既に1週間が経っただろうか。食事が無味無臭であることを除けば、ここでの生活は楽しいものだった。なにせ争いというものがなく平和そのものなのだから。
朝9時の授業から始まり、昼の12時過ぎに昼食で、授業が15時過ぎに終わり、そこから17時半くらいまで部活動というものをさせられる。部活動で行われるのはバレーボールという奇妙な球技であったものの、中々に楽しい。
そして部活動が終わると翌日の朝9時まで意識が飛ぶ。また学校の外に出ることは不可能だった。学校から抜け出すことを考えると金縛りにあったように身体が動かなくなる。
「……正直ここでの生活も悪くないな」
「うん。こんな生活がずっと続けばいいのにと思っちゃうよね」
「そうだな」
「でも悪くないだけ良いわけじゃない」
「そうか?」
「料理の味がしないなんて最悪でしょ。それなら魔王を倒して現実でこういう生活をすべきだよ」
止まってなんかいられない。しかし出るすべは皆目見当もつかない。明らかに第三者の攻撃なのに第三者が現れない。
「エルフとララは大丈夫だろうか……」
「多分問題ないよ。メイもいるしね」
「そうだな」
「それに現実で1週間も経ってるとは思えない。そんなに時間あったら3人が解決策を見つけてる」
「そうじゃないってことはそこまで時間経過はしてないってことか」
「うん」
正直言えば意図が分からないのが怖い。これは第三者による攻撃なのは確実だ。しかし都合の良い夢を見せて私達を拘束したいならば少しおざなりすぎる。私達を殺したいならば攻撃してこないのが理解不能。結局敵はなにがしたいのだ。
「あんまり焦ることはないよ。世の中は何事もなるようになるもんだし」
「随分と楽観的になったな」
「重く考えすぎると空回りするからね。これ私の経験則ね」
悲劇とは重く捉えてしまうから悲劇になるのだ。もっと気持ちを楽に持つべきだ。義務や使命感でやるんではなく、私がやりたいからやる。そういうマインドこそが重くならないコツ。
魔王を殺すのも復讐とかじゃなくて私が殺したいから殺す。変に思い詰めることもない。思い詰めて人生つまらなくするなんて馬鹿のすることだ。そうカミーラに教わった。
それから私は部活動なのでカミーラと分かれて体育館を目指す。余談だがカミーラはテニス部というものに所属しているようだ。テニスでかなり強いらしく、なんとなく廊下を歩いていても彼の噂話が聞こえるくらいには人気だ。
「――は?」
それは唐突だった。体育館裏で呻く声が聞こえた。なんとなく興味本位で覗いてみたら3人ほどの不良が1人の根暗な男子高校生に殴る蹴るの暴行をしていた。
私はその光景を見て、血の気が引いていく。虐めがあるという現実が受け入れられないわけでもなければ、そういう行為に嫌悪があるわけでもない。
ただ虐められてる人が私の知ってる人だった。
「なんなのこれ?」
虐められてるのは魔王だった。あの憎き魔王。彼の顔は今でも脳裏に焼き付いている。見間違うはずがない。足が少しだけ震えて、汗が止まらなくなる。虐めという行為はどうでもいい。ただ魔王がここにいるという事実が私を現実に引き戻す。私の憎悪を駆り立てると同時に恐怖が肌を撫でる。
どうやら私は魔王が少しトラウマになっていたらしい。
そんな中で魔王と目が合う。それと同時に時間が止まり、魔王の口が開く。
『これが僕の過去』
脳内に声が響いた。同じ学校のはずなのに普段よりもどんよりとした空気となる。息が苦しい。自分の心臓の音がうるさい。学校に行きたくないという思いが溢れてくる。
『本来は楽しいはずの学校。それを僕は奪われた。僕は悪くないのに怒りも悲しみも奪われ。そのせいで僕は……』
だけど不思議と自分の感情とは思えなかった。私はこんなこと思わない。恐怖で息が苦しくなることも目眩がすることもない。もう感覚が麻痺してるから。
