私の帰省を終えてから既に半月が経とうとしていた。あれから私達は戦いの場から少し離れていた。吸血鬼探しとか八将討伐とかやらなければならないことは多い。しかしそれ以上に今は優先することがあった。
「帰った帰った。どうしてそんな誰の子とも分からん餓鬼を育てないといけないのさ。こっちにはそんな余裕ないんだよ」
「そうですよね……話を聞いてくださってありがとうございます」
私達はリーチェの里親探しをしていた。そんなの私たちがやることではないのかもしれない。だけど私はリーチェを助けてしまった。それならば最後まで面倒を見る義務がある。
「失礼しました」
未だにリーチェの引き取り手は見つからない。今の時代は子供なんて負担にしかならない。好んで引き取る物好きなど滅多にいない。それこそ教会ですら保護を渋る始末だ。その現実が私達の旅を停滞させていた。
「ルカ。どうだった?」
「ダメだったよ」
「そうか……」
「まぁ仕方ないよ。切り替えて次の街に行こ?」
「ああ」
だけど私はリーチェの里親探しは不思議と嫌ではなかった。むしろどこか楽しんでいた。里親を探すという行為ではなく、誰かを傷つけることなく人のためになることをする。そんな旅が楽しいのだ。出来ることならこんな日々がずっと続いてほしい。
だけどなんの気掛かりもないわけじゃない。
「リーチェはどう?」
「そのままだ」
「そっか……」
リーチェは相変わらず笑わない。当然ながら喋ることも滅多にない。もちろん私たちが話しかければ最低限の受け答えはしてくれる。だけどそれだけだ。見てるとそのうちなんかの拍子に自殺でもしてしまうんじゃないかと不安になる。
「なんか美味しいもの食べたら少しは笑ってくれるかなぁ……」
「試してみる価値はあるんじゃないか?」
「そうだね。今度商人から香辛料の類を色々と買おうか」
私たちはお金には余裕がある。たまに引き受ける傭兵の仕事。そこで結果を残し続けたら自然と使いきれないほどの額が貯まっていたのだ。それに巨人族の街から帰る道中で偶然にも宝石をたんまりと見つけた。それを売っても金になる。
……これは完全に余談だが少しだけ私の味覚が戻ってきているし、柔らかいベッドでも気持ち悪さを覚えなくなった。もちろん憤怒の熱は消えないし、復讐を辞める気もない。だけど最近はそれだけが全てではない気がしている。
「ねぇリーチェ」
「なんですか?」
「なんかしたいことある?」
「星が見たい……」
星。たしか魔王が現れる前にあったとされるもの。なんでも空に浮かぶ宝石とか言っていた。正直言っておとぎ話だ。そもそも空に宝石が浮かんでいるわけがない。もし浮かんでたとしたら、皆が宝石を取ってすぐになくなるだろう。そんな空想上のものを見たい。そう言われてもどうするか困ってしまう。
「カミーラ。どうしよっか?」
「そもそも星って存在するのか?」
「……言葉には気を付けてよ。リーチェの夢を壊すようなこと言わないで」
本当にカミーラは配慮がなくて嫌になる。もちろん私も存在していないと思ってる。だけど夢見る子どもの前で言うことじゃない。もっと子どもの目線で考えてほしいものだ。
「わ、悪い……」
「あるもん! 星はあるもん!」
「うんうん。わかってるからねぇ」
それにしても子供らしい夢だ。空を見上げても見えるの灰色の分厚い雲ばかり。星なんか存在するわけがない。しかし子供とは夢を見てしまうもの。物理的にありえないということがわからないのだ。だけど感情を出してムキになったリーチェに少しだけ安堵する。この子は心まで死んだわけじゃないということが分かるから。
「しかし星なぁ……」
「どうしたの?」
「いや文献で見たんだが……雲の先にあるとかないとか……」
「雲の先なんてあるの?」
「さぁ?」
雲は一種の壁だ。もしも私が殴って雲に穴を空けたら、星が見えるかもしれない。そんな希望を少しだけ抱く。それにもし星がなくてもそれはリーチェの思い出になるはずだ。
「さて、私に出来るかなぁ……」
「なにが?」
「ううん。なんでもない」
