お父さんの口は血で染まっていた。腹の中から"殺して"という声が聞こえる。人を食べたのは火を見るよりも明らかだ。しかも半殺しで。それを気高かったお父さんの姿でやるのだ。あまりに邪悪で吐き気がしてくる。
「殺してやる! 絶対に殺してやる! 魔王!」
魔物。様々な獣の強いところだけを縫い合わせて動く死体として生み出されるという説があった。例えば猿に亀の甲羅と鷲の爪と翼を植え付けたりといった感じだ。
目の前の光景を見て、その推察が事実だと判明した。怒りで我を忘れそうになる。嫌悪で武器を握る力が自然と強くなる。
「ルカ! 戦うな!」
「なんで!」
「家族なんだろ! 死体とはいえ家族殺しなんて惨いことさせられるか!」
醜悪なケルベロスが視界に入る。そのケルベロスはお母さんの声で言った。
『きゃはっはっは! 死ね! 死ね』
「や、やめ……」
その声で力が抜けた。自然と涙が止まらなくなる。
やめて。誰よりも品のあったお母さんは絶対にそんなこと言わない。そんな下品な笑い方も知性の欠片もない言葉も吐かない。
『あぁ……助けてぇ……助けてぇ……』
「いや……」
ふざけるな。勇敢だったお父さんはそんな情けない言葉を吐かない。私の家族を馬鹿にするな。ふざけるな。怒りよりも悲しみで動けない。地面には膝をつく。目から涙が溢れて止まらない。どうして。どうしてそんな酷いことするの?
「殺す……殺し……て……やる」
殺したい。それなのに戦斧が上手く拾えない。お父さんの顔を見ると戦斧が向けられない。手が震える。でも私がやらなきゃ……お父さんを解放してあげなきゃいけない……それなのにどうして……
「抜刀光撃」
青い閃光にお父さんの首が落とされる。首が地面に転がり落ちていく。腐った血が足元に広がっていく。紅ではなく赤紫の血が地面に染みていく。私はそれを見てることしか出来ない。ただ
「青薔薇返し」
お母さんの首も落ちる。なにもできない。私がやらなきゃいけなかったことなのに体は震えて言うことを聞かない。武器を握ろうにも手に力が入らない。なにも見たくない。もうやめて。
「青霧離散《あおぎりりさん》」
そしてケルベロスの最後の首が落ちた。それと同時に巨体はズシンと音を立てて力尽きた。戦いは終わった。カミーラはただ無表情で私の方を見る。私が出る幕もなく戦闘が終わった。
「……君が起きる前に決着をつけたかった」
「ううん。ありがとう……」
カミーラが全てやってくれた。きっと彼は1人で全て解決するつもりだったのだろう。私が傷つかないように知らないところで勝手に。
「ねぇカミーラ」
「なに?」
「……あとでお墓。作るの手伝って」
「もちろんいいよ」
戦いで疲れたであろうカミーラ。そんな彼に私は身勝手なお願いをした。だけど彼は嫌な顔すら見せずに受け止めてくれた。彼の優しさに甘えてしまう。それはいけないことだと理解していても抗えない。
「それと……ちょっとだけ胸貸して」
「うん。いいよ」
「ああああああああああああああぁぁぁぁぁ!」
私はカミーラの胸を借りて大泣きする。お父さん。ごめんなさい。私がやらなきゃいけなかったのにカミーラに任せてしまってごめんなさい。
私がちゃんと弔わなかったから、あんな醜い化け物にさせてしまいました。お墓も作れない。看取ることも出来ないダメな娘で本当にごめんなさい。
なにもできない娘でごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
「ルカ。君は悪くない」
「私がちゃんと埋葬したら……私が遺体をほったらかしにしなかったら!」
「悪いのは魔王だ。ルカじゃない」
