校閲作業+6章執筆を並行しながらのため数日に1話くらいの頻度になると思います!
88話 桜ヶ崎モモ
私。桜ヶ崎モモは地獄に生まれた。
私は俗に言う異端だった。言うならば人の形をした化物だ。誰かに化物と言われたわけでもないが、本能的に普通とは違うと理解していた。しかし普通になれたら良いと思うことはない。だって普通がイメージできないのだから。
私は人間とは違う。脳の構造から精神性まで全てが歪。恐らく人はそういうものを化物と呼ぶのだろう。
しかし幸いにも『どうしてこんな簡単なことも出来ないんだろ?』という感覚はなかった。出来ないという概念が理解出来ないわけじゃなかった。私は覚えられないということも理解は出来るし、難しいということも理解出来る。
そもそも世の中の難しいは簡単なことが複雑に絡み合って構築されている。難しいと思うのはその簡単な部分のどこかが抜け落ちてるから。だから抜けている部分を見つけ、そこを指摘してあげればいい。
例えば数学なんていうのは数字と四則演算が基本だ。それさえ理解しておけばどんな数式だろうが理解出来る。難しいと感じるのはその数式の中に更に数式が使われているから。つまるところ難しい数式を解体していき、どこで詰まったのか理解し、その数式の説明をするだけでいい。もっとも大学で学ぶような数学は抽象的な概念が出てきて、それに伴う代数も出てくる。しかし代数も数式を文字に置き換えただけ。つまるところ先程の数式と同じで難しいものではない。
もちろん簡単だからといって誰でも解けるなんて乱暴なことは言わない。なにせ高度なものならば出てくる代数や数式の総数は数百すら超えるものがある。それを全て記憶した上で分解しておくというのは記憶力も必要だし、どれがどこに使われてるのか頭の中で整理する能力も必要になる。
数学の問題が解けないのは能力の問題だ。簡単だけど記憶が維持出来ないから解けない。数式を覚えきれないから解けない。事柄を整理するのが苦手だから出来ない。そういう話でしかない。
その話と同じで私は他の人が出来ないところを見ても『この能力が足りないから仕方ない』と思ってしまう。だから私は『なんで出来ないんだろう?』と疑問には思わなかった。その感覚だけが少しだけ私を生きやすくしてくれた。それが人を不気味で怖いものじゃなくて、話が通じるものだと思わせてくれるのだから。もしも”なんで分からないんだろう?”となるような頭だったら私は発狂していただろう。
しかし私は普通の感覚が分からない。普通なら物事が簡単の積み重ねだと理解したとしても、『じゃあ簡単だ!』とはならないらしい。
もちろんそれが出来ないのは先程の数学と同じ話で理解はしてる。ただ、その人がどういう世界を見てるのかというイメージが出来ない。そういう感覚が持てないということが私には想像がつかない。それこそ健常者が目や耳が機能していない人の感じる世界を理屈として理解できても、感覚的に分からないのと同じだ。
私の"分からない"は全員が盲目の世界で私だけが視力を持って生まれてしまい、なにも見えないのが普通というのが理解はしてもピンとこない感覚に近い。だけど普通になりたいとも思わない。それこそ盲目の人しかいない世界に生まれたからといって、視力がなければ良かったなんて思わないのと同じ理屈だ。
――ただ周りの感覚が体験として理解出来ないことを私は少しだけ寂しいとは思うだけだった。
でも私は孤独じゃなかった。私にはお兄ちゃんがいた。お兄ちゃんも私と同類だ。難しいものが即座に理解できる。無自覚だけど全ては簡単の積み重ねだと分かっている。当然ながら私のほうが難しい問題も解けるし、お兄ちゃんよりも頭が良いという自覚はある。しかしそんなのは知識の差でしかない。もし知識量が同じなら私とお兄ちゃんは互角だろうという確信があった。だから私は孤独にならなかった。
だけどお兄ちゃんは私と同じにはなれなかった。お兄ちゃんの天才性は潰されてしまった。私は自分が異端だと理解したからひたすら普通を演じた。しかしお兄ちゃんはそれが出来なかった。
お兄ちゃんは私と違って、その才覚を隠すことなく発揮してしまった。その結果として母はお兄ちゃんを神童と扱い、ひたすら勉強漬けにした。だからお兄ちゃんの天才性が腐った。なにかを考える暇もないくらいに勉強を強いたのだろう。それでいてお兄ちゃんの疑問にあの母が答えられるとも思えない。その結果としてお兄ちゃんの知識は停滞した。
母がお兄ちゃんを潰したのだ。物事を嫌々やってたから能力が伸びてない。当然の理屈だ。それにそんな鬼畜の所業をした母を黙認し、事なかれ主義を極めた父も許せない。あれは子を守るという父としての仕事を放棄した、ただの男だ。