さすがに雲を壊しますなんて言う勇気はない。そんなこと言ったら大笑いされるのが目に見えている。ただ今の私なら出来る気がする。お父さんから貰ったミョルニルは武器として一級品。それに私も昔よりも格段に強くなった。少なくとも試す価値はある。
「今度さ。山を登ろうよ」
「急にどうした?」
「ただの気分転換だよ。たまにはいいでしょ?」
もちろん登るのはこの辺りで一番高い山だ。さすがに地面から雲をぶち抜くのは無理だ。しかし雲に近いならば話は別だ。リーチェは体力的に厳しいので私が背負うことになるだろう。それで道中に出てくる魔物や獣の類は……まぁカミーラに退治してもらえばいけるだろう。
「そういえばリーチェはなにか食べたいものある?」
「……パンケーキ」
「なにそれ?」
「昔に誕生日にママが買ってくれたの……ふわふわで甘いクリームが乗ってて凄く美味しかった」
「カミーラは知ってる?」
「たしか貴族向けのお菓子の一種だよ。お母さんはどうしても君に美味しいものを食べさせたかったんだろうね」
もしパンケーキを食べたらリーチェは笑ってくれるだろうか。それでリーチェが元気になるなら食べさせてあげたい。登山を終えたら今度は街に行こう。ただそんな
「ねぇカミーラ。私も作れるかな?」
「勉強すればいけるんじゃないか?」
「それじゃあちょっと頑張っちゃおうかな」
そうして私達は登山を開始した。今もどこかで誰かが八将の被害に苦しんでる。戦場で知らない誰かが血を流してる。それでも私達は山を登る。私は正義の味方じゃない。名前も知らない誰がどうなろうが知ったことではないし、興味もない。名前の知らない数千人よりもリーチェの方が大切だ。
「本当にこんな遊んでていいのか……」
「いいでしょ。ずっと張り詰めてても疲れちゃうよ」
「え?」
「ん?」
「いや……ルカの口からそんな言葉が出るなんて思ってなかったから」
たしかにそうだ。少し前の私なら絶対にそんなことを言わなかっただろう。それこそ遊ぶことを私自身が許さなかった。そんな暇があるなら少しでも経験値を積め。そうしなければお兄ちゃんを倒せない。そんな強迫観念に苛まれていた。遊ぼうなんて発想もなければ、張り詰めてはいけないなんて考えも出てこなかった。
「そっか……私も変わってきてるんだ」
だけど不思議と悪い気はしない。この山登りは平和そのもので楽しいものだ。人の死体が転がってるわけでもなければ血の匂いが充満してるわけでもない。道中は歩きながら他愛のない話をしたり、周りの景色を楽しむ。そして暗くなってきたらテントを立てて、美味しいものを食べて寝る。この生活に心のどこかで満足している。このままでもいいかなとすら思ってしまう。
「ルカ。この倒した熊の肉がもったいない。どうにかできないか?」
「無理。私の収納袋はもう経年劣化して、今じゃ40キロくらいまでしか入らないんだよ?」
「でももったいないし……」
「テントの機材に非常食や飲料水にカミーラの趣味のスパイスから鍋や包丁などの調理器具に旅の資金の宝石等々……どんだけ入ってると思ってるの?」
「すみません……」
私が故郷から持ってきた収納袋もそろそろ古くなってきたし、新調したい。しかし収納袋は相当珍しいらしく、売ってるのは数回ほどしか見たことない。しかもどれも非常に高価で買えるものではなかった。もっともカミーラがスパイス集めを自重したら、少しは貯金も貯まって買えたのだろう。しかし過ぎたことを考えても仕方ない。
「それで今日は何作るの?」
「そりゃカレーに決まってるだろ」
「まぁ肉があったらそうするよね。カミーラなら」
カミーラの趣味は料理だ。私と戦場で過ごした時に何度か料理をしているのを見たことがある。もっともあの時の私は味覚も死んでいたし、そこまで彼に興味を持っていなかった。だけど味覚が戻りつつある今では彼の料理が少しだけ楽しみになっている。
「……かれー?」
「郷土料理の1つ。美味しいよ」
「楽しみ!」
登山を始めてリーチェに少しだけ笑顔が戻ってきた。それに気のせいかもしれないがリーチェの口数が少しだけ増えてきている気がする。このままリーチェが心を開いてくれるといいなと切に思う。