カミーラが優しい言葉をかけてくれる。でもそんな言葉はいらない。悪いのは私だ。全部私のせいだ。私がちゃんとしてれば。私がきちんと弔わなかったせいだ。私のせいだ。私がいけないのだ。
「ルカ。ちょっと下がって」
カミーラは私にマントをかけると同時に再び剣を構える。それからズシンズシンと地響きが響く。私は顔を上げようとした。
「見るな!」
「え?」
「どうせ悪趣味なものだ。君が見るものじゃない」
私はカミーラの制止を振り切り、地響きのする方を見る。そこには腐った巨人の死体がわんさかいた。それらは街を目指してただひたすらに歩いていた。
「う……そ……」
腐った死体の中には見覚えのある顔もある。あれは私の国の民だ。私のお父さんやお母さんでは飽き足らず、民までも弄んだ。あまりに気持ち悪い光景。憤怒が沸騰していく。憤怒が全ての感情を消し去っていく。
「……なめやがって」
「ルカ?」
「カミーラ。もう大丈夫」
憤怒で全て吹っ切れた。私は戦斧を拾って構える。一人も残さず全員私が弔う。心を掻き回すほどのショックもこの憤怒で全て吹き飛んだ。今は一刻も早く皆を解放したい。それは巨人族の姫である私がしなければならないことだ。
「大丈夫か?」
「いつも通り援護。お願い」
「あ、ああ……」
巨人の死体は城壁を登ってすぐに街に入ってきた。数にして数百はいるだろうか。私はそれをひたすらに斬っていく。だけど死体は斬っても再生する。幸いにも無限ではない。20回ほど致命傷を与えれば再生が終わり、元の死体に戻る。
「ルカ……ドウシテ……」
「……うん」
「ドウシテ……トムラッテクレナカッタ!」
遺体……いや、死体は嫌な言葉を喋りながら私に向かってくる。その度に何度も心の中でごめんなさいと謝りながら死体を壊していく。
「耳を貸すな! 言わされてるだけで意味などない!」
「わかってる!」
生前の彼らの言葉ではない。ただ私が嫌がるであろうことを言わされてるだけ。それでも一言喋られる度に心が痛くなる。
「キャハッハハハハ!」
「やめろ!」
巨人が住民の若い男性の手足を引き抜いて遊ぶ光景が目に入る。私はすぐに巨人を蹴り飛ばして、住民を助ける。
「大丈夫です……か……」
声をかける途中で気づく。もう死んでいる。ただの遺体だ。私はすぐに遺体を踏み壊して戦地に向かう。
「ルカ! なにをしてる!」
「敵は遺体を使う! 下手したら住民の死体を再利用される!」
「そういうことか」
「カミーラも住民の遺体を見つけたらなるべく壊して。そうしないと地獄が終わらない!」
「わかった!」
ここまで悪趣味なやつだ。心が折られてボロボロになった奴の顔を見るのが趣味みたいな野郎に決まってる。そんなやつが現場に来ないとは考えられない。現場にいる以上は必ず住民の遺体を利用する。少なくとも私が誰かを虐めるなら同じことをする。
「……どこにいる」
遺体を壊しながら敵を探していく。私の大切な人達を弄んだ罪はなんとしても命をもって償わせる。そのためにもなんとかして見つけだす。主犯は絶対に近くにいるはずだ。
「ルカ!」
カミーラの声が私の名を叫ぶ。私に覆いかぶさろうとした巨人の死体を戦斧で吹き飛ばし、彼の方へと視線を向ける。ここから彼の姿は見えない。だけど声で大体の位置はわかった。
「犯人らしきやつを見つけた! 来い!」
「わかった!」
地面を蹴り、即座にカミーラの元へと向かう。私が彼を視界に入れた時には既に交戦中だった。相手は魔族の老父だ。その老父は青黒い肌、背に羽虫が持つような小さな羽をはやしていた。
「八将ロウロウ! 貴様はここで討つ!」
「年寄りを襲うとは何事だ! 恥を知れ!」
