悪女は"正解"を咀嚼する   作:ギャン吠えチワワ

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57話 ボウショク様

 

 部屋に羽音だけが響いていく。目の前の光景が飲み込めない。なにが起きているのか理解できない。

 

「どうしましたか?」

「メ、メイ……なんだよな?」

「はい」

 

 ボウショク様。その姿を間近でみると神様というより悪魔という印象の方が強い。黒い体躯にはびっちりと無数の毛が生えている。遠目で見てる分には特に思うことがあるわけではなかった。だが近くで見ると生理的な嫌悪が湧いてくる。虫に対する身の毛がよだつような嫌悪。

 目の前の大蝿がメイだという事実を飲み込めない。俺にキスを仕掛け、可愛らしく微笑んだ幼女の姿と一致しない。

 

「これが変化のスキルを使っていない私の姿ですよ」

 

 メイが人外。その可能性を考えなかったわけじゃない。

 なにせメイだけが異常だった。不老不死という規格外の特性を持ち、頭の回転も幼女とは思えないくらいに速い。その上で治癒や変化といった強力過ぎるスキルを使いこなす。人以外の生物――すなわち上位存在だと思うのは自然な流れだろう。

 

 しかしこればかりは予想外だ。

 

 メイがボウショク様だったことではない。メイが大蝿(むし)だったという事実が受け止めきれない。

 

「な、なんかの呪いとか……」

「違います。産まれた時からこの姿ですよ」

 

 喋り方も仕草も全てが今まで見てきたメイと同じだ。視界を埋め尽くす蝿の身体。それに思わず叫びだしたくなる。虫が特別苦手というわけではない。しかしこれは別だ。あまりに常軌を逸している。

 

「それではルカが機能しない以上はカオリにボウショク様こと私の護衛をしてもらいます」

「あ、ああ……」

「周囲にルカからカオリに変わったことは私の方から説明しておきます」

「どう言い訳するん?」

「そうですね……私が個人的にカオリに興味を持ったので指名したということにしておきましょう。私の言葉でしたら誰も異を唱えられないでしょう」

 

 そんな俺の情緒を無視して話が進んでいく。頭の中で必死に情報を噛み砕いていく。メイが蝿だった。その事実を飲み込もうと咀嚼していく。しかし何度咀嚼しても飲み込めない。蝿という姿は俺には到底受け入れられないものだった。

 

「メイ……」

 

 しかしそれ以上に俺は自分に軽蔑を覚えた。少し姿が変わったくらいで動揺してしまう自分。メイの真実を受け入れられるような甲斐性のない自分が嫌になる。どうして正体が大蝿だった程度のことを軽く流すことが出来ない。

 姿が自分の理想としたものじゃないから態度を変えてしまう最低な自分。その態度がメイを傷つけると理解しているはずだ。それなのにどうして俺は目の前の光景を受け入れられないのだ。

 

 ここで引くな。逃げるな。声を出すな。受け入れろ。

 

「護衛といっても気張らなくて平気ですよ。私の方でフォローしますから」

 

◆ ◆ ◆

 

 そうして俺はメイと2人きりになる。そこに会話はない。大蝿の姿をしたメイになんて声をかけていいか分からなかった。なにを言葉にしても傷つけてしまうような気がした。

 

「カオリ。遠慮しなくていいのですよ」

「遠慮?」

「私を見て気持ち悪いと思ったのでしょう?」

 

 俺は少しだけ唖然とした。それは初めてだった。メイは初めて俺の気持ちを間違えた。今までメイが間違えることはなかった。俺の心を全て見透かしていたように振る舞っていたメイが間違えたのだ。

 

「……違う」

「そうでしたか」

「俺が気持ち悪いと思ったのはメイの全てを受け入れられなかった俺自身だ」

「真面目ですね。少しは聖女ルイスを見習ったほうが生きやすいですよ」

「メイはそんな俺を気持ち悪いと思わないのか?」

「……? 人が蝿にそのような感情を抱くのは普通では?」

 

 メイが大蝿の姿で首を傾げる。普段の幼女の姿とは違い、表情というものが一切見えてこない。それなのに不思議と安心感を覚えてしまう。見た目はたしかに受け入れ難いが、中身は間違いなくメイ本人だ。

