モノづくり大好きライバーによるハッピーエンドの作り方   作:超かぐや姫!脳焼きの民

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超かぐや姫!の小説版の発送が遅延したので初見です。

3/20に届く予定やったのに...
4/10ってま?

いつも閲覧、感想、誤字報告ありがとうございます。

この話では医療について色々書いていますが、医療にわかが軽く調べた程度で書いてあるので、事実とは異なる場合があります。


(遠田にとって)地獄の入院生活

遠田が目覚めて一晩が明けた。

 

こうして、2週間に及ぶ入院生活がスタートした。

 

折角の土曜日だというのに、病室を満たすのは温かい陽光と、

どこか無機質な消毒液の匂い。

 

医師による精密な検査の結果、最悪の事態は回避されたことが判明した。

 

幸いにも脳への後遺症は認められず、右目の視力も、完全になくなってなどいなかったのだ。

 

 

 

入院生活の内容は多岐にわたる。

 

爛れた瞼の治療。

 

眼球を摘出した左目の経過観察。

 

そして、劇的に変化してしまった視界に慣れるためのリハビリ。

 

遠田には、やらなければならないことが山積みであった。

 

だが、そんな中で遠田は別の意味で発狂しかけていた。

 

圧倒的に、娯楽が足りないのである。

 

未だに目元の包帯が取れない遠田。

 

視界は常に真っ白。

 

ゲームもない、PCもない。

 

3DCADや3Dプリンタすらいじれない。

 

それは、遠田にとって文字通りの地獄だった。

 

一日が永遠に感じるほど、あまりにも虚無すぎる生活。

 

「あ゛~~~」

 

遠田は、天を仰いで深く嘆いた。

 

「いきなり変な声出さないで。

普通にびっくりするから...」

 

隣から、彩葉の冷ややかな、けれどどこか呆れたような声がした。

 

遠田の奇行に対する、至極真っ当な苦言である。

 

「暇や~助けてくれ~

暇すぎて萎れちゃう...」

 

「自業自得でしょ?魔改造スマコンとかいう危ないもの使った自分を恨みなさいな」

 

「彩葉さ~ん?辛辣すぎん?」

 

さんざん迷惑と心配をかけたのだ。

 

この程度の冷たい扱いで済んでいることに感謝しろ、遠田。

 

 

 

そんな会話をしていると、遠田の両親が病室へ訪れた。

 

一度大阪に戻り、仕事や研究の整理を電光石火で片付けて、とんぼ返りしてきたのだ。

 

「匠!目覚ましてんな!

正直あと2、3日昏睡状態やと思っとったわ!」

 

開口一番、母が放ったのは、およそ大怪我をした息子に向けるとは思えないほど威勢のいい声だった。

 

「大怪我した息子に対する発言じゃないやろ、おかん」

 

包帯越しに顔をしかめる遠田。

 

病室が、一瞬で普段の遠田家の雰囲気に塗り替えられる。

 

「怪我することわかって魔改造スマコン(あんなもん)使ったアホにかける優しさはないわ」

 

遠田母ですら辛辣であった。

 

「父さんも擁護できひんかな~

アレを使う理由は理解できるけど...」

 

遠田父にすら見捨てられた。

 

味方は一人もいなかった。

 

 

 

「で、匠。

左目はどうするん?」

 

冗談めかした空気のまま、遠田母がスッと本題に切り込む。

 

「義眼入れようと思ってる。

IPSで視神経は再生出来そうやけど、眼球の完全再生はまだまだかかりそうやし...」

 

一晩明けた時点で遠田はすでに今後のことを考えていた。

 

「いっそスマコンに視神経繋いで視力確保できん?」

 

遠田父は機械的に視力を再生できないかを提案する。

 

「理論上は行けそうやけど...

生体親和性の素材と形状とか、メンテナンスの度に切開してたら...」

 

「いやでも...」

 

白熱し始める「遠田家の技術会議」。

 

包帯で視界を奪われた息子と、それを技術的な好奇心で見守る両親。

 

交わされる単語はもはや医学の範疇を超え、サイボーグ手術の設計図を引いているかのようだ。

 

遠田の両親に至ってはスマホで論文を探し始める始末。

 

(理系っていうか、技術屋一族過ぎる...)

