俺は魔の森に来ていた。魔の森は凶悪な獣が多く生息しており、ヤミ国の中でもきっての危険区域だ。
身体が少しだけ恐怖で震える。戦いの怖さが肉体にこびりついている。息が荒くなる。ガインの血の温度、ドールズから零れたオイルの匂いが鮮明に思い出される。指先は氷のように冷えていく。まるで自分の体が自分のものではないような、錯覚にすら陥る。
カサカサと音がする。手足を生やした木が俺の前に現れる。その木は俺の命を奪わんとばかりに飛びかかる。
目の前の脅威を前にして、左目を斬られた瞬間の熱さと腕が折れた時の感触を肉体が再現する。身体が恐怖で硬直していく。そうなることは理解していた。俺はアレックスに怖さを覚えた。その怖さを乗り越えなければ、俺は戦えない。
この呪いと向き合うために危険地域に足を運んだ。刻まれた暴力に打ち勝たなければならない。そうでなければルカと並ぶこともメイの下で働くことも許されない。
「カオリ……」
ルカが不安そうに声をかける。万が一に備えてルカに付き添いを頼んだ。しかしルカが手を出すことはない。そうするようにお願いした。これは俺の問題だ。俺の戦いだ。
静かに深呼吸する。震える手で背中に背負ったロストベリーの持ち手を握る。その瞬間に震えが止まった。今までの恐怖が消えていく。
『怖がらないで。私が貴方を勝たせますから』
そんな声が聞こえた気がした。妙な安心感があった。俺はロストベリーを固定具から外す。その瞬間に不安も恐怖も嘘のように消えていく。腕にロストベリーのどっしりとした重さがのしかかる。その重さを感じて思考が切り替わる。
一歩だけ足を前に出す。もう身体の震えもない。静かに敵と距離を詰めていく。不思議と心は落ち着いていた。
木の怪物がにやりと笑ったような気がした。それと同時にロストベリーを横に振るう。その一撃は跡形もなく木の怪物を粉砕した。勝負は呆気なくついた。たった一振りで全てが終わった。
「大丈夫だ。俺は戦える」
◆
「はいはいー。そろそろ定期報告会しますよー」
森から帰ったのは夜明け頃だった。俺達はそのまま教会に向かい、異端審問官の定期報告会に参加していた。当然ながら定期報告会を仕切るのはメイだ。
そんな中でルカは俺の無理に付き合わせ、夜更かしさせた疲れからか欠伸をこぼす。
「それでは眠そうなルカさん。魔王調査の報告もお願いします」
メイに指名されたルカが軽く伸びをする。俺はそんな光景を見て、少しだけ罪悪感を覚えた。そしてルカは眠い目をこすりながら報告していく。
「特にそれといったことはありませんでした。ただ強いて報告するなら魔族に先に手を出したのはどうもエルフ側ってことくらいですかね」
「なるほど」
「まぁようするにいつも通りただの魔族とエルフの小競り合い。気にするようなことでもありませんよ。普通なら」
「普通じゃないんですね?」
「はい。三の座をリーダーとして構成されたエルフ300名の精鋭部隊が1人の幼女に壊滅させられています。その幼女が魔王と勘違いされただけですよ」
その場にいる何名かが首を傾げる。今の話が本当ならば魔王の可能性を考慮すべきほどの実力だ。それなのにルカは魔王であるという判断を否定した。その意味が分からなかったのだ。
「そこまで強いくせに、魔王というのは勘違いで一般人だったで済ます理由がわかんねぇな」
たしかにフォー四席の言うとおりだ。十二座を含む300もの兵を単身で片付けた。その事実が変わることはない。それほどのことが出来る幼女を一般人として扱うというのは無理がある。それこそ魔王と評するに相応しい被害を出しているのだ。
「強さはともかくとして、本物の魔王じゃないんだよ。なんていうか魔王はもっとクズなの」
「どういうことだ?」
「あれは軍事的な動きなんてしないし、自分が気持ち良くなることしか考えてない。もう戦略性がある時点で魔王じゃない。論外」
ルカの言い方は魔王を直接見てきたかのような言い方だ。そもそも魔王なんて何千年前に現れた存在のはず。それなのにどうしてそんな言い方が出来るのだろうか。
「……なるほど。ルカがそう言うならば魔王復活はほぼ0でしょうね。少なくとも御伽話に出てくる魔王ウシカゲの復活ではないとみていいでしょう」
