悪女は"正解"を咀嚼する   作:ギャン吠えチワワ

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28話 飢えた英雄

「ありがとう!!」

「お前こそが英雄だ!」

 

 ゲイジュを撃破した。狂乱した群衆の叫びが、大気を震わせて俺の鼓膜を容赦なく叩き潰す。最初は耳鳴りでこもっていた音が声へと変わっていく。そんな声が心地良いと思った。気持ちが昂ぶっていく。全身に熱を帯びていく。

 その熱が今までの人生は冷たく、乾いたものだったという事実を叩きつける。暴力的なまでの生命の躍動。その快感に胸の内側を叩かれて、空っぽだったものが一気に満たされていく。

 

「英雄!英雄!英雄!」

 

 声が響いていく。ゲイジュによって生み出された死への恐怖が反転し、その安堵が興奮を引き起こした。蓄積された不安を掻き消そうと多くの者が興奮の波に乗っていく。興奮が伝播していく。歓声は鳴り止まないどころか大きくなっていく。

 

 俺に熱狂と期待を込めた視線を向けていく。それが俺の心を揺さぶっていく。その熱に浮かされ、かつて感じたことのないくらいの高揚感に満たされる。その高揚感はやがて快感へと変わっていく。

 

「……カオリ?」

 

 メイが俺に声をかける。メイが不安そうな視線を俺に向ける。今の俺はどんな顔をしているのだろうか。そんなに不安にさせるくらい危うい顔をしているのだろうか。不幸にもこの場に鏡がないから分からない。でも今の状態は心地良い。きっと群衆は俺に英雄を重ねているのだろう。死の不安を吹き飛ばすほどの輝きを持つ英雄。圧倒的な力で理不尽を吹き飛ばす英雄。そうであると確信している視線だ。

 

「メイ。俺は英雄になりたい」

 

 ふと言葉が漏れた。

 

 きっと俺は今日のことを忘れられない。この快楽を知ってしまった。俺は快楽から逃れられない。満たされたからこそ飢えが生まれる。俺は飢えを満たすため、英雄にならなければならない。そうでなければ耐えられない。俺はこの熱を覚えてしまったのだ。この熱を知らない今までの俺には戻れない。

 

「――そうならなければ生きられない」

「は?」

 

 メイが言葉を漏らす。まるで理解できないとでも言いたげな声だ。理解なんて求めてはいない。俺の魂がそれを求めている。だから俺は止まれないのだ。ただ呼吸をし、食事をし、明日を迎えるのは死んでるのと同じだ。先ほどまでの俺は死んでいた。もっと言うならば、産まれてすらいなかった。

 

 今日が俺の誕生日だ。俺はようやく世界に産声を上げたのだ。

 

「カオリ。貴方は――」

 

 熱に浮かされた今の俺にメイの言葉は届かない。今はただ心地良い。この快楽に酔い痴れたい。今ならシシャード子爵の言っていた言葉の意味が分かる。あの時の俺は生物として欠落していた。だからこそ空気でしかなかった。見る価値すらなかった。あんな生き方をしてるやつはつまらない。

 

 現状に満足した、つまらない獣。未来を腐らせた豚。取るに足らない存在。聖女の弟として、あまりに格が足りていなかった。

 

「ああ……これだよ。これだ!」

 

 植え付けられた正しさを信仰する間抜け。自分の意思の欠けた弱者。力の振るい方も理解していない子ども。そんなやり方ではいつまで経とうが聖女ルイスのオマケとしか見られない。きっとシシャード子爵はそう言いたかったのだろう。

 

 そりゃ当然だ。あの立ち回りじゃ俺の不快は消えない。聖女の弟としか見られない。聖女に比べて俺の生き方はあまりにつまらない。あんなので輝けるわけがない。あれでは何千年経とうが俺は取るに足らない存在。だから聖女の弟としか見られない。見る価値すらない。聖女の弟を脱却したければ、相応の輝きを見せなければならない。俺を見ろと言わんばかりの輝きが必要だ。

 

「俺は聖女ルイスもルカも凌駕する英雄になる」

 

 この快感を知った後だと2人が妬ましく思える。あいつらが浴びてきた光を、俺は力ずくで奪い取り、塗り潰してやりたい。そんな渇望が湧いてくる。あいつらが浴びた称賛を食いたい。そんな暴食に等しい欲望。底なしの空腹を満たしたいという飢餓感。