学校に行きたくないなんて思わない。そういう逃げる道は選ばない。逃げるという文字が存在しない。逃げ場なんてどこにもない世界で生きてきた。逃げたくないとかそういう話じゃない。逃げるという考えが思いつくような場所で過ごせなかった。
だからこれは私の感情じゃない。私の想いじゃない。
この攻撃について大体察した。魔王ウシカゲによる精神干渉。自分は被害者だったというアピールだ。
「……馬鹿馬鹿しい」
自然とそんな言葉が漏れた。もうこいつの意図がわかった。こいつは私にわかってほしかったのだ。私に同情してほしかったのだ。こんな平穏を壊された僕は可哀想でしょというアピール。本当に気色悪い。
『は?』
「てめぇがクズな理由を環境のせいにするなよ」
魔王については理解した。虐められっ子が偶然力を持ってしまっただけの存在。一番力を持ってはいけないやつが持ってしまったからこんなことになっている。本当に許せない。
『お前になにがわかる! 女に産まれ、股を開くだけで金は簡単に稼げる! 無能でも男がチヤホヤしてくれるような人生イージーモードなお前になにがわかる!』
私の心が冷めていく。やはりこいつとは分かり合えない。こいつの言動には心底呆れた。もはや怒りすら冷めてきて嫌悪しかない。
「……それを言うならあんたの方がイージーモードでしょ」
『どこが!』
「血も流れなければ死の危険もなければ住む家も食べるものに困ることもなく、誰でもちゃんとした教育が受けられて、大人がちゃんと見てくれる平和な時代に産まれたあんたの方がよっぽどイージー。なに舐めたこと言ってるの?」
こいつはどこまでいこうが他責思考なのだ。自分が被害者という立場を崩さない。その被害者意識が彼のアイデンティティなのだ。
『お前になにがわかる!』
「逆に聞くけど、あんたに遠出して家が帰ったら家が吹き飛んでる可能性のある怖さがわかるの? 朝起きたら村が戦場になって家族が死んでるかもしれない恐怖に怯える気持ちが分かる? 井戸水が枯れて、泥水を啜るしかない生活したことある? 毛布一枚にくるまって、早く朝になってとひたすら祈って夜の寒さを凌いだことあるわけ?」
女に産まれたからイージーモード。本当にふざけてる。私から言わせたらこんな恵まれた時代に産まれた魔王の方がよっぽどイージーモード。自分だけが不幸って顔をするな。心底腹が立つ。
「他の人の良い側面ばかり見て、自分が恵まれてることに気づいてないだけ。それなのに悲劇の主人公気取りとか、不愉快なんだけど」
『黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!』
「黙らない。誰も言わないようだから言ってあげる。あんたは悲劇の主人公じゃなくてただのクズ」
『殺す!!絶対に殺す!!』
「奇遇だね。私もいま同じ気持ち。死ね」
時が動き出す。その瞬間に私は魔王に飛びかかった。いつものような身体能力などない。いまここで死ぬかもしれない。だけどそれがどうした? 私は今ここでこいつを殺したい!!
その衝動が私を突き動かした。
「僕には奪う権利がある! 虐げられてきた僕には!!」
「ていうか怒りも悲しみも奪われたくせに一丁前に怒るんだ。ギャグのつもり? 全然おもしろくないよ?」
「黙れ!!」
景色が崩れる。学校は崩れ、白一色の精神世界。そこで私は魔王に馬乗りになり、首を絞める。しかし魔王は苦しそうな素振りすら見せない。ここは精神世界。だから殺すことも出来なければ、痛めつけることもできない。だけどこの世界について分かってきた。
あくまで精神干渉。幻惑攻撃とかそういうものじゃない。私の内側の世界。私の夢を書き換えてるだけだ。あのカミーラも私の作り出した偽物で本物じゃない。偽物で心を弾ませた自分が恥ずかしくなる。本当にこいつはどこまで私を馬鹿にすれば気が済むのだ。
「いっ!!」
激痛が走った。メイが夢は脳からの信号と語っていたことを思い出す。その信号に干渉してるなら痛覚も弄れるなんて理屈か。それを応用した攻撃といったところだろう。
――それがどうした?
