異端審問官の総力戦が終わって数日が既に経とうとしていた。それでも総力戦の光景は今でも脳裏に焼き付いている。
観客席からカオリを見ていた。僕の知るカオリとはまるで別人だった。僕の記憶に残ってるカオリよりも何倍も強くて、何倍も格好良かった。貪欲に勝利を求めるエゴイズムと余裕すら感じさせる冷静さ。その姿勢に憧れると同時に自分が恥ずかしくなった。カオリはこんなにも進んでいるのに僕はなにをしてるのかと。
「フウガ。話ってなんや?」
僕は聖女ルイスを呼び出した。彼女にハッキリと言わなければならないことがある。この生活は理想そのものだ。衣食住に不自由もなければ、仕事も高待遇だ。このままいけば僕は幸せになれる。でも格好良くはなれない。
なによりも本当に欲しいものは手に入らない。
「――仕事。辞めます」
初めて聖女ルイスを見た時、脳に雷が落ちたかのような衝撃が走った。その日のことは昨日のように覚えてる。僕は彼女から目を離せなくなった。彼女の容姿は理想そのものだった。星屑を溶かして流したみたいな艶のある銀髪。その銀髪はまるで研ぎ澄まされた刃のような美しさを含んでいた。瞳は夕陽の欠片を閉じ込めたような黄金色。その美しさで呼吸を忘れる。彼女のためならば僕は死んでもいいと本気で思った。僕は彼女に一目惚れしたのだった。
どうしてここまで夢中になるのか理屈では説明できない。好みだったからなんて安い言葉では済まされないほどの衝撃。美という概念が上書きされていく。銀髪が好みなわけではない。人形のような可愛さが好きなわけでもない。力強い意思を感じさせる瞳に惹かれたわけではない。彼女の魂に恋をしたなんて安い言葉で片付けられない。理不尽なまでの暴力的な可愛さ。理屈での説明を許さない。それ故に再現性のない唯一無二の魅力。
彼女が僕の名前を呼ぶ。心臓がドクンと跳ねる。まるでチョコレートのような声だった。甘い声なのにどこかに苦さを感じさせるような声。きっと僕は二度と彼女のことを忘れられないだろう。
「僕は貴方のことが好きだ。だから貴方の元では働けない」
彼女の内面を知った。彼女は僕が理解できないくらい賢い。僕なんかより多くのものが見えている。しかし同時に目的のためならば平気で倫理を飛び越えられる。犠牲が出ても止まらない。自分の正義で躊躇うことなく、他人の在り方を否定出来てしまう。それが怖かった。
僕には彼女が正しいのかどうかなんて分からない。そもそも正しいかどうかなんて僕が決めることじゃない。これからの世界が決めていくことだと思う。でも彼女の在り方だけは否定しなければならないと思った。否定したいと思った。
きっと否定したいのは彼女が怖かったからだろう。聖女ルイスは僕が理解出来ない方法で人を助けてしまう。理解できないからこそ怖いし、否定すべきだと思った。僕は彼女に恐怖していたのだ。
僕は聖女ルイスが好きだ。だからこそ彼女を理解出来るようになりたい。彼女に恐怖を覚えることなく接せられるようになりたいと思った。そのためには彼女の手から離れなければならない。もっと世界を見なければならない。いつまでも安全圏にいてはいけない。そうでなければ僕は聖女ルイスをいつまでも理解できない。聖女ルイスに並べない。
だからこそ僕は成長したい。彼女を理解出来るくらいに強くなりたい。彼女に認められる存在になりたい。
「貴方には心の底から感謝してる。でも僕は貴方の庇護下に入りたくない。貴方の下じゃなくて隣に立ちたい」
そう言うとルイスは僕から興味を失ったようだった。ルイスの冷めた視線がそれを物語っていた。
「不愉快や。あんた程度にうちが釣り合うと思われたことが」
そうして僕は聖女ルイスから離れた。
◆ ◆ ◆
聖女ルイスに宣戦布告した僕は王都で途方に暮れていた。もっとも行く当てのない旅だ。とにかく色々な世界を見て、自分の世界を広げたい。そのためには足となる馬も必要だし、資金も必要だった。当然ながらそんなアテなどあるわけもなく……
「はぁ……」
溜息が漏れる。あまりに短絡的だったと後悔する。せめて彼女の元でもう少し働き、貯金が出来てから言うべきだった。自分の計画性の無さが嫌になってくる。
「また狩人になって稼ぐかなぁ……」
ぼんやりとそんなことを考える。風のスキルのおかげで余程の相手じゃなければ遅れを取ることはない。それこそ狩人の仕事をしながら旅をすればお金には困らないだろう。
