アガルタに滞在して3日が経った。あれから俺達はルイス姉に偽装戸籍を用意してもらい、この国の国民として2週間ほど生活することになった。
「つまり金を払えば労働免除権というのが買えるってことか?」
「はい。あまり人気のない権利でございますが……ちなみに1枚3000マネーからとなりますがいかがなさいますか?」
この国では1時間働けば400マネー貰うことが出来る。そのため週に貰えるのは7200マネーとなる。しかし天井が7200マネーかと言われたら、そういうわけでもない。なにせ商業活動は禁止されていない。
たしかにルカの言う通り、普通の商業となれば国相手に勝つことは難しいだろう。しかし個人間の売買ならば話は別だ。それこそクリエイターとなって個人で作品を売って稼いだという話はよく耳にするし、裏では投資の類も行われてると聞いている。
「たしか1枚で1日免除だよな?」
「はい」
つまるところ週に9000マネー稼ぐことができれば労働からの脱却も可能となるわけか。そういうところはまるで資本主義みたいだ。
「それじゃあとりあえず6枚頼む」
「……その間の収益は発生しなくなりますが、よろしいですか?」
「ああ」
「それではお手続きしますね」
ちなみに俺達は小遣いとしてルイス姉から10万マネー貰っている。さすがに観光なのに仕事で時間を使うというのはもったいない。もっと国を見て回りたいのだ。
「しかし労働免除権ってもっと人気があると思ったんだけどな」
「……どうしてですか?」
「休みは多いほうが良いだろ」
「そうですかね。仕事って楽しくないですか?」
「仕事が楽しい?」
「だって色々な人と関われますし……なによりも良い刺激になるじゃないですか」
この国ではどうやら労働が苦という感覚がないらしい。それは労働免除権が不人気なところから見ても間違いないだろう。
「ただ恋人とデートしたり、イベントに参加するために買う方もいますよね。お兄さんはなにするんですか?」
「改めて国を見て回ろうかなと思ってな」
「いいですね」
まるで異世界に来たような感覚だった。もちろんこの世界もファンタジーな異世界だ。しかしアガルタは根本的に違う。文化も価値観も全てが完全に別物だ。誰が否定するわけでもないのに自分が間違ってるのではないかという感覚に陥ってくる。
労働免除権を買った俺は役所の券売所を後にし、転職相談へと足を運んでいく。この国では適性によって仕事が割り振られるが、転職を望むならば行政に相談することも可能となっている。それ故に国が職業を割り振るところで転職がどんな感じで行われるのか興味があったのだ。
「それで転職をご希望ということですが……どうしてなのでしょうか?」
「答えないといけないのか?」
「いえいえ。そういうわけではありませんが……ただより良い仕事に案内するためにも理由は知っておきたいのです」
「なるほど」
「あと上の方からも転職相談があったら理由を聞いてくれと言われてるんですよ。なんでも転職するということは不満があるということ。不満が分かればサービスは良いものへとなっていくとかなんとか」
「悪いんだが……そんなシリアスなものじゃない。少し別の仕事もやってみたくなってな」
適当な理由を作っておく。少しだけ罪悪感で胸が痛くなるが、仕方ない。そうしなければどんなものか分からない。自分にそんな言い訳をする。
「それでしたらアルバイトという形はいかがですか?」
「アルバイト?」
俺は少しだけ驚いた。なにせこの国にアルバイトがあるとは思わなかったからだ。それこそ仕事まで国が管理するような国だ。アルバイトみたいなものとは無縁だと思っていた。
「はい。適性に合ってない仕事になるかもしれませんが……急ぎでお金が欲しい方に向けて紹介させていただいてるんですよ」
「具体的にはどう行うんだ?」
「そうですね……まず個人で人手が欲しいところが募集をかけますので、私達の方でそれを紹介という流れになりますね。そのためどんな募集があるかによって業務内容が変わりますね」
「なるほど。それじゃあ募集がない時は……」
「その時は国が出してるバイトの方に行ってもらいます」
「国のバイトってどんなの?」
「そうですね……最近ですとクリエイターが増えすぎて、消費者が少ない傾向にありますので適当なウェブ小説を読んで感想を書くバイトとかが多いですね。あとは国が出す製品のレビュー依頼や過疎ゲームのプレイ……まぁ最悪は誰もやらなくても問題がないものが大半ですね!」
