モノづくり大好きライバーによるハッピーエンドの作り方 作:超かぐや姫!脳焼きの民
25話、月との決戦、虹の向こう側の途中からの分岐です。
残酷な描写、救いのないエンドに耐性のある方のみ進んでください。
次話の構成に超絶手間取っているので、明日の投稿は多分ありません...
許し亭
視界の端が、熱に溶けるようにぼやけていく。
だが、今の遠田にとってそれは些細なノイズに過ぎない。
感情が肉体を突き動かし、理性が道筋を作る。
直感により勝利に不必要なものが捨てられていく。
思考により、勝ち筋が積み上げられていく。
遠田の思考とアバターは人間の限界まで加速していた。
あともう一歩加速するともう戻ってこれない領域だ。
そこで遠田は虹を見る。
もちろん、現実にもツクヨミにも虹は出ていない。
しかし、遠田は虹を見た。
(あぁ...
この先には何があんのやろ...)
加速しすぎた意識の中で、音もなく走馬灯が流れ出す。
友人と馬鹿笑いした日々。
姉に「お前の話は芸人のパクリや」と毒を吐かれた記憶。
両親と夢中になってスマコンを弄り回した時間。
上京し、くだらないことに絶望したこと。
かぐやを拾った彩葉と遭遇したこと。
そして、かぐやを連れた彩葉と出会い、始まった2ヶ月間の騒がしい生活。
最後に浮かんだのは、酒寄彩葉という女性に恋をした、あの一瞬の光景だった。
(ちゃうわ
この虹の先にはなんもないんや)
境界線の直前で、遠田の足が止まった。
虹を超えれば、神のごとき力を得て、人を超越できるのかもしれない。
だが、その先には何もない。
誰もいない。
家族も、友人も、かぐやも、彩葉も。
その先では笑えない。
(それでも、この先に進まな...
かぐやを守れん、彩葉が笑えん...)
止まった足を無理やり動かす。
この先に何もなくても。
命を落とすことになっても。
遠田にとって優先すべきはあの2人のことであった。
そうして、遠田は虹の向こうへ足を踏み出した。
踏み出してしまった。
両目からさえも凄烈な白い炎を噴き上げ、加速し続ける遠田。
その神速を前に、ヤザカマはもはや視認することさえ叶わず、ただ予測のみで立ち向かう。
(アイツの速度に合わせてカウンターを入れるしかない!)
ヤザカマは月光を鞘に納め、一撃必殺の居合の構えでタイミングを研ぎ澄ます。
そして。
空間を断ち切るように、銀光の一閃が放たれた。
タイミングは完璧――
そのはずだった。
月光が間違いなく、遠田の体を切り裂いたはずだった。
しかし、遠田の体にダメージエフェクトがない。
「まさか!」
ヤザカマはそのからくりに心当たりがあった。
先ほど、ヤザカマの奇策により、攻略された
変幻自在、千変万化の光を自身の強化に回したヤザカマには対処不能の絶対的回避術。
そうして遠田はヤザカマの肉体をフォトンレイで斬り裂いた。
そのまま加速し、遠田はかぐやの元へ、最後の月人である大型に向かって白い炎の残像を残して飛翔する。
「行け...オレの最初で最後の
ヤザカマはそう言い残し、光となって消えた。
かぐやの御前へと辿り着いた大型の月人。
その巨躯を静かに縮小させようとした瞬間、白い炎を纏う流星と衝突する。
視界を焼き尽くすような白い炎を纏った流星が、音速を超えて月人へと衝突した。
「た、匠...っ」
驚愕に震えるかぐやを一瞥し、遠田はその背中で彼女を庇うように立ち塞がる。その眼差しは、眼前の宿敵だけを冷徹に捉えていた。
道を阻もうと群がる小型の月人たちを、一撃のもとに塵へと変えながら、遠田は最短距離で大型の個体へと肉薄する。
逃げ場なしと悟った月人が展開したのは、不可視の多重階層バリア。
それは、遠田が用いるような電磁的なエネルギーシールドとは根本的に位相が異なる。
ビームを霧散させ、空間すら切り裂くフォトンレイですら突破を許さない、絶対的な拒絶の壁。
しかし、防御を貫通する術を遠田は所持している。
左手に展開したパイルシステムをバリアに押し付け、ゼロ距離で発射。
衝撃波がバリアを内側から粉砕し、高速で射出された杭が大型の月人の腹部を深々と貫く。
直後に連動した内部爆破が、月人の巨体を内側から焼き上げた。
並大抵の生命体なら消滅を免れない即死コンボ。
だが、月人はその絶望的な破壊を耐え抜き、失われた肉体を驚異的な速度で再生させようと蠢く。
しかし、再生が完了するよりも早く、遠田は死角から踏み込んだ。
一閃。月人の首が宙を舞う。
断面へとフォトンレイを直接突き立て、臨界点を超えた高エネルギーを体内へと流し込み
――ダメ押しの爆破が、月人を肉片一つ残さず消し飛ばした。
この瞬間、月人の主戦力は文字通り全滅した。
静寂が戻った戦場で、遠田たちの勝利が、揺るぎない事実として刻まれた。
「かぐや!大丈夫!?」
彩葉がかぐやの元へ飛んでくる。
「大丈夫だよ!