しかし命の奪い合いの場に戻るのは少し抵抗があった。狩人になるということは明日には死んでいてもおかしくない。それが怖かった。
「探しましたよ。勇者フウガ様」
そんな僕に誰かが声をかけてくれる。顔を上げると、そこにはいつか見た彼女がいた。カオリと同じ異端審問官にして、僕が逆立ちしても勝てない相手。僕なんかには釣り合うことのない天の上の人。
「……アリシア五席」
「聖女ルイスに宣戦布告したと聞きました。そんな今の貴方に必要なものをお持ちしました」
そう言うと彼女は金貨の入った大袋を僕に握らせる。それを見て思わず、僕は目が点になってしまう。これだけあれば一生遊んで暮らせるほどの額だ。その額を惜しむことなくポンと出した。その現実が受け入れられない。
「私の貯金の全てです。旅の資金にでもしてください」
「いやいや、こんな大金は悪くて受け取れないよ!」
「私は勇者フウガ様に恩があります。私が貴方に施したいのです」
「……恩って僕はなにもしてないよ。ただがむしゃらに挑んで、なんの爪痕も残せずに負けただけ。あの時に助けたのはエメラルドさんだよ」
「大事なのはそこではありません。貴方様が私の代わりに怒ってくださったのが凄く嬉しかった」
少しだけ照れる。僕は自分の思ったことを口に出しただけ。褒められるようなことはなにもしていない。あんなことを言いながら僕はアレックスには手も足も出なかった。アレックスを倒したのも僕じゃない。僕はなにもしてない。なにも出来なかった。
「……僕なんて肩書きだけの勇者だ」
勇者召喚。思い返せば本当に勇者として召喚されたのはカオリだったのだろう。カオリは1人でなんでも出来る。なにをしても完璧にこなす。ああいうのが勇者なのだ。きっと僕は間違って勇者として崇められただけ。今では心の底からそう思う。僕にはなにもなさすぎる。僕は勇者には相応しくない。それは強さだけの話じゃない。心もそうだ。
僕はお世辞にも善人とはいえない。車が来てなければ赤信号は無視するし、未成年なのに興味本位でビールを飲んでむせたことだってある。なによりカオリを一方的に妬んで酷いことを言った。軽蔑されて当然の人格。そのくせにカオリやルカみたいに強いわけではない。僕は勇者とは程遠い場所にいる人間だ。
「いいえ。肩書きだけではありません」
「カオリに比べたら僕なんて……」
「なんの力もないのに人の為に躊躇うことなく怒ることが出来る。絶対に敵わないと分かってる相手にも正しくないと思えば間違ってると叫ぶことが出来る。それは貴方様だけの強さです」
「……そんな大層なもんじゃない。あのくらい誰だってするでしょう」
「誰にでも出来ることじゃない。だからこそ貴方は誰よりも勇者なのです。たとえ弱くとも、貴方は勇者を名乗るに相応しいお方です」
その言葉に心が洗われる。今までの積み重ねが報われた。ちゃんと僕のことを見てくれている。スキルではなく僕を見てくれた。そのことが凄く嬉しかった。それこそ泣きそうになるほどに。
「誰がなんて言おうと私にとっての勇者は貴方様なのです。フウガこそ勇者にふさわしい」
初めてだった。僕は勇者に相応しくないと誰もが思っていた。僕自身ですら自分は勇者じゃないと思った。誰も僕が勇者であることを肯定しなかった。だけど彼女だけは僕が勇者であることを肯定した。僕でなければいけないのだと言った。
「……これもお持ちください」
アリシアさんがそう言って手渡してくれたのは彼女の使っていたナイフだった。そのナイフは素人目で見てもわかるくらいの一級品。それこそ金貨数十枚は動く額で取引されるものだろう。握ると吸い付くように手に馴染むのに、重さという概念を感じさせない。
「私がお父さんから貰ったものです。今の私には不要なものですから、貴方様がお使いください」
「ありがとう。大切にする」
そのナイフの鞘には英字でエンジェルビュートと刻まれていた。それがこのナイフの名前なのだろう。僕は渡されたナイフを素直に受け取る。このナイフは彼女にとって想い出深いもので、大切なものだ。だからこそ断れない。そんなナイフを渡すと決めた彼女の心境を思うと、受け取らない方が申し訳なく感じた。
「どうか貴方様の旅に幸がありますように」
そして彼女は僕に優しく微笑んだ。
僕は彼女と別れ、ヤミ国王都を後にする。僕は終わりなき旅へと出た。なりたい自分になるために。