仕事の斡旋までしてくれることを考えると本当に快適だと思い知らされる。働く時間も最低限で生きていける上に金が欲しいといえば国が親身になって考えてくれる。ここまで恵まれていていいのだろうか。
「ただなにか新しいことを始めたいのでしたら、とりあえず個人の時間で試してみてはいかがでしょうか? なにせ時間はたくさんありますから」
「しかし気に入っても適性じゃないから仕事には出来ないんだろ?」
「そうですね。ただやりたいことに差し支えがないような苦にならないような適性に合った仕事の紹介ならばできますので……そういったことは趣味としてやっていただければと思います」
「でも個人でやるのと仕事でやるのは別だろ。仕事にすればその道のプロと話す機会もできるわけだしさ」
「そういうことでしたらサークルに入ってみたらいかがですか? 3階の方でサークル紹介も行っておりますので、ぜひ足を運んでみてください!」
そうして市役所を後にして公園で一息つく。地面は整備された芝。頬を撫でる風と花の香り。そして疑似太陽からの温かな日差しが全身を包む。ここが地下とは思えないくらいに快適な空間であり、文明の差というものを見せつけられた。ルイス姉が自由に動けば人類はこのレベルの文明まで発展できてしまうのだ。
「……喉が渇いたな」
周囲を見渡すと自販機が置かれていた。この国の自販機は面白いことに種類が無限に等しい。購入者が数値を入力して、自分好みの味や匂いに調整し、挙句の果てにアルコール濃度まで設定した上で出せるのだ。どんな飲み物だろうがいつでも飲める。まさしく画期的な発明とも言えるだろう。
俺はフレーバーを甘いぶどうジュースに調整して自販機のボタンを押す。ちなみにこのサービスは福祉として提供されているので無料である。つまるところアガルタでは全ての飲み物が無料で飲めるというわけだ。コーヒーもエナドリもビールも飲み放題である。
また余談になるが食べ物も似たようなものだ。数値を入力すればありとあらゆる料理を出すことが出来る。もちろんこちらは完全に無料とはいかず、1回の使用で200マネーが取られるそうだが……それでも破格の価格設定だ。
「進んでるなぁ」
腕の端末に目を向ける。そこには自分の保持マネーが表示されていた。この国のお金は全て電子通貨。ありとあらゆる取引が国に筒抜けだし、盗難の心配もない。端末ごと取ろうにも本人以外は使えない仕組みだ。
ただ快適だが同時にお金の出費も激しい国だ。最低限生きていくだけならば大きな問題はないだろう。しかし誘惑があまりにも多い。その誘惑も全て手が届きそうな絶妙な範囲だ。それこそ先程の食べ物もそうだ。1日3食頼るようになれば毎日600マネー取られる。1週間ならば4200マネーだ。既に半分以上が食費として政府に還元されている。そこから更に菓子までも同じようにやるとなると出費ももっと増えていくだろう。そのようにして稼いだ金が国庫へと還元されていく。だからこそ無税なのだ。ほぼ全ての収益を回収出来るからこそ無税で成り立っているのだ。
それから少し考えた末に俺はマネーをほぼ全て溶かしてゲーム環境を整えることにした。やはりデジタルの世界がどれほど発展したのか興味があったのだ。
そこで俺は何度か度肝を抜くことになった。まずハイエンドのPCが30万マネーで手が届くようなものではなかった。しかもそのハイエンドPCは仮想世界に擬似AIを入れて文明シミュレーション等に最適化とか書いてあり、もはや理解が追いつかなかった。明らかに個人で扱うようなものでもないし、売っていいものでもない気がした。
次に興味を惹かれたのがフルダイブ型のVR機器だった。それは完全に意識を切り離して、五感を全てを仮想空間で再現するというもの。まさしく某ラノベに出てきた技術である。そんな夢のような機器のお値段はなんと8万マネー。それを安いと見るか高いと見るかは人それぞれだろうが……少なくとも俺には安く思えた。
そんな夢のフルダイブVRを前に買うか否か死ぬほど葛藤して、8万マネーも使えばほとんど遊べなくなるということで泣く泣く断念した。