 

「普通かもしれないけど……俺は好きな人にそんな感情を向けたくない」

「まぁ好きだなんて!」

「……ラブじゃなくてライクの方だ」

「ふふっ。照れ隠しですか? 食べちゃいたいくらい可愛らしいですね」

「この姿で言われると洒落にならねぇよ!?」

「大蝿ジョークです。お気に召しましたか?」

 

 少しだけ空気が和む。ようやく普段のメイとの距離感に少しだけ戻れた気がした。

 

「……この大蝿の姿。もう少しどうにかなんねぇのか?」

「だから普段は気を遣って幼女の可愛らしい姿をしてるでしょう?」

「ていうかどうして幼女なんだよ。普通に男性の姿でもいいだろ」

「……カオリがそれを言ってしまいますか」

 

 少しだけ踏み込んだ会話をしてもメイは嫌な顔すら見せずに返してくる。もっとも今のメイに嫌な顔をされたとしても分からないかもしれない。しかし言葉から敵意や不快感を感じることはなかった。

 

「どういう意味だよ?」

「ゲームやる時に男性主人公と女性主人公でしたら女性……それも幼女がいれば幼女を選んでしまうカオリがそれを言うのはブーメランだと言っているのです」

「なんで知ってるんだよ!?」

「ルイスから雑談の席で聞きました」

 

 今の喩えでなんとなくだが理解してしまった自分が嫌になる。ゲームするならば見ていて楽しい方が良い。そして男性キャラよりも女性キャラの方が見ていて楽しい。だから女性キャラを選ぶ。メイが幼女の姿をしてるのはそれと同じ理屈なのだ。

 

「だけど政治的な場面だと男性の方が有利だったり……」

「100年も生きていない若造のすることなんて実力でどうにでもなりますから。性別や年齢なんてハンデにもなりませんよ」

 

 ボウショク様ということは少なく見積もっても建国当時から生きている。あまりに積んできた経験値が違いすぎる。きっとメイからしたら困難な政治の場面ですら退屈凌ぎにもならないのだろう。メイだけが見てる世界が違うのだと痛感させられた。

 

「事実としてメイ・アルカードという幼女の身体でプレイしても政治で好き勝手に出来てますしね」

「論より証拠とはこのことか」

 

 もっともメイが異常なだけだ。メイが出来るのだから出来ないやつは能力不足と言ってしまうのは強引というものだろう。

 

「ところでメイはボウショク様なんだろ?」

「はい」

「生食禁止とかどうにかなんねぇのかよ。寿司が食いたいんだが」

「昨日の開会式で規制緩和の方向に舵を取ると私の口から言ったではないですか」

「そうだけど……」

「あれはカオリのことを思って、わざわざ組み込んであげたのですよ?」

「まじ!?」

「……まさか私の愛が伝っていなかったとは残念で仕方ありません」

 

 愛。メイから発せられた、その単語で俺はメイとのキスを思い出してしまう。温かさと甘さを感じさせる柔らかいキス。そんな可愛らしい唇は既にない。今のメイは大蝿だ。その口にあるのは硬さと冷たさを感じさせるようなストロー状の筒のような口。あの温かさは作り物だったのだろうか。変化によって作られた偽物でしかなかったのだろうか。

 

「本当になんのために……!?」

「メイ」

 

 俺はメイに顔を近づける。愛という言葉が俺の衝動を駆り立てる。あの行為をなかったことにしたくない。あれを嘘にしたくない。全てが作り物だったと思いたくない。

 

 気づけば自然とメイと唇を奪っていた。大蝿の口に接吻する。全部が嘘とは言わせない。俺はあの時の感触を確かめるようにメイの口に唇を重ねる。そこには一切の嫌悪がなかった。

 

「し、し、正気ですか!?」

 

 その行為にメイの顔が真っ赤になる。相手は表情の読めない大蝿だというのに、この時だけは本気で動揺してるのが分かった。

 

「あの時と同じだな」

 

 俺は静かにメイの口から唇を離す。

 メイの口は予想とは裏腹に柔らかった。まるで湿ったゴムに触れたような感覚で、そこには確かな温もりと強烈な甘さがあった。あの時のような柔らかさとは少し違うもの。しかし嫌な感触ではない。