「うん。私の印象としても魔王復活というより二代目魔王みたいな感じかな。少なくとも絶対に殺さなきゃいけないって存在でもないと思うよ。少なくとも私はあれを魔王と呼ぶことはないかな」
「……つまり話し合いで解決するってことでいいのかな?」
トト二席の言葉で場が静まり返った。先ほどまでの空気が嘘のように緊迫したものとなる。
「エルフが魔族の村を1つ焼いた。そして現場に訪れた魔王が
アリシア先輩が報告書に目を通しながら、現状について話していく。まるで認識の擦り合わせでも行うかのように。
「つまり自身の復活の報を伝える人を残すくらいの知恵があるのでは?」
「アリシアはなにが言いたいんにゃ?」
「そこまでの知恵が回る相手は敵に回れば厄介。先手を取ることも視野に入れるべきでは?」
たしかに彼女の言うことも一理ある。だがメイやルカがそのことに気づいていないとも思えない。
「肝心な部分を聞いていない。魔王はどのような姿をしている?」
骸骨の仮面で顔を隠した男。ピエロ六席が静かに口を開いた。
たしかにそれは俺も気になっていた。それこそ屈強な男の姿をしているのか、はたまた人外なのか。そういった魔王の外見に全く触れられていないのだ。
「白髪の黒い目をしたメイ第二王女様と同じ年齢くらいの女児。真っ赤な剣を使うらしいよ」
「つまり幼女……」
「そういう種族でしょう。間違いなく長命種かと」
全員が静まり返る。皆がこの後の展開について考えている。異端審問官は戦いの最前線。魔王への対応によって自分たちの動きが変わってくる。だからこそ誰よりも魔王に対して過敏に反応している。俺達は異端審問官であると同時に兵士でもあるのだ。
「もし魔王が話が通じるにゃらば我らが魔族と同盟を結び、これを機にエルフを滅ぼすのが良いんじゃにゃいか?」
イタチ三席がいつもの口調で怖いことを言う。全員が分かってはいたが、口に出さなかったことを彼が口に出したのだ。ここまでの話を聞いて誰もが思っていたはずだ。話が通じるならば戦わない道もあるし、利用することも出来ると。
「……ルカさんはどう思います?」
「私の知る魔王じゃないし、どうでもいいですかね。少なくとも相手がウシカゲじゃないなら興味ありませんから」
「僕は反対。僕たちはまだ魔族について知らなすぎる。あまりにリスキーだよ」
「まぁ同盟はリスキーという点だけはピエロに同意しときます。魔王は仇討ちって言ってるみたいだけど魔族からの共感を集めるためのアピールで実際はただ全てぶっ壊したいだけの過激思考の可能性もあるかもしれませんからね」
「そういうことは議会の方で決めますので、異端審問会に採決権はないんですが……それ分かってます?」
メイはそう言って場を収める。しかし異端審問官の言葉は少なからず議会に影響するはずだ。なにせ現場で動くのは確実に異端審問官となる。そのため当然ながら議会も無視することはできない。それもメイは理解している。
「そうですね」
「しかし私も概ね同意見とは言っておきます。少なくとも魔王の人柄が掴めるまではヤミ国としては静観を貫くように進言するつもりです」
魔王との外交問題。ファンタジー世界でありえそうでありえない展開だ。本来ならば魔王が人類との共存を考えており、話が通じるまでは百歩譲ってあったとしても、その魔王と対話の意思を国家が見せるという話は創作でも聞いたこともない。それほどまでに魔王という言葉は威圧的であり、このように話が進んでいるのが異常だ。
そんな中でルカがぼそっと言葉を漏らした。
「ていうか結局のところどう動くかなんて聖女ルイス次第でしょ」
「なんで聖女ルイスの名前がそこで出てくるんです?」
真剣な会議の中。俺は思わず割って入ってしまう。異端審問会でもない俺が口を挟んだことで視線が集まる。聖女ルイスは異世界人の俺ですら名前を何度も聞くほどの有名人。だが聖女ルイスはヤミ国の人間ではなく、エルフだ。つまるところ異国に国籍を持つ彼女が政治に介入してくるというのがあまりに不可解なのだ。
そんな俺の疑問にお人好しのメイがやれやれと呆れつつ、会議を中断して説明してくれる。俺は罪悪感を覚えつつ、メイの講義に耳を傾けた。