 

彩葉は、そんな遠田一族の圧倒的な熱量に、ただただ置いてけぼりにされていた。

 

「あの...まだ匠、術後すぐだから...」

 

彩葉の控えめな制止など、加速する技術者たちの耳には届かない。

 

 

 

 

一通り議論が終わり、ようやく病室に平穏が戻るかと思われたその時。

 

遠田母が、ある爆弾発言と共に、一枚の写真を放り込んだ。

 

「この写真ええと思わん?」

 

差し出されたスマホの画面。

 

そこには、窓から差し込む午後の柔らかな光を浴びながら、未だ目覚めぬ遠田の手を、祈るように両手で握りしめる彩葉の姿が収められていた。

 

...完全なる隠し撮りである。

 

「...っ!?お、おばさん、い、いつの間に...っ」

 

彩葉の顔が一瞬で林檎のように赤く染まる。

 

ここで今の遠田の状況を思い返してほしい。

 

包帯で視界が塞がれており、何も見えない状況である。

 

そんな状況で写真など見ることはできない。

 

つまり、この爆弾は初めから彩葉をターゲットとした狙い撃ち。

 

哀れ、彩葉。

 

「おばさんなんてそんな。

お義母さんって呼んでもええんよ!

遠田家(うち)に嫁入りに来てもええんやで!

それとも匠を婿入りさせよか?」

 

遠田母は、どうやら彩葉を相当気に入っているらしい。

 

だが、気に入った相手を徹底的にイジり倒して楽しむのが、「愛情表現」だというのは、あまりにも業が深すぎる。

 

「待って!おかん!

本人の意思を無視せんでもろてええか!!」

 

遠田が包帯の奥で悲鳴を上げる。

 

ターゲットは彩葉だけではなかったようだ。

 

遠田父は顔を背けて肩を震わしている。このカオスな状況を収める気はないらしい。

 

「別に俺と彩葉付き合ってるわけやないって!!」

 

遠田が必死に弁明する。

 

「えっ?

そうなん?

てっきりもう、ええ仲やと思ってたわ~

同棲だってしてるわけやし~」

 

遠田母は勘違いをしていたらしい。

 

勘違いで爆弾発言を叩きこむのはもはやテロの領域である。

 

「同居」ではなく「同棲」という言葉のチョイスが、母の脳内で2人の関係がどれほど飛躍しているかを物語っている。

 

「それに匠だって悪い気はせんやろ~

ならええやん」

 

遠田母の爆弾発言は止まる様子はない。

 

絨毯爆撃の類である。

 

「このババアとんでもねぇこというな!

それに彩葉の意思が無視されとんねん!!」

 

「おっ!

この美人な工学博士相手にババアとほざく悪い奴はどこのどいつや~」

 

反論する遠田の言葉に対し、遠田母が遠田の頬を引っ張り反撃する。

 

 

「うちの妻がすまんな...」

 

裏では遠田父が、赤面している彩葉に謝罪を入れる。

 

謝罪の言葉とは裏腹に、その瞳の奥にはまだ「面白い見世物を見た」という満足感がうっすらと残っている。

 

遠田一族はやはり頭がおかしい。

 

 

 

遠田の両親は焦土作戦を終えると満足げに帰って行った。

 

後に残されたのは、徹底的に焼き払われ、焦土と化した病室。

 

そして、そこに取り残された赤面状態の遠田と彩葉だけだった。

 

「...まじでおかん...

好き勝手して帰りよった...」

 

耳まで赤く染まった遠田が絞り出すように呟く。

 

さらっと自分の恋心を暴露されたダメージは計り知れない。

 

一方の彩葉も、昨日から続く「お義母さん」ネタによる波状攻撃により、限界を迎えていた。

 

視線を泳がせ、指先を弄び、言葉を探す。

 

けれど、口を開けばまたあの爆弾の余韻に触れてしまいそうで、何も言えない。

 

「「.......」」

 

気まずい、という言葉すら生ぬるいほどの沈黙。

 

「「あの...」」

 

耐えきれず、同時に口を開く。

 

気まずい空気を払拭すべく声をかけようとするも、見事なまでに声が重なり、気まずい空気の延長戦が確定した。

 

「すまん...彩葉からどうぞ...」

 

「いや、匠から...」

 

譲り合う言葉すら、どこか他人行儀でぎこちない。

 

「嫁入り」だの「婿入り」だの、遠田母が撒き散らした冗談という名の劇薬。

 

それが、本来なら清浄であるはずの病室の空気を、重く、甘く、汚染し続けていた。

 

結局、本質に触れる勇気はどちらにもなく。

視線を泳がせる彩葉と、見えない視界の先で必死に別の話題を探す遠田。

 

そんな地獄のような、けれどどこか甘酸っぱい沈黙は、無慈悲にも(あるいは救いとして)看護師が

 

「遠田さん、検査の時間ですよ」と呼びに来るまで、延々と続いた。

 

「...匠。行ってらっしゃい...」

 

「行って来るわ...

