体はまあ、あの時代ですから珍しくはないんですけど。でも話し方が……なんか、決まり文句みたいな感じで。自分の言葉じゃない気がして」
「自分の言葉じゃない」
「そう。誰かから教わった言葉を、そのまま使っているみたいな。価値観が、気づいたら入れ替わっているみたいな感じ」
リラは少し考えてから続けた。
「カルトって言葉は使いたくないんですけど、でもそれに近い印象はありました。外から見ていると」
「ハイネック博士の名前は、研究会との関係で出てきましたか」と私が聞いた。
リラの表情が少し変わった。
「博士のことは……研究会の中では特別な存在として扱われていたみたいです。直接聞いたわけじゃないんですけど。アマリーが入会してしばらく経った頃に、一度だけ話してくれたことがあって」
「どんな話でしたか」
「研究会では、博士の論文や思想を中心に学んでいるって言っていました。量子跳躍の理論だけじゃなくて、もっと……哲学的な、思想的な話もあるって。人類がどこへ向かうべきかとか、宇宙における人類の役割とか。アマリーはそれをすごく自然に話していて、私が少し引いたのを覚えています」
「引いた、というのは」
「だって、それって科学の話とは違うじゃないですか。少なくとも私には、そう聞こえた。研究会という名目で、特定の思想に染まっていくような……そう感じて、アマリーにそれとなく言ったんです。大丈夫なの、って」
「アマリーはなんと答えましたか」
リラは少し間を置いた。
「笑っていました。『大丈夫、面白いだけだよ』って。いつものアマリーの笑顔で。だから私も、それ以上は言えなくて」
「その後、二人の関係は」
「疎遠になりました。アマリーが悪い人になったとか、そういうことじゃないんです。相変わらず親切で、話しかければ普通に話してくれた。でも……なんか、どこかに行ってしまった気がして。私の知っているアマリーじゃなくなった、というか」
リラはそこで言葉を切った。
窓の外を少しの間見てから、私の方に向き直った。
「あの研究会に入った学生が何人いたのかは知りません。でも私が把握している範囲では、入会した後に進路が変わった人が何人かいました。突然、宇宙関係の仕事を目指し始めたり、連盟の機関に就職したり。みんな優秀だったから、それ自体はおかしくないんですけど。でも方向が、揃いすぎている気がして」
「揃いすぎている」
「まるで、最初から決まっていたみたいに」
取材はそこで一時中断した。
リラが「少し休憩していいですか」と言ったからだ。
トイレに立つ彼女を見送りながら、私はメモを見返していた。
研究会に入った後に変わっていくという証言。自分の言葉ではない言葉を使うようになるという証言。進路が揃いすぎているという証言。
これらは全て、状況証拠に過ぎない。カルト的と感じるかどうかは主観の問題だし、優秀な学生が似たような進路を選ぶことはあり得る。
しかし、私の中で何かが引っかかり続けていた。
「まるで最初から決まっていたみたいに」というリラの言葉が。
アマリーの航行日誌の最後の記述が頭をよぎった。
「この宙域は、最初から決まっていた気がする」
関係があるのかどうかは、まだわからない。
リラが戻ってきた。
席に座り直してから、少し迷うような表情をしてから言った。
「一つだけ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「アマリーは……今、どこにいるんですか」
私は答えられなかった。
「わかりません」と言うしかなかった。
リラはそうですか、とだけ言った。
その言葉の重さが、カフェの静かな空気の中にしばらく漂っていた。
〔本記録は以上で一時中断されている。次の記録は西暦3000年12月17日付けである。〕