所詮は痛みだけ。現実の肉体にダメージなんてない。ならば私が我慢すればいいだけ。死なないと分かりきっている痛みなんて怖くもなんともない。
「自分は奪われたから奪う権利がある? それを私に言う?」
家族も奪われた。未来も奪われた。体もたくさん傷ついた。何度も尊厳を踏みにじられた。魔王より私の方が悲惨な人生を歩んできた自信がある。お前にだけはそのセリフを言わせない。
「そんなこと言うなら私にすべて奪わせろよ。踏み躙らせろよ。お前の理屈なら私にもその権利があるでしょ?」
『違う!! お前は女という人生イージーモードで産まれた! 僕とは違う!!』
「ほんとくだらない。どんなに奪われたとしても他人からなにかを奪う権利なんてないよ」
頭にきた。やっぱりこいつは駄目だ。あまりに不愉快。絶対に殺す。確実に殺す。最低でも百回は殺す。私がなんとしてでも殺す。
「そんな権利は誰にもない。私にもない。だけど私も多くのものを奪ってきた。奪ってしまった」
私も人を殺した。命を奪った身だ。無罪なんて言わない。自分が潔白なんて言わない。だけど自分に奪う権利があるとは思わない。奪って当然とは思わない。あるのは力だけだ。
「でもそれは私もあなたも武力という手段を偶然持ち合わせたから他人から奪えただけ。決して権利があったからってわけじゃない!!」
そういうことが出来たからしただけ。私も魔王も誰かが許すわけではない。強奪の権利なんてない。だからこそ私達は自分のしたことの責任を負う。その責任から権利という言葉で逃げるな。私が逃さない。どこまでだって追い詰めてやる。お前を殺して確実に罪を償わせる。
「うるさいうるさいうるさい!! 僕は奪われてきたんだぞ!! 可哀想だとは思わないのか!!」
「思わない☆」
今のだけは少し嘘が混ざった。一瞬だけ魔王がもしも虐められていなかったらこうならなかったのかとか考えた。虐めで尊厳を踏み躙られた。彼にとっては辛く苦しいものだったのだろう。
私とどっちが不幸かなんて本来は比べるものじゃない。人によって感じ方は違うし、私なら耐えられるから貴方も耐えるべきなんて言うのは横暴だ。だから本当は私の方が不幸と思われかねない言葉を吐きたくなかった。でもそれ以上に彼の在り方を肯定したくなかった。
彼は多くの人を奪って踏みにじった。一番悪いのは彼を虐めたやつらなのかもしれない。彼らに報いがなくて魔王だけが責められるなんてことは認められないだろう。それは正しくないことだ。他の人の行為が許され、彼の行為だけが咎められるのはおかしい。
どうしてあいつらはいいのに自分は駄目なのという問いかけをされたら私は答えに詰まる。でも悩んだ末に最後はこう答えるだろう。この世界は正しいとか正しくないで回っていない。恐らく弱肉強食なのだ。弱ければなにをされても受け入れるしかないし、強いやつはなにをしてもいい。世界はそういう理屈なのだ。だから魔王はなにをしても許された。世界の正義というのは強いやつの価値観で構成されている。
私はそれを許せない。だから私は強くなった。魔王より強くなれば魔王から奪えるから。だけど強いから奪っていいなんて権利はない。強いから奪う手段があるというだけの話。私が望んだのは権利じゃない。手段だ。
私は強くなって、私自身がルールになる。そして弱肉強食のルールを書き換える。私がそんな歪んだ正解を不正解として扱われる世界にしてみせる。
「この薄情者がぁあああああああ!!」
でも正直言って可哀想とか可哀想じゃないとかいう話はどうでもいい。正しさとか権利と手段の話とかもしもの話とかも心底どうでもいい。たしかに元凶は別かもしれない。そうだとしても私が魔王を殺したいと思う気持ちは揺るがないし、変わらない。大義名分も理屈もなにもかもいらない。私は魔王を殺したいから殺す。
私を動かすのは理性じゃなくて激情だ。感情の前に言葉や理屈なんて必要ない!! 私は悪になっても構わない。自己矛盾の行動でも気にしない!! カミーラに幻滅されてもいい。魔王を殺せるならそれ以外はなにもいらない!! そのために生きてきた!!
「お前だけは絶対に殺してやる!!」
「そっくりそのまま返すね☆ カス野郎☆」
世界が音を立てて崩れる。
気がつくと私は別の場所にいた。見慣れた灰色と血の匂い。みんなの荒い息遣いが聞こえる。
「ルカ!! 起きてくれ!!」
カミーラの縋るような声が鼓膜を揺らす。目を覚ますと同時にすぐに戦闘体勢に入る。私がこうして精神攻撃を受けていた。現実世界でなにも起きていないなんてありえない。
「敵襲だ! 四天王が全員同時に攻めてきた!!」
「……わかった。私に任せて☆」
私はカミーラの言葉で二つ返事で返した。そうして最後の戦いの幕が開けた。