「カオリは3214ってご存知ですか?」
「なんの数字ですか?」
「流通資産の保持比です。ヤミ国が3でエルフが2の魔族が1。そして残りの4が聖女ルイス個人の資産とされています」
「……え?」
「基本的にエルフは我が国より倍近くの資産がありますが、聖女ルイスがいてこそのもの。それほどまでに経済を支配しているということは、当然ながら我が国も彼女と交易関係が少なからずあることは想像が出来ますよね?」
「なるほど」
メイの説明で理解する。もしも彼女の不興を買えば輸入も輸出も止まるだろう。そうなればヤミ国も大きなダメージを受けてしまう。だから聖女ルイスの言葉は他国の政治を動かすほどに重い。もはや規模が商人という枠で収まりきらない。聖女ルイスというのは国家に近い存在なのだ。それこそ個人で経済報復が可能な存在。それが聖女なのだ。
「さて少し脱線してしまいましたが、次の議題にいきましょうか」
「はいはい」
「次は元・勇者フウガを拉致し、Sランク相当の人物3名を殺害。そしてカオリに重傷を負わせたアレックスへの対応についてです」
アレックス。その名前を聞いて自然と握り拳をつくってしまう。俺がもっとも因縁を感じている相手。そして俺が倒さなければならない敵の名だ。
そんな彼の名前で感情を表に出したのは俺だけじゃなかった。不思議なことにアリシア先輩も執念に近い感情を見せていた。
隣でアリシア先輩の圧を感じ取ったフォー先輩が"怖いねぇ"と言いながら肩を大げさに振るわせる。しかし異端審問官でアレックスの話が出るとは予想もしていなかった。俺はその事実にも少しだけ驚いていた。
「そもそも国民の拉致って明確な犯罪行為ですし、正規軍を動かした方がよくありませんか? 明らかな犯罪行為まで私たちが動いたら軍はなんのためにいるのかって話になりますよ」
ルカの言う通りなのだ。これは異端審問官が動く必要のある事案じゃない。このような明確な犯罪まで手を出せば、軍の示しがつかなくなる。だからこそ異端審問官は関与しないと踏んでいたのだ。
「僕もルカの言うことに同意見かな。アレックスが強いのは分かるけど、これは教会じゃなくて政府が解決しなきゃならない事件だと思うね」
「アレックス以外が相手でしたらそうしますよ。ただ皆様もアリシアさんの事情は知っているでしょう?」
「まぁわかるけどさぁ……」
「異端審問官として働く代わりにアレックスの情報を真っ先に共有する。そういう契約ですからね」
アリシア先輩の方に目を向ける。彼女は覚悟を決めたような目をしていた。アレックスとアリシア先輩の関係を俺は知らない。だからこそなにも言えないし、なにかを言う気もない。そして詮索するつもりもない。
「そのため今回は元・勇者フウガ拉致を明確な異端行為と認定し、異端審問官として刑の執行のためにアリシア五席を派遣します。それでよろしいですか?」
「待ってくれ」
俺は手を挙げる。全員の視線が俺に集まる。俺は見学の身であり、発言権がないことも理解している。それでも口を挟まずにはいられなかった。
「アレックス討伐。俺も混ぜてくれないか?」
「それはできません」
「しかし!」
「今のカオリでは力が足りていない。もう少し力をつけてからでないと無駄に死ぬだけ。少なくともロストベリーを使いこなせるようになってから意見しなさい」
「……わかりました」
悔しさで下唇を噛む。メイの言ってることは正しい。俺はアレックスを倒したいと思った。でも感情だけで物事は決められない。弱ければチャンスすら回ってこないのだ。ここは俺の出る幕じゃない。その現実が重くのしかかる。
「さてと。次は……」
それからメイからいくつかの事案の報告が上がった。ただどれも俺が知らない事件であり、俺の意見が求められることはなかった。あくまで雰囲気に慣れるためにいましょうねといった感じだった。後半は悔しさでほとんどが耳に入ってなかった。
俺はアレックスに対して落とし前をつけさせる機会すら奪われたのだ。
「少し長くなってしまいましたが、解散としましょう。もし個人的な意見や相談事があるようでしたら、私が聞きますのでお申し付けください」