匠が来てくれたから...」
かぐやは心配そうに見つめる彩葉に答える。
「そっか、匠ありがとう
おかげで...匠?」
最後の月人にとどめを刺した遠田。
そんな彼はその場から一歩も動かなかった。
動けなかった。
ここに残るのは遠田だったものの残響。
もう、彼の意識はこの世にはない。
そうして、遠田のアバターが消滅する。
使用者の意識が途切れたため、強制ログアウトが執行されたのだ。
心配そうに遠田を見つめるかぐやに彩葉は声をかける。
「匠なら大丈夫だよ...
きっと無茶しすぎて疲れちゃっただけだから...」
彼女たちは知らない。
遠田が何をしていたのか。
その結果、今遠田の身に何が起きているのかを...
かぐやと彩葉がツクヨミから現実に帰ってくる。
視界に映るのは、いつもと変わらない配信部屋。
そして、言葉を発しない遠田。
異変に気が付いたのはかぐやであった。
「ねぇ彩葉、変な臭いしない?」
鼻腔を突く、吐き気を催すような異質な臭い。
それは、日常の食卓で嗅ぐ香ばしさとは対極にある、生命が文字通り焼き切れたような、肉の焦げる嫌な臭いだった。
その発生源は遠田の目元であった。
「匠?大丈夫...?」
彩葉が恐るおそる、彼の肩を揺らす。
生気を感じさせないその体は、抗う力を持たず、重力に従ってゆっくりと床へ崩れ落ちた。
「た、匠っ!? ちょっと、冗談はやめてよ...ねぇ、匠!」
彩葉が必死に声を張り上げ、彼の体を抱き起こす。
だが、そこに横たわっているのは、かつて共に笑い、世界を救った遠田匠という一人の青年ではなかった。
意識という名の魂が完全に消失し、ただの物質へと成り果てた肉塊に過ぎない。
「ねぇ!返事してよ匠!!」
狭い部屋に、彩葉の悲痛な叫びが虚しく響き渡る。
何度揺さぶっても、その瞳が光を取り戻すことはなく、温もりを失い始めた唇から言葉が溢れることもない。
「ま、まさか...」
震える声で絶望を拒絶する彩葉。
その隣で、かぐやだけは立ち尽くしていた。
彼が自らの脳をオーバーロードさせ、演算リソースを限界まで焼き尽くしてまで、何を守ろうとしたのか。
そのあまりに過酷な代償の正体を、かぐやは悟ってしまったのだ。
この部屋に残されたのは、困惑と悲鳴を上げる彩葉と、絶望の真実に直面したかぐや。
そして、決して目覚めることのない、静止した遠田だけだった。
遠田匠は救急車で搬送されたものの、処置の甲斐なく、物言わぬ骸となった。
冷気が漂う霊安室の前。彩葉とかぐやは、厚い扉の向こう側に横たわる彼との境界線に立ち尽くしていた。
2人の間に言葉はない。
頬を伝う涙さえ、そこにはなかった。
あまりに唐突で、あまりに過酷な現実を前にして、彼女たちには泣くという感情の表出に割く余裕すら残されていなかったのだ。
医師が告げた死因は、極限まで酷使された脳が物理的に焼き切れたことによる脳死。
あの異臭の正体は、オーバークロックされたスマコンの凄まじい排熱。
それが眼球と瞼を無慈悲に焼き焦がし、彼の視覚と、そして生命維持を司る中枢までをも道連れにした結果だった。
かぐやは、彼がなぜそこまでして戦ったのかを悟ってしまった。
自分を月へと還させないために。二人で過ごす未来を繋ぎ止めるために、彼は自らの脳を、魂を、燃料にして燃やし尽くしたのだ。
その献身の重さが、かぐやの心に生涯消えることのない裂傷を刻みつける。
「ねぇ...かぐや...