「ということなんでカミーラ。絶対に失敗しないでね」
「カレーは俺の得意料理だぞ。あまり舐めるな」
「それと甘口にしてね」
「甘いカレーなど邪道。そん……」
「リーチェも食べるってこと忘れないでね。少しでも辛くしたら本気でしばくから」
それからカミーラがカレー作りを始める。私とリーチェは野菜の下処理や火起こしなどの手伝いをする。本当に平和な時間だ。だけど少しだけ罪悪感を覚える。これ自体が悪いことじゃないのは理解してる。私にもその権利があるのはわかってるつもりだ。それでも私の中で声が響いてる。魔王もお兄ちゃんも生きてる。遊んでる暇があったら少しでも体を鍛えろ。戦場にいって技を磨け。頭の中の自分がそう語りかけてくる。
この時間を良しとする私と駄目だと否定する私。2人の私が心の中で同居している。あまりに気持ち悪い。不愉快だ。
「……ルカお姉ちゃん?」
「どうしたの?」
「大丈夫?」
「ん?」
「怖い顔してたから……」
「平気だよ。怖がらせてごめんね」
だめだ。そんなことを考えるな。リーチェを不安にさせてしまう。私はリーチェを安心させようと無理やり笑みを作った。心の何処かでは分かってる。こんなことしてる場合じゃない。私には私の役割がある。それを果たさなければならない。それにカミーラをいつまでも私の我儘に付き合わせてはいけない。だけど私はもう少しだけ甘えたい。
カレーが完成してお皿によそられていく。いつも通り美味しいカレーだ。ただいつもより少し甘い。蜂蜜やリンゴを使ってるのだろう。でも少しだけ辛い。恐らく唐辛子も入れたのだろう。
「からっ!」
「カミーラ?」
私は軽くカミーラを睨む。まぁ作ってしまったものは仕方ない。もしもリーチェが食べられないようであれば先ほど残った熊肉、それを塩胡椒で味つけして焼いたものを作ってあげよう。そんなことを考える。
「ちゃんと甘くしたよ。これ以上甘くしたらカレーじゃなくなる」
「……でも美味しい」
リーチェは辛いといいつつも笑顔でカレーを平らげた。その光景に一安心する。そして食事を終えたら、しばらく火を囲って談笑した後に交互に眠りへとつく。基本的に2人同時に寝ることはない。なにせどんな危険があるのか分からないのだから。
「あとどのくらいでお山のてっぺんにつく?」
「んー……明日の夜頃には着くんじゃないかな」
「そっか……明日で終わっちゃうんだ」
「また来よっか?」
「いいの?」
「うん。もちろん」
ふと気持ちが揺らぐ。もう復讐なんて辞めてしまおうか。このままリーチェとカミーラと私の3人で暮らそう。私とカミーラがいれば殺されることはないはずだ。魔王に怯えなくてもいい。わざわざ四天王や魔王が直接出向いてくることなどないだろう。ああ。そうしたいな……
だけどやめられない。そんなのはカミーラが許さないし、私の憤怒と憎悪が認めない。
――結局のところ私は復讐鬼。止まれないのだ。
「ここが頂上……だよな」
「うん」
そうして私達は頂上に着いた。そこから見える景色はつまらないものだった。頂上にあったのは大きな塩湖。足元には水が少しだけ溜まっている。空はいつも通りの灰色。薄く広がった水面は見飽きた灰色の空を反射している。全部が灰色でなにもない寂しい光景。どこにも色がない寂しい景色。
「なんかつまんないね」
「正直もっと綺麗なものかと……」
「まぁでも今回は景色を見に来たわけじゃないからね」
「そうだったのか?」
私は空に向かって手を伸ばす。大丈夫。今の私なら造作もない。この程度の壁なら壊せる。だって私は強い。私にはその力がある。もっと自信を持て。自分の力を疑うな。そう自分に言い聞かせる。
「危ないからリーチェは少し離れてね」
「なにするの?」
握り拳を作る。全身に力を込める。成功する自分をイメージする。全神経を腕に集中させる。そして空を殴るかのようにミョルニルを振り上げた。上の空気の面に叩きつける。そのイメージで全力で武器を振るった。
「煌!」