結果として買ったのは4万マネーくらいのPCになった。ただPCスペックは当然のように俺の世界のものを凌駕していた。ゲームをさせれば画質が16Kの状態でフレームレートが300fpsくらいまで出してもファンすら回らないような化け物PC。しかも小さなAIくらいならばローカル環境で開発可能なくらいのスペックはある。まぁPCで出来ることは一通り出来てしまうであろうくらいのスペックはあった。
そして俺は適当なネットゲームをダウンロードしてネトゲをやってみることにした。単純にこの国で育まれたゲームがどんなものなのか気になったのだ。
「おおっ。絵柄は可愛らしいな」
今回買ったゲームはキャラクリが自由自在のファンタジーものだった。そしてビジュアルはリアル寄りというよりは日本のアニメのようなデフォルメが効き、可愛らしさが全面に出たもの。
俺は上機嫌で主人公のアバターを練っていく。まず性別は当然ながら女性。その上で背丈は低めにして幼女体型にしていく。表情からは少し毒を感じさせるようにして、ボイスはなるべく可愛らしい萌え声に設定する。
俺はゲームをやる時は基本的に女性アバターを選ぶ。理由は単純明快で可愛いキャラを動かすのがモチベーションとなっているからだ。それこそ俺はゲームをやる時は内容よりもキャラデザを基準にするくらいには重きを置いている。
「名前は……KK0412でいいか」
KK0412。これはネトゲでの俺のハンドルネームである。KはカオリのKから取り、語感が良いので2つ重ねた。そして数字は誕生日。とてもシンプルなものであり、日本にいた頃もよく使っていたハンドルネームである。
そうして気づけば俺はアガルタのネトゲにどっぷりとハマっていった。時間があっという間に溶けていく。外に出るよりも部屋に籠もってゲームする時間の方が長くなっていった。
* * *
私は2年ほど前に父に連れられて、このアガルタという都市にやってきた1人のエルフだった。私の父は名の知れた鍛冶職人だ。それこそジョーカー商会にすら認知されるほどの大物。それ故にこの都市に招待された。
最初は不安しかなかった。そもそも地下に都市があり、そこは文明水準が遥かに上ですなんて話を信じられるわけがない。それに一度入ったら二度と出られないというのも不安だった。
だけど不安は3日で消えた。美味しい食事が安価で手に入り、飢えに苦しむことはない。それにフカフカのベッドもあり、街は綺麗。しかも貴族が入るような大きなお風呂に毎日入れる。さらに獣や山賊に襲われる心配もなければ多額の税を求められることもない。一日中夜なのが難点だけど、その代わりに電気が街中を照らし、昼のように明るいから怖くはない。しかも家にいても映画やゲームといった私の知らなかった娯楽が多種多様で退屈することはない。まさしく理想郷だ。
「KKちゃん。この街に来たばかりなんだ。私が教えてあげないと」
そんな私は最近ではフェアリーマジックというネットゲームにハマっている。世間での流行りはフルダイブ型VRだが、私が好きなのはフェアリーマジックの世界観なのだ。最近ではフェアリーマジックはフルダイブ型VRに食われつつ、ユーザー数も減少傾向。新規参入も大きく見込めず、過疎化の一途を辿っている。
そんなフェアリーマジックに先日、KK0412という可愛い女の子が入ってきた。私は同性ということもあり、大きな親近感を覚えた。そして先輩としてKKちゃんにこの世界を案内しなければならないと思った。
「ほんと夢みたい」
それにしても未だにこのアガルタでの生活に現実感がない。もちろん働かなくていいわけではない。しかし働くといっても屋根もあって暖房も効いてる喫茶店で、たまに6時間ほどの接客だけで全然辛くもない。なにもかもが満たされる最高の環境だ。
「ありがとうございます。聖女ルイス様」
そんな理想郷を作った人物はエルフでも知らぬ人はいない聖女ルイス様。そんな彼女は神様のように扱われている。現に私も事あるごとに彼女に感謝を捧げている。そうしないとバチが当たりそうで少し怖いのだ。なにせ私達はあまりに恵まれすぎている。
「カナリア。そろそろ仕事の時間じゃない?」
「そうだ! 準備しなきゃ!」
お母さんに言われ、大慌てで私は着替えて外に出る。外に出たら自動運転のタクシーを捕まえ、職場を指定して走らせる。タクシーは行き先が指定されると、そのまま空を飛び、あっという間に私を目的地に案内してくれる。