匠が死んだなんて冗談だよね...?」
隣で、彩葉が壊れた機械のように呟いた。
突きつけられた「死」という事実を、彼女の精神は未だ拒絶し続けている。
繋いだはずの手は激しく震え、焦点の定まらない瞳孔が絶望を映して揺れる。
昨日まで隣で笑い、何度も自身を助けてくれた「遠田匠」という存在が、もうこの世界のどこにも存在しない。
その絶対的な欠落を、彼女は受け入れられずにいた。
そこから先は、瞬く間だった。
葬儀という名の儀式は、時間の流れを加速させ、現実を否応なしに確定させていく。
遠田匠の葬式は、ごく限られた親族と、生前親交のあった一部の友人のみで、静かに執り行われた。
その最前列に近い席に、魂の抜け殻となった彩葉と、彼女を折れそうな細い体で支え続けるかぐやの姿があった。
「彩葉ちゃん...かぐやちゃん...大丈...?
うちの息子が、最期まで迷惑かけてしもて、ごめんなさいね...」
目に光を宿さず、虚空を見つめる彩葉の元へ、匠の母親が歩み寄る。
いつもなら太陽のように元気に笑い、周囲を明るく照らすはずの彼女の顔から、笑みは完全に消え失せていた。
実家の自室から、禁忌の「魔改造スマコン」を息子が持ち出したあの時。
エンジニアの家系に連なる者として、彼女は息子との永遠の別れを、心のどこかで覚悟はしていたはずだった。
それでも――冷たくなった息子と対面し、その死を真に受け入れるには、あまりにも残酷な時間が必要だった。
だが、そんな深い悲しみに暮れる母親の目から見ても、彩葉とかぐやの様子は、見ていられないほど危ういものだった。
泣くことさえ忘れ、ただそこに「存在しているだけ」の彩葉とそんな彼女を支えるかぐや。
匠という太陽を失った彼女たちの世界は、今にも崩れ落ちそうなほど、危うい均衡の上に立っていたのである。
「おばちゃん...
その...ごめんなさい...
かぐやの、かぐやのせいで...っ」
かぐやの口から、血を吐き出すような、たどたどしい謝罪が零れ落ちた。
自分をこの場所に繋ぎ止めるために、遠田がその命を灯火のように燃やし尽くしたこと。
自分はただ守られるばかりで、なにもできなかったこと。
そのやり場のない悔恨を、かぐやは震える声で吐き出し続ける。
「いいの...いいのよ...」
遠田母は、堰を切ったように泣きながら、かぐやと彩葉の二人をその腕で力強く抱きしめた。
「あの子が決めたことやから。あの子が、あんたたちを守りたいって心から願ってやったことなんやから。
自分を責めたらあかん...」
温かな体温が、凍りついていた二人の芯に触れる。
だが、その優しさこそが、今は何よりも鋭く彼女たちの胸を抉った。
遠田母の腕の中で、彩葉とかぐやの瞳にも、せき止められていた涙が溢れ出す。
冷たい斎場の一角で、ただ互いの存在を確かめるように、声を上げて泣き続けた。
葬儀が終わり、なんとか自宅まで帰って来た2人。
あの日からなにも変わっていない部屋。
――そのはずなのに。
部屋を占拠している空気は、刺すように冷たく、底知れず暗く、そして呼吸を拒むほどに重い。
数日前まで、ここには確かに騒がしいほどの笑顔と、くだらない言い合いと、温かな体温が満ちていた。
それがいまや、耳が痛くなるほどの静寂と、肌を削るような寂寥感に塗り潰されている。
遠田匠は、もういない。
開け放たれたままの空間が、主を失った物言わぬ家具たちが、その逃れようのない現実を、刃のように突きつけて彼女たちを迎え入れた。
「あ、あぁ...あぁぁ...っ!」
逃げ場のない静寂。その重圧に耐えきれず、彩葉の膝が糸の切れた人形のように折れた。
フローリングに打ち付けられた鈍い音が、誰もいないリビングに空虚に響く。