その声が私の逆鱗に触れた。どの口がそんな盲言を言うのだ。一目見ただけでこいつが元凶だと本能で理解した。大切な人たちの遺体を弄び。罪のない民を虐殺するようなお前が恥を知れ。絶対にここでぶっ殺す。こいつだけは生かしてなるものか。
「死んで」
カミーラから逃げる老父の退路を塞ぎ、挟み撃ちの形を取る。思考より先に戦斧を振り下ろす。その戦斧は的確に彼の左腕を落とした。あまりに動きがお粗末。弱すぎる。こんな弱いやつに好き勝手にされるなんて反吐が出る。
老父は落ちた左腕を置き去りにし、私に背を向けて逃げ出していく。私は静かに敵の背中を眺める。
「弱いもの虐めじゃ! 老人を労え!」
「もういい。黙れ」
カミーラが珍しく怒りを表に出して、駆けていく。しかしカミーラの脚力では足りない。敵と距離が離されていく。こいつは何気に足が速いし、攻撃を避けるのが上手い。それしか取り柄のない雑魚だ。
「逃げるなよ」
力強く地面を踏み込む。それと同時に石畳がひび割れる。それを気にも留めることなく、地を蹴って距離を詰めていく。私はカミーラを追い抜き、あれすらも追い抜く。そして再び挟み撃ちの形を作って、戦斧で薙ぎ払う。
「痛い痛い痛い痛い!!」
私の一撃は敵の膝下を的確に破壊した。これで得意の逃げも出来ない。私は地に這い蹲るクソを見下す。あまりに気分が悪い。その不快感で反射的に手を踏み壊す。その瞬間に悲鳴を上げる。
うるさい。耳障りだ。
「どうしてこんなことをしたの?」
「みんな……儂とは違って恵まれとる……」
「は?」
「巨人族など生まれた頃から強靭な肉体。生まれただけで勝ち組」
「……なに言ってるの?」
ああ。駄目だ。こいつとは会話にならない。こいつは自分のことしか考えていない。ずっと自分のことばかり。自分の行動が悪いことだとも思ってない。むしろ権利とすらまで思ってる節がある。
「強く生まれたのだ! ならば少しくらいか弱い儂の糧にしてもいいだろう!」
「もういい。死んで」
頭を蹴り飛ばして、粉砕して殺した。あんな言葉は聞いてるだけで吐き気がしてくる。こんな奴とはそれ以上言葉を交わしたくない。同じ空気すら吸いたくない。そして全てが終わった後にカミーラが追いついてくる。
「こんな
「ああ」
「反吐が出る」
「……八将にそういうのを期待する方が間違いだろ」
老夫を倒してからは死体も動くことはなくなった。それから私たちは必死に救護活動にあたった。生存者は20名にも満たなかった。あれだけ必死に戦ったのに殆ど助けられなかった。なんでこんなクズにお母さんやお父さんが弄ばれなきゃいけない。怒りを通り越して呆れしかない。
もう全てが嫌になってくる。勝ったのに心は晴れない。ずっと重いままだ。そしてふと思った。疲れたと。
「ねぇカミーラ」
「ルカ?」
肉体的な疲れもある。だけど今はそれ以上に精神的な疲れの方が大きい。
もう頑張る意味も分からなくなってくる。楽な道だとは思ってなかった。辛い思いはたくさんするって覚悟もしてた。だけどこんな仕打ちを受けるなんて思ってなかった。
あんな残酷な形でお母さんやお父さんと会うとは思わなかった。私の手で私の国の民の遺体を何度も壊すことになるとは思わなかった。そんな思いをするくらいならあの時に死んでおけばよかった。そんな考えが脳裏に過ぎる。
「これからもっと嫌なことあるのかな」
「おい……待て……」
戦斧を持つ。その刃を首に軽く当てる。あとは軽く押し込むだけ。それで楽になれる。もう疲れた。もう嫌だ。全て終わりにしたい。この憤怒ともさよならしたい。こんな世界で生きる意味なんてあるとは思えない。今まで目を背けた現実が重くのしかかる。
「死んだ方がマシだよね」
言葉が漏れた。
お兄ちゃんのことは憎い。でも復讐ってここまで辛い思いしてまでやる価値ってあるのかな?
