彼らから気色の悪い笑いが消える。メイの登場で空気が一気に張り詰める。彼女の存在で場が一気に凍りついた。
メイは冷めた視線を3人に送る。その視線に怒りの熱はない。ただ数を数えてるだけのような熱のない視線。
「メ、メイ第二王女様……どうしてここに!?」
「それでなんでしたっけ。私がどうとかこうとか言ってましたね」
「それはその言葉の綾でして……」
上官の態度が一変していく。先ほどまでの余裕もなくなり、顔色は一気に青ざめている。それに対してメイは対照的に笑顔を浮かべている。その笑みはまるで強引に貼り付けたような笑み。それこそ作り物の笑みだった。
「しかし火炙りに遭うとは予想外。まぁどうせ死なないですし痛覚もないので、どうでもいいんですけどね」
「あ、あの……」
「それでどのような理由で私を焼いたのですか?」
メイが言葉で静かに詰めていく。脳が混乱する。状況の理解が追いつかなくなる。そもそもメイはどうしてここにいる。それに焼かれたベルはどうなったのだ。なんでこのようなことになってるのか。最初から見ていたはずなのになにも分からない。
「ば、ばけも……」
「失敬な。変化のスキルで犬になっていただけですよ」
メイは気怠そうに上官の方を見る。そんなやり取りをしてる中でどこからともなく1人のメイドさんが現れ、メイに高そうな装飾がなされた短剣を手渡す。メイは軽くお礼を言って短剣を受け取る。そして短剣を抜き、その短剣で手遊びを始める。
「そんなことよりはやく答えてください。どのような意図があって第二王女である私に火を放ったのですか?」
「た、ただ小汚い犬だと……」
「私が小汚いと?」
「ひっ!」
静かに一歩距離を詰めていく。上官はメイの圧に圧倒されて、動くことすらできない。この場にいる全員が満足に呼吸すら出来ない。もちろん俺も例外ではない。迂闊なことをすれば殺される。そんな恐怖が心を塗りつぶしていた。
「過失であれ故意であれ、王族である私を火炙りにして殺そうとした。その責任は取らないといけませんよね?」
「で、ですが……」
「それとカオリにやっているのはパワハラ。当然ながら論外です」
「メイ第二王女様。あれは躾の一環でございまして……その……」
俺はメイのことをなにも理解していないのだと思い知らされた。メイは化け物だ。あれは最初から人の物差しで測っていいような存在じゃない。理解しようと思って理解出来るようなものでもない。あれだけはルールが違う。生きてる世界も見てる世界も根本から違うのだ。
「躾ですか。それなら私が正しいやり方を教えましょうか?」
「そ、それはぜひ……」
「躾というのはこうやるんですよ」
次の瞬間。メイの腕がなにかを突き刺すように動いた。そこには敵意もなければ殺意もない。ただ手が動いただけ。わざわざ気にも留めない挙動だった。
それと同時に上官の腹から血が溢れ、そのまま後ろにばたりと倒れる。彼の腹にはメイが先ほどまで持っていた短剣が突き刺さっていた。
「躾に必要なのは恐怖。躾というのにカオリは貴方に微塵も恐怖を覚えていませんよ」
メイは静かに倒れている上官に視線を向ける。彼は目の焦点があっておらず、手足をパタパタと痙攣させていた。そんな上官をメイは踏みつけ、そっと短剣を抜く。抜いた先から血が溢れ出ていく。
「新人に雑用を押し付け、挙句の果てに虐め行為。そんなことする人物はここにはいりませんと前に私は言いましたよね?」
「あ……あ……」
「恐怖がわからないような人はなにをしてもダメ。当然ですけど殺処分が合理的ですよね。だからこうなるんです」
短剣を振って、血を軽く飛ばす。それから短剣を鞘にしまって俺達の方に視線を向ける。メイは既に上官から興味を無くしていた。
「ごめんなさいの一言も言えない社会性の欠如。さらに不敬罪に当たる発言、カオリに対する不当な扱い。数分でスリーアウトもするような無能はこの国には必要ありませんし……なにより王族である私に火を放って無罪放免は示しがつきません」
上官が苦しそうに呻きながら地面に転がる。今度は口から血を吐き、そのまま泡を吹きだす。さらに目からは血涙が流れ、あまりに痛々しくとても見れたものではなかった。
「ご安心ください。毒が塗ってありますので死に損なうことはありません」
「うぃぎゃあああああああああ!」
上官が発狂したように甲高い叫び声をあげた後に跳ねた。それを見ながらメイがクスクスと悪趣味に笑った。
「もっともヤツバリスコーピオンの毒ですけどね」
上官の肉が溶けていく。この世のものとは思えない絶叫が周囲に響きわたる。その悲鳴を聞きつけて人が集まり、目の前の光景に息を飲んでいく。
ヤツバリスコーピオンは少し前にルカから聞いたことがある。西の方に生息する尾が8つもある蠍に一種。その尾の先端には当然ながら毒針があり、その毒を受ければ数秒痙攣した後に、全身から血が噴き出た後に体内から肉が溶け、内臓が剥き出しとなる。しかも性質の悪いことに、原因は不明だが、そのような状態で数十分ほど意識は持つらしい。