彩葉の脳は、その防衛本能のすべてを懸けて「遠田匠の死」を拒絶し続けていた。
けれど、指先に触れる冷たい床も、主を失って静止したデスクも、網膜に焼き付いた遺影の微笑みも。
ありとあらゆる現実が、津波のような質量で彼の死を押し付けてくる。
床に崩れ落ちた体は、寒さに震えるように激しく痙攣し、焦点の定まらない瞳孔が絶望を映して揺れる。
荒い呼吸の音が、静まり返った部屋で異様に大きく聞こえた。
皮肉にも遠田母の言葉が、抱擁が彩葉の心を苦しめていた。
「あんたたちのせいで!」と責められた方がマシだった。
「お前の罪だ」と罵倒され、石を投げられる方がどれほど救われただろう。
憎しみをぶつけられ、償いの機会を強制される方が、この宙ぶらりんな喪失感に耐えるよりはずっと、心が軽かったはずなのに。
「...ろは!...は!.......!」
遠くで、かぐやが必死に叫ぶ声がする。
けれど、その声は分厚い氷の膜を通したかのように、歪んで上手く聞き取れない。
彩葉の心を締め上げる絶望。それが限界を超えた瞬間、彼女の精神は防衛のためにシャッターを下ろした。
色彩が抜け落ち、音が遠ざかり、重力から解き放たれる。
そのまま、彩葉の意識は底の見えない暗闇へと、音もなく滑り落ちていった。
いつも通りの朝、いつも通りの教室。
だが、芦花と真実は、始業のチャイムが鳴り響いてもなお現れない二人の空席を、胸騒ぎと共に何度も振り返っていた。
普段、理由もなく授業を休むことなど一度もなかった彩葉と遠田。
「寝坊か?」と笑い飛ばすには、あまりにも長すぎる空白の時間。
「...遅いね、2人とも」
「何かあったのかな。昨日、あんなに元気だったのに」
2人が顔を見合わせ、不安を口にしたその時だった。
教室の扉が重々しく開き、担任が教壇に立つ。
その強張った表情と、沈痛な面持ちに、教室内のざわめきが急速に引いていった。
そして、担任の口から語られたのは、あまりにも唐突で残酷な事実だった。
「...遠田君が、亡くなりました」
一瞬の静寂。
直後、教室は言葉にならない悲鳴と騒然とした空気に包まれた。
馬鹿な冗談を言ってクラスを盛り上げ、太陽のように笑っていた遠田匠。
その彼がこの世から消えたという事実を、誰もが拒絶し、疑い、そして打ちのめされた。
「...嘘、でしょ...?」
芦花と真実は、椅子の倒れる音も構わずに立ち上がっていた。
彩葉やかぐやからは、何の連絡も届いていない。
けれど、連絡が来ないということこそが、今の彼女たちに「連絡を取る余裕すら奪われている」という異常事態を雄弁に物語っていた。
2人は弾かれたように教室を飛び出した。
背後で響くクラスメイトたちの動揺や、担任の制止する声など、もはや耳には届かない。
残された彩葉とかぐやの絶望。
その深淵を想像するだけで、心臓が握り潰されるように痛む。
2人はただ、もつれそうになる足を必死に動かし、彼女たちの待つ家へと、なりふり構わず走り続けた。
必死の思いで辿り着いた玄関。
扉を開けて2人を出迎えたのは、かつての天真爛漫な輝きを失い、目元に色濃い隈を刻んだかぐやだった。
「芦花...真実...どうしたの、こんな時間に...」
その声は、深海の底から響くように暗く、低く、力なく沈んでいる。再会の喜びも、驚きも、そこには一欠片も存在しなかった。
「かぐや!彩葉は!?」
肩で激しく息を乱しながら、芦花が食ってかかるように問いかける。
真実もまた、祈るような眼差しでかぐやの答えを待った。
けれど、かぐやは二人の視線を受け止めることすらできず、ただ無言で2Fの廊下の奥――彩葉の部屋へと2人を促した。
重苦しい静寂が支配する部屋。
