「だめだめ。カオリ君じゃ私には勝てないの♡」
ロストベリーを振るう。それをアリスは涼しい顔して受け流していく。文字通り手も足も出ない。一振りする度に生かされてるのが気まぐれだと思い知らされる。
「ざぁこ♡」
「がはっ」
アリスの拳が腹に叩き込まれる。彼女の拳が当たった瞬間に周囲に黒いハートが舞った。当然のように天啓を混ぜた攻撃。当たると同時に骨が折れる音がした。その威力はまるでトラックにでも跳ねられたかのように重い。
激痛が脳を走る。当然のように肉体は身体能力強化で底上げしている。アリスはそんなの関係なしに俺にダメージを与えてくる。彼女の攻撃力の前では防御が意味をなさない。
「次。いっちゃうよ〜♡」
糸による不可視の斬撃が放たれる。痛みを無視して強引に避けていく。そんな様を見てアリスは笑いながら踊っていた。彼女はこの戦いで全然本気を見せていない。遊びの延長でしかない。
まだ俺が生きている事実が証拠だ。アリスは完全に遊んでいるのだ。
「あはっ♡ いくっ♡ いくっ♡」
アリスが小躍りしながら糸が弾丸のように噴射する。その糸が腕を掠る。その瞬間に強い絶望が心を支配する。駄目だ。アリスには勝てない。今まで積み上げてきたものは全て無駄だった。あれは人が勝てるような相手じゃない。
「そ〜れ♡」
アリスの糸が今度は線として噴射される。その噴射された糸が太ももを掠る。それと同時に凄まじい熱が心を支配する。アリスを許せない。このように平気で人を弄ぶ存在を許せない。憎い。憎い。憎い。
「てめぇええええええええ!!!」
俺は雄叫びをあげて、アリスに飛び掛かる。しかしアリスは軽やかなステップで避けて、俺の顔に蹴りを叩き込んだ。黒いハートが舞い散り、俺の肉体はボールのように弾んで飛ばされる。
その痛みで我に返った。今の俺は明らかになにかがおかしかった。明らかに違和感がある。
「私の糸は感情糸。その糸で傷つくと感情が増幅するの♡ まぁ今みたいに強い衝撃を与えれば効力は消えるけどね」
アリスがペラペラと語りだす。それで全てが腑に落ちた。最初の糸弾は絶望を混ぜ、次に行われた糸の噴射は憎悪を織り交ぜていた。あの攻撃は掠るだけでも致命傷になりかねない。戦いの主導権が完全に奪われる。それを身に沁みて痛感させられた。
「……手の内を晒すなんて随分と余裕なんだな」
「だってカオリ君。すっごく弱いもん♡」
アリスの意図が読めない。今の蹴りは明らかに加減したものだった。本気ならば顎の骨は砕かれていた。そもそも先ほどの巨大ヒルで行使した無数の糸で周囲を切り刻む攻撃をされたら俺は死んでいる。
俺が今も喋れているのはアリスが手を抜いたからに過ぎない。まるで侮辱されてるようだった。彼女には俺は敵ではなく、玩具としてしか映っていない。彼女にとって俺は脅威にすらなれていないのだ。
「さて。そんなよわよわなカオリ君に素晴らしい提案があるの♡」
見え透いた挑発と煽り。それに乗らないのは理性があるからではない。単純に乗る余裕がないほどに俺が追い詰められているからだ。アリスの言葉を無視して、ひたすら観察する。どこかしらに攻略の隙はないのか。どこかに勝ち目は残っていな……
「――私の奴隷にならない?」
その言葉に耳を疑った。俺はアリスの目を見る。彼女の目を見るが、その目は本気だった。
もちろん彼女の提案は論外だ。だが真意が読めない。俺を奴隷にすることになんのメリットがあるというのだ。
「これでも私はカオリ君に期待してるんだよ」
「……初対面だろ」
「カオリ君さ。私がけしかけたゲイジュを倒したでしょ? ちゃんと見てたんだよ♡」
やはりゲイジュを手引きしていたのがアリスだった。俺は知らず知らずのうちに彼女と因縁を作っていた。彼女だけは俺のことを一方的に知っていた。
「そこで君の狂気に可能性を感じたんだよ。私は君が欲しいと思ったの♡」