「あの噂。本当だと思う?」
「どの噂よ?」
「聖女ルイス様がアガルタに顔を出したって話」
「うそでしょ!?」
「でも嘘だとして、こんな噂が出回るか?」
職場では客席から様々な話が聞こえる。ここ数日は聖女ルイス様の話ばかりだ。SNSを眺めても、みんなが聖女ルイス様のことを話してる。技術センターに来たとか服屋でショッピングに来て、緊張したとか信憑性のないものばかり。だけどその中でも気になるのは聖女ルイス様の弟の話。
このアガルタでは上の世界の話は移住者からしか入ってこない。聖女ルイス様がヤミ国の王都で審問官を務めてる人物を弟として迎え入れたという話が広まったのも2カ月くらい前のことだ。しかも誰も真偽を確かめる術を持ち合わせていないため噂の域を出ない。そのため聖女ルイス様の弟君という存在はこのアガルタで最も有名な都市伝説として扱われている。
「ねぇカナリア。カオリって本当にいると思う?」
カオリ。それが聖女ルイス様の弟君の名前とされている。そもそも弟ということは男性。そんな女性っぽい名前の時点で私としては半信半疑なのだが……
「さすがにいないと思いますよ」
「夢がないなぁ」
「ていうか先輩。いまは仕事中なんで私語は慎んでください」
「もう真面目なんだから~」
ちなみに私はカオリの話を信じていない。やはり聖女ルイス様が特定の個人に関心を持つなんていうのは考えづらい。それに審問官というのも設定を盛りすぎだ。ヤミ国王都で審問官になるのがどれほど大変か分かっていないし、なによりも聖女ルイス様はエルフだ。相手がエルフならまだしも、他国の要人で人種も違う相手を弟にするとは思えない。
そうして仕事は終わる。私はお母さんに頼まれた夕飯の買い出しをした後に家に帰って、お母さんと食事をする。そして食べ終えたら部屋に戻ってフェアリーマジックにログインする。
『こんばんは。みけねこさん』
『KKさん。こんばんは』
『見てください。この服装凄く可愛くないですか?』
KKさんのアバターは可愛らしい青髪のロリっ娘。少し前までは店で売られている簡素な黒いドレスだったが、今ではフリルがふんだんにあしらわれた青いドレスになっており、まるでお姫様みたいな上品な感じすらする。ただ私はそれに別の意味で驚いた。
『もしかして
彼女の装備してる服。それを手に入れるためには奈落蜘蛛というモンスターが落とす”海の糸”という素材が必要なのだ。しかもこのゲームはモンスター素材は譲渡不可のため金銭で解決出来るものでもない。
『はい!』
そして奈落蜘蛛は中級者ですら苦戦するような強力なモンスターだ。攻撃が全体的に速く、避けるためには相当なPSが必須となる。そのため攻略は基本的に攻撃は被弾するものと割り切り、2回は受けられるようになるレベル60前後まで上げるのが必須。その上で回復アイテムを飲みながら攻略するのが基本とされている。少なくとも始めて2日程度でレベルも低い彼女が勝つのは不可能に近い。
『ただ火力が足りなかったのでラグナロクさんにも手伝ってもらいました』
『でも全体攻撃だからKKちゃんにも攻撃が飛んでこなかった?』
『飛んできましたよ! すごく速くて4回は死んじゃいました!』
そんな敵に4回しか死んでいない。つまり5回目には見切って避けられるようになったということ。ラグナロクさんの攻撃力から考えて、彼が倒し切るまでに最低でも約8回は攻撃が来る。それらを全てKKちゃんが避けねばならず、彼女のHPからして一度の被弾で死亡するのは確実。それにも関わらず5回で倒している。どう考えてもとんでもないPSだ。
『KKちゃんってもしかして天才だったりする?』
『そんなことないですよ~』
彼女はもしかしたら天才ゲーマーなのかもしれない。もしプロじゃないとしても数年後には確実にプロにもなっているだろう。もしかして私はとんでもない人と知り合ってしまったんじゃないか……
『そうだ。ラグナロクさんが私の奈落蜘蛛討伐を記念してオフ会しないかって話があるんですけど、みけねこさんも来ます?』
ラグナロクさん。まだフレンドになってから2週間程度の仲だ。それなりに話すし、少しだけ興味もある。それにKKちゃんがどんなに可愛い女の子なのかも気になる。これは断る理由がない。
『ぜひ!』
そうして私はオフ会に行くこととなった。今からKKちゃんと会うのが楽しみだ!