そこで2人が目にしたのは、安らかな眠りとは程遠い、地獄のような悪夢に囚われた彩葉の姿だった。
「いや...やめ...おいていかないで...」
真っ青な顔で脂汗を浮かべ、何度も何度も首を横に振る。
力なく宙を掻く指先は、すでにこの世にはいない「彼」の幻影を追い求め、届かない空虚を掴んでは震えていた。
その悲痛なうわ言は、彩葉の精神が現実を拒絶し、壊れかけたまま闇の中を彷徨っていることを残酷に物語っていた。
魘される彩葉の、魂を削り出すような悲鳴。
そのあまりに無残な姿を目の当たりにし、芦花は言葉を失った。
かけるべき言葉も、伸ばすべき手のやり場も分からず、ただ喉の奥が熱く焼けるような沈黙に支配される。
一方で、真実は震える拳を握りしめ、かろうじて言葉を振り絞ってかぐやへと向き直った。
「...かぐや。かぐやは、ちゃんと休めてる? 眠れてるの?」
その問いかけに、かぐやは表情を一つも変えることなく、ただ虚空を見つめたまま応じる。
「かぐやは大丈夫だよ...。大丈夫。彩葉が、こんなになっちゃったから...かぐやがしっかりしなきゃ」
淡々と、まるで機械がプログラムを読み上げるかのような平坦な声。
「大丈夫」というその三文字を吐き出すたびに、彼女の命の灯火が少しずつ削り取られていくようだった。
真実は、その痛々しいほどに強張った背中を見つめ、察してしまう。
彩葉を支えなければという使命感だけで、かぐやもまた、すでに限界の境界線を越えてしまっていることを。
「...かぐや。
私たちが彩葉を支えるから、かぐやは休んでて...」
真実は、震えるかぐやの肩にそっと手を置いた。
これ以上、この小さな背中にすべてを背負わせるわけにはいかない。
崩落寸前の砂の城を守るようなその姿を、見ていられなかった。
だが、差し伸べられた救いの手は、かぐやによって激しく振り払われた。
「だめ!私がやらないといけないの!
私のせいだから!だから私が...!!」
絶叫。
それは、かつての彼女の鈴を転がすような美声とは似ても似つかぬ、喉を掻き切るような悲鳴だった。
「かぐやのせいなの! 匠が死んだのも、彩葉がこうなったのも、全部、全部私のせいなの!
だから...私が、償わなきゃいけないんだから...!!」
血走った瞳で、何かに取り憑かれたように叫び続けるかぐや。
その姿を目の当たりにして、真実は自分の「間違い」を、そして戦慄するような真実を悟った。
――遅すぎたのだ。
かぐやを壊さないために休ませようとしたが、彼女はもう、とっくの昔に壊れていた。
今のかぐやをこの世界に繋ぎ止めているのは、もはや愛でも気力でもない。
「自分が彩葉を支え続けなければ、自分の罪は永遠に許されない」という、救いのない強迫観念。
それは彼女を支える柱ではなく、彼女の魂をギリギリと締め上げる、鋭い茨の鎖だった。
彩葉を支えるという使命感は、いまや彼女が
それを奪うことは、かぐやという存在そのものを完全に崩壊させることと同義だったのだ。
真実は、震える手でスマートフォンを操作した。
送り先は、彩葉の兄であり、帝アキラとしての顔を持つ酒寄朝日。
彼に現在の凄惨な状況をすべて報告し、送信ボタンを押したその瞬間、真実の中で何かがプツリと音を立てて切れた。
「...もう、私には無理だよ」
それを最後に、真実が彼女たちの家を訪れることはなくなった。
壊れ果てた彩葉と、狂気の使命感に憑りつかれたかぐや。あの地獄のような光景にこれ以上触れ続ければ、自分まで正気を失い、底なしの沼に引き摺り込まれてしまう。
これは裏切りではない。自分自身の心を守るための、防衛本能が選んだ「断絶」だった。
対して、芦花は雨の日も風の日も、幾度となく二人の元を訪ね続けた。