あまりに非人道的で外道しか手を出さないほどに悪趣味な毒。それがメイの使った毒だ。
「さてと。前座のお遊びはここまでにして本題といきましょうか」
メイが先ほどまで上官と仲良くしていた2人に距離を詰めていく。2人は恐怖で足が動かない。逃げることすらも許されない。メイの視線がそれを許さなかった。
「あなた。わざわざ私がこのような場所に顔を出した理由はわかりますか?」
「ど、どうか……命だけは……」
「命乞いは聞いていません。私が顔を出した理由を考えてくださいと言ってるのです」
「わ、わかりません……」
「正解はゴミ掃除ですよ。職場環境が悪いという声を頻繁に聞くようになったので」
メイは俺の方に視線を向けた。その視線は俺に普段向けるような視線とは違う。人を品定めするかのような視線。彼女と目が合うだけでドクンと心臓の音が大きくなる。もしも不興を買えば俺も同じようになってしまう。そんな漠然とした恐怖があった。
「カオリ。あんなのを軍として置いておけば国として品性が問われることになりかねませんので殺処分お願いしますね」
「……え?」
メイが指差した2人は俺を小馬鹿にするようにニヤニヤと見ていたやつら。俺がぶん殴ろうとしてた連中だ。
「聞こえませんでしたか?」
メイは王族だ。気分次第で人を殺そうが罪には問われない。不快であれば理屈など無視して容赦無く最も嫌な方法で殺す。そういうことをする人種だという現実を叩きつけられる。メイは決して聖人君子なんかでもなければ、正義の味方でもない。それを改めて思い知らされた。
「しか……」
殺せ。言われずともそうするつもりだった。少なくとも俺はそのレベルで激怒していた。しかしいざ殺すとなった途端に手が震える。メイの一連の言動で冷静になってしまった。そのせいで熱も冷めた。今はただただ殺すことが怖い。やれと言われたことでしようとしていたことの重さを理解させられる。
「はやく叩き潰しなさい。第二王女である私の命令を無視するのですか?」
「ま、待ってくだ……」
メイの笑顔が崩れない。メイは子供に諭すように俺に言葉を投げかける。
「異端審問官になりたいんですよね?」
「だけど……」
「異端審問官は異端者を殺す仕事。異端審問官は正義を執行する職業ではなく、善悪問わずボウショク教の教えに背くもの殺す仕事。人を殺したくないというのは大変結構ですが、そんな人に任せられる仕事ではないことはお分かりですよね?」
「そうだけど……」
「異端審問官は法や正義よりも秩序を守るための存在。その秩序を維持するためならば、無罪の人間を殺すことだってあります。その意味を今一度考えてください」
嫌な想像が過ぎる。メイがこういう事態になることを想定出来ないわけがない。そしてメイの台本でも用意していたかのような立ち回り。それこそまるで俺に殺人を体験させるためだけに軍に入れたのではないかと。
俺はそれを否定してほしく、メイに言葉を漏らす。しかしそんな期待は裏切られる。
「まさか。最初から……」
「さすがカオリ。理解が早くて助かります」
こうなることまでメイは見通していたのだ。俺がまともに訓練を受けないことも軽い嫌がらせを受けることも全て理解していた。訓練などメイは最初から期待していない。
俺に人殺しを体験させるためだけにここに呼んだ。その事実に今となって気づく。嫌な上官や軍人の風上にも置けないようなクズがいることをメイは知った上で俺を軍に配属した。
「最初から甘いんですよ。カオリは異端審問官になりたいという割には、その仕事の意味を考えたこともない」
「それは……」
「ルカと一緒に働きたい。それはそうですよね。環境が変わらないっていうのは楽ですから。自分から能動的に動こうとせずに常に受動的。自分の欲がない空っぽだから現状維持にしか関心が持てない。だから異端審問官を目指しました……そういう話なのでしょう?」
メイが俺の罪を暴くかのように言葉を並べていく。俺の本心を見透かしたかのように言葉で詰めていく。まるで今まで抱えていた不満をぶつけるかのように。メイは俺が今まで目を背けていた部分を直視させてくる。
返す言葉が出てこない。メイの言うことは全て正論だった。俺が自分自身ですら理解できない心の奥底を的確に言い当てた。結局のところ俺は怖かったのだ。異端審問官を目指した理由もルカから離れて、1人になるのが怖かった。今の環境が壊れてしまうのが怖かった。だから異端審問官を目指した。
「社会的な地位がある。憎い異教徒を殺せる。世界を良くすることが出来る……だから異端審問官になりたい。カオリにはそういう能動性が欠けている」
「そうかもしれない……でも……」
「まぁ成果さえ出せば志望動機なんてどうでもいいんですけどね」」
メイの腰から巨大な触手が生える。内臓のように赤く、形状は蛸足のような触手。それが静かに逃げようとした2人の男を触手で絡め取るように拘束していく。メイは視線を俺から拘束していた男に逸らしていく。