また後で...」

 

短く交わされた言葉の中に、先ほどまでの沈黙で積み上げられた、言葉にできない何かが混ざっている。

 

車椅子に促される遠田の背中を見送りながら、彩葉は自分の心臓が、機械の故障かと思うほど速く脈打っていることに、ようやく気がついた。

 

頬に触れれば、今もなお熱い。

 

ちなみに、車椅子に揺られながら病室を後にした遠田の方はといえば、最後の一言で心臓が爆発しそうになっていた。

 

運よく致命傷で済んだ。

 

 

 

検査と面談による結果、

 

焼けただれた両瞼は皮膚移植によって再建し、損傷した右目の角膜はIPS細胞を用いて修復。

 

そして、失われた左目には義眼を装着する。

 

最終的なゴールは、IPS細胞で再生した視神経と、機械的な義眼を接続することによる視力回復。

 

幸いにも、眼球摘出後の懸念事項であった細菌やウイルスの感染は認められなかった。

 

「明日には瞼の手術って...

入院生活まじで暇やのに忙しいな」

 

病室に戻った遠田はぼやく。

 

娯楽は少ないどころかほとんどない。

 

そのくせ、検査や治療、手術は多い。

 

「瞼の手術ってどうやって進むの?」

 

そんな遠田に彩葉が問いかける。

 

「瞼の細胞が完全に逝ったから、それを切除して、

背中とかの表皮と真皮を取って、爛れた瞼を修復するそうや」

 

遠田は彩葉に淡々と説明する。

 

病院に運び込まれた時点で、遠田の瞼は軽度・重度の2度熱傷、ひどい箇所は3度熱傷に達していた。

 

眼球からスマコンを摘出する傍ら、かろうじて施された応急処置。

 

そして明日、壊死した部分を切り落とし、自分の身体の別の部位から剥いだ皮膚をパッチワークのようにつなげる手術が始まる。

 

自身の肉体を切り刻み、別の場所へ移植する。

 

そんな残酷な工程を、遠田はさぞ当たり前かのように語る。

 

しかし、その手はわずかに、けれど確かに震えていた。

 

「...怖くないの?」

 

彩葉は、その震えを見逃さなかった。

 

遠田は命を投げ出すことに躊躇いはなかった。

 

それでも怖いものは怖いのだ。

 

「...ちょっとは怖い。

けど、医者を信じるしかないわ」

 

遠田は手の震えを隠すように握りしめた。

 

その弱音混じりの言葉に、彩葉は胸が締め付けられるような思いで、彼の温かい手をそっと包み込んだ。

 

明日の手術という大きな山場を前に、2人は重なる手の熱だけを頼りに、その夜をやり過ごそうとしていた。

 

 

 

そして夜が明け、手術が始まった。

 

腕利きの医者に掛かれば、遠田の瞼の修復など朝飯前であった。

 

火傷の深度こそ深かったものの、幸いにも損傷範囲が局所的であったことが功を奏したのだ。

 

そして手術が終わり、出てきた遠田の目元は...

 

相も変わらず包帯で覆われていた。

 

移植した皮膚が定着するまでの約1週間、ズレや浮きを防ぐために圧迫包帯を巻き続ける必要があるという。

 

「手術が終わって2、3日したら包帯外れると思ってた...」

 

遠田はその事実に嘆いていた。

 

まだまだ虚無な時間が続くのだ。

 

「虚無虚無プリンの誕生や~」

 

遠田はついによくわからないことを口に出す。

 

手術よりも、こちらの方が辛いらしい。

 

「よくわからんこと言わないで。

手術が成功したんだからおとなしくして」

 

彩葉は、ノートPCを操作しながら、落胆する遠田の枕元で、少しだけ笑いながら諭した。

 

「カタカタ聞こえんねんけどなにしてるん?」

 

彩葉はノートPCの画面を見つめたまま、静かにコードと旋律を編み直していく。

 

「いま、『Reply』を完成させようとしてる

かぐやの卒業ライブに間に合わなかったから...

せめてちゃんと完成させてあげようって...