 俺はここにいると魂が叫んでいる。与えられた未来なんていらない。安定した幸福も選ばない。俺は俺の欲しいもののために全てを投げ打って戦える。この快感のためになら命を賭けられる。

 

 もう勝利の美酒を知る前には戻れない。

 

* * *

 

 遠目で戦場を見てる2人がいた。1人はゲイジュの撃破を見た瞬間に、ため息を漏らした。

 

「あーあ。ゲイジュやられちゃったじゃん♡」

 

 ため息を漏らしたのは金髪碧眼(へきがん)の女児だった。容姿はこの上なく整っており、誰もが娘にしたいと思うほどに可愛らしかった。そんな女児の名は"アリス"。数少ない存命している中級悪魔にして、ゲイジュと同じ八将である。

 しかし仲間意識なんてものは持ち合わせいない。むしろ彼女はゲイジュのことを嫌悪していた。彼女の漏らしたため息も"あんな雑魚じゃやっぱり無理か"といった意味合いの方が強かった。

 

「どうでもいい。所詮は使い捨てだ」

 

 その場にいた、もう1人の男。

 彼は外套で顔を隠し、静かに現場を見ていた。そんな彼の名前はフリート。彼にとってゲイジュは駒の1つだった。ゲイジュ本人に思い入れは一切ない。ただ事の顛末を見届け、それを記録するだけ。ゲイジュという駒を失ったのは惜しいが、あの程度ならば対応されるという事実が得られただけでも収穫。それが彼の認識だった。

 

「……代わりはいくらでもいる。あれに固執する意味もない」

 

 つまるところこの場にいる2人はゲイジュ個人の損失を全く嘆いていないのだ。

 

「それもそっか。あれは頭も悪ければ弱い、なによりブサイクだもんね♡」

「……戦闘力は上澄みだ」

「しかしリアルはなにを考えてるんだろうね。こんなことしてなんの意味があるのやら♡」

 

 そんな2人は現在"リアル"という存在に仕える存在である。この事件は2人が企てたことではない。あくまでリアルの指示に従い、事件を引き起こしただけに過ぎない。2人は黒幕ではあるが、主犯ではないのだ。

 

「それに苦労して作ったデュラハン・ナイトメアやカース・ゴブリンも呆気なくやられちゃうしさ。つまんないなぁ……もっと絶望が見たいのになぁ♡」

「所詮は獣だ。最初から期待などしていない」

「あれでも小国なら1つくらいは壊滅させられるくらいの力は与えたんだけどね♡ ていうか獣なんて美化した言い方やめようよ。魔物でしょ♡」

「どうでもいい」

 「でも死人を使った以上は背後になにかいるって勘づかれたと思うな……この場で全員殺して口封じする?」

 

 アリスは恍惚とした表情で指先から糸を出し、臨戦態勢に入る。まるでこれからの惨劇に胸を躍らせるかのように。それを見てフリートは呆れた表情を見せた。まるでやりたければ勝手にやれと言わんばかりに。

 

 しかしアリスの足が止まる。彼女の瞳の先にはカオリがいた。自身で空けた穴の底に満身創痍で立ち尽くす彼。本来ならば気にも留めることがない存在。たかが人間に思うことはない。そのはずだった。

 

「ねぇフリート。あれは誰?」

「異端審問官のカオリだ」

 

 アリスは彼から目を離せない。彼の顔は悪魔であるアリスから見ても異質なもの。まるで飢えた獣であり、人がしていい表情ではない。彼の狂気にアリスは魅せられた。

 

 「ふーん。カオリ君って言うんだ……彼は良いね。強いし、顔も良い。それにあの目が好き♡」

 

 彼の表情を見て、糸を片付ける。アリスは思ったのだ。ここで殺すよりも彼の先が見たい。彼がどうなるのか見届けたいと。その期待だけで手を引くには充分過ぎるものだった。

 

「やめるのか?」

「うん。もう満足したからね。遊ぶのはまた今度」

 

 アリスはご機嫌な表情でこの場を後にする。気色の悪い笑みを浮かべながら、誰にも聞こえない声で呟いた。まるで未来に期待を馳せるかのように。

 

 「今度は私が直々に遊んであげる。楽しみにしてね。カオリ君♡」

 

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