「異端審問官は人を殺す悪です。受動型のカオリは悪に染まる覚悟はありますか?」
メイは触手で男達を自分の元に寄せて、その恐怖を味わうかのように頬を撫でる。その度に男たちが目に涙を浮かべる。
「その舐めた態度で仕事が出来ることを証明しなさい。それ以上は望みなさい」
俺に向けて鋭い言葉が放たれた。メイが俺の在り方を問いている。俺の価値を見定めている。メイに自分の本心が言い当てられるのが怖い。目を背けていた現実を直視するのが怖い。
「初めての殺人が外道なのは私なりの配慮です」
「俺は……」
「これは第二王女としての命令です。それを無視されたら部下すら従わせられない第二王女様と私が笑われてしまいます」
「しかし……」
「私に恥をかかせないでくださいね」
違う。そこまでやるつもりじゃなかった。殺しがこんなに重いものだと思ってなかった。ここまで重いものと知っていたら俺はあんなことしなかった。あんな殺意など抱かなかった。
いや……そんなのは言い訳だ。俺が愚かだからこうなった。これはただそれだけの話だ。俺があまりに浅はかだった。
「た、助けてくれ……なぁ今までのこと謝るからさ」
メイが触手から男達を解放し、俺の足元に縋るようにやってくる。震える声で必死に命乞いをする。
そんな彼らを見てると手が震える。彼らを殺さなければならない。彼らを殺し、俺は異端審問官でもやっていけるとメイに証明しなければならない。
怖い。人を殺すのが怖い。命を奪うのが怖い。悪に染まるのが怖い。
「はやく"ざまぁ"しましょうよ」
そんな震える手をメイがそっと握り、耳元で悪魔のように囁く。はやく殺せと言っている。殺すのは悪いことじゃないと囁きかけてくる。
殺したくない。だけど殺さないという選択肢はなかった。メイの冷たい目が俺を射抜く。その目に、逃げ出せないことを悟る。俺はここで覚悟を示さねばならない。俺は異端審問官になりたい。ここで終わりたくない。俺はメイやルカと働きたい。
メイは静かに俺を見ている。俺の決断を待っている。
そもそも彼らは第二王女である私に火を放った。王族は国の象徴であり、それに危害を加えたというのは国家への攻撃だ。正式な手続きを踏んだとしても、極刑は免れない。知らなかったや気づかなかったでは済まされる範囲を超えている。
俺が殺さなくとも彼らは死ぬ。俺がなにもしなくとも結果が変わることはない。そんなことは分かってる。これは仕方ないことだ。
「カオリ」
メイが俺の名前を呼ぶ。色々な思考が巡る。
彼らを殺さなかったら、きっとメイは失望する。もう二度とメイと関わることはないだろうだろう。そうなれば必然的にルカとの関係も終わる。俺はただの一市民に戻る。何者でもない存在になる。王都のどこかで普通に働いて、普通に暮らして、普通に終わる。なんの変哲もない普通の人生だ。
――それは嫌だ。
普通で終わりたくない。何者かになりたい。異端審問官になりたい。異端審問官になってルカと対等になりたい。そして自分で自分を認められるようになりたい。
俺は異端審問官になる。今までなにも出来なかった自分と決別したい。俺は変わりたい。俺は異端審問官になって、自分を肯定したい! そのためならなんだってやってやる!
「うわあああああああああああああ!」
自分の感情を誤魔化すために雄叫びを上げて、ロストベリーを振り落とす。ぐちゃりとトマトみたいに人の頭が吹き飛ぶ。ぬるい返り血が頬に跳ねる。
原型がわからなくなるまで何度も叩く。死体を見るのが怖かった。殺したという事実を受け止めたくなかった。だから死体じゃなくて肉塊だと思えるようになるまで叩いた。
「はぁ……はぁ……」
「もう1人も残ってますよ?」
「え?」
「ほら頑張ってください」
残った男が顔を泣き腫らしながら俺を縋るように見てくる。俺は心を殺して彼にも同様にロストベリーを振り下ろした。生暖かくて、不快な返り血が頬に跳ねる。肉塊となった死体を見て目眩がしてくる。そんな俺をメイが優しく抱き寄せ、耳元で囁く。
「百点満点。完璧ですよ」
「ははっ……」
「その能動性。忘れないでくださいね」
俺は人を殺してしまった。その事実に手が震える。自分がなにをしてるのかすら分からなくなってくる。断末魔が耳にこびりついている。俺は人を殺したのだ。人を殺してしまったのだ。
ああ。これで俺は変われたのだろうか。
「よくできました。これから訓練に戻りたければ戻っていいですし、サボっても結構。もうカオリが軍で得られるものはありませんので、私としてはサボって別の時間を有効活用した方が良いと思います」
「あ、あの……」
「安心してください。死体はこちらの方で片づけるように手配しておきますから」
その光景にメイは満足したのか俺たちに背中を向けて戻る。俺は呆然と立ち尽くすしかなかった。俺の心はぐちゃぐちゃになった。