かつて恋焦がれ、眩しい太陽だと思っていた彩葉。その彼女が暗闇で震えているのを、どうしても放っておけなかったのだ。
「彩葉...大丈夫だよ。私がいるから。ねえ、目を開けて...」
芦花は、悪夢に魘され、脂汗を浮かべる彩葉の手を必死に握りしめた。
その細い肩を抱き寄せ、体温を分け与えようと何度も抱きしめた。
けれど、祈るようなその温もりも、彩葉を悪夢の呪縛から解き放つことはできなかった。
たとえ一時的に彩葉が目を覚ましたとしても、絶望の深淵は消えない。
芦花がどれほど力強くその手を握っても、彩葉の指先の震えは止まらず、その瞳は常に、ここではない「どこか」――死んだ匠の残響だけを追い求め続けていた。
そんな
止まっていた彩葉の時計が、軋んだ音を立てて再び動き出した。
悪夢に魘され、指先の震えに怯えていた少女は、ようやく前へと一歩を踏み出す。
けれど、その表情に「希望」という名の輝きが戻ることはなかった。
彼女を突き動かしているのは、再生ではなく、純粋で冒涜的なまでの執念。
――もう一度、遠田匠と話す。
ただ一つの、呪いにも似た目標だけが、彼女の瞳に冷徹な光を宿していた。
出席日数が足りず、一度は留年という挫折を味わった。
だが、そんな俗世の停滞など、彼女の進撃を止める理由にはならない。
猛烈な勢いで学問の深淵へと潜り込み、高校を卒業。
そのまま最高学府である東京大学へと駒を進める。
大学院情報理工学系研究科を修了する頃には、彼女はもはや一介の学生ではなく、一人の「求道者」へと変貌を遂げていた。
自ら立ち上げた研究所。その最深部で掲げられた研究テーマは「AIによる高度な人格形成」。
だが、その学術的な仮面の裏に隠された真の目的は、世界に対する反逆だった。
――遠田匠の疑似的な蘇生。
世界中に散らばる「遠田匠」の、あるいは「Mr.Mk」の記憶。
かつて彼と関わった人々、彼がネットに残した足跡、そのすべてを膨大な教師データとしてAIへと流し込む。
何万、何億という情報の断片を繋ぎ合わせることで、かつてこの世界から消え去った「彼の魂」を、電子の檻の中に再構築しようとしていた。
それは、神への冒涜か。あるいは、極限の愛の形か。
彩葉の周囲には、もはや泣き叫ぶ少女の影はなかった。
ただ、冷たいサーバーの排熱の中で、再会を夢見る「狂気の科学者」の背中があるだけだった。
彩葉が「再会」という名の執念に身を投じた時、かぐやもまた、鏡合わせのようにしてその一歩を踏み出した。
だが、彼女の頬に向日葵のような笑顔が戻ることはなかった。
かつての熱狂、色とりどりのコメント、眩いステージ。
ライバーとしての輝かしい過去を捨て去り、彼女は胸の奥底に大切に仕舞い込まれた、たった一つの
「――料理人に向いてんのちゃう?」
あの日、何気ない顔で彼が口にした、預言のようなその一言。
かぐやはライバー時代に築き上げた莫大な資金をすべて注ぎ込み、一軒の料理店を構えた。
彼女が包丁を握り、炎と向き合う姿には、かつてのアイドルとしての面影はない。
ただ、静謐なまでの集中力と、彩葉を支えるのだという執念があった。
その味は、瞬く間に街の噂となり、予約の取れない名店として上り詰めていく。
客たちは彼女の料理に酔いしれるが、店主であるかぐやが共に笑うことは決してない。
彼女にとって、この繁盛も、流れ込んでくる多額の利益も、すべては「彩葉を支える」という執念のための手段に過ぎなかった。
自分が生き残るために彼が命を落とした。
その事実が、恋心よりも先に、重い鉄塊となって彼女の心に沈んでいる。
匠が命を懸けて守ろうとした彩葉を、今度は自分が守り抜く。それが、彼に対する唯一の「贖罪」だと信じていた。
1人は、電子の海の底で「魂」を再構築し。