それに、やり残しがあると、私も前に進めない気がするから」

 

彩葉は自分自身に言い聞かせるように言葉を紡いだ。

 

『Reply』

 

かぐやが卒業ライブで歌った曲。

 

亡き彩葉の父と初めて作った曲。

 

彩葉は、それを完成させようとしていた。

 

「ちょくちょく聞かせてや

暇で暇で、音楽か彩葉の声聞くしかやることないねん...」

 

遠田が、包帯に覆われた顔を少しだけ彩葉の方へ向けて零す。

 

視界がゼロな状況で、遠田にとっての娯楽は、誰かと話すことか、音楽を聴くことだけであった。

 

「はいはい。ちゃんと聞かせてあげるから...」

 

そんな遠田の耳にイヤホンを付け、彩葉は現状を聞かせる。

 

遠田自身は作曲の専門家ではない。

 

コード進行の良し悪しとかわからない。

 

なんなら音楽におけるコードを理解しているか怪しい。

 

そのため、感じた感想のみを伝えた。

 

「この裏のドラム?かな?のテンポ好きやわ」

 

彩葉は遠田のそんな感想を聞きながら続きを紡ぐ。

 

面会時間が終わるギリギリまで、2人はこの作業を繰り返した。

 

「今日はここまでかな。

私は帰るね」

 

イヤホンが外され、研ぎ澄まされていた聴覚が、再び病室の無機質な静寂に引き戻される。

 

「おう。お疲れさん

すまんないきなり聞かせてとか無茶言って」

 

「いいよ、全然。誰かの感想があった方がやりやすいし」

 

彩葉はそう言って、慣れた手つきでノートPCをカバンに収めた。

 

椅子を引く音、荷物をまとめる衣擦れの音。

 

視界がゼロの遠田にとって、それら一つ一つの生活音が、彼女がそこにいた証として愛おしく響く。

 

「じゃあね、匠。おやすみ。

また明日」

 

「おやすみ、彩葉。

気いつけて帰りや」

 

「ありがと」

 

パタン、と静かに扉が閉まる。

 

再び訪れたのは、耳が痛くなるほどの無機質な静寂だった。

 

「やっぱ独りはさびしいな...」

 

遠田は、誰もいない病室の中でポツリと言葉を零し、眠りについた。

 

その夜、彩葉はある人物に電話をかける。

 

「夜分遅くにすみません...」

 

『ええのええの~

彩葉ちゃんどうしたの?』

 

電話の相手は遠田母である。

 

「私、やりたいことができて...」

 

彩葉は遠田母に自身のやりたいこと、その為に力を貸してほしいと告げる。

 

『ええよ~

そっちのほうが楽しそうやね!!』

 

遠田母との電話が終わると、もう1人に電話をかける。

 

スマホに表示された名は「酒寄紅葉」。

 

彩葉の母である。

 

そして彼女は勇気を持って告げる。

 

――やりたいことができた。だから進路を変えたいと。

 

一瞬の沈黙。けれど、返ってきた言葉は驚くほど簡潔だった。

 

『ええよ。やってみ』

 

電話が切れる。

 

彩葉の新たな目標、新たな願いは、ここから始まった。

 

 

 

そうして新しい一週間が始まる。

 

彩葉は、学校から帰ると病院へ行き、遠田と共に作曲を続けた。

 

一方、遠田は検査や治療などを繰り返した。

 

痛みに耐える時間も少なくはなかったが、彩葉が来れば、彼女の声と作りかけの音楽に浸ることができる。

 

 

 

 

2030年9月22日 日曜日。

 

手術から一週間が経ち、遠田に巻かれた包帯が取り外される日が訪れた。

 

遠田にとって約10日ぶりの光。

 

本来なら記念すべき瞬間のはずだが、網膜に飛び込んできた映像は、彼に冷酷な現実を突きつけた。

 

「やっぱ、左側が見えんな。

視界もぼやけてるし...」

 

左目を失ったことで、水平視野は約30%も欠損し、何より奥行きや距離感を正確に捉えることができなくなっていた。

 

さらに右目の視力が大幅に低下したことも相まって、以前との視界のギャップを生んだ。

 

以前は視力が1.8以上と優秀な視力であったが、今では0.1を大きく下回ることになった。

 

(思ったより心に来るな...