 

「……は、蝿にキスをするとか正気じゃない……と思います」

「蝿以前にメイだろ」

「そもそも急に唇を奪うだなんて……セクハラです……」

「わ、悪い!」

「ま、まぁカオリでしたらいいですけど……」

 

 メイが少しだけもじもじした仕草を見せる。あれほど嫌悪を覚えた大蝿も今では可愛らしく思える。結局のところ大事なのは外側ではなく中身なのだ。中身が魅力的ならば、どんな姿であろうが受け入れられる。メイがそれを証明してくれた。

 

「……カオリ」

「ん?」

「私は貴方のことを考えると少しだけ心がさみしくなります」

「さみしく?」

「……考えるとカオリに会いたい。カオリの声が聞きたいと思ってしまい、少しだけさみしくなるのです」

 

 そのストレートな物言いに少しだけ照れる。メイの顔が直視できなくなる。

 いつからかだろうか。俺もメイのことばかり考えるようになった。俺はメイと過ごす日々に楽しさを感じていた。メイとずっと一緒にいたいと思うようになった。メイに使われたいと思った。メイの駒として尽くしたいと思った。そしてメイと並びたいと思った。

 

「誰かにそんな感情を抱くのは初めてです。私はカオリのことが好きなのかもしれません……」

「メイ」

「なんですか?」

「俺はメイに相応しい存在になる。好きかもしれないじゃなくて、好きだと断言させられるような男になる」

「……はい」

「メイに相応しい、メイだけの英雄になる。もしもその時がきたら――俺の恋人になってくれ」

「……それでしたら私はカオリを英雄に導きます。待つだけの女になど成り下がりたくありませんから」

 

 メイの視線から熱を感じる。本気の返答だ。メイは与えられることに満足するような女じゃない。欲しいものは自分から奪いにいく女だ。だから俺はメイのことが好きになった。そんなメイが好きだ。

 

「それに応えられるよう頑張るよ」

「大丈夫です。私は弱い人を好きになりませんから」

 

 俺はメイに告白した。その結果として俺はメイの英雄になることを改めて決めた。だけど1人で目指すわけじゃない。メイと2人で目指すのだ。俺はメイの英雄になる。メイは俺が英雄になるためにサポートする。そんな奇妙な関係となった。

 そして降臨祭は裏で色々と起こりつつも、表立った大きな問題が起こることもなく、終わりを告げた。ヤミ国最大のイベントは無事に終わったのだった。

 

 * * *

 

 降臨祭も終わって日常が戻ってきた。うちは眠い目を擦りながら帰宅する。結局のところ降臨祭はルカの幼児化の呪いを調べたり、貴族に脅しをかけに向かったりと多忙なスケジュールで動かされてしまった。そのため少しだけ疲れが溜まってる。

 

「おかえり。お姉ちゃん」

 

 家の扉を開けると同時に可愛らしい声がうちを出迎える。

 

「ただいま。モモ」

 

 実は誰にも言っていないが降臨祭の日にうちはモモと合流していた。そしてモモはうちの下で居候を始めた。

 つまるところモモは一度魔族領に帰ると言いつつ、ちゃっかりヤミ国王都に潜伏しているのである。当然ながら即座に報告しなければいけない大問題だ。しかしモモにお願いされたので1週間だけ見逃すことにしたのだ。どうも家族のお願いにうちは弱いらしい。

 

「モモ。これからどないするつもりや?」

「まだ決めてないよ。このままずっとここで暮らすのもありかもね」

「あんた。魔王やろ?」

「だからここにいるんだよ。魔王だからお姉ちゃん……というより聖女ルイスを無視するわけにはいかないでしょ」

 

 モモの言う通り、もしもうちを取り込めば魔王としての仕事はお釣りがくる。うちとこうして過ごしている事実が魔王としての仕事に直結しているのだ。ただの家族団欒なのに外交と扱うことが出来る。それがうちの立場なのだ。

 

「それに政治のこともちゃんと考えてるよ」

「次はどないするつもり?」

「私ね。魔王の全権を別の人に譲渡しようと思うんだよ」

「さすがに、それは無責任やろ」

「無責任って言うけど私はまだ8歳だよ。そんな政治的な責任を負わせる方が間違ってると思わない?」

 