持ち手を通じてロストベリーから強い緊張と不安が伝わる。アリスには勝てないのではないか。そんな風に思ってしまう。当然ながら逃げ場などあるわけがない。もし生存の道があるというならば、時間を稼ぐこと。ひたすら時間を稼いでルイス姉かルカの援護を願う。それしか手はない。
「もし奴隷にならないなら手加減はしないよ」
アリスが威嚇するように瓦礫の山を糸で格子状に切り刻む。ここまでアリスの攻撃を何度も受けて体力も大きく消耗した。今の俺でアリスの攻撃が受けられるのだろうか。そんな不安ばかりが募っていく。
ゲイジュと戦った時にはどんな傷でも瞬時に治せるメイがいた。アレックスの時には傍にルイス姉がいて、どうにかしてくれるという安心感を無意識で抱いていた。そしてエメラルドの時は試合という形式で死なないことがルカによって保証されていた。だけど今は違う。誰も命の保証をしてくれない。
ミノタウロスの時のように勝ち目がある敵でもない。デュラハン戦後のような不意打ちで状況を飲み込めないまま殺されかけるわけでもない。正面から理不尽な暴力が向けられている。
「簡単には死なせないよ。生け捕りにして持ち帰ってあげる♡」
暴力の怖さを初めて理解する。戦場において弱いやつは選択肢を持てない。そんなことは理解してるつもりだった。しかし体験として大きく欠けていた。俺は言葉と理屈で知っているだけであり、それがどういうものなのか知らなかった。
「眼球はスプーンで抉って、爪は生える度に剥いであげる♡ もちろん歯は引き抜くし、肛門に焼きごてだってぶち込む♡」
戦いに負けることは全てを奪われるということ。そこには尊厳すら残らない。それをどこか甘く考えていたということがアリスに突きつけられた。アリスの言う言葉を聞き、彼女を文字通りの悪魔だと思った。慈悲の欠片など一切持ち合わせていない本物の悪魔。あまりに残虐な提案に吐き気すら覚えそうになる。
圧倒的な暴力さえあれば、そんな理不尽すらもまかり通ってしまう。それがこの世界のルールだ。
「きっと痛くて苦しいよ〜♡ そんなのカオリ君も嫌でしょ?」
アリスが挑発するようにいう。俺はアリスに勝てない。それは認めようのない事実だ。しかし尻尾を巻いて逃げたところで見逃すとも思えない。命乞いに耳を貸すとも思えない。俺には悪足掻きすることしか道がない。
「雷撃一閃!」
即座に距離を詰め、ロストベリーを叩きつける。しかしアリスは冷や汗すらかかずに糸で俺の攻撃を受け止めた。ロストベリーはピクリとも動かない。まるで壁でも殴ってるような感触だった。
「でもね。私の奴隷になって、生涯を捧げてくれたら、そこまで酷いことはしないであげる♡ どっちがいい?」
「お前の奴隷になることも拷問されることもない! 俺はお前を倒す!」
「へぇ〜!? まだ勝てると思ってるんだ♡」
アリスが糸を緩める。体勢を崩した俺の腹に蹴りを叩き込む。黒いハートを舞わせた蹴り。天啓を纏わせた蹴りは臓器が全てひっくり返りそうになるほどの衝撃があった。
「私の糸すら攻略できない。格闘術でも負けてる。天啓の精度も私のほうが上。しかも手加減してる私にすら苦戦してる。そんなカオリ君のどこに勝ち目があるのかな?」
「くっ……」
「まだ時間があるし死なない程度に遊んであげる♡ いっぱい悲鳴を聞かせてね?」
その言葉と同時にロストベリーから強い怒りが流れ込んでくる。それと同時に景色が塗り替わっていく。倒壊した街は消え去り、地面に赤薔薇が咲き誇る。地平線の先まで染まる赤。呼吸する度に薔薇の甘い匂いが鼻腔を突き抜ける。
俺はその光景を知っている。これはロストベリーによる精神侵犯だ。ロストベリーがここで決めろと言っている。
「へぇ……武器に精神侵犯させるなんて面白いことするね♡」
即座に行動へと移る。この精神侵犯で倒さなければ次はない。もし俺が勝てるとすれば、これが最後だ。この有利を活かしきらなければならない!