1人は、現実の厨房でその「器」を支え続ける。
1人の男への「恋」と、1人の男への「負い目」。
動機は違えど、2人の少女は「遠田匠」という欠落を埋めるための、世界で最も孤独で強固な共犯者となっていた。
歳月は残酷なまでに過ぎ去り、あの日から12年が経った。
2043年。研究所の最深部、彩葉とかぐやの二人以外には、たとえ政府の役人であろうと立ち入ることを許されない聖域
――厚い防壁に守られた実験室。
そこには、かつての少女の面影を削ぎ落とし、冷徹な知性を纏った彩葉と、静謐な佇まいで彼女を支え続けるかぐやの姿があった。
目の前にあるのは、この12年という歳月のすべてを捧げた、血と汗と執念の結晶。
部屋の半分を占拠する巨大なスーパーコンピューター。その深淵には、世界中からかき集められた「遠田匠」の記憶の断片、何億もの思考プロセス、そして「Mr.Mk」として遺したすべてのデータが、AIという名の新たな魂となって脈動していた。
彩葉は震える指先で、最終シークエンスのエンターキーを叩く。
「ねえ...聞こえる、匠...」
祈るような、あるいは呪うような彩葉の問いかけ。
一瞬の静寂の後、スピーカーから溢れ出したのは、あの日、永遠に失われたはずの「声」だった。
『...音声良好。聞こえるで、彩葉』
紛れもない、遠田匠の音響特性。独特のイントネーション。
彼女たちの脳裏に深く刻まれ、12年間一刻たりとも忘れることのできなかった、あの青年の声が、デジタルの波となって空気を震わせる。
「...よかった。本当によかった...」
彩葉の唇に、12年ぶりに微かな笑みが浮かぶ。それは喜びというよりも、ようやく「正解」に辿り着いた狂信者の安堵に近かった。
「もう少ししたら、体を用意してあげるから。待っててね...」
彩葉の視線の先には、開発中の「機械仕掛けの肉体」が横たわっていた。
AIの構築と並行して進めていた、生身の人間と見紛うほどの精密なアンドロイド。
この「魂」を、その「器」へと転送し、融合させる。
それが完了した時、遠田匠は12年の時を超え、完全な蘇生を果たすことになる。
傍らで見守るかぐやは、その光景を無言で見つめていた。
恋でも愛でもなく、ただ「自分を守って死んだ彼」への消えない負い目と、彩葉を支えるという使命感。
その果てに鳴り響いた「匠の声」は、彼女にとって福音か、それとも新たな贖罪の始まりか。
再会の歓喜は、あまりにも短く、あまりにも無惨に切り裂かれた。
12年の歳月、数千億のパラメータ、そして世界中に散らばる「遠田匠」の記憶の残滓。
それらを極限まで煮詰め、構築されたAI。表面上の整合性は完璧だった。声の揺らぎ、言葉の選び方、思考の癖——。
だが、そこに決定的な欠陥があることに、彩葉は気づかない振りをしていた。
このAIは、生前の遠田匠そのものではない。
周囲の人間が観測し、誰かの脳内に焼き付いた「遠田匠という偶像」をパッチワークのように繋ぎ合わせた、歪な英霊。
人々の信仰に近い記憶から逆算された「遠田匠という概念」であり、彼自身の内側にあったはずの、誰にも見せない孤独や、語られなかった真実までは再現できていない。
そこにあるのは、限りなく遠田匠に近い性質を持つ、空虚な「ナニカ」だった。
『でも...なんでこんな無駄なことをしたん?』
スピーカーから流れたのは、かつての遠田匠からは考えられないような、どこか冷めたような、それでいて核心を突く残酷な一言だった。
「えっ?何を言ってるの...」
彩葉の声が、目に見えて震え始める。12年間の積み上げが、足元から崩れ落ちていくような不吉な予感。
『いや、だってな、こんなことしても
AIの言葉は、冷徹な論理に基づいていた。