長い会議が終わり、この場はお開きになる。そんな中でアリシア先輩だけは硬い表情のまま部屋を後にしていった。
「まぁ仕方ないでしょ。アレックスに色々と抱えてるのはカオリだけじゃないんだしさ」
「そうだけど……」
「とりあえず今は静かに準備しておきなよ。アリシアちゃんは多分失敗するから」
「え?」
「まぁ私の予想だけどね。ただ諦めるにはまだ早いってことだよ」
そんな話をしてるとメイが俺達の下にやってくる。俺達は互いに責任を押し付けるかのように顔を見合わせる。やはり定期報告会というのに眠そうな態度をするのが問題だった。ルカがそんな態度をするから俺まで火の粉が飛んできたのだ。
それに対してルカが眠いのは俺のせいだと視線で反論してくる。
「ルカ。少しよろしいですか?」
「その……眠いのはカオリのせいといいますか……」
「な!?」
「心底どうでもいいです。興味ありませんから」
「あ、そうですか……」
責任の押し付け合いは結局メイが関心を持たなかったため、完全に茶番となった。しかし態度を問題視していないというのならば、話とはなんなのだろうか。
「それでなんの話ですか?」
「実は個人的にカオリを一週間ほどお借りしたいので、保護者にその許可をいただければと思いまして……」
「俺の話? ていうか保護者って誰?」
「ルカですよ」
ルカが腹を抱えて笑い転げる。本当に失礼なやつだなと思い、軽く蹴る。しかしルカの硬い肉体の前で蹴りは無力。衝撃がそのまま返ってきて足を痛める結果で終わった。
「まぁ私は子供の自由意志に委ねる教育方針ですから、カオリ次第ですね」
「俺を子供扱いするな」
年齢的な意味で子供扱いするなという意味ではない。単純に実の子のように扱うなという意味の子供扱いだ。俺はルカの子供と思われるほどルカに依存していないし、そういう関係と思われたくもない。
「ただ1週間もの間、なにをさせるつもりですか?」
「少しだけ軍に入っていただきたいのです。一度カオリを鍛え直そうかと思いまして……」
「軍!?」
「はい。もっとも体験入隊という形にしますので、正式に軍人として扱うわけじゃありませんけどね」
それにしても軍に配属か。メイにはロストベリーの貸しもあるし、変な真似はしないという信頼もある。だから断る理由はない。
だが当然ながら不安にもなってくる。それこそ軍に配属ということは戦線で戦えという意図を感じてしまう。まるで自分が便利な道具として……捨て駒として運用されるのではないかという不安。もちろんメイがそんなことはしないというのは分かってるのだが、その不安は拭いきれない。
「今のカオリに軍で学べる事があるとは私は思いませんけどね」
「私がカオリに学ばせたいことがありますから」
「ふーん」
「それにカオリは殺されかけました。それを引きずって対人戦がトラウマにならないようにケアをする必要もあるでしょう」
メイが俺に配慮を見せた。俺は獣を相手にする分には問題なく武器を振るえた。しかし人が相手というのは少しだけ不安が残る。誰かに殺意を向けられれば、殺されかけた恐怖がフラッシュバックして満足に戦えないのではないかという不安。
当然ながら軍への配属なんて進んで引き受けたいと思うものでもない。だがメイの言い分は正しいし、俺に必要なものだ。断る方が非合理だ。しかし……
「それと軍での稽古が終わりましたら私の方からカオリを異端審問官として推薦し、認定試験の受験資格を与えます」
「な!?」
「当然でしょう。今のカオリの実力でしたら異端審問官として充分に通用します」
目標としていた異端審問官。そこに辿り着くための明確な道が示された。軍で少しの稽古を終え、試験に合格さえしてしまえば晴れて異端審問官。その餌に迷いも不安も全てが吹き飛ぶ。
俺は晴れてルカと並べる。ルカと対等な存在になれるのだ。
「それでもまだ不服ですか?」
「いいえ。受けさせてください! 俺は軍に入り、成果を挙げます!」
「はい。もちろんです」
そうして俺は軍に体験入隊することが決まった。しかしルカだけはその決定を冷ややかな目で見ていた。俺はそのルカの視線に気づけなかった。