 まさしく正論である。そもそも子どもが政治の場に立っていることが異常。モモはメイと違って正真正銘の8歳。年齢を偽ってるわけではないのだ。つまるところ社会が守るべき子ども。それがモモの立場なのだ。

 

「……それで誰に委任するん?」

「うーん。ヤミ国と戦争を回避出来そうな人かな?」

「そんな人……おるんか?」

「うん。いるよ」

 

 うちには見当もつかない。魔族とヤミ国の接点はほとんどない。誰がなろうが悪化することもなければ、関係が良好になることもない。

 

「ヤミ国の人になってもらうんだよ」

「は?」

「ヤミ国の貴族が魔王になったらどうかな。そしたら魔族領は事実上のヤミ国の領土になって戦争を仕掛ける動機が消える」

「ちょい待ちや。それは売国やろ。魔族の立場はどうなるんや?」

「それは大丈夫。いくら全権譲渡したといっても魔族の背後に私がいるという事実があるから変なことは出来ないでしょ」

 

 モモはもしもヤミ国に籍を置くようなことがあれば、確実に公爵になるような人材だ。それほどまでに戦闘力も高くて、政治が出来てしまう。

 

 つまるところヤミ国としてもモモは絶対に敵に回したくない相手。そのモモの影が残る以上はヤミ国としても好きに動けない。もしモモの技量も分からない馬鹿なら話は大きく変わるだろうが……ヤミ国は的確にモモの技量を見抜いている。だから迂闊に動けない。それを理解した上でモモも動いている。

 

「それでなおかつエルフからも支持を集めてる人が魔王になればさ。エルフの士気もガタ落ち」

「……」

「エルフの聖女にしてヤミ国の公爵様が魔王になるって面白い筋書きだと思わない?」

「ほんまあんたは……」

「だからお姉ちゃん。魔王になってよ?」

 

 思わず間抜けな声が漏れそうになるのをぐっと堪える。この妹はなにを考えている。どうしたらそこまで頭が回るのだ。たしかにうちが魔王になれば、エルフとしても戦争を仕掛けづらくなる。それほどまでに聖女の肩書きは重い。

 そしてヤミ国としても公爵が管理する土地になるため迂闊に手を出せなくなる。両国を政治的に動けなくするためには理想的な一手といえる。

 

 しかしそれは諸刃の剣だ。そんなことをすればうちに全権が集中してしまう。ヤミ国、エルフ、魔族の全てにうちが名実共に大きすぎる影響力を持つことになりかねない。まさしく文字通りの世界征服だ。

 

「結局のところさ。お姉ちゃんが一番政治が上手いんだから、全権を全てお姉ちゃんに集中させた方が私達家族にとって一番都合が良い展開にもっていけると思わない?」

 

 控えめに言って頭がおかしい。狂気の沙汰としか言いようがない。こんなの思いついても普通はやろうとは思わない。なにせモモは王手を譲ってゲームを終わらせると言っているのだ。普通は誰か一人に力が集中することを恐れる。モモにはそれが一切ない。だからこそこのような手を平気で打ててしまう。

 

「モモ。あんた……」

「お姉ちゃんならこのくらいのリソース。ちゃんと使いこなせるよね?」

「それは……」

「お姉ちゃんがやりたいようにやっていいんだよ。私はそれを全力で支持するし、お姉ちゃんの思い描く未来が私にとって一番都合が良くなると信じてる。私の全部をあげるから好きに使い潰しなよ。お姉ちゃん」

「うちが断ったら……」

「断らないよ。デメリットもないし、この条件で得られる旨味もお姉ちゃんなら理解出来るし――なによりも私のお願いを聞いてくれないくらい薄情じゃないでしょ?」

 

 断れないではなく断らないと断言する。魔王という肩書き。それを活かした悪巧みが嫌というほどに湧いてくる。思い描いたことが全部出来る。これを受け入れるのは世界の支配者という玉座に座るに等しい。もう誰もうちに逆らえなくなる。

 

「なりなよ。魔王に」

 

 そうしてモモはうちに大きな爆弾を押し付けた。

 

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