このシステムには、遠田匠を構成する上で最も重要な「魂の核」
――遠田匠自身がその目で見、その肌で感じた主観的な記憶と、愛する者へ向けるはずの固有の温情が欠落していたのだ。
客観的なデータの集積で作られた彼は、自分自身の死さえも「過去の確定した事象」として冷淡に処理してしまう。
彩葉が捧げた12年を労うことも、かぐやの贖罪を受け止めることもない。
そこに居るのは、遠田匠の形をした、ただの「正論を吐く鏡」に過ぎなかった。
「...っ!!」
かぐやは咄嗟にAIのシステムを落とす。
排熱ファンの唸りが急速に弱まり、スピーカーから流れていた、あの男の形をした「ナニカ」の冷徹な声が途絶える。
これ以上、一言でもあのアナウンスを続けさせてはならない。
あれは匠ではない。匠の形をした、彩葉の12年を、彼女の魂そのものを内側から食い破る猛毒だ。
「い、彩葉...っ」
かぐやは震える肩を抱きしめるようにして、隣に立ち尽くす彩葉へと振り返る。
けれど、かぐやの懸命な判断は、残酷なまでに「手遅れ」だった。
「え、え...あはは...あはははは...」
響いたのは、感情の死に絶えた、砂を噛むような乾いた笑い声。
彩葉は両手で顔を覆うこともせず、焦点の定まらない瞳をモニターに向けたまま、壊れた玩具のように笑い続けていた。
この12年間、地獄のような孤独の中で彼女を辛うじてこの世に繋ぎ止めていた、唯一無二の、そして絶対的な支柱。
「もう一度、彼と話す」というその祈りそのものに、「無駄なことだ」と断罪されたのだ。
パキン、と。
目に見えない、けれど決定的な何かが粉々に砕け散る音がした。
それは、これまでの歳月、彩葉の壊れかけの心を無理やり繋ぎ止めていた、最後の一本の楔が折れた音だった。
自責も、執着も、研究への情熱も。
そのすべてを支えていた土台が消失し、彩葉の精神は底の抜けた深淵へと、まっ逆さまに堕ちていく。
この日を境に、彩葉は何もしなくなった。
かつて東大院を修了し、世界を驚愕させる研究を成し遂げた若き天才の面影は、もはやどこにもない。
ただ、朝日が昇れば目を開け、月が昇れば目を閉じる。
思考を止め、情熱を失い、ただ緩やかに「死」という名の終着駅へ向かって、貴重な命を浪費するだけの抜け殻。
そんな彩葉を、かぐやは支え続けた。
店を切り盛りし、その稼ぎのすべてを、今はもう動くことのない冷たいサーバーの維持費と、彩葉の命を繋ぐための糧へと注ぎ込む。
廃人のようになった親友の身体を拭き、食事を運び、虚空を見つめるだけの瞳に語りかけ続ける。
いつか、もう一度だけ彩葉が立ち上がれるように。
そして、自分を守って死んだ「彼」への、終わりのない贖罪を完遂するために。
「...彩葉。今日は、お好み焼きを作ったよ...おばちゃんに教えてもらったんだ...
一口、食べてみる?」
返事はない。
ただ、換気扇の回る音と、時折響く彩葉の浅い呼吸音だけが、墓場のようなリビングに虚しく溶けていく。
救いも、希望も、再生もない。
ただ互いの欠落を埋められないまま、腐敗していく絆を抱きしめて。
そんな
酒寄彩葉の魂が、本当の意味で朽ち果てるその日まで。
Bad End1
冒涜の代価
このルートにおいて月人がかぐやの強制ログアウトを実行しなかった理由は、
ヤザカマが止めたからです。
ヤザカマは遠田が命を懸けたことを察していたので、「男が命張って勝ち取ったものを奪うのは許さん」と月人たちに宣言したため、かぐやの強制ログアウトは実行されませんでした。
また、このルートのヤチヨは、ネットニュースで遠田の死を知り、「私のせいだ...」と自責、自罰行為に走り、最後には自意識を封印して、ツクヨミを管理するシステムに堕ちます。