衝撃が走る。その衝撃波は周囲を傷つけることなく、そのまま上空へと向かう。次の瞬間に雲が吹き飛んだ。私の技が雲を貫いたのだ。その先にあったのは眩い光と一面の青だった。今まで見たことないような綺麗な青。灰色が晴れて、地面が空を反射して青に染まっていく。
「すごい!」
リーチェは今まで見せたことがないくらいの笑顔で大はしゃぎしていた。私とカミーラは感動で言葉を失っていた。その美しさに見惚れていた。
雲の先がこんなに綺麗なんて知らなかった。本当に青色の空が広がってるなんて思いもしなかった。雲が無ければここまで光が降り注ぐなんて考えたこともなかった。おとぎ話の景色が目の前に広がっている。
「うん。すごい……すごいね」
なにもないつまらない景色が今までに見たどんなものよりも輝く場所に変貌する。あまりの綺麗さに語彙が奪われ、凄いという言葉しか出てこない。世界ってこんなにも美しいものだったんだ。世界は綺麗なものだったんだ。
「ルカ。来て良かったな」
「うん!」
「だけどやっぱり星はないな」
「でもいいじゃん。こんなに綺麗なものが見えたんだから」
「そうだな」
いつまでも見ていられる。青色の空から目が離せない。空から降り注ぐ光が気持ち良い。その景色を心に刻むように私は感じる。
見上げる空の青が地面にも広がっている。足を一歩踏み出して生まれた波紋が床にある空を揺らしていく。端から端まで広がる美しい青。自分がどこに立っているのかすら分からなくなるほどに美しい景色。
この青は二度と忘れられない。私の宝物だ。
「あ――」
私達はここから動けなかった。この景色をいつまでも見ていたかった。何時間見ても見飽きるということがない光景。ただ言葉を失って眺めていた。それほどまでに空の青は美しく、衝撃的だった。
次第に空が顔を変えていく。綺麗な青色が不思議なことにオレンジ色へと変わる。今まで見たことのない色。思わず手を伸ばしたくなるようなオレンジ。だけどオレンジは長く続かない。オレンジはすぐに漆黒の黒へと変わった。
その時に初めて知った。空から色が消えるから夜になるのだと。夜を象徴する黒になった時は少し残念だったけど仕方ないと思った。こんなに綺麗なものがいつまでも存在してるわけがないのだから。もうこれで青は終わりだ。心に景色を焼き付け、満足した私達は下山の準備に取り掛かろうとした。
「ルカお姉ちゃん! カミーラお兄ちゃん! 見て!」
リーチェの声で手を止める。彼女が指差す方を見る。そこには光があった。小さな光が1つ。最初は1つしかなかった光が、どんどん増えていく。まるで空に散らばる宝石。私は先ほどの青以上に目を奪われる。あの青は美しかった。だけど私はこの漆黒に広がる宝石の方が美しく思えた。私は青い空よりも漆黒と光の景色の方が好きだった。
「星だよ! あれが星だよ!」
赤色の光や緑色の光に青色の光。色々な光が私たちの目に飛び込んでくる。星は御伽話なんかじゃない。灰色の雲の壁の先に存在した。ずっと私たちの上にいたのだ。星はたしかにそこにあったのだ。
「本当にあったんだな……」
星は床にも散らばっている。水面が星を反射している。まるで星の上を歩いてるみたいだ。見ることすら出来ないと思ったものに囲まれ、こんなにも近くにある。私はなんて贅沢ものだろう。
「この世界で星を知ってるのって私たちだけなんだね」
「空は1つだ。ここからじゃなくても雲が払われた今なら周囲の人は見える」
「そうだといいな」
「もう星は空想じゃない。現実なんだ」
それから私たち星を見ながら眠りについた。星は私達が眠るまでずっと見守ってくれた。私は今日のことは二度と忘れない。そう強く心に誓った。この景色は私の宝物だ。
「そうだよね。うん。知ってたよ」
目が覚めて落胆する。空はいつも通りの灰色だった。夢はいつまでも続くわけじゃない。あれほど綺麗だった青も星の輝きも存在しないいつもの空へと戻っていた。少し寂しくはあるが仕方ないだろう。私達は空想に生きてるわけではない。現実に帰らなければならないのだ。
「帰ろっか」
「ああ」
宝物を拾った私たちは静かに下山した。あの美しさを語り合いながら。
――だけど幸せは長くは続かない。