「星砕き!」
アリスの行動よりも俺の攻撃の方が僅かに速い。大振りで叩きつけた一撃がアリスの頭を粉砕する。しかし頭を無くしても肉体が動く。その肉体が俺の首を締めあげる。
「その効果は平衡感覚の喪失といったところらしら♡」
頭が再生していく。ただ強いだけの存在ならばどうにかなったかもしれない。しかし不老不死という事実が絶望を強くしている。彼女を完封した上で不老不死をどうにかしなければ勝ち目すらない。
「そういうのは私に効かないの♡ 肉体という概念のある敵に使うものだよ?」
俺の腕が掴まれると同時に身体が投げ飛ばされる。そして地面に叩きつけられ、身体が地面にバウンドして跳ねる。そんな俺をアリスが蹴り飛ばしていく。ロストベリーの精神侵犯すら通用しない。今まで相手にしてきた人達とは強さの次元が違う。
そのまま地面に寝かされる。アリスの迫る音がする。俺は次の攻撃に備えようと即座に立ち上がろうとした。しかしアリスの攻撃の方が速い。起き上がるより先に一気に身体が軽くなった。そして激痛と熱が右腕を起点にして、全身を貫いた。
「悪い子はお仕置きだぞ♡」
「あああああぁぁああああああああ!!」
俺の右腕が落とされた。アリスの糸が俺の右腕ごとロストベリーを落とした。その痛みで地面にうずくまる。絶望が迫ってくる。確かな死が近づいている。
「カオリ君は左側を過剰に庇うくせがあるよね。だから右側が甘いからすっごく攻撃しやすいの♡」
アリスが笑いながら俺の弱点を話していく。俺自身ですら自覚していない弱点。それをアリスは見抜いていた。こいつは能力や不老不死にかまけているだけではない。純粋に戦闘センスが高い。
今までの戦いを思い返す。俺はアリスが指摘する通り、無意識に左側を気にしてしまう癖は確実についている。その原因にも心当たりはある。恐らく野菜戦争でアレックスに左目を斬られ、左腕を折られた時だ。あの時の痛みが恐怖としてこびりついている。アリスは戦いでそれを見抜いていたのだ。あれは人を見ていないようで怖いほどによく見ている。
――相手に嫌がらせするためだけに徹底的に観察してくる。
「……やっぱり精神侵犯。鬱陶しいわ♡」
アリスが空を叩く。黒いハートが舞い散り、精神侵犯が音を立てて崩れていく。薔薇畑は消滅していき、元通りの瓦礫の山が露出させられる。
勝てない。俺の持つ武器がなに1つとして通用しない。
嫌だ。怖い。怖い。死にたくない。そんな恐怖が心を埋め尽くす。
身体が異常なまでに重くなる。呼吸する度に激痛が走る。視界がぼやけていく。今まで無視したダメージが一気に押し寄せてきた。
「ロストベ……」
縋るように転がった自分の武器に左手を伸ばす。しかし手は届かない。アリスが伸ばした俺の手を踏みつける。アリスは笑みを浮かべながら俺を見下す。ちくしょう。なにが足りない? どうして俺はこいつに勝てない?
アリスがしゃがみ、俺と視線を合わせる。彼女の瞳が俺をまっすぐと見ていた。まるで逆らえば殺すと言わんばかりに。
当然だがアリスの提案なんか受け入れられるわけがない。しかしこのまま殺されるのも怖い。
「私が貴方を新しい英雄にしてあげる♡ 戦乙女ルカも聖女ルイスも超える英雄」
寄り添うような言葉だった。その言葉に一瞬だけ惹かれてしまう。アリスは俺の求めるものを理解している。俺はどうして抵抗してるのだろう。ここで折れれば楽になれる。折れた方がよっぽど賢い生き方ではないか。
「世界をどん底の恐怖に陥れる魔王にしてあげる――だから私のものになりなよ♡」
アリスの甘言が響く。当然だけど受け入れていいわけがない。しかし拒否しても待つのは死のみ。ここで無意味に死ぬことが本当に正しいことなのか。そんな疑念が頭を過ぎる。
「私を魅せてよ。ざぁこ♡」
そもそも俺はなにがしたいのだろうか。俺はどうなりたいのだろうか。死にかけの間際でそんなことを考えてしまう。
そもそも死ぬ以上に最悪なことなんかあるのだろうか?
全て命あってこそのものだ。死んでしまったらなにも残らない。正しさも理念もプライドも消えてしまう。
どんな道に落ちようが生きてるやつが一番の正義だ。たとえ外道になろうとも生きてた方が良いに決まってる。
「あ――ぁ――」
そんな死にかけの中で思い出すのは日本で過ごした頃の記憶だった。それが走馬灯のように蘇る。
まるで俺の在り方を見つめ直せと言わんばかりに。
――ああ。最後に嫌な記憶を見せるなよ。
次回から4話ほどカオリの回想です!
遂にカオリがニートしていた理由について触れられます!