父は私が初めて心の底から嫌悪した相手。母は私が初めて敵と認識した存在だった。
それでも私は直接的な危害を加えるような真似はしなかった。あれでもお兄ちゃんにとっては親で大切な人だ。殺したら少なからずお兄ちゃんが悲しむ。それになにより暴力による解決なんて正しくない。自分にそうやって言い聞かせて殺意に蓋をした。
でも最終的に私はあれを殺してしまった。
あれを殺したのは5歳の時だった。その頃にあれはお兄ちゃんを塾をさぼったという心底くだらない理由で家から追い出した。そのときのお兄ちゃんはまだ中学生。それも冬場に薄着で財布すら持たせない。凍死でもさせる気かと思った。お兄ちゃんを守るために殺すしかないと思った。
いくら日本の治安が良いといっても中学生1人を夜中に歩かせるなんて正気じゃない。もし危ない事件に巻き込まれたり、悪い大人に絡まれたらどうするつもりなのか。きっとあれはそんなことも考えていない。ただ感情に任せて動いただけだ。その事実が殺害のきっかけとなった。
もうお兄ちゃんの心がどうとか言ってる場合じゃない。正しさに拘るような段階は過ぎた。こいつらは私がどうにかしないとお兄ちゃんが物理的に死んでしまう。あれはお兄ちゃんに直接的に危害を加えたのだ。これ以上の蛮行は容認することが出来ない。
――だから殺した。
司法に相談するという考えは最初からなかった。司法は『本当は親を愛してるんでしょ?』とか『育児のストレスがあったから仕方ない』というのは目に見えて理解していた。あれは面倒事を嫌う。潔癖なまでに綺麗であることを望んでいる。公正さの皮を被った、巨大な
親という属性があれば、子供への残酷な仕打ちも愛情の裏返しや育児の苦悩として、罪の重さを不当に薄める。女性という属性があれば、男性と同じ罪を犯しても情状酌量という名の、あまりに不公平な手加減をしてしまう。事実として母親の子殺しが殺人として扱われるのは稀だ。多くのケースが殺人罪ではなく傷害致死罪なんてふざけた言葉で処理される。その結果として僅か3年程度で刑務所から出てくる。酷い時は執行猶予がついて、刑務所に入ることすらない。
――だから司法という正しい手段を使わずに殺しを選んだ。
* * *
「……はぁ」
溜息が漏れる。
嫌な過去を思い出した。リアルの話をしたことがきっかけだろう。
私はなるべく公正でありたいと思う。公正でないことを嫌悪する。公正さを失って気持ちだけで人を裁くようになれば私のような無秩序な存在が生まれてしまう。だからこそリアルの罪を明確に定義せずに罰を下すことは許さない。リアルだけを裁くというダブスタも許さない。
その罪と罰を明確にするのが裁判だ。だからこそ裁判を受けさせた上で公正にリアルの罪を定義するまでは手出しはさせない。
正しさが正義を失った先にあるのは無法だ。正しさとは公正さ。それを体現するかのように司法の象徴であるテミス像は目隠しをしていた。偏見で物事を見ず、公正に判断するためだ。正しい審判を下すための目隠しだ。しかし今の日本の裁判は公正とは無縁。属性だけで減刑を決めるような間違った裁判が繰り返されている。
誰に対しても同じルールが適用されなければならない。それが私の言う公正さ。それを守らない裁判は公正ではない。母親だから殺人ではなく、傷害致死となる。そんなことは決して許されてはならない。
罪とは正しく裁かれなければならない。その罪が正しく裁かれないというのならば自分の手で裁くしか選択肢がなくなる。だから私は親を殺した。何度も公正な手続きで解決したいと思った。自分で正しさを決めてしまうのは傲慢だ。許されないことだ。しかし司法が機能していないならば、それをせざるを得なくなる。
しかしここは日本ではない。裁判がきちんと機能するというのならば全ての罪は裁判で定義された上で裁かれるべきだ。だからこそ私はリアルをどうこうするというのならば……罰として殺すというならば、裁判を通して罪の証明を求める。そこは譲れないラインだ。
「さてと」
過去のことばかり考えても仕方ない。私は思考を切り替え、今後のことを考える。模倣のスキルでコピーした全知。それで得たヤミ国の情報を頭の中で整理していく。
ヤミ国は基本的にはメイ第二王女のワントップ。その下にいるのが教皇陛下と国王陛下。メイが頭として指示を飛ばし、それを両名が遂行していく。教皇陛下が宗教を管理し、国王陛下が貴族を管理する。どちらかを崩してもどちらかがフォローしてくる盤石の布陣。それでいて頭を落としても国王陛下の下には侯爵や伯爵、教皇陛下の下には教皇補佐といった代役が控えている。