手から血が出るまで素振りした。とても辛かった。溢れる臓物を縫い付け、身体を誤魔化して戦った。叫び出したくなるほど痛かった。大切な人の遺体を弄ばれた。うずくまりたくなるほど心が痛かった。
そんな辛い思いまでしてやりたい事が復讐。ただお兄ちゃんを殺してスッキリする。一時の快楽のためにこんなにも苦しい思いをする。
――ああ。馬鹿馬鹿しい。
「早まるな!」
戦斧がカミーラに弾かれる。私は呆然とする。どうしてこの人は私なんかのためにそこまで必死になってるんだろう。ああ……そうだよね……
「魔王を倒す。その約束……果たせなくてごめんね」
「違う! そんなことはどうでもいい!」
「ならなんで止めたの!」
叫びが漏れる。私はもう痛いのも辛いのも嫌だ!苦しいのもごめんだ!楽しいことなんてない。こんな悪意しかない世界で生きる意味を見出だせない。こんな世界で生きてる方がおかしい。死を選ぶ方が普通だ。私は普通だ。普通のことをしようとしてるのにどうして止める。
私から逃げる権利まで奪うな……奪わないでください……お願いします……
「お前に生きててほしいからに決まってるだろ!」
「……私にそんな存在価値無いでしょ?」
「ある! ルカが俺の戦う意味だ!」
戦うしか脳がない。女の子らしさなんて欠片もない。戦いに必要だからというならばまだ分かる。しかし私が戦う動機だから生きていてほしい。もう意味が分からない。私にそこまで惚れこむ価値なんかない。私は手を差し伸べ価値のあるような子じゃない。私はヒロインにはなれない。
「俺は魔王を倒してルカのような人を減らしたい。死んだ方がマシなんて誰にも言わせない。そんな世界にするために魔王を倒したい」
「だから……」
「お前がいなくなったら俺はなんのために魔王を倒すんだよ! 俺は顔も知らない誰かのために戦えるほど俺は強くない! お前が笑える世界っていう明確な目的があるから剣が振れる!」
彼の言葉に少しだけドン引きした。カミーラと出会い、そこそこ月日は経つ。だけど恋人とかそういう関係でもない。それなのにそんな臭いセリフ言っちゃうんだ。だけど彼の目はどこか真剣だった。その場しのぎの言葉じゃなかった。
「俺はルカがいないと魔王と戦えない! だから俺が魔王と戦うために君は生きてくれ!」
彼の言葉で少しだけ光が見えた気がした。その言葉を聞いて、不思議と死ぬのは今じゃなくていいと思えた。もしまた辛い思いをしたら、その時に死ねばいい。だからもう少しだけ頑張ってみよう。だって私をここまで想ってくれる人がいるんだから。もう死んじゃいたいし、逃げてしまいたい。だけど同じくらい彼の頑張りを無下にしたくない。
「もう。仕方ないなぁ……」
私はカミーラの手を借りて立ち上がる。だけどカミーラの顔を直視出来なかった。彼を少しだけ異性として意識してしまって恥ずかしくなる。あんなこと言われたら、そうなるのも仕方ないだろう。
「カミーラは諦めないでね。私が生きてる限り膝を折っちゃ駄目」
「ああ」
「途中で降りるなんて許さない。なにがあっても戦わなきゃ駄目」
カミーラに呪いの言葉を吐く。私の逃げを許さなかった彼。私を立ち上がらせた彼。彼にはその責任を取る義務がある。だけどカミーラにだけ呪いは背負わせない。私も同じくらい重い呪いを背負おう。
「私も折れない。貴方が剣を振り続ける限り――私も戦うよ」
そう決心した。だけど運命様は私達を楽にはしてくれない。安らぐ時間なんて与えてくれない。
あれから私達は寝袋を引っ張り出し、死臭が充満する地面で眠った。もうどこかに移動する気力も残されていなかった。どこかの宿に転がり込もうにも、どこもかしこも瓦礫の山だった。
「きゃあああああああ!」
そして女の子の悲鳴で目が覚めた。