技術屋志望にとってだいぶデカいハンデになってもうた)

 

遠田は努めて表情を崩さなかったが、内心では激しいショックに打ちのめされていた。

 

視野が狭くなること、視力が落ちたことは特段気にしていなかった。

 

だが、立体感を喪失し、目の前にあるはずの物の距離が掴めないという感覚は、技術屋として致命的な欠陥に他ならなかった。

 

手を伸ばしても、指先がいつ着地するのか確信が持てない。

 

そのもどかしさが、失ったものの大きさを改めて遠田に突きつけていた。

 

遠田にとって幸運だったのは、この瞬間に彩葉が居ないことだろう。

 

彼女に、自分の情けない姿

 

――距離感すら掴めず、宙を泳ぐ不格好な指先――を見られたくなかった。

 

この日から、残りの入院期間は定期検査と、欠損した機能を補うためのリハビリに励むこととなる。

 

 

 

先週から休ませてもらっていたバイトをようやく終え、彩葉は急ぎ足で病院へと向かった。

 

そして病室で目にしたのは、包帯が取り外された遠田の姿であった。

 

以前と違うのは、左目には清潔な眼帯が当てられ、その上から眼鏡をかけていること。

 

移植された瞼の周囲は、まだ新しい皮膚が馴染みきっておらず、痛々しく赤みを帯びている。

 

「匠...大丈夫そう...?」

 

彩葉は心配そうに声をかける。

 

なんとなくだが、遠田の雰囲気が少し暗く感じたのだ。

 

「彩葉...

眼鏡のおかげで視界ははっきりしてるで。

ただ...左の端が見えんのと、奥行きが上手く掴めん」

 

そう答える遠田の姿が、ただ強がっているように彩葉は見えた。

 

「ちょっと手をこっちに伸ばしてみて」

 

彩葉は遠田の言葉に従い、そっと自分の腕を彼の方へと伸ばした。

 

すると、遠田がその指先に触れようとして、ゆっくりと手を伸ばす。

 

だが、彩葉の手のひらに届くはずのその指先は、数センチ手前の何もない空間を虚しく空ぶった。

 

「こんな感じでさ。

距離感がおかしいねん」

 

遠田は自嘲気味に笑い、泳いだ右手を力なく膝の上に落とした。

 

「リハビリでなんとかなるらしいけど...

今は、ちと辛いわ...」

 

遠田の目線は、先ほど空をきった右手に注がれている。

 

そんな遠田の右手を彩葉の手が優しく握る。

 

「大丈夫...なんて言えないけど...

私も匠の力になるから...

だから...頼って...」

 

彩葉の体温が、震える遠田の指先へと伝わっていく。

 

かつて彩葉が遠田に救われたように、今度は遠田を救う番なのだ。

 

彼女の目はそう告げていた。

 

「ごめん。ありがとう」

 

短く、けれど重みのある感謝を口にして、遠田のリハビリ生活が幕を開けた。

 

医師の指導のもとで行う公式なメニューに加え、彩葉のサポートを受けながら、

脳内の認識と、実際の距離感の誤差を修正し続けた。

 

その積み重ねによって、脳内の認識と現実の距離感との致命的な誤差は、少しずつ修正されていった。

 

そして2週間にわたる、入院生活が終わった。

 

日常生活を送れる程度には回復した。

 

本格的にものづくりを再開するには、まだリハビリが必要である。

 

病院の白い壁から解放された遠田の視界には、欠落した左側を補って余りあるほど、鮮やかな外の世界が広がっていた。

 

 

 

「やっと退院できる!!

俺は!自由だ!!!」

 

2週間の閉塞感から解き放たれた反動か、遠田のテンションは完全にバグっていた。

 

「嬉しいのはわかるけど、落ち着いて」

 

おかしくなった遠田を落ち着かせようとする彩葉。

 

「落ち着けるか!

あの地獄みたいな何もない虚無な生活からおさらばできるねん!」

 

「分かった、分かったから...」

 

彩葉は苦笑しながら、自然な動作で遠田の左側に位置取る。

 

視野が欠損し、死角となっている左側から彼を支えるためだ。

 

何も言わずにその場所を歩く彼女の配慮は、リハビリを通じて身についた、2人の新しい「普通」だった。

 

いつもの日常が、少しずつ、けれど確かな手応えと共に戻ってきた。

 

欠けた視界。戻りきらない距離感。

 

それでも、病院の外に広がる世界は、彼らの再出発を祝うように眩しく輝いていた。

 

 




初期案では、遠田は両目を失う予定でした。
そうすると、どう足掻いてもビターエンドか、バッドエンドにしか繋がらなかったので没に。
本編完結後の番外編で両目失明エンド書くかも

本作ではReplyの完成が原作に対して遅れています。
彩葉が遠田のお見舞いやリハビリに手を貸していたことが原因です。
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