その上で独立した武力として公爵を抱えている。これは正攻法で攻略するのは不可能に近い。全てにおいて隙がない体制なのだ。もし全知を持たずに突っ込んでいたら私も大火傷を受けていただろう。
「……せめてもう少し情報が抜ければいいんだけどね」
全知は上級悪魔……つまりメイを見ることが出来ない。全知ではメイが映らないのだ。それ故にメイの言葉が拾えない。メイの行動が拾えない。メイという心臓部分の情報だけが抜けない。一番肝心の部分を見ることが出来ない。
「まだ足りないなぁ……」
そんな現状に少しだけ頭を抱えているとトントンっと扉の叩く音がした。誰が来たのかはおおよその見当がついている。私は『どうぞ』と一言だけ言って、彼を招き入れる。
「モモ。改めて今後の確認をしたいが、よいか?」
「うん。いいよ」
部屋に入ってきたのはベック。彼は私が魔王になる前、
「現在は聖女ルイスにルカ、そして勇者カミーラもおる。このまま彼らを使ってエルフを殲滅し……」
「ありえない」
しかし彼の政治力は絶句するほどに低い。彼は魔族では一番政治が出来る。ベック程度の能力ですら魔族一の政治家となってしまうほどに、魔族というのはレベルが低いのだ。なにせまともな教育機関もなければ、強いやつが偉いという脳筋主義。政治家が育つ土俵というものがない。そうなるのも当然だ。
今日まで魔族が生きてこれたのは地理に恵まれたからに過ぎない。この地理がなければとっくの昔にエルフに滅ぼされている。
「まずお姉ちゃんは魔族の言うことに従わない。その従って当然という上から目線が知れたら火傷じゃ済まないよ。比喩抜きで国が落ちる」
「魔王に従うという栄誉が分からないはずがない!」
私はため息を漏らしつつ、馬鹿な言葉をスルーする。これはお姉ちゃんにも少し注意喚起しといた方が良さそうだ。とんでもなく失礼なことを言う魔族がいるけど、堪えてほしいくらい言わなければ……冗談抜きでお姉ちゃんがベックを殺しかねない。さすがに彼のスキルを考えると、彼の喪失は私としても望ましくないし、なにより彼には恩がある。
「それとルカを使うのも論外。まず他国の人を戦力に数えるなんて戦争を仕掛ける口実を与えたいわけ?」
「……それがなぜ戦争になるのだ?」
なんでそんなことも分からないのか。そんな言葉を漏らしそうになるのをグッと堪える。ルカ個人の力といえど、その意味合いは他国から軍を借りるに等しい。勝手に他国の戦力を使いましたなんて許してくれるはずがない。もし仮に手続きの上で借りたとしても、そのまま居座られて実効支配を行い、それで既成事実を作って領土を奪われたら目も当てられない。他国の力など借りないに越したことはない。
「はぁ……少なくともベックの提案は全て却下だし、それをやりたいなら私を殺してからやればいいよ。ここでは強い人の言うことが正義。私のほうが強いから、どんなに気に食わなくても私に従う義務がある」
強い言葉で脅しをかけて暴走しないように牽制していく。彼にそういう話をしても分からないだろう。だから説明する気にもならない。しかし悩みのタネが1つ増えてしまった。なぜこうも彼らは私の仕事を増やすようなことばかりするのか。
仕事が山のように増えていく。魔王として魔族の秩序を維持しなければならない。ヤミ国との外交を考えなければならない。魔族を私になにかあろうとも回る体制にしなければならない。なにより魔王ウシカゲのことも考えなければならない。
全部私がやらなければならない。私以外に出来ないのだから。私が頑張らなければならない。
「そもそも私は世界征服も興味がないし、誰かを支配したいわけじゃないの」
しかし魔王としてなにもしないわけにもいかないのも事実だ。さすがに魔王である以上は責任を果たさなければならない。この状況で一切動かないというのは頭として正しくない。どう動くかは決めているし、そろそろ手を打たせてもらおう。
「ベック。貴方じゃ話にならないからカミーラを呼んできて」
「……わかりました」
魔族で政治が出来るのは3人だけだ。まず1人は勇者カミーラ。彼は政治に携わった経験こそないが、地頭が良いため非常に物覚えが良い。そのため少し政治を叩き込んだら私の右腕として活躍してくれるようになった。もう1人はエルフで十二座を務めていたことのあるフレイム。国に仕えていたというだけあって最低限の用語は理解してくれる。
そして最後はリアル。彼女はまぁ一言で言うならば完璧だ。もちろんお姉ちゃんや私と比べたら少しだけ劣るが、それ以外が相手ならばリアルの方が上だろう。それこそリアルと同じレベルで政治が出来る存在なんて大陸を探しても滅多にいないと断言できる。さすがお姉ちゃんが設計したデザイナーベビーと評価すべきだ。しかし能力は高いがやる気が一切ない。そのため頼ることはできないだろう。
だからこそ私が政治の相談をするならば3名だ。少なくともベックと政治の話をすることはない。
「モモ。政治の話をするのだろうけど……リアルじゃなくて僕でいいのかい?」
そうしてカミーラがベックに呼ばれてやってきた。
彼の発言はもっともだ。もしも私が壁打ちとして相談するならリアルだ。リアルが一番適任だし、最近はリアルと話すことも多かった。だけど今回に関しては壁打ちではない。既に結論が決まっている。政治の相談をしたいわけではないのだ。
「うん。あの子は賢いし、話すまでもなく自分のすることを分かってるからね」
「なるほど」
私は既にヤミ国を落とすと決めている。しかし今回の戦争はいつもとわけが違う。単純に武力でゴリ押しすればいいというわけではない。恐らくルカとお姉ちゃんを引き入れた方が勝つゲームになると見ている。
そして今回は恐らくお姉ちゃんは中立になる。そうなればルカの機嫌取りの上手さを競うものになる。少なくとも私はそう読んでいる。
「ねぇカミーラ。ヤミ国って信用していい国だと思う?」
そんなルカを引き入れるのに一番合理的なのは恋人であるカミーラをこちらに引き込んでしまうこと。それも洗脳や脅迫の類ではなく、きちんと理念に賛同させた上でヤミ国と敵対させる。それが必要不可欠。だからこそカミーラに疑念の種を植え付ける。もしルカが寝返らないとしても迷いを生むことになる。それだけで充分だ。
「そうだね。メイは仲間だったし、僕は信用してるけど……」
「ねぇカミーラ。メイ第二王女様の描く未来は人類にとって良い未来……というより正しい未来なのかな?」
私は人殺しが好きではない。なるべく人殺しは避けるべきだと思っている。ベックは強硬派だから武力解決を好むが、私はそれを好まない。人を殺さなくても済む問題でも人を殺すようになれば未来はない。殺しが当然のように解決の手段として存在する在り方を私含めて多くの人は受け付けない。
「彼女は異端審問という形で自分の考えに賛同しない人を殺して回ってる。人殺しを手段として持ってる人が導く世界が良いようになるとは思えない」
「……」
だからこそ異端審問を糾弾する。ヤミ国の行ってきた異端審問を火種とする。ヤミ国は対話で解決できる問題を暴力で解決してきた国というレッテルを貼る。そうなれば大義名分はこちらにある。
「もちろん一度話し合うし、向こうの意見も聞く。でも私は人殺しを認めない。話し合いが穏便に転ぶとは思わないでほしい」
恐らくヤミ国は現実論で返すだろう。しかし現実論が支持を集めるかどうかは別の話だ。幸いにも私は殺しという手段はなるべく避けてきた。そんな私が言う"暴力で解決は間違ってる"という言葉は説得力を持つだろう。
人は論理だけでは動かない。大多数が殺人には少なからず抵抗を覚える。だからこそ非殺主義は感情論として一番強い。その正義を訴える相手に一方的に攻撃を仕掛けようとするならば刃が鈍る。
しかし私が一方的にヤミ国を攻めようものならば相手の刃が鈍らない。だからこそ裁判を起こして、これから起こる戦争は仕方ないと説明し、賛同を得た上で仕掛けなければならない。そうでなければ仕留め切れない。
私はどうしようもなくヤミ国のメイ第二王女を殺したい。だけど私も子どもじゃない。直接的に殺すのが困難なことくらい理解している。きちんと外堀を埋めていこう。ヤミ国は異端審問と称して人殺しをしている。それは否定しなければならないものという意識を植え付ける。裁判を通してヤミ国の在り方は正しくないと叩き込む。
大勢がヤミ国を悪と認定する。裁判を開いた上でヤミ国の行為を国際犯罪として扱わせて殺す。私は裁判でヤミ国を殺す。
「私は異端審問なんて開いて……弱者の声をなかったことにしたのが正しかったなんて言わせたくない」
「そうだね」
「カミーラ……もしも私がヤミ国と敵対した時は力を貸してね?」
「考えておくよ」
今回の戦争の軸は決まった。異端審問という行為で弱者の声をもみ消すことを許せない。そのフレーズを軸にヤミ国を攻めよう。
だってその正義が一番共感されやすそうだからね。
私は静かに戦争の準備を進めていく。戦争を仕掛ける大義名分を用意していく。
必要なのは大義名分だけだ。大義名分さえ用意してしまえば私が魔王として